3話
◇
変わらず、リーチェが自室で謹慎生活を送る事数日。
あの日から母親は慌ただしくしており、権利書に署名をせず、母親の下に持って行かないリーチェの下にやって来る事は無かった。
そうして、邸内がどこか慌ただしい雰囲気を醸し出している中、自室でじっと過ごしていたリーチェの所にメイドがやって来た。
「──お嬢様。本日、旦那様がお戻りになられます。お出迎えのためお嬢様も正門まで来るように、と奥様が仰せです」
頭を下げ、メイドから告げられた言葉にリーチェは小さく笑い声を漏らしてしまう。
(お父様がお戻りになるのに、当日に知らせるなんて……それに、正門まで来るように……? 出迎えの準備も出来ないじゃない……)
出迎えのための少し煌びやかなドレスを纏う時間も無い。
支度のために使用人を寄越す事もしない。
いつも通りだが、父親が戻って来るその日にまでこんな対応をするとは思わなかった。
リーチェは短く溜息を吐いてから「分かったわ」と短く返事をして部屋を後にした。
◇
邸の玄関を出て、正門まで向かう。
数人の使用人がリーチェの後を静かに着いて歩く。
正門が視界に入り、そして出迎えのために既に集まっているハンドレ伯爵邸の者達を見てリーチェは自嘲気味に笑う。
母親は勿論、妹のリリアもしっかりとその場に居る。
いつものように母親の隣にリリアが居て、彼女に日傘を差す使用人に、父親の出迎えのために母親がしっかり準備させたのだろう。
普段着ている所を見た事が無いドレスを身に纏っていて、わざわざ今日のこの日のために母親がリリアに準備したドレスなのだろうと言う事が良く分かる。
「──……」
そして、リーチェは自分の姿を見下ろして何とも言えない複雑な感情を抱く。
リリアに比べて自分は、普段から着ているデイドレスに、出迎えだからと気持ちばかりデイドレスに合わせても浮いてしまわないような美しく、洗練された宝飾品を胸元に飾り、イヤリングも十五歳の誕生日の時に父親から贈られた誕生石の付いた物を付けている。
華美過ぎず、けれど街へ出掛けるには少し煌びやかな装い。
その程度しか準備は出来なかったが、控えめな装飾品とブルーを基調としたデイドレスが逆にリーチェの美しさを際立たせており、しっくりとはまっていてリーチェ本人は質素な装いになってしまった、と自分を恥じているが実際は出征から戻る父親の無事を喜び、また華美過ぎない装いが此度の戦争での戦死者を思えば適切な装いに収まっている。
(それにしても……もうそろそろ戦争が終わりそうとは聞いていたけれど……こんなに早くお戻りになれるとは思わなかったわ。もう数ヶ月程は時間が掛かると思っていたけれど……。戦争を早く終結させるような何かがあったのかしら?)
父親と会えるのはまだ先だとばかり思っていたが、嬉しい誤算でもある。
リーチェが正門に到着し、足を止めた。
母親の少し後ろ。リリアとは反対側に控える。
すると煌びやかなドレスを纏い、華美な装飾品を付けたリリアと母親が嫌に浮いてしまっているように感じて、リーチェはこの光景を見た時に自分の父親が眉を顰めてしまいそうだ、と考える。
(私のような姿もどうかと思うけれど……お母様とリリアはやり過ぎなようにも感じるわ……。お父様が怒らなければいいけれど……)
そう考え、リーチェは背筋をしゃんと伸ばし、真っ直ぐ前を向く。
いつ、いかなる時でもしゃんと背を伸ばし、凛と立つ。
誰もが憧れるような人になりなさい、と父親に言われた通りその言葉を頭の中で思い出して、いつも凛とした清く正しい父親の姿に少しでも近付けるように。
そして、二年ぶりに会う父親に少しでも「成長した」と感じてもらいたい。
どきどき、と胸を弾ませて待つ事暫し。
馬の嘶きと、地を強く穿つ馬の足音が聞こえて来てリーチェはお腹の前で組んだ手に力を込めた。
多くの馬の嘶きが聞こえ、馬の足音が近付く。
そして、その音が聞こえて来たと思ってすぐ、リーチェが真っ直ぐ見詰める道の先に大勢の人影が見えた。
先頭を走るのはリーチェの父親テオルクだ。
リーチェは父テオルクの変わらない姿に目頭がじん、と熱を持つ。
大きな怪我も見当たらず、リーチェと同じ髪色は二年前よりも伸びていて後ろで軽く括っている。
だが、精悍な顔つきも、真っ直ぐ前を見据える力強い白銀の瞳も変わらない。
リーチェはテオルクの姿に感動し、父親の姿にばかり注視していたが母親とリリアは違うようで。
何故か隣から息を飲む音が聞こえてきて、母親が小さく「何故あの方が……」と呟くのが聞こえた。
だがリーチェがその呟きに気付く事は無く、そうしている内にリーチェ達の前にテオルク達が到着した──。
「出迎えご苦労」
「無事のお戻り、大変嬉しく思います」
「お帰りなさいませ、お父様!」
低く、良く通るテオルクの声が聞こえて、リーチェは下げていた頭を上げる。
同じように頭を上げた母親が帰還の挨拶を述べ、その後にリリアが嬉しそうに笑顔で言葉を紡ぐ。
母親とリリアの言葉にテオルクは軽く頷きつつ、馬から軽やかに下馬し、使用人に馬を任せた後、テオルクの顔がリーチェに向いた。
その瞬間。リーチェはきゅう、と唇を噛み締めた後溢れ出しそうになる様々な感情を何とか胸に押さえ込み、父親に向かって口を開いた。
「お帰りなさいませ、お父様。ご無事で本当に……本当に良かったです……」
「──ああ、私は無事だよリーチェ。二年見ない内に随分大人っぽくなったな。娘が美しく成長していて驚いた」
リーチェの言葉に、先程まで厳しい表情を浮かべていたテオルクはふにゃり、と様相を崩し嬉しさを隠しきれないように微笑む。
リーチェに近付いて来て、嬉しそうに頭をくしゃくしゃ、と撫でる父親の手の温もりを久しぶりに感じていると、リーチェと父親のやり取りが不服なのだろう。
ぷくっ、と頬を膨らませたリリアが二人の会話に割り込むようにして言葉を発した。
「──お父様っ! あそこにいらっしゃる男性は一体誰なのですか? ハンドレ伯爵家の新しい私兵ですか?」
「──っ、リリア……っ!」
リリアが言葉を発した瞬間、隣に居た母親が顔を真っ青にしてリリアの口を自分の手で塞ぐ。
──男性?
リーチェは父親であるテオルクの姿しか目に入っていなかった自分を恥じ入る。
リリアが直ぐに気が付くと言う事は、この兵達の先頭付近を走っていた、と言う事。
(──そう言えば……! お父様のすぐ隣に人影があったわ……! と言う事は、とても大事なお客様……、それも身分の高い方なのに、私ったらその方にご挨拶もせずに……っ)
リーチェが顔を真っ青にしているのを、目の前に居るテオルクは苦笑しつつ見下ろし、そしてリリアに厳しい視線を向ける。
「──リリア。その方は我が軍の命の恩人だ。そのようなふざけた事を口にするな」
「も、申し訳ございませんあなた……。リリアも、頭を下げるのです」
母親とリリアがテオルクに頭を下げた後、その男性にも続けて頭を下げている。
リーチェも挨拶をしなければ、と改めて体の向きを変えてその男性の顔を目に入れた瞬間──。
ぎょっと目を見開いた。
「──っ、カイゼン・ヴィハーラ卿……っ!?」
何故こんな所に国の英雄、と言われるヴィハーラ公爵家の三男、師団の団長を務める騎士が居るのだろうか、とリーチェが驚いていると。
下馬したカイゼンがリーチェに視線を向けてふわりと微笑んだ。