一目惚れは三年前 1
三年前のある日。
国内の貴族達が多く参加するお茶会があった。
夜会や舞踏会とは違い、昼から開催されるこのお茶会はこの国では通称「花の茶会」と呼ばれていて、この花の茶会は頻繁に行われていた。
その中でも大きな「花の茶会」は国内でも三つ程。
カイゼンの公爵家が主催するヴィハーラ公爵家の花のお茶会と、リンドル侯爵家が主催する花のお茶会。そして最後に一番大規模な、王家主催で宮殿を解放して開催される花のお茶会だ。
そして、その日。
カイゼン・ヴィハーラは自分の家が主催した「花の茶会」に騎士として参加するのではなく、主催側の一員として参加していた。
当時カイゼンは十六歳と言う若さでありながら最年少で師団長にまで上り詰めたため、周囲の貴族令嬢達から数多くの縁談を申し込まれていた。
騎士としての職務を全うするために今は婚約者など要らない、と断り続けていたカイゼンであったが、自分ももう十六。
このまま断り続けても縁談申し込みは減る事は無いだろう。
だからそろそろ観念して婚約者を決める必要があるな、と考え両親が勧めるまま花の茶会に参加していた。
着慣れた騎士服では無く、今回は公爵家三男として参加しているため、騎士服より装飾が多く煌びやかなフロックコートを身に纏っているのだが、動き辛さにカイゼンはうんざりしつつ、話し掛けて来る令嬢達にそれとなく相槌を打っていた。
(香水臭い……。高い声が嫌に頭に響く……。それにベタベタ体に触られるのが不快だ……)
無愛想なままでは失礼にあたる。
そのため最低限失礼にあたらないよう自然に令嬢達と距離を取り始める。
令嬢達の目は狙った獲物を逃がさない、とでも言うようにギラギラと欲望に濡れていて。
そんな視線達に晒され続けているカイゼンはうんざりとしてしまっていた。
一番上の兄はとっくに結婚して、子供も生まれている。
二番目の兄も婚約者が居て、年内に結婚予定だ。
三男である自分には家督を継ぐ可能性も、公爵家の領地を譲り受ける予定も無い。
それなのに、「公爵家の人間」と言うだけで目の色を変えて擦り寄って来る人間の多い事か。
(──ああ、俺が師団長になったから、か……)
史上最年少で師団長に就任し、騎士爵まで賜るのではないか、と噂になっているらしい。
一代限りの爵位とは言え、貴族の夫人として生涯安定した暮らしは保証される。
(俺が戦地で殉職でもしたら、国から膨大な金も贈られるだろうしな……)
結局、こんなものなのかとカイゼンは結婚にも、貴族女性にもどこか諦め、失望していた。
「すみません、少し席を外します」
「──あっ、」
「カイゼン様っ」
僅かに笑みを浮かべ、使用人にグラスを渡す。
名残惜しそうに周囲の令嬢達から引き止めるように名を呼ばれるがカイゼンはぺこりと一礼してその場を去った。
──少し休憩したい。
強い香水に頭痛が酷くなって来ている。
お茶会が開催されている庭園の中心部から離れて行き、少し離れた場所にある湖に向かって歩く。
さくさく、と地面の土を踏み締め軽快に進んで行く。
(今日は天気も良いし、剣の鍛錬に丁度良いのにな……)
自分はこんな所でこんな格好をして一体何をやっているのだろう、と失笑してしまう。
そうしてカイゼンは公爵家の広大な敷地内にある湖が見える所までやって来て、そこでぴたりと足を止めた──。
「──あれは」
目的の湖が視界に入り、ほっとしたのも束の間。
煌びやかな庭園と違い自然豊かな場所を好みわざわざこんな所に人など来ないだろうと考えていたのだが、その考えもどうやら外れてしまったようで。
カイゼンは慌てて大きな幹にさっと自分の体を隠した。
そして、幹から顔をちらりと覗かせて湖の方向を見やる。
そこには後ろ姿のため誰だか分からないが、ドレスを身に纏っている事からこの花の茶会に参加している貴族の令嬢だろう。
そして、もう一人。
その令嬢の前に立っている人物が居る。
「──母親、とその娘か……?」
ここからはどんな会話をしているのか分からないが、母親は正面を向いているためその表情は良く分かる。
目を吊り上げ、怒りを顕にしているのが離れた場所からでも分かる。
そして、目の前の令嬢に何かを言っているようで──。
「──あ」
カイゼンが見詰める先で、母親らしき女性が目の前の令嬢の頬を打った。
そして令嬢の頬を打った後、母親はそのまま令嬢の前を通り過ぎ庭園の方に戻って行ってしまう。
「──何故、あんな事を……っ」
距離はあるとは言え、女性が頬を打たれた場面を目撃してしまった。
カイゼンは自分の懐からハンカチを取り出してそのハンカチを濡らして令嬢に渡してやらねば、と前を向いた。
その時。
「──っ!」
頬を打たれた令嬢は、母親が去って行った方向に体の向きを変えていて。
先程までは後ろ姿だけしか見えていなかったが、体の向きが変わった事からその令嬢の横顔がしっかりと目に映る。
打たれた頬に手を当て、きゅっと唇を噛み締め母親が去って行った方向を真っ直ぐ見詰めている。
その瞳が悲しげに揺れてはいるものの、涙に濡れている訳でもなく、強い光を宿している。
まるで海を思わせるような強い意志の宿った青い瞳に、カイゼンは一瞬息を忘れて見蕩れる。
そうこうしている内に、その令嬢はぱちんと自分の両手で頬を叩き、母親が去って行ってしまった方向に歩いて行ってしまった。
「──……っ、泣いてしまうと思っていたのに……」
令嬢の横顔しか見ていないため、詳しい年齢は分からないがカイゼンよりも年下だろう。
十四、五歳の少女が頬を打たれたと言うのに涙も見せず、凛と立つ姿にカイゼンは何処か惹かれるものを感じた。
その少女が気になったとは言え、今庭園に戻ってしまえばまた複数の令嬢に囲まれてしまうのは目に見えている。
カイゼンは少女は気になるものの、その日は花の茶会が終わるまで湖に避難していた。
◇◆◇
湖での記憶もすっかり薄くなって来たある日。
花の茶会から数ヶ月後。
カイゼンはその日、臨時で街の見回りをしていた。
普段カイゼンの師団は街の警邏は行わない。他の師団の騎士が行うのだが、その日だけその師団員に欠員が多く、カイゼンの師団にその役目が巡って来てしまった。
「──全く……体調管理など騎士の基礎中の基礎だろう……」
「まあまあ団長。こんな時もありますって、たまにはこんな仕事もいいんじゃないですか?」
二人一組で見回りをしているため、カイゼンのパートナーの騎士が苦笑しつつそう話し掛けて来る。
カイゼンは「まったく」と言葉を零しながら真面目に街の見回りを行い、そろそろ詰所に戻ろうか、と言う時に女性の叫び声が聞こえた。
「──何だ!?」
「あっ、団長!」
叫び声が聞こえて来たと同時に、カイゼンはその方向に駆け出した。
部下の騎士も慌ててカイゼンの後を追いかけるが、瞬足のカイゼンに追い付く事なくどんどん距離が離れる。
カイゼンはいつでも剣を抜けるよう柄に手を掛けたまま走り続け、叫び声が聞こえて来たであろう方向に向かいながら内心で舌打ちを打つ。
(この先は孤児院のある地区だ……食に困った人間が孤児院を襲ったのか……!?)
孤児院のある地区は王都の外れにあり、孤児院への道は狭い一本道である。
時折王都の貴族も孤児院へ寄付に訪れるため、万が一貴族の誰かが襲われでもしたら、もし強盗をした人間が平民であればその命は簡単に奪われてしまう。
どうかそんな事は起きていないで欲しいと考えつつカイゼンが孤児院への一本道に到着した時。
「……っ、最悪だな……」
思い描いていた最悪の事が目の前で起きており、カイゼンは腰の剣の柄から手を離した。
孤児院への寄付に訪れていたのだろう。
何処かの貴族の家紋が入った馬車が数人の平民に襲撃を受けたらしい。
平民の格好は皆等しくみすぼらしく、貧民街の人間であろう事が窺える。
手には粗末な棒切れや錆び付いた刃物が握られている。
貴族の馬車の方は白昼堂々、王都でこんな事が起きるとは思っていなかったのだろう。
必要最低限、少人数の護衛しか同行していなかったがそれでも護衛は騎士だ。
貧民街で育った人間が数人束になって掛かったとしてもそれくらいでやられる相手では無い。
先程の女性の叫び声は、貧民の人間の誰かの叫び声だったのだろう。
良く見てみれば既に何人かは斬り伏せられており、貧民達は既に戦意喪失しているのがカイゼンにも分かる。
これでは貧民達も皆、殺されてしまうだろう。
何とも言えない感情を胸に抱きつつ、カイゼンが一歩足を踏み出すと、貴族の護衛がカイゼンに気が付いたのだろう。
街の警備を行う騎士服を見て、護衛達が構えていた剣を下げ、カイゼンの姿に目を白黒させている護衛も居る。
「──そちらに怪我人は?」
「は、はい。我々にはおりません、お嬢様もご無事です」
カイゼンに話し掛けられた護衛は、ぴしっと姿勢を正し答える。
「それならば良かった。襲って来たのは貧民か……」
「はい……。孤児院へ寄付に訪れたのですが……この一本道で待ち伏せに逢いまして……お嬢様に怪我をさせてしまう訳にはいかず……」
「それはそうだ……」
貴族の護衛達は斬り伏せた貧民達を既に縛っており、無力化している。
素早く無力化し、捕縛する手腕から良く訓練された護衛騎士達だと言う事が良く分かる。
カイゼンはちらりと馬車の方向に視線を向けた後、護衛に言葉を続けた。
「寄付に訪れたのはご令嬢だけか? この者達の処遇はどうする?」
よくよく見てみれば、貧民達は誰一人として命を落としている者はおらず、皆息もあるし大怪我と言う怪我もしていない。
貧民だからといって命を奪うような事を一切しない護衛騎士に、そんな護衛騎士を持つ家に少しだけ興味を持ったカイゼンはそう問い掛けた。
すると護衛騎士の男はあっさりと口にする。
「いえ、何も……。旦那様よりそのように承っておりますから」
「──そうか」
「はい」
貴族の中には貧民を同じ人間として扱わない者も居る。
特に、この時期王都にやって来ている貴族の中にはそんな思考の人間の方が多いと言うのに、この護衛騎士の家では貧民と言えど、虫けらのように命を奪う事をしないと言う事だ。
(少し、甘い気もするがそんな人が王都に居ると言うだけで──)
カイゼンは馬車に付いている家紋を確認しようと馬車に視線を向けて、そして。
「──っ!」
「あ、お嬢様……! 大丈夫ですのでお戻り下さい……!」
馬車から降りて来ていたのだろう。
お嬢様、と呼ばれた令嬢の姿を見るなりカイゼンは目を見開いた。
少し暗い色の金髪に、青い瞳。
そして横顔だけしか見えなかったがカイゼンの姿に気付き、ぺこりと頭を下げた令嬢は以前カイゼンの公爵家が開催した花の茶会で、湖で見た令嬢だ。
カイゼンに頭を下げ終えた令嬢はメイドの手を借りて再び馬車に戻ってしまったが、カイゼンの胸は何故か高鳴り、どくどくと心臓が早鐘を打ち続けた──。
◇◆◇
「──ゼン様? カイゼン様?」
「……っ!? あ、ああすまないリーチェ嬢……!」
ぼうっとしていたカイゼンの視界に、ひょこりとリーチェの顔が入る。
不思議そうにしているリーチェに、カイゼンは微笑みカップの縁に口を付けた。
「何か考え事ですか?」
「いや……。まあ、うん……そうだな。リーチェ嬢と初めて会った三年前を思い出していた」
これが始まりだったな、とカイゼンは微笑みを深め、リーチェを愛おしそうに見詰めた。