最終話
リーチェ達が邸に戻ってから数時間。
宮殿からリリアが戻って来たのだろう。邸内がにわかに騒がしくなる。
「──戻って来たか。……リーチェとカイゼン卿はここに。私がリリアと話して来るよ」
ふと扉の方へ視線を向けたテオルクが何とも寂しそうな感情を乗せた瞳で見詰め、ソファから立ち上がった。
父親一人に任せてしまっていいのだろうか。
自分もリリアと話をした方がいいのでは、とリーチェも腰を浮かしかけたが、テオルクに緩く首を振られ、またソファに落ち着く。
「──話して来る。少し席を外すから……何か質問があればカイゼン卿に」
「ヴィハーラ卿に、? でも……」
「彼には騎士としての職務上、この事件に関して陛下より説明はされている。今回の一件について彼も事情を把握しているから不安や、分からない事があれば聞いていてくれ」
「──分かりました」
じゃあ行ってくる、とテオルクは応接室を出て行く。
その横顔は何処か物悲しく見えて、テオルク自身やるせない気持ちでいっぱいなのだろう。
自分の娘だと思っていたリリアが、妻と他の男との間に出来た子供だったとは。
だが、そこでリーチェははた、と瞳を瞬かせた。
「ヴィハーラ卿……」
「何だ、リーチェ嬢?」
「あの……今更ですが……リリアと血縁関係が無いとお父様は一体いつ知られたのでしょう……?」
いつ頃事実を知ったのだろうか、とリーチェが疑問に思った事を口にすると、カイゼンは言い難そうに一度リーチェから視線を逸らした後、口を開いた。
「軍医からフランツ医師の話を聞いた、と言っていただろう? その時にふと思ったそうだ。リーチェ嬢の妹君は早産のため体が弱く健康では無いと説明を受けていたそうだが……。出産後の赤子の体重は十分で、臓器への影響は早産の赤子にしては軽かった。……もし、早産じゃなかったら? 予定通り生まれて来ていたら?」
テオルクは、そう考えたらしい。
「早産でなければ、伯爵には身に覚えが無いそうだ。……リーチェ嬢が生まれて、間もなく伯爵は数ヶ月戦に出ている。大きな戦ではないが、簡単に戻って来られる距離でもなく、後処理などで数ヶ月は家を空けていたらしいから……」
「そう、ですか……。戦に向かっていた時期なのであれば、思い違いなど起きませんよね……」
「ああ。戦関連は国でもしっかり記録している。間違い無く、十七年前に伯爵は数ヶ月戦に参戦していたよ」
カイゼンの話を聞いたリーチェは、自分の頭を抱えて俯いてしまう。
先程まで騒がしかった扉の向こう側が今ではしん、と静まり返っている。
自分の父親が、妹と一体どんな話をしているのか。
それはリーチェには想像もつかなかった。
◇
「──お父様は! お父様は何処にいるのよ……! それか、お姉様っ、そうよお姉様は! お母様が連れて行かれてしまったのよ! 早く助けなくちゃっ」
邸に戻って来るなり、リリアは使用人達に向かって叫び、喚く。
まさか、あの場所で父親から背を向けられるとは思わなかった。
まさか、ハーキンと共にあの場に置いていかれるとは思わなかった。
リリアは自分を宥めようと、落ち着かせようとする使用人達に向かって怒りをぶつける。
生意気にも、自分を止めようと腕を掴もうとする使用人を叩き、近くに飾ってあった花の活けてある花瓶を投げ付ける。
置いていかれるなんて。
こんな屈辱は有り得ない。
(そうよ……! お父様もきっとお姉様に全部騙されているのよ……! お姉様がっ、お姉様がお父様に変な事を吹き込んだのよ!)
泣き喚きながらぜいぜいと肩で息をし、リリアを止められず途方に暮れていた使用人達があっ、と言う顔をして一斉に頭を下げた。
「旦那様……!」
「お父様!?」
使用人の声に反応して、リリアは顔を上げる。
すると、そこには応接室の扉から出てこちらに歩いて来るテオルクの姿が。
テオルクは無表情のまま近付いて来るが、リリアはそんな事には気付かない。
近付いて来るテオルクに向かってリリアは抱き着いた。
「お父様……っ! 置いて帰ってしまうなんて、酷すぎます……! あの場に残されて、どれだけ悲しかったか、どれだけ恥ずかしかったか……っ、私は悪くないのにっ、ハーキンが私を愛してしまったからいけないのにっ! それに、お姉様も酷いわ……! お父様に告げ口をして、滅茶苦茶な嘘を吹き込んで──」
「もうやめないかリリア」
自分は悪くない、ハーキンや姉リーチェが悪いのだ、と粗末な言い訳を始めるリリアに、テオルクはぐっと眉を寄せて告げる。
「リリア、もうよしなさい。全部周りの誰かのせいにして自分には一切何の罪も無いと思っているのか? 確かに、母親の不貞はリリアには関係無い。それは、私とフリーシア二人の問題で子供達には何の罪も無い。けれどそれがリーチェの滅茶苦茶な嘘だと? むしろリーチェは私が話すまで知らなかった。もう、全部周りのせいにして過ごすのはやめなさい。これからは自分の事は自分で出来るようにならないと……」
リリアの肩に手を置き、言い聞かせるようにして話すテオルクにリリアの顔色はどんどん悪くなっていく。
「──まさ、か……。私を捨てるの、お父様……? 私を捨てて、お姉様を……!?」
「伯爵家の……ハンドレ伯爵家の血を引いていないリリアを邸に住まわせる事は出来ないんだ、すまない」
「お父様……っ」
咽び泣くリリアに、テオルクは申し訳無い、ともう一度告げてから近くにいた使用人を呼び、リリアを部屋に送るよう頼んだ。
◇
テオルクが部屋を出て行ってからどれくらいの時間が経っただろうか。
リーチェとカイゼンはぽつりぽつり、と会話を続けていた。
「今回の件は、ただの不貞やら不倫やらにしては事が大き過ぎる……。フランツ医師の事を調べ始めた伯爵はその違和感に気付き、すぐにフランツ医師の裏を取り始めた」
そして、フランツ医師が複数の夫人と関係を持っている事も。色々な家の夫人との間に生まれた子供の多さにも違和感を持ったらしい。
「夫人達ののめり込み方が尋常ではない、フランツ医師に依存し、執着し、傾倒し過ぎている。これはもう一種の洗脳のようなものだろう?」
「待って……待って下さい……。そんな恐ろしい事が……水面下では起こっていたと言うのですか……?」
カイゼンの言葉に、リーチェは唖然としてしまう。
ただの浮気や不倫では済まされない。
一人の医師に依存し、家庭を壊し、狂って行く──。
リーチェは先程目にした母親の狂気に満ちた表情を思い出し、寒気を覚えた。
カイゼンは唖然とし、微かに震えるリーチェの両手を自分の両手で包み込んでやると、じっとリーチェを見詰めた。
「陛下は今回の一件を重く受け止めておられる。だからこそ、祝勝会を囮の場として変更し協力者を炙り出されたんだ。……最早我が国は正体不明の国に戦争を仕掛けられていたと言っても過言では無い」
「……っ、ぼうっと過ごしていたら、気付いた時には恐ろしい事になっていたかもしれませんね……」
「ああ。我が国では医師と言う職業は比較的自由に行動出来るからな……。人の命を助ける尊い職業を、戦争の道具として使うなど到底許されざる行為だ。陛下はフランツ医師を筆頭とした、医師の集団が居ると考えておられる。……暫く、国は荒れそうだ」
困ったように眉を下げて言葉を紡ぐカイゼンにリーチェはごくり、と喉を鳴らす。
そうして、そこで自分も無意識の内にカイゼンの手を握り返していた事に気付き、慌てて手を離そうとしたリーチェだが、リーチェの動きに気付いたカイゼンがぐっとリーチェの手を握り込んだ。
「そ……、その……ヴィハーラ卿……手を、」
「離したくない、と言ったらリーチェ嬢は困るだろうか」
「え、ええ……!?」
しゅん、と肩を落として悲しそうに言うカイゼンにリーチェは戸惑ってしまう。
先程まで真剣な、真面目な話をしていたと言うのに何だかむず痒いような甘ったるい空気感にリーチェはおろおろと周囲を見回す。
先程まで室内にいた使用人は、お茶の替えを用意しに行ってから戻って来る気配が無い。
そして、テオルクも戻って来る気配がなくて、リーチェはこの気恥しい雰囲気に顔を真っ赤に染めてしまう。
「……こんな大変な時期に、と言うのは自分でも分かっているんだ。だけど、この三年間は長かった……」
「え、え? さ、三年ですか?」
「ああ。実は俺達は三年前に会っているんだが……この間が初対面では無い。覚えていないか?」
「三年っ、え?」
今までカイゼンは自分の事を「私」と言っていたのに俺という一人称にリーチェはどきり、と心臓が跳ねた。
今まではカイゼンから遠慮のような、配慮のような物を感じていたリーチェだったがじりじりと距離を詰めてくるカイゼンに、リーチェはソファの隅に追いやられて行く。
「そうか……。話したのもほんの短い、僅かな時間だった……だからか……。でも、俺はあの日の事を忘れた事も無いし……、うかうかしている内にまた突然リーチェ嬢をさらわれてしまうのはもう御免だ」
「え、ええ……」
「本当に……本当はもっとちゃんとした場で、ちゃんと場を整えて伝えたかった。けれど暫く国内が騒がしくなりそうだし……伯爵から許可は出ている、だから……っ」
「ちょ、ちょっと待って下さいヴィハーラ卿……っ」
限界だ、とばかりに真っ赤になっているリーチェの両手を握りながら、カイゼンは真っ直ぐリーチェを見詰めながら再び口を開く。
「──カイゼン、と。リーチェ嬢にはカイゼン、と名前で呼んで欲しい。そして、どうか俺と──」
カイゼンが言葉を続けようとした時、扉の方向からコンコン、と音が聞こえる。
だが、そのノックの音は室内から聞こえて来ている事に気付いたリーチェは、慌ててカイゼンの手を振り解き、扉を振り返った。
「──時間切れだ。カイゼン卿、陛下の下に行こうか」
「……っ、伯爵……っ!」
「お父様っ」
そこには、開いた扉に体を預けているテオルクの姿があって──。
リーチェは自分の父親に見られてしまった恥ずかしさに顔を真っ赤に染め上げ、カイゼンは悔しそうに表情を歪め、そしてテオルクは困ったように笑みを浮かべていた。
「恐らく他国からの侵攻に備え、軍編成が行われる筈だ。忙しくなるから続きは本当の祝勝会でやりなさい」
「──分かりました。その時に改めて」
二人でやり取りをする姿に、リーチェはやはり最初からテオルクはカイゼンの気持ちを知っていたのか、と気恥ずかしさを隠すためにじとりとした視線を送ってしまう。
ソファから立ち上がったカイゼンは、やるせなさにくしゃくしゃと自分の髪の毛を乱した後リーチェの足元に跪いた。
「リーチェ嬢。祝勝会の時に改めて告げる。その時はどうか……リーチェ嬢の良い返事を聞きたい」
「あ、うぅ……はい……」
リーチェは自然な動作で掬い上げられた自分の手の甲に希うように額を寄せるカイゼンに何とかそれだけを絞り出し、答えた。
嬉しそうに破顔したカイゼンが、テオルクと共に応接室を後にして。
リーチェは真っ赤に染まった自分の頬を両手で覆った。
◇◆◇
それから、ひと月、ふた月と時間が過ぎた。
テオルクやカイゼンが言っていた通り、この出来事が切っ掛けで国内は少し慌ただしく戦争の準備をしたり、反逆者に深く関わった者の処刑や処罰で王都は一時期殺伐とした雰囲気に包まれた。
だが、そんな中でもカイゼンは忙しい合間を縫い時間を作りリーチェに会いに来た。
テオルクとフリーシアの離婚が正式に成立し、リリアとフリーシアはハンドレ伯爵家が管理する辺鄙な場所にある領地にひっそりと向かった。
ハーキンは他の婚約者を必死に探していたようだが、浮気者と言う事が知れ渡ってしまったハーキンと結婚をするような令嬢はおらず、また侯爵家に戻る事も許されず、フリーシアとリリアが出て行ったその時、リリアの隣にその姿があった。
恐らく相当な苦労をするであろうが、この結果は自分で招いた事だ。
誰も手を差し伸べる事はしない。
そして、フランツ医師はとある貴族の夫人に匿われていたらしく、無事身柄は確保されたが、その後の彼の処遇については決してリーチェの前では語られなかった。
他国の間諜であるフランツ医師は重要な情報を複数持っている。
殺されてはいないだろう、と誰かが言葉を濁した。
そして。
国内が落ち着いた頃、改めて祝勝会が開かれるのだが、そこで大勢の貴族の前で派手な求婚をするこの国の英雄と、伯爵家の令嬢の話はまだ誰も知らない──。
─終─
最後までお付き合い頂きありがとうございました!
リーチェが主人公の本編はこれにて完結となります。
今後はカイゼン視点の番外編を更新してまいります。
テオルクが出征中に何が起きていたのか、そしてカイゼンとテオルク二人の間でどんなやり取りがあったのか。
そしてカイゼンはいつからリーチェの事を好きだったのか。
その部分を番外編として更新させて頂きます、もう暫しお付き合い頂けると嬉しいです!
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