18話
「──リーチェ、帰ろうか。今回の事は、邸で説明しよう」
「お父様……はい、お願い致します」
さあ、とテオルクに手を差し出されたリーチェはカイゼンに促され、そのままテオルクの手を取ろうと自分の腕を伸ばした。
そして、リーチェがテオルクの手に自分の手を重ねようとした所で、リリアから離れたハーキンが「待って下さい!」と慌てて詰め寄って来る。
「待って、待って下さい……っ! 今の話、が本当なのであれば……伯爵夫人は不貞を働いていたと言うのが本当なのであればっ、」
ハーキンはちらり、とリリアに視線を向けた後迷うように一瞬だけ瞳を揺らしたが、キッとテオルクに真っ直ぐ視線を合わせ、自分の胸に手を当てて宣った。
「僕も伯爵夫人に騙された被害者です……! きっと、伯爵夫人の策略で僕とリーチェの仲を裂こうとしたに違いありません。今回の婚約破棄は無効として下さい……!」
「──は、? 何を、何を言っているのよハーキン……」
それまで俯き、言葉を発しなかったリリアがゆらり、と顔を上げ低い声でハーキンに向かって告げる。
「ハーキン、あなたはお姉様より私を愛しているって言ってくれたじゃない……。それなのに、その気持ちは嘘だったって言うの? 騙されたとでも言うの!?」
「だっ、だってそうだろう……!? ハンドレ伯爵の態度を見ていれば分かる……! それにリリアはちっともリーチェと似てないし、伯爵にも夫人にも似ていないじゃないか!? 本当は伯爵と血の繋がりなんてないのに、リリアと結婚しても伯爵位を継げるなんて嘘をついて僕を騙したんだ……! 自分は伯爵家の血を継いでいないのに、僕を伯爵にしてやるなんて嘯いて騙したんだ!」
「な……っ、だって、私だって知らなかったんだもの……っ、お父様と血が繋がっていないなんて──!」
ぐしゃり、と顔を歪めて泣き始めるリリアに婚約破棄は無効だと騒ぎ立てるハーキン。
早く邸に戻り、テオルクから話を聞きたいのに、とリーチェはいらいらと苛立つ。
それに、カイゼンの肩を借りて辛そうに待っているヴィーダも早く休ませてやらねばならない。
リーチェは重く、長い溜息を吐き出してハーキンとリリアに冷たい視線を向ける。
「いい加減にして、二人とも。ハーキン・アシェット卿。私とあなたの婚約は既に破棄されているの。無効になんてならないわ。これ以上しつこくしないで。それに、リリアあなたもいい加減になさい。もう子供じゃないのだから自分の行動に責任を持ちなさい。アシェット卿はもう帰って。そして今後はリリアと好きに婚約なり、結婚なりして」
「リ、リーチェ……!」
「お姉様っ、そんな言い方酷いわ!」
ふいっと二人から顔を背け、リーチェはカイゼンと共にヴィーダを支えながら宮殿を退出するために歩き出す。
未だにリーチェに縋ろうと追いかけようとしたハーキンを、テオルクは自分の体をハーキンとリーチェの間に入れて阻止する。
そしてハーキンに向かって告げた。
「そもそもが、君が浮気したのが原因だろう。リリアとの結婚は許すから、今後は領地で慎ましく二人で暮らしなさい。小さな家くらいは用意してやる」
テオルクはそれだけを言い終えると、リリアとハーキンに背中を向けてリーチェの後を追うようにさっさと歩いて行ってしまう。
ハーキンの嫌だ、待ってくれと言う叫びも、リリアが泣いて叫ぶ声も、周囲の喧騒に掻き消されてテオルクには届かなかった。
◇◆◇
祝勝会から帰宅後──。
ハンドレ伯爵邸に戻って来たリーチェ達は具合の悪そうなヴィーダを軍医に任せ、応接室に集まっていた。
「お父様、ヴィーダを見付けて下さっていたのですね? それに、あんな状態になっていたなんて……ヴィーダはもう大丈夫なのですか?」
「──ああ。フランツ医師に良くない薬を投与されて危ない所だったんだが、軍医にしっかり診てもらったからもう問題無い。大丈夫だそうだ」
リーチェはほっと胸を撫で下ろし、「良かった」と呟いた。
そうして一つ横のソファに座っているカイゼンにちらり、と視線を移す。
「そ、それで……あの、お父様。ヴィハーラ卿は何処から何処まで……?」
「──ああ」
カイゼンが何故ここまで協力してくれたのか。
国王からの命があったとは言え、それは一体どこからだったのだろうか、とリーチェは考える。
もしかして出征から戻って来た時には既に? とリーチェが恐る恐るテオルクに問い掛けると、テオルクはゆるゆると首を横に振り、答えた。
「──いや。最初は本当に祝勝会までの間、邸に滞在してもらうだけだったんだ。……リーチェの婚約破棄に関して調べて行く内に色々と引っ掛かる部分が出て来て、な。出征中軍医にフランツ医師について気を付けろ、と助言を貰った後に今回突然の婚約破棄だろう? 今回の件とヴィーダの事を調べて行く内にだ」
「そうだったのですね……。それだったら、もし婚約破棄が行われていなければ……」
「ああ。もしかしたら気付かぬまま、フランツ医師の思惑通り事が進んでいたかもしれない……。情けない事にフリーシアが不貞をしていたなんて、全く気付かなかったからな……」
「それだけ、お母様も周囲に知られてはならないと必死に隠していたのですね……」
「ああ。だが、私が戦に参加して邸を不在にした事から隙が出来たのだろう。大胆に行動し始めてその結果ヴィーダに知られ、調べられてしまった。だから、唯一真実を知るヴィーダを亡き者にしてしまおうとしたのだろう。……それに、フリーシアの補佐をしていた侍従のマシェルは伯爵家の金に手を付けていたので解雇した。不貞の件に関しては関与していなかったから、その件については無関係だったのだろう」
混乱させてしまってすまないな、とリーチェに向かって謝罪するテオルクに、リーチェは慌てて自分の首を横に振る。
「いえ……! とんでもないです! むしろ、私もお父様が不在の間、もっと家の事に目を向けていれば……」
「だが、私が居ない状況でリーチェがフリーシアの不貞に気付いていたら危ない目に遭っていた可能性がある。……このタイミングで良かったんだよ」
「そう、でしょうか。何だか、ヴィハーラ卿にもご迷惑を掛けてしまって……」
申し訳ありません、と話を振られたカイゼンこそ、とんでもないとばかりに首を横に振る。
「いや……! 私が協力出来る事があれば、と伯爵に自ら申し出たんだ! リーチェ嬢が謝罪する事は無い。……ただ、個人的にあの男が気に食わなかっただけ、で……」
「……っ」
恥ずかしそうにリーチェから視線を逸らし、ぼそぼそと言葉を紡ぐカイゼンに、リーチェも釣られて薄ら頬を染めてしまう。
何だか以前からカイゼンの態度や、言葉は何処かリーチェを想っているようなそんな気配を見せていて。
今回の事件のためにカイゼンは伯爵邸に滞在していたのか、と思ったのだがどうやらそれも違うらしく、本当に最初はカイゼンの善意でリーチェを助けてくれていたらしい、と知りリーチェは益々気恥ずかしさを感じてしまう。
二人の様子を見ていたテオルクは軽く咳払いをしてから、話を戻した。
「──まあ、二人はおいおい話し合ってくれ。リーチェの今後の婚約や結婚については……私は一切口を出さない。リーチェに迷惑を掛けたくないからな。ただ、全てが済んでからだ。いいな?」
「それ、は勿論」
最後の言葉はまるでカイゼンに言い聞かせているようで。
カイゼンを睨み付けるように見つつ釘を刺すような低い声で告げた言葉に、カイゼンはしゃんと背筋を伸ばしてテオルクに答えた。
出征中に随分仲が良くなったなと思っていたリーチェだったが、二人の間で色々と複雑なやり取りがあったのかもしれない。
そして、今までの二人のやり取りを見るにそれはリーチェ自身の事のようで。
テオルクは自分についてカイゼンと一体どんな話を、やり取りをしていたのだと羞恥を覚える。
「良いか、話を戻すぞ……。フランツ医師だが……、奴は今国内に潜伏していて……誰か協力者に匿って貰っている可能性がある。その協力者を炙り出す為に、陛下が祝勝会の場を利用された。主だった国内の貴族達があの場に参加していたからな……。今頃、王城では複数の貴族が連れて行かれ、事情を聞かれているだろう。……そこで有益な情報を得られれば良いのだが……」
フランツと関わりがあった重要な人物としてフリーシアも連行されていったのだ、とテオルクが呟く。
「……あの言葉が本当であれば、厳罰は免れるはずだ。せめて、自分の娘リリアとひっそり暮らしてくれれば、と思うよ」
「そう、ですね……。命まで落として欲しいとは思いません……そこまでは……」
恋に狂い、愛に溺れ全てを失ってしまったが、せめて愛する人との娘とひっそり暮らして行ければいいとリーチェはそう思う。
命まで落として償え、とまでは思わない。
けれど、もう二度と分かち合う事は出来ないし、家族を裏切った母を許す事は出来ない。
どこか、伯爵家の領地のどこかでリリアと穏やかに過ごしてくれればいいとリーチェはそう考えた。