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17話


「──え、? お母様……?」


 何故、ここでフランツ医師の名前を出すのか。

 それに、「死んだ」とは一体どう言う事なのか──。


「死んだ……、って……ヴィーダが……? なんで、そんな事言……。──フランツ、医師……? フランツ医師に言われたのですかお母様!?」


 真っ青な顔で、自分の口元を覆いカタカタと震える母親にリーチェはゆっくりと振り返る。


 リリアやハーキンは現状を理解出来ておらず、「え、えっ?」と戸惑いの声を上げている。

 先程まではリリアとハーキンの関係に注目をしていた周囲の貴族達も、リーチェや母親、そしてテオルクのただならぬ様子に固唾を飲んで静かに見守る事しか出来ない。


「──旦那、様……っ」

「ヴィーダ。良く無事でいてくれた……」

「旦那様と、そちらにいらっしゃるカイゼン・ヴィハーラ卿のお陰です……。助けて頂き、感謝致します」

「私は陛下の命に従ったまでだ。必要以上に恩を感じる事は無い」

「──え、え……? お父様、?」


 自分の目の前では一体何が起きているのか──。

 そして、カイゼンまでもが国王の命令で動いていた、とは一体全体どうなっているのか──。


 リーチェは混乱し、戸惑い、あちらこちらに視線を投げる。

 そんなリーチェの下に、随分と痩せてしまったヴィーダが近衛兵の手を借りてやって来た。


「お嬢様……、ご無事で本当に良かったです、お嬢様……」

「わ、私は無事よ……? ヴィーダあなたこそ、本当に無事で良かったわ。体は大丈夫なの? 痛い所は無いの?」


 くしゃり、と表情を歪めて涙を零してしまうのを必死に耐えるリーチェに、ヴィーダも瞳の端にキラリと涙を滲ませた。

 お互い、無事を知り手を取り合うリーチェと執事のヴィーダの姿に訳が分からない周囲は微動だに出来ず、じっと見守っているが一介の使用人であるヴィーダと再会し、無事を喜び手を取り合うリーチェとヴィーダの姿は感動を誘う情景で。

 周囲に居る貴族達は何故か自分の胸がじん、と熱くなるのを感じていた。


「ヴィーダ。君が邸で聞いた事を今、この場で皆の前で話して聞かせてやるといい」


 カツン、と足音を鳴らしてヴィーダの隣に立ったテオルクが力が抜けてしまい、床に座り込んだ母親を恐ろしい形相で見下ろす。

 テオルクの表情は、その視線を向けられていないリーチェですらゾッと寒気が背筋に走る程恐ろしく、冷ややかで。

 これが、殺気、と言うものなのだろうかとリーチェは漠然と理解した。


「はい、旦那様。あれは……旦那様が出征された二年前、です……。旦那様が邸を立たれて、暫くしたある日……奥様はその日、リリアお嬢様の主治医であるフランツ医師といつものようにお話をされていました……リリアお嬢様の健診は、月に二度程。けれど、その日から奥様は……度々フランツ医師を邸に呼び出されました……」

「──えっ」


 そうだったのか、とリーチェは驚いてしまう。

 テオルクが出征してから、そんなに頻繁にフランツ医師を邸に招いていた、とは。

 そこで、リーチェはハッとする。


「……まさか、邸の者には内密に……?」


 リーチェの言葉に、ヴィーダはこくりと深く頷く。


「──はい。奥様は我々使用人にも内密に……伯爵家の地下通路より、フランツ医師を招き入れておりました。私は旦那様より邸の地下通路を全て教えて頂いておりましたから、定期的に確認を……。それで、長らく使用されていない筈の地下通路に使用跡があり、調べて行く内に……」

「……っ、お母様がフランツ医師を個人的に招き入れていた証拠を掴んだ、のね……」

「仰る通りです、お嬢様……」


 ヴィーダの話が進んで行くにつれ、母親の体の震えは激しくなって行く。


 周囲の貴族達は伯爵夫人がお抱えの医者と不貞を犯していたのか、と下卑た表情を浮かべ、他人事のように眺めている者も多いが、中にはあからさまに顔色を悪くしている貴族女性もちらほらと見受けられる。


「──っ、その医師と、奥様の会話を聞いてしまった私は……っ、恐ろしい事実を知りました……っ」

「……知った、のね」


 リリアが不貞の末に生まれた子だと言う事を知ってしまったのだろう。

 リーチェの問い掛けに、ヴィーダはこくりと頷いた。


「これ、は……大変な事だと……お家に関わる重大な事柄だ、と……私は急ぎ事実確認をして、旦那様にお知らせしようとしましたが……」

「──証拠集めをしている最中、ヴィーダはフランツ医師に見付かってしまったんだ」


 ヴィーダの言葉を引き継ぐようにして、テオルクが静かに続ける。


 なるほど、とそこでリーチェは合点がいった。

 不貞を犯した事実を知られては大変な事になる。だから、その事実を知ったヴィーダをどうにかしようとしたのだろう。


 自分達の幸せが脅かされてしまうのであれば人の人生など、どうなっても良いと言うのだろうか。

 そんな簡単に人の人生を滅茶苦茶にしようとした母親の浅慮な考えに、リーチェは愕然としてしまう。


 恋に狂ってしまうと、こんなにも愚かな事を仕出かしてしまうのだろうか。


 人を、大切な使用人を害そうとしていた。

 そんな罪を犯そうと、いや、犯していたのか、と母親の罪にリーチェは溜息を吐き出した。

 それは、周囲で聞いていた他の貴族達も同じようで。

 やれやれ、といったような場の雰囲気に変わる。

 だが、テオルクの怒りは未だ冷めやらないようで一歩、母親に近付いた。



「──フリーシア・ハンドレ。君を国を陥れようとした逆賊の手助けをしたとして、国王陛下に差し出す。良いな」

「──っな!? あなた……!?」

「捕らえてくれ!」


 リーチェの母親、フリーシアはテオルクの言葉にぎょっと目を見開き、悲鳴を上げる。

 その場にいたリーチェも、そしてハーキンに支えられているリリアも「嘘よ!」と悲鳴を上げた。


 何が、どうなっているのか──。


 逆賊の手助けをした?

 母親が──?


 リーチェが混乱し、戸惑っているとしっかりと後ろから自分の体を支えてくれる逞しい体にぶつかり、リーチェは後ろを振り向いた。

 案の定、そこにはカイゼンが居て──。


「──知って、いたの……ヴィハーラ卿……」

「すまない、リーチェ嬢。私もつい最近……この事件の調査命令を陛下より賜った。事が事だけに、慎重に動かざるを得なかった」

「……逆賊っ、お母様が……っ、そんな人の手助けをっ」

「相手がそんな人間だとは知らなかった可能性は、ある──」


 バタバタ、とフリーシアを捕らえるために駆け付ける近衛兵達に、フリーシアは絶望に濡れた目をリーチェに向けて来る。

 ぱちり、と母親と目が合ったリーチェは何が何だか分からないといった様子で、母親と見つめ合った。


「リっ、リーチェ……っ! 助けてっ、どうかこの人を説得して! 私はそんなつもりなんてないわ……っ、国を裏切るなんてっ、ただっ、フランツを愛してしまっただけなのに……っ!」


 手を伸ばす母親フリーシアの姿を見せないようにテオルクがリーチェと母親の間に体を割り込ませる。


「──浮気なんて、しなければ良かったものを……っ。何よりも……」


 テオルクはすっ、としゃがみこみ、フリーシアにしか聞こえない声音で彼女に呟いた。


「私の大切な娘、リーチェを害そうとした事が一番許し難い」

「──っ、!?」


 テオルクの言葉を聞き、フリーシアは真っ白な顔で勢い良く顔を上げた。

 そのタイミングで、それまで玉座に座っていた国王ががたり、と腰を上げて高らかに宣言した。




「医師フランツ、またの名を医師マイクを国際手配する! この者は国家反逆罪の重犯罪者だ、この者の手助けをした者、関わりのある者全てから話を聞く!」


 よいな! と声を張り上げた国王は、身を翻し壇上から去って行ってしまった。


 医師マイク──。

 国王が発した名前に、周囲の貴族達からざわりと驚きに満ちた声が上がる。


 あちらこちらから戸惑いと、「マイクって!」「うちの専属医師と同じ名前だ!」と言う悲鳴にも似た叫び声が上がり、途端、宮殿内はざわめき混乱に支配される。

 だが宮殿から退出する寸前、国王が続けて声を上げる。


「医師フランツまたの名、マイクは素性を隠し各家に専属医として潜り込み、我が国の情報を収集していた他国の人間だ! 正体を知らず接していた者に厳罰──処刑のような罰は課さぬ! だが、少しでも奴を庇い立てする者は直ちに処刑する、馬鹿な真似はするな!」


 予め、内部調査が進んでいたのだろう。

 城の警備兵や近衛兵が素早く動き、フランツ医師と不貞を犯していた家々に向かって行く。


 知らなかったその家の当主は目を剥き、夫人は顔を覆いわっと泣き出す者や、その場から逃げ出そうとする者、当主に縋る者まで様々だ。


「──祝勝会は後日改めて行う、良いな」


 国王はそれだけを言い終えるとそのまま宮殿を出てしまい、宮殿内に残った者達は混乱し、自分の妻の不貞を初めて知った者は戸惑い怒り、まさに阿鼻叫喚の地獄絵図のような状態だ。


 最早リーチェやリリア、ハーキンに注目する人間はおらず、貴族達は自分達の事に精一杯になっている。


「待って……、本当に、いったいいつからこんな事を……っ」


 カイゼンに体を支えて貰っている事にすら気が回らない程混乱しているリーチェは自分の額を覆う。

 力強く背を支えてくれているカイゼンに、リーチェは自分の身を任せながら厳しい表情で直ぐ近くに佇むテオルクに視線を向ける。


「リ、リーチェ……一体、何が起きているんだ……伯爵夫人が、不貞を……? それに、君の両親は離婚、を……?」


 ふらり、と真っ青な顔のままハーキンがリーチェに近付き、話し掛けて来る。

 ハーキンの腕の中にはリリアもいるが、俯き、言葉を発しないリリアの表情は窺えない。


「アシェット卿……。陛下のお言葉を聞いたでしょう? そう言う事、だから……」


 気まずそうに視線を逸らすリーチェに、ハーキンはさぁっと益々顔色を悪くする。

 そして自分の腕の中のリリアとリーチェを見比べ、慌ててリリアから手を離し、縋るようにリーチェに手を伸ばした。


「リ、リーチェ……っ! ぼっ、僕は騙されていたんだ……っ! 酷い事だこれはっ! リリアと夫人二人で僕とリーチェを騙して伯爵家を好きにしようとしていたんだっ!」

「何を今更っ! リーチェに近付くな」

「リーチェ嬢に近付くならばその腕を斬り落とすぞ!」


 自分勝手な事を喚き、リリアからリーチェに乗り換えようと考えたのだろう。

 自分達は被害者だ、とでも言うようにリーチェに取り入ろうとしたハーキンをテオルクとカイゼンが素早く制す。


 リーチェを支えるようにして寄り添っていたカイゼンは怒りを顕にして自分の腰に差している長剣の柄に手を添え、ハーキンを強く睨み付ける。


 リーチェは自分を力強く抱き締めるように自分のお腹辺りに回ったカイゼンの腕に、かあっと顔を真っ赤にしてしまい、おろおろと戸惑った。

 リーチェに触れるカイゼンにハーキンは面白くなさそうに眉を顰め、更に口を開こうとしたがそれは二人の母親であるフリーシアが言葉を発した事により、遮られた。


「──あなたがっ、あなたが悪いのよ……っ」

「……なに?」


 フリーシアの言葉に、テオルクが不愉快そうに低い声で反応を返す。

 両脇を近衛兵に囲まれ、宮殿から連れ出されそうになっていたフリーシアはその場に立ち止まり、憎悪の籠った瞳でテオルクを睨み付ける。


「全部っ、全部全部あなたが悪いのよ……っ! 結婚してからもあなたは仕事ばかりでっ、どれだけ私がっ、惨めだったか……っ、愛しても、愛情を返してくれない夫にどれだけ私が傷付いたか……っ、だから私はっ、私を愛してくれるフランツを私も愛したの! 寂しい時間を埋めてくれたのは全部フランツで、私の事を分かってくれるのもフランツ、あなたじゃなくてフランツなのよ!」


 涙を流しながら、凄み、目を剥き笑いながら告げる母親フリーシアの姿にリーチェは無意識にカイゼンの腕に縋ってしまう。

 リーチェに腕を掴まれ、カイゼンは優しくリーチェの手のひらを自分の手で包み込み、力強く握り返した。


「私はっ、ただ私を愛してくれる人と一緒に幸せになりたかっただけでっ、国を陥れるつもりなんて無かったのよ……っ、こんな事になったのも全部あなたが悪いのよ!?」

「──私は家族を大切に想っているし、君の事を愛して来たつもりだ。だが、君は母親では無くいつまでも女性で居たかった、と言う事か……。恋に狂い、人として道を踏み外した事は何とも思わないのか?」

「──っ、」


 テオルクが先程フリーシアに告げた言葉だろう。

 だが、その言葉はリーチェの耳に入っては居ないため、二人が何の事について話しているのか分からず、眉を寄せる。

 ヴィーダを害そうとした事だろうか、とリーチェが考えていると、意気消沈したように急に静かになったフリーシアからふい、と顔を逸らしたテオルクが近衛兵に「連れて行ってくれ」と小さく呟き、リーチェの前からフリーシアは連れ出されて行った。


 じっと母親を見詰めるリーチェの視線は分かっている筈なのに。

 フリーシアは最後まで、扉から退出するまでリーチェにも、そしてリリアにも視線を向ける事はしなかった。



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