14話
◇◆◇
ぼすん、とベッドに倒れ込んだリーチェは疲れたように長い長い溜息を吐き出す。
ハーキンが街にやって来て、長いとも短いとも言えない話し合いが終わり、リーチェ達は残りの買い物を早急に済ませて邸に戻って来た。
心配するテオルクに大丈夫だと言って、リーチェは自室に戻って来てしまった。
そして、自室に戻るなり力無くベッドに倒れ込んで俯く。
ハーキンとのやり取りに疲れた事もあるが、リーチェはこんなに自分の胸の中がもやもや、ズキズキと痛む事に戸惑いを覚えていた。
胸が痛むようになったのは、カイゼンの言葉を聞いてからだ。
ハーキンを責めるカイゼンの言葉を聞いていたら何故かとても胸が痛み、苦しくなった。
最後まで心配してくれるカイゼンにも碌にお礼も言えずに部屋に戻って来てしまった。
「お客様、なのに……。お父様を助けて下さった方なのに、私は最低だわ……。街歩きに付き合わせてしまったのにこんな態度で……」
リーチェはうつ伏せの状態のまま、クッションをぎゅうと握り締める。
自覚してはいけない。
カイゼンはとても親切な人なのだ。
だから、気付いてはいけない──。
「……祝勝会、祝勝会の事を考えなくちゃ……」
リーチェは頭の中を切り替える。
ハーキンと街で会ってしまったのは驚いたが、ハーキンに教えたのはリリアだと言っていた。
「あの子は一体何がしたいのよ……」
自分と復縁したい、と願うハーキンに居場所を教えてどうするつもりなのだろうか。
自分達は愛し合っている、と言いながらハーキンをけしかけるような真似に、リーチェは首を捻る。
困らせたかったのだろうか。
それとも、この買い物に着いて行きたいと言っていたのに置いて行かれてしまったちょっとした嫌がらせなのだろうか。
だが、まだ体が丈夫になった訳ではないリリアを連れ回してしまって、体調を崩してしまったら大変だ。
だからテオルクも強く反対したし、リーチェも反対した。
リリアはまた自分だけ外に出して貰えない、と怒り、その怒りをぶつけて来たのだろうか。
「けれど……それはただの八つ当たりだわ……」
リーチェははあ、と溜息をついて仰向けに体の向きを変え、目を閉じた。
◇◆◇
祝勝会を目前に控えたある日。
それは起きた。
リリアの部屋から硝子が割れる音と、叫び声が聞こえて来て、その大きな音は廊下を歩いて居たリーチェの耳に届いた。
「──な、何事……っ!?」
びっくりしてリーチェがそう呟くが、廊下に居た使用人達も何が何だか良く分かっていないらしく、戸惑っている。
だが、その中の一人、侍女長がリーチェに近付いて来て、そっと教えてくれた。
「旦那様が、先程リリアお嬢様のお部屋に……。奥様もご一緒に……」
「──! ……そう」
伯爵家当主夫妻の離婚について、まだ使用人達には知らせていない。
知っているのは侍女長や、侍従長、料理長などの限られた人数のみだ。
侍女長からの言葉で、リーチェは父テオルクがリリアに離婚の事を話したのだろう、と察しが付いた。
そして離婚するに至った理由や、母親の不貞をある程度説明したのだろう。
その部分をぼかして伝えても、リリアはきっと納得しない。
厳しいだろうが、テオルクも真実を話したのだろう。
リーチェも、リリアももう幼い子供では無い。
物事の善悪の分別がつく大人だ。
リリアも納得するしかないのだ。
祝勝会までもう数日だ。
このタイミングでリリアに話しておかねば別れはあっという間にやって来てしまう。
リーチェが何とも言えない感情を持て余して俯いた瞬間、リリアの部屋の扉が乱暴に開き、そこからリリアが飛び出して来た。
「──リリア! 走っては駄目!」
開いた扉の奥から母親の悲鳴が聞こえる。
リーチェがその声に反応し、ぱっと顔を上げると、部屋から出てきたリリアと目が合った。
「──っ、」
「──リリア」
リーチェを恨みがましい目で睨んだリリアは、リーチェの呼び掛けに反応する事なく、そのままリーチェに向かって駆け出した。
リーチェとリリアがすれ違う前。
リリアが恨みの籠った低い声でリーチェに向かって言葉を発した。
「全部っ、全部全部全部お姉様が悪いのよ……! お姉様は私から全部奪って行く! お父様を、家族を……っ」
「──リリっ、」
リリアは思い切りリーチェにぶつかり、そのまま走り去ってしまう。
リリアにぶつかられてしまった事でバランスを崩したリーチェは、よろけてしまう。だが、背後から慌てて肩を支えてくれる人に助けられ、リーチェは転倒したり、怪我をする事がなくホッとしてお礼を言うために振り向いた。
「ありがと──っ!」
「リーチェ嬢、大丈夫だったか? ……それにしても、リーチェ嬢の妹君は酷いな……わざとぶつかっていっただろう?」
怪我はないか? と心配してくれるカイゼンに、リーチェは慌ててこくこくと頷いた。
「それに……聞くつもりは無かったんだが、廊下にいたために聞こえてしまった……。妹君は何故リーチェ嬢に責任転嫁をするのか……。今回の件はリーチェ嬢に何の罪も無いと言うのに……」
静かに怒りを顕にしているカイゼンに、リーチェは本当に優しい人だ、と眉を下げ微笑む。
「──ありがとうございます。我が家の事なのに、ヴィハーラ卿がまるで自分の事のように怒って下さって……このような場面ばかりをお見せしてしまって申し訳無い限りです」
「だって、それは……。リーチェ嬢は何一つ悪い事などしていないじゃないか。それなのに、気付けば妹君はいつもいつもリーチェ嬢のせいにしていて……見ていられない」
「ふふ、本当にありがとうございます。こうして心配して、声を掛けて下さるだけで嬉しいです」
「……心配、だからな」
「ありがとうございます、ヴィハーラ卿の優しさに救われます」
「──誰にでも、優しい訳じゃない、しな……」
「え……、それは……どう言う……」
リーチェから視線を逸らし、若干恥ずかしそうに頬を染めるカイゼンに、リーチェは目を見開く。
聞き間違いだろうか、いや。聞き間違いなどでは無い。
誰にでも優しい訳じゃない、とカイゼンは口にしたのだ。
その言葉に、何処か気恥ずかしそうに視線を逸らすカイゼンに釣られてリーチェも頬に熱が集まり始める。
気恥しい、何処か歯痒い空気が二人の間に漂った時。
「リーチェ、すまなかった、大丈夫だったか?」
テオルクが扉から顔を出してリーチェの下にやって来た。
リーチェとカイゼンはぱっと距離を取り、脈打つ心臓の音がいつまでも耳に残った。
テオルクがリリアの部屋の扉を閉める寸前、母親の啜り泣く声が聞こえたような気がした──。
◇◆◇
祝勝会、当日。
この日まで、リリアは自分の部屋に引き籠もり、リーチェは勿論父親のテオルクとも会う事はせず、母親の面会も断り続け祝勝会当日を迎えてしまった。
体調が悪いと言う形でリリアの参加を見送ろうとしたテオルクだったが、前日にリリアから祝勝会には参加すると使用人を通じて知らされ、本人が参加すると言うのを強く止める事は出来なかった。
テオルクとカイゼンが敵国との戦に勝利した事を称える祝勝会である。
国王陛下からの正式な招待のため、本人に出ると言う強い意志があるのであれば止めた所で後からリリアが「当主に参加を阻止された」と言い出してしまえば国王陛下から不信感を抱かれてしまう恐れもある。
それに、家族として参加する最後の催し物になる。
この祝勝会が終われば、正式に離婚の手続きが始まるのだ。
リーチェとリリアの母親は未だにテオルクとの離婚に応じていないため、すんなりと離婚が成立するのは難しいだろう、とリーチェは考えている。
(お父様は大丈夫だから安心しなさい、と言っていたけど……。何か進展があったのかしら……)
リーチェは祝勝会のために新調したドレスを身に纏い、階段を降りて行く。
首元と耳を飾るのは以前カイゼンが選んでくれた百合をモチーフにしたスカイブルーの宝石があしらわれた装飾品だ。
照明の光を受け、リーチェの首元と耳でキラキラと揺れている。
そしてリーチェが身に纏っているのもスカイブルーのドレスで、胸元辺りから裾に向かうにつれて濃い青色のグラデーションが美しい。
金糸の刺繍が施され、その刺繍は主張し過ぎず美しいバランスで配置されており、リーチェを美しく際立たせている。
階段を降り切った所で、テオルクが待っていてくれるのが見えて、リーチェは微笑んだ。
夜会とは違い、パートナーの不要な祝勝会である。
母親とリリアの姿はまだ無い。
「リーチェ、良く似合っているじゃないか。きっと今回の祝勝会ではリーチェの美しさに貴族男性達が目を奪われるな」
「ふふふ、ありがとうございますお父様。お父様も素敵です」
「だろう? ちょっと奮発したからな。だが、こう言うカッチリした衣装は昔から苦手だ……。軍服の方がどれだけ楽か……」
「今日は我慢して下さいね」
二人で談笑していると、母親とリリアがやって来るのが見えて、リーチェとテオルクは自然と口を噤んだ。
母親も、リリアも暗い表情でリリアは何を考えているのか感情が読めない様子だ。
家族で入場する事になるのだが、リーチェは一抹の不安を感じながら四人揃って邸を出た。
これから、家族として最後の長い夜が始まる。




