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12話


 リーチェは母親の部屋の前で、緊張した面持ちで立っていた。

 少し前に部屋の前に到着したのだが、自分が呼び出された理由に心当たりがなく、先程から扉をノックしようと腕を上げては躊躇い下げてしまう、と言う行為を繰り返してしまう。


「──……っ」


 いつも、普段から。昔から。

 リリアに向けられる柔らかな微笑みも、優しい言葉も掛けられた記憶がリーチェには殆ど無い。

 母親と顔を合わせると「怒られる」と言う印象が強く付いてしまっているリーチェは中々扉をノック出来ずにいた。


 けれど、呼び出されてから時間が経っている。

 待たせてしまっては、母親の苛立ちは益々高ぶってしまうかもしれない。

 リーチェが覚悟を決め、扉をノックしようとした所で扉が中から開けられた。


「──っ、!? リーチェ!? 何をやっているの!? 早く入りなさい……!」

「も、申し訳ございませんお母様……っ!」


 リーチェの訪れが遅いから、と確認しに扉を開いたのだろうか。

 母親は扉を開けた直ぐ先にリーチェの姿があり、驚きにぴくり、と体を跳ねさせたが怪訝そうに眉を寄せてからリーチェに入るよう促した。


 少し高めの良く通る声。

 母親の真っ赤な唇から紡がれる言葉に、リーチェは謝罪しつつ慌てて母親の部屋に入室した。



 ソファに座るよう言われ、腰を下ろしたリーチェは自分の目の前に座る母親のどこか落ち着かず、そわそわとした態度に母親もこんな表情をするのか、とどこか他人事のように思えてしまう。


 こうして、リリアが居ない状態で部屋の中で二人顔を突合せているこの状況が酷く非日常のように感じてしまう。


(こうして、二人きりで対面するのはいつぶりかしら……)


 リーチェがこう思ってしまう程、リーチェは母親とあまり共に過ごした事は無い。

 母親と話す切っ掛けはいつもリリアで。

 その場には必ずと言って良い程リリアの姿がある。


(お母様なのに……二人きりで顔を合わせる事に緊張してしまうなんて……変よね……)


 それ程までにリーチェは母との思い出は殆どないのだ。

 だが、その代わり父親であるテオルクはいつもリーチェを気にかけてくれてリーチェが寂しい思いをしないよう幼い頃から沢山構ってくれていた。


(子供の頃とは違って……あの人と婚約してからは寂しいとか、お母様と話す機会がないとか、気にならなくなっていたのね)


 ハーキンが浮気をして、この婚約は駄目になってしまったけれど元々悪い人間ではないのだ。

 今はもうハーキンへの気持ちも、すっかり凪いで素直にリリアと幸せになって欲しいとすら思える。


 リーチェがそんなとりとめのない事を考え、ぽやっとしていると目の前にいた母親がぽつり、と何かを呟いた。


「──……得、して」

「……えっ、」


 はっとしてリーチェは母親に顔を向ける。

 先程まで母親はリーチェから顔を逸らしていたと言うのに、今はしっかりリーチェを見ていて。

 見る、と言うには些か視線が強く半ばリーチェを睨むような恰好になっているが、話を聞いていなかった様子のリーチェに母親は苛立ちを募らせた。


「……っ! ぼうっとして……っ、本当にこの子は……っ! だから、説得してと言ったのよ、あの人を……!」


 ばん! と目の前のテーブルを強く叩き付け、母親が声を荒らげる。


 あの人、と言うのは自分の夫であるテオルクの事だろう。

 そして、テオルクを説得、とは。

 まさか離婚を考え直すよう説得しろとでも言うのだろうか、とリーチェは驚きに声を失ってしまう。


「こそこそとあの人と貴女が話しているのは知っているのよ! あの人はもう私の話なんて聞いてくれないのよっ、貴女からあの人を説得して! 考え直してと言って!」

「え……な……っ、それは無理ですお母様!」

「何故無理なのよ……! このままだとっ、このままだと……っ、離婚したらリリアもこの家を追い出されてしまうっ、貴女はリリアの姉なのよ!? 体の弱いリリアが可哀想とは思わないの!?」

「けれど……っ、それはお母様のした事のせいではありませんか! お父様が居ながら、お母様がっ」

「うるさい! 貴女は口答えしないで私の言う通り、あの人を説得すれば良いのよ!」


 声を荒らげ、苛立ち混じりに自分の髪の毛を掻き毟る母親にリーチェはソファから立ち上がる。

 こんなに興奮していては、落ち着いて会話など出来やしない。


 話が通じないであろう今の状態の母親と同じ部屋に居るのは危険だ、と判断してリーチェはソファから立ち上がった。

 だが、ソファから立ち上がったリーチェに気付いた母親が自分の髪の毛から腕を下ろし、下から睨め付けるようにしてリーチェを見る。


「──っ!」

「待ちなさい、リーチェ!」


 その表情に恐れを抱き、衝動的にリーチェは駆け出した。

 部屋を出てしまえば、廊下には使用人も居る。


 それに、先程から母親の叫び声──金切り声が廊下にも響いているだろう。

 異変を感じた使用人がテオルクを呼んでくれているかもしれない。


 急いでドアノブを掴み、扉を開けたリーチェが勢い良く廊下に飛び出した瞬間、どんっと硬い何かに顔を思い切りぶつけてしまった。


「──むぐっ!」

「すっ、すまないリーチェ嬢! 大丈夫か!?」


 何かにぶつかった、と思っていたのはどうやら人の体だったようで。

 それにリーチェの耳に届いたのはここ最近聞き覚えのあるカイゼンの声で。


 リーチェはぶつかったのがカイゼンの胸元だったという事に気付き、慌てて顔を上げた。


「も、申し訳ございませんヴィハーラ卿」

「いや、私の方こそすまない。顔をぶつけてしまっただろう? 大丈夫か?」


 申し訳なさそうに、おろおろとしたカイゼンの赤銅色の瞳が心配そうな色を乗せているのが見えて、リーチェは「大丈夫です」と言わんばかりに微笑んだ。


 そして、ここに何故カイゼンが居るのだろうと考えて、納得した。

 廊下にまで響いた母親の声がカイゼンに聞こえたのか、それとも使用人が近くに居たカイゼンを呼んだのか。

 どちらかは分からないが、優しいカイゼンの事だ。心配して様子を見に来てくれたのかもしれない。


「騒がしくしてしまって、申し訳ございません……」

「──いや、私は大丈夫だが……。リーチェ嬢こそ、その……色々大丈夫か?」


 ちらり、と気まずそうに母親に視線を向けるカイゼンにリーチェは苦笑する。

 先程まで怒りを顕にしていた母親も、カイゼンが姿を現した事で口を噤み、気まずそうにしているのが分かる。


「私は大丈夫です。その……、戻りましょうか……?」

「──っ、あ、ああ……」


 勝手に触れるのも、と思いカイゼンの服の裾を軽く引っ張り、部屋から離れようと促すリーチェにカイゼンは言葉に詰まりながらガクガクと頷く。


 その場を離れようとするリーチェに、室内に居た母親は焦って声を掛けて来て──。


「──リーチェ……! リーチェ、待ちなさい……っ、まだ話は終わって──」

「ならばその続きは私としようか」


 母親の言葉を遮るようにして、テオルクが言葉を被せた。


 テオルクの下にまで知らせが行ってしまったのだろう。

 いつの間にか少し離れた場所に立っていたテオルクの良く通る低く、重い声が響き、リーチェを呼び止めようとしていた母親がぐっと言葉を呑み込んだのがリーチェの視界に入る。


 テオルクはリーチェを安心させるように微笑んでからぽん、と肩に手を置いた後、母親の部屋に入り扉を閉めた。

 ぱたん、と静かに閉められた扉の向こうでテオルクの落ち着いた話し声が薄らと聞こえて来て、母親は声を荒らげているようだが、それも扉に阻まれ両親がどんな会話をしているかリーチェにはもう分からない。


「リーチェ嬢。庭園を案内してもらっても良いか? どうにも……体を動かさないと鈍りそうでな……」


 カイゼンの明るい声音に、リーチェは彼が自分を気遣い敢えてそんな提案をしてくれていると言う事に気付き、先程まで恐ろしく、恐怖を感じていたリーチェはカイゼンの優しい気遣いにふわりと笑みを浮かべ、その提案に頷いた。



 そして、そんな騒ぎが起きた二日後。

 今日は以前テオルクと約束していた街への買い物の日である。


 落ち着いた色合いのデイドレスに、歩きやすいようヒールの高くないブーツを合わせたリーチェが階段を降りると、そこには父親であるテオルクとカイゼンの姿があって。

 リーチェがカイゼンの姿にびっくりしていると、玄関ホールに居たテオルクがリーチェに気付いて笑った。


「言っただろう? カイゼン卿は街に詳しいから案内を頼んだんだ。快く引き受けてくれたぞ」

「で、ですが……お客様ですのに……」


 リーチェが申し訳無い、と言うような表情を浮かべるとカイゼンが階段下までやって来て、リーチェに向かって手のひらを差し出す。


「以前にも言っただろう? 体を動かさないと鈍ってしまうからって」

「──まあ……。本当に良いのですか?」

「ああ、気分転換にもなるだろう? 行こう、リーチェ嬢」

「……っ、はい!」


 カイゼンから差し出された手のひらに、リーチェは笑顔で自分の手のひらを乗せる。

 すると力強く握り返してくれたカイゼンに手を引かれるまま、リーチェは邸を後にした。




 そして、その姿を大階段の一番上から羨ましそうに見ていたリリアは、むう、と頬を膨らませて呟いた。


「──お姉様ばかり、外に出れてずるいわ……っ」


 ──楽しいお買い物なんて、そんな事させないんだから。


 リリアの声は誰にも聞かれる事なく、玄関ホールに虚しく響きそして消えた。



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