11話
カイゼンの家の軍医を呼んでもらい、体を診て貰った後。
リーチェの体調はしっかり休めば問題ない事が分かり、テオルクはほっと安堵の息を吐き出した。
「良かった……。一先ず、休んだ方がいいだろう? リーチェの体調が今より回復して来たら……」
「いいえ、お父様。話して、下さい……。大丈夫です、ある程度予想はついていますから」
リーチェの体調を考慮して、カイゼンと共に部屋を出ようとしていたテオルクを呼び止める。
先程は動揺してしまい、気分が悪くなってしまったが今はもう覚悟も出来ている。
しっかりテオルクと視線を合わせ、しゃんと背筋を伸ばすリーチェにテオルクは眉を下げた後、浮かしていた腰を再び椅子に下ろした。
背後から部屋を出て行く気配と、扉が閉まる音が聞こえて、気を利かせたカイゼンが退出した事が分かる。
テオルクは自分の前髪をくしゃり、と握り潰してからゆっくりと口を開いた。
「リーチェが、想像した通りで間違い無い……。妻は……フランツ医師と不倫関係を長年続けていたようだ……」
「やっぱり……っ」
リーチェはぐっと拳を握り締め、絞り出すようにして呟く。
そして父親にどうしてそれに気付いたのか、問うた。
「……フランツ医師とそんな関係だったなんて、知らなくて……。違和感を感じたのは、出征中だ……。カイゼン卿の軍が援軍としてやってきて……合流後、公爵家の軍医殿が私の下にやってきたんだ」
ぽつり、ぽつりとテオルクが事の経緯を話してくれる。
フランツ医師はハンドレ伯爵家お抱えの専属医、と言う筈なのに公爵家の軍医である人物がフランツ医師を他家で見た事がある、と教えてくれた。
最初その事を聞いたテオルクは専属契約をしているのに、と怒りを覚えたそうだが、医師の中には契約違反を犯し、こっそりと他の家とも契約を行う者も居るらしい。
そんな事をする医師は少数だが、医師が契約違反を犯してしまう理由としては契約金の少なさからそのような過ちを犯す者が多いそうで、テオルクは契約金が少なかったのか、と考え契約を見直そうかと考えたのだが、そこで軍医から嫌な噂を聞いた。
契約違反を犯す医師は殆どが金銭的理由からそのような行動に出るらしいが、中にはその家の夫人や、娘と淫らな関係を築く医師も居るらしい。
そして、医師の世界ではフランツ医師にそのような噂が立っている、と教えてくれた。
だから気を付けろ、と助言を受けたらしい。
始め、テオルクはそんな話を信じなかった。
だがそんな話を聞いた後にリーチェの婚約破棄騒動である。
人を使い、調べてみれば全ての責任をリーチェに負わせようとしている自分の妻の行動に怒りを覚えたが、そこでふと何故自分の妻は幼少期からリリアばかりを可愛がるのだろうか、と疑問に思った。
リリアが特別体が弱く、気にするのは母親として当然の行為だとそれまでは気にしていなかったが、途端に今までの妻の行動が全て不審に思えて来てしまった。
フランツ医師の診察を受け、結果を聞くのは大体が妻で。
自分が結果を聞くのは数回に一度だけ。
仕事が忙しいのだから、と気遣ってくれる妻に有難みを感じてはいたが、それがもしかしたら逢瀬のためだったとしたら?
自分に良く似たリーチェとは違い、リリアは性格も見た目も何もかもが自分にも、妻にも似ていない。
リーチェを出産後、妻の体調を診るために当時フランツ医師が頻繁に妻に会いに来ていた。
その時に妻とフランツ医師が関係を持っていたとしたら。
そして、生まれたリリアがフランツ医師との子供であるならば。
あれ程リリアばかりを可愛がる妻の行動に妙に納得してしまった。
リリアは自分の子だと信じて、疑った事など無かったテオルクだったがその話を聞いてからひっそりとリリアの出生について、そしてフランツ医師についてを調べていたらしい。
「……それ、で……。それで……フランツ医師の、なにが分かったのですか……」
俯き、ぽつりと言葉を漏らすリーチェにテオルクはそっとリーチェの手を握る。
「……彼は、フランツ医師はあの美貌だろう? だから若い頃から大層女性に人気で……。家庭を持っている女性とふしだらな関係になってしまう事が多かったみたいだ……。そして、そんな女性達とフランツ医師の間には数人の子供が生まれているのを確認した……」
「──っ、他の家庭でも、繰り返していたのですか……っ!?」
テオルクの言葉にリーチェはぎょっとして悲鳴じみた声を発してしまう。
「表に出ているだけで、数件だ。……このような事態は家門の恥だろう……? 知らぬ間に握り潰し、表に出ていない件数もあると思う……」
「なんて、こと……。そんな事が本当にあるなんて……信じられません……っ」
「ああ。私だって信じたくなかったさ……。リリアが自分の娘じゃない可能性なんて、考えたくなかった……。けれど、私の娘では無い可能性が大きい……。だから、そこをはっきりとさせないと……」
テオルクは肩を落とし、申し訳なさそうにリーチェを見詰め、そっと頭を撫でる。
「リーチェに辛い思いをさせてすまない……。それに、自分の妻がそのような過ちを犯している事に気付かず、呑気に過ごしていた私を許してくれ……」
「──お父様は何も悪くないじゃないですかっ! 悪いのは、過ちを犯してしまったお母様と、フランツ医師ですっ! お父様だって傷付いているのに、謝らないで下さい……っ!」
瞳いっぱいに涙を溜め、テオルクに向かってそう叫ぶリーチェにテオルクは泣き笑いのような表情を浮かべ、リーチェを抱き締めた。
そうして、テオルクは数日前自分の妻にフランツ医師との事を問い質した、と教えてくれた。
フランツ医師との関係を問い質したは良いものの、母親はその事を決して認めようとはせず、話を拒絶している状態だとテオルクは説明をしてくれる。
テオルクの言葉に、リーチェは溜息を一つ零してからテオルクを見やる。
「だから最近の邸内の雰囲気が、その……」
「すまない。重苦しい空気だったな……」
「いえ。理由も分かりましたし、大丈夫です。それより……この状況のままではいられませんよね?」
「ああ、勿論だ。例え血が繋がっていなくとも、リリアは自分の娘だと思っているのは変わりないのだが、伯爵家の後継問題には関わる事が出来ない……。ハーキン・アシェット殿との婚約が結び直された段階で妻とは離婚をするつもりだ」
離婚、と言う言葉がテオルクの口から紡がれ、リーチェはどきりと心臓が音を立てた。
このような事があり、離婚するのは当然の事だ。母親も離婚されてしまっても致し方ない事をしてしまっている。
「妻との離婚時に、リリアには酷な事をしてしまうが……ハーキン殿との結婚が成立する前に妻と共にこの邸を出て行ってもらうつもりだ。リリアは納得しないだろうが……今後の後継者問題で不要な争い事が起きるのを防ぐためにもそのような措置を取る」
「──……っ、分かりました……」
リーチェはこの数日間で様々な事が巻き起こり、到底想像だにしなかった衝撃的な出来事ばかりが起きている事に頭の中が混乱してしまいそうになる。
家族が、家族でなくなってしまう悲しみや苦しみはあれどそれは耐えなければならない。
リーチェはきゅっと唇を噛み締める。
「状況証拠だけで、決定的な証拠が今はまだ手に入っていない。けれど恐らく、そう言う事になるだろう」
辛そうな表情をテオルクに見せまいと必死に気丈な振りをするリーチェに、テオルクは申し訳なさや悲しみに眉を下げつつ混乱させてしまってすまない、ともう一度リーチェをぎゅっと抱き締めた。
辛さも悲しさも二人で分け合うようにリーチェもぎゅっと抱き締め返す。
そうしてリーチェは、ふとある事を思い出した。
「──お父様、そう言えば……ヴィーダとは連絡が取れましたか?」
「ん? ヴィーダか、いや、まだなんだ。実家に連絡しても返信がなくてな……。だから使用人を向かわせている」
それがどうしたんだ、と不思議そうにしているテオルクに、リーチェは感じた疑問をそのまま口にした。
「なぜ、お父様が出征した後タイミング悪くヴィーダが体調を崩してしまったのだろう、と不思議に思いまして……。お父様がいらっしゃらない分、自分がしっかりしなければ! とあの頃のヴィーダは口にしておりましたから……」
「……そうだな、伯爵家の仕事に精通していた彼が邸を去った後大変だっただろうに。良く無事に伯爵家を保てたものだな……」
「何、か……変ですよね……変にタイミングが良過ぎる、と言うか……」
リーチェの言葉にテオルクは眉を寄せ、何か考える素振りを見せた後、一言呟いた。
「ヴィーダを早く見つけよう。もしかしたら何か不測の事態でも起きていたのかもしれない」
テオルクの言葉に、リーチェは深く頷いた。
◇◆◇
そして、テオルクと話をしてから数日。
リーチェは普段と変わらない様子に見えるよう、邸内で過ごしていた。
時折テオルクとハーキンとの婚約破棄についての話をしたり、カイゼンと世間話をしたりして時間を過ごしていたある日。
国王陛下から今回の出征で勝利を収めた祝勝会の開催日時が知らされた。
その日時は半月後。
戦で勝利を収めたテオルクの家門であるハンドレ伯爵家の者全員と、援軍として勝利に貢献したカイゼンを筆頭に軍の将校達も特別招待された。
近い内に開かれるとは聞いていたが、祝勝会の開催日まであまり日にちが無い。
祝勝会には王都に居る貴族達も多く参加する。
多くの貴族達の前に出るため、祝勝会で着るドレスの新調をしようと言う話になった。
そして、それに合わせる装飾品を邸に宝石商を呼ぶ予定だったがリーチェは自らの足で街の店を見て回りたい、と思ったためその旨をテオルクに話すと、ならば帰還した時に約束をした街歩きをしつつ宝石を購入しようとなった。
そしてその事が決まった、翌日──。
リーチェは母親に呼び出された。