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10話


 サロンに向かう最中、リーチェとカイゼンは世間話をしながら向かう。

 カイゼンと話をしていてリーチェは驚いたのだが、身分が高いカイゼンと話すのは普通だったら緊張してしまう所なのだが、カイゼンは気さくに話しかけ、話題も豊富でそして聞き上手でもある。

 高位貴族と言う身分でありながらちっとも高圧的な態度を見せる事無く、自然と会話が弾む。


 リーチェ自身も気付かぬ内に笑顔でカイゼンと話を楽しんでおり、あっという間にサロンに到着した。

 サロンに入り腰を落ち着けてから、ふうと一息ついたリーチェが切り出した。


「それで、ヴィハーラ卿……。お話とは一体?」

「──ああ、そうだな。すまない……」


 リーチェの問い掛けにカイゼンは自分の顎に手を当て、自身の赤銅の瞳をきょろ、と彷徨わせる。

 その様はまるで言葉を紡ぐのを迷っているように見えて、リーチェは不思議そうにカイゼンを見詰めた。


「その……。リーチェ嬢は妹君の体の事は医者から聞いた事は無かったのか?」

「リリアの、ですか……? はい。医者からの説明はいつも母が聞いておりましたから」

「そうか、父親であるハンドレ伯爵も……?」

「え、ええ……。毎回、と言う訳では無かったのですが出征前は父も何度かに一度程はお医者様のお話の際は同席しているようでしたけど、父の仕事の邪魔をしたくない、と母が気を遣っていたようで」


 それが、何か? と不思議そうにするリーチェにカイゼンは「実は」と切り出した。


「ハンドレ伯爵が出征中にぼやいていた言葉を聞いた事があってな。その言葉は誰かの名前のようだったんだが……ふとその名前を思い出したんだ」

「父が、誰かの名前を……? それはいったい」


 何が何だか分からない、と言ったリーチェの様子にカイゼンは言い出しにくいのか、一度ぐっ、と目を閉じてからその人物の名前を口にした。


「──フランツ、と言う名前に聞き覚えは?」

「……!」


 リーチェは耳馴染みのある男の名前がカイゼンの口から紡がれた事に驚き、目を見開く。

 何故、テオルクが出征中にその名前を口にしていたのか。

 そして、その男の名前をカイゼンは何故こんなにも言いにくそうに躊躇いながら口にしたのか。


 リーチェは混乱しつつ、カイゼンの問い掛けに答えた。


「あります。その方は、我が家の専属医師で……リリアを診て下さっている方です……」

「──! 専属の医者か」

「そうです……。その、何故父がフランツ医師の名前をわざわざ戦地で……他にも何か口にしていた事があるのですか?」

「いや、ただその名前が私も頭に残っていて……リーチェ嬢も知っている名前なのか、と気になっただけだ。すまない」


 身を乗り出してカイゼンに問うリーチェに、カイゼンはさっとリーチェから視線を外して再び沈黙してしまう。


 何故、このタイミングでフランツ医師の名前が出て来たのか。

 何故、テオルクは戦地で医師の名前を口にしたのか。

 それに、テオルクはそのほかにどんな言葉を口にしていたのか。


 そして、何故カイゼンは誤魔化すように早々にこの話を終わらせてしまったのか──。



 リーチェは嫌な音を立て始める自分の心臓に、胸元をそっと押さえた。



 カイゼンと話をしてから数日。

 あれから、テオルクと母親の関係はとても冷え冷えとしたものに変わった。


 邸内の雰囲気もどこかピリピリとした緊張感が常に漂うようになってしまっていて──。


 目に見えて変わってしまった二人の態度に、リーチェはカイゼンから聞いた「フランツ医師」の名前がただただ頭の中で引っ掛かっていた。


 ──フランツ医師。

 ハンドレ伯爵家の専属医で、リーチェもフランツとは何度か話した事がある。

 とてもおっとりとしていて、優しい雰囲気の男性だ。

 線が細く、男性なのにとても美しい容姿をしている。初めてフランツ医師を見た時は女性と見間違う程の美しい顔立ちだったので、数度しか面識の無いリーチェでもとても印象深く、記憶に残っている。

 儚い見た目も、華奢な体も、そして透き通るような白い肌もまるで誰かを彷彿とさせるようで。


「──……っ、!?」


 リーチェは自分の頭の中に一瞬だけ過ぎった有り得ない考えに、慌てて自分の口元を覆った。


「有り得ないっ、有り得ないわ……」


 有り得ない、と口にはしたものの、リリアの少しだけ薄いブルーの瞳を思い出す。

 リーチェや、母は濃い青の瞳だ。それに比べてリリアは能く能く思い出してみれば二人よりも少しだけ薄い青色。

 リリアは色素が薄いから、と今までは気にもならなかった事が今更になってどんどんと気になって来てしまう。


 遠い昔に会った事があるフランツ医師。

 そのフランツの柔らかく、優しい瞳はリリアの薄青色ととても良く似ていて。


「……っ、待って……っ、じゃあ、いつから……っまさか、最初、から……!?」


 信じられない、とリーチェは目を見開きその場に膝を突いてしまう。


「──ぅっ、」


 吐き気がこみ上がり、その場にパタパタと涙が落ちて行く。

 もし、最初からだったら。

 もし、リーチェ自身が考えている事が「真実」だったら。


「ぅっ、ぐ……っ」


 気持ち悪くて、気持ち悪くてリーチェはその場で声を殺しつつその場に蹲ってしまった。


 リーチェが蹲ってしまったのは邸の廊下で。

 邸内に居た使用人がリーチェの名前を呼び、慌てて駆け寄って来る。

 途端、騒がしくなる廊下にその騒ぎを聞いたのだろう。


「リーチェ嬢!?」


 カイゼンがリーチェの名前を叫び、駆け寄って来てくれる姿が視界に入った。

 そこで、リーチェはぐわんぐわんと頭の中が揺れるような気持ち悪さにふっ、と意識を失ってしまった。



 ふっと意識が浮上する。


「──……?」


 見慣れた天井が視界に入り、リーチェはそこが自分の部屋である事に気付き、そして自分は廊下で意識を失ってしまった事を理解した。


 先程、最後に視界に入ったのはカイゼンだった。

 もしかしたらカイゼンに迷惑を掛けてしまったかもしれない、リーチェがそう考えていると、目を覚ました事に気付いたのだろう。

 メイドがはっとして、途端安心したような表情を浮かべる。


「──お嬢様! 良かったです、目が覚めたのですね……! 旦那様、旦那様お嬢様が目を覚まされました!」

「リーチェ……!」


 メイドが声を上げるなり、室内に居たのだろう。

 バタバタと慌ただしくリーチェが眠っていたベッドに近付く足音が聞こえ、テオルクが顔を覗かせた。


「リーチェ、良かった……! 突然倒れた、と聞いた時はどれ程心配したか……」

「お父様……、申し訳ございません、私……」

「ああ、ゆっくりでいい。体は……? 辛い所や痛い所は無いか?」

「はい、大丈夫ですありがとうございます……」


 起き上がるリーチェの背を支え、サイドボードに用意されていた水の入ったグラスをテオルクが渡してくれる。

 喉がカラカラに渇いてしまっていたリーチェは有難くそのグラスを受け取り、一息に飲み干した。


 そして、ヘッドボードと背中の間にクッションを沢山置いてくれたお陰で、柔らかなクッションに背を預けたリーチェは落ち着いて室内を見渡して、そこで部屋の入口の壁に背を預け、心配そうに様子を窺っているカイゼンの姿も見付けて、申し訳無い気持ちでいっぱいになり、頭を下げた。


 気にするな、と言うようにカイゼンから微笑まれてリーチェもカイゼンにゆるゆると笑みを返す。


 その場に、母親の姿は無くて。

 リーチェはその事にほっとしてしまう。


 今は、どんな感情で母親と顔を合わせれば良いのか分からなかったので、今までのリーチェであれば母親の姿が無い事に僅かばかり寂しさを感じただろうが、今は逆にほっとしてしまう。


「リーチェ。本当に大丈夫か? 一度しっかり診て貰おう。医者を呼ぶから──」

「……っ、嫌っ! フランツ医師は呼ばないで下さい……っ!」

「……っ!?」


 テオルクが医者を呼ぶ、と口にした途端、血相を変えてリーチェが拒絶する。

 その表情と、強い拒絶の言葉にテオルクは驚きに目を見開き、そしてくしゃり、と顔を歪ませた。


「……ここ数日の邸内の雰囲気が、リーチェに強いストレスを与えてしまったんだな……。すまない、もっとリーチェの様子に気を配っていれば良かった。……安心してくれ、医者は軍医を呼ぶ……」


 眉を下げ、辛そうに言葉を紡ぐテオルクにリーチェも泣きそうになってしまう。

 リーチェがわざわざ言葉にしなくとも、リーチェの拒絶の態度から。言葉から。

 そして、今まで滅多な事では体調を崩す事の無かったリーチェの具合が悪くなる程悩み、ストレスを感じていた事が分かったのだろう。


 いつも凛として、強気なリーチェの表情が今は弱々しく、ピンと張った緊張の糸が切れてしまった途端、リーチェ・ハンドレと言う強い女性が崩れてしまいそうで。


「お父様……っ、何で……っ」

「すまない、リーチェ……。リーチェに負担を掛けてしまうとは……。父親として失格だな……。体を診て貰ったら、私から話すよ……」


 リーチェの頭を抱え込むようにして、テオルクは優しく抱き締めた。



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