第9部
10−夜の世界
次の日の朝、私たちはアルケロン市まで戻り、私はそこでコノハ助教と別れた。私が大学宿舎の解約手続きを済ませてリール・ド・ラビームに戻ると、高等部の制服を着たコノハ助教とウッドデッキですれ違った。
瞳の色が青い。いや、あれは青紫色らしい。私があげたカラーコンタクトをつけている。
「じゃあ、行ってくるよ」
彼女はそう言って、私と入れ違いに白い桟橋を渡っていく。大学の図書館に行くのだろう。
私はその姿を見送った。
「コノハさん、正気に戻ったんですね」
背後から声がした。館長が立っている。今日も午後までここに残っていたのだ。
「ああ、お陰様で。館長のアドバイスが役に立ちました」
「私が何か言いましたっけ?」
「ほら、カレハ助教が好きそうな話題で正気に戻そうという、あれです」
「ああ、確か博士は映画を撮ると言ったんですよね?」
「そうでしたね」
「では、何かやった方がよろしいのでは?」
「は?」
「カレハさんはあのとき大層喜んでいました。あれは方便だったと言うと、がっかりされるかも」
「まあ、そうかもしれませんね、でも・・・・」
あの時は咄嗟にカレハ助教を主役にして魔法忍者少女の映画を撮ると言ったのだ、いや、忍者魔法少女だったか?よく憶えてない。それくらい咄嗟の思いつきだった。まさか本当にやろうとはこれっぽっちも考えていなかった。
「でも、さすがに映画を撮るなんて無理です」
「それはそうなのですが、何か代わりになるものがあれば・・・・」
「代わり、とは?」
「よくわかりませんが、何かありませんか?」
私は唸った。
しばらく考えたが、何も浮かばない。
「まあ、ちょっと考えてみて下さい。私も何か考えてみます」
館長はそう言って、本島にある博物館本館に戻っていった。
あんなこと言わなければよかった。
一人残された私は難題に頭を抱える。
「じゃじゃ〜ん」
その夜、カレハ助教がご機嫌で研究室に入ってきた。
見ると、新しい衣装を着ている。
前の服がボロボロになってしまったので、今日、街で買ってきたようだ。
一見して、仕立てのいい服だとわかる。きっと高額だろう。私の僅かな給与のかなりの部分が服代に消えている気がする。
さすがに「幾らかかった?」とは訊けず、私は苦笑いをして、
「うん、よく似合っている」と言った。
前と同じ店で買ったらしく、以前と似たアルザス衣装だった。黒を基調にした色合いも同じだが、今回は胴衣やら胸飾りやらの細工が、何というか、厨二病的な感じがする。革のベルトを随所に装着して、そこにショルダーホルスターやら長剣用の鞘やらをつければ合うかもしれない。
「よく似合ってるけど、でもそれ、コノハ助教はそれで良かったのか?」
「ああ、コノハさんにスイッチしたら別のを選んだので、それも買いました。コノハさんが表の時はそっちを着るそうです」
なに、では二着も買ったのか。
私は目の前が真っ暗になった。
他に買いたいものがいっぱいあったのに。
私は絶望のあまり口元がひくひくと痙攣した。
私が買いたかった物たちよ、さらば。
「それでそれで、御館様」
カレハ助教はご機嫌なまま、ずんずんと近寄ってくる。
「何だ?」私はやや憮然としていた。
「あのとき、何か言ってませんでした?」
「何のことかな?」
「ほら、あのときですよ、私はちょっとおかしかったので、よく憶えてないんですけど、ほら、何か言ってませんでしたっけ、ほら」
「ああ、あれね」
やはりきたか、と思った。この少女、やはり憶えていたか。ここですっとぼけたり、「あれは君を正気に戻すための方便だ」と言ったとしたら、目の前にある嬉しそうな顔がみるみる曇っていくかもしれない。
その様子を想像すると胸が物理的に痛んだので、私は、
「あ、ああ」と口ごもった。
そうしながら、私の頭脳はいつになくフル回転していた。
「ああ、そうだな。映画、映画ね。魔法忍者少女だっけ?君が主役でね、ああ、憶えているとも。もちろん考えてる。でも、いきなり本物の映画だと、ほら、キャストが足りないんだ。ザコ敵役とかがほら、いないだろう?」
「御館様がいるでしょう」
「おお、迷いなくそうきたか、でもほら、ラスボスとかもいないよね?」
「あの館長さんとか、適役では?」
「・・・・言わんとすることは何となくわかるが、それはちょっと失礼じゃないかな?」
「ええ〜、じゃあ、つくらないということですか?」
「いや、そんなことないよ、現にぼくは高校時代に自主制作映画を作ったことがある」
「ほほう、それはすごいですね、どんなのを作ったんですか?」
「言いたくない」
「はあ?」
「絶対に言いたくない。ぼくの真っ黒な黒歴史なんだ」
「真っ黒な黒って、重複してますよ」
「それくらい黒いんだ」
「ええ〜、でもそれじゃ、やっぱりダメじゃないですか」
「いや、大丈夫、何とかする」
「私が華麗に変身したり、魔眼で悪と戦ったりできますか?」
「ぐぬぬ」
私は自分が仲間達と作り上げた厨二病全開の映画を思い出し、死にたくなった。
「御館様、聞いてますか?」
「聞いてるさ、ちゃんと見せ場は作るから」
「ほんとですかぁ〜」
カレハ助教は疑り深そうに私を見た。私は目を逸らす。
「おやかたさま〜」
「い、いや、ほんと、大丈夫だから」
私は何とかその場を取り繕った。
カレハ助教が部屋から出て行くと、私はがくっと椅子にもたれかかった。
彼女たちが戻ってきてくれたのは嬉しいが、心労がどんどん溜まっていく。
私はため息をついた。
「フクラスズメ、改装が終わったのか」
私は地底湖の格納庫にある機体を見た。
カーキ色の機体の先に、長さ二メートルはある長い衝角がついている。機体からそれが突き出した姿は、まるでノコギリザメか、あるいは吻の長い昆虫のように見えた。
「ビロードツリアブ、いや、ノコギリビワハゴロモみたいだな」
「なんだそれ?」
「図鑑で調べるといいよ、大学の図書館にあるから」
フクラスズメは、より攻撃的な外見に変わっていた。これであの世界の黒い皿が突破できるし、さらに水中を移動することが可能になる。更にこれで突撃したら大抵の敵は退けられるだろう。
「ふふん、いいだろう?」
コノハ助教が自慢げに言う。
私は素直に頷いた。これは、格好いい。しかもこの衝角は回転するという。私の少年の頃の夢が具現化したようじゃないか。だが、これが操縦できないと何の意味もない。
訓練はこれまでもやっていたが、例の狂風のせいで少し中断していた。実験まであと一週間もない。向こうで私がフクラスズメを動かす機会は無いかもしれないが、もしもの場合に備えておく必要がある。訓練は急いだ方がいい。
そういうわけで、私はフクラスズメの操縦法の修得にできる限りの時間を割くことに決めた。
数日が過ぎた。
今日も朝からずっと特訓をしている。
実際のところ、四肢を制御することはかなり難しく、私は早々から諦めモードになってしまった。しかし教官であるコノハ助教はびっくりするほどの辛抱強さで、私に操縦法を伝授してくれる。
「もし君が自動車教習所に勤めたとしたら、きっと名教官になって全ての生徒から慕われるだろうな」
私がそう言うと、彼女は首を横に振った。
「そんな面倒くさいことするものか、これはあれだ、君に上手くなってもらわないと、その、困るからだよ」
そして彼女はそっぽを向いた。その様子を見て、何となく思う。もしかしたら彼女は私に申し訳なく思っているのか?私があげた学生証を無下に突き返したことを。でもあれば狂風のせいだ。それに私だって、体調を崩した彼女を残して逃げ出したのだ。悪いとしたら私の方がずっと悪い。
そのことを謝りたかったが、タイミングを逸してしまった。
そんなこともあって、私は彼女の教えをしっかり学び取ろうとした。そのせいで時間が経つのも忘れて訓練に励み、気がつけばすでに夕刻になっていた。
「喉が渇いたな、ちょっとそれを取ってくれたまえ」
横からコクピットを覗き込んでいるコノハ教官に言われて、私は操縦桿とペダルを操作し、数メートル先に置かれた台まで機体を運んだ。その上にあるワイングラスをマニピュレーターで掴んで、そのまま中の液体をこぼさないように持ち上げる。
「おお、なかなか上手くなったじゃないか」
コノハ助教が面白そうに言う。
彼女に教わっていく過程で、私はこの機体の優れた設計に驚かされていた。実に効果的かつシンプルに全ての要素がまとまっている。
「この無駄のなさ、すごいな、四肢を制御するにはこの方式しか有り得ないような気がしてくる」
私はコノハ助教に言った。彼女は機体の左腕に乗って指示をしている。キャノピーは開いているので,無線なしで会話ができた。
ちなみに彼女は街で買ってきた新しい服を着ている。彼女は黒いリボンのついたコワフに、白のシュミーズと飾り襟、黒の胴着とエプロン、茜色のスカートという、典型的なアルザス衣装だった。シュミーズと胴着の間に差し込まれた刺繍入りの胸飾りが華やかである。もともと派手な色使いの民族衣装なので、よく目立つ。彼女のことだからもっと落ち着いた服を選ぶと思っていたので、私は少なからず驚いた。
「よく似合っているけど、どうしてそれを?」
この衣装を初めて見たときに私が尋ねると、彼女は素っ気ない口調で答えた。
「前が黒ずくめだったから、今回はこんなのでもいいかと思ってね。街を歩くには派手だけど、ショールがあるし、大学に行くときは学生服に着替えるから問題ない」
「そうなのか」
私は少し釈然としなかったが、彼女がそれでいいというなら、いいのだろう。よく似合ってるし。
その時はそう思ったのだが、今になってふと、変な考えが浮かんだ。彼女がこんな華やかな装いをしているのは、もしかして私の色覚のせいか?あっちに行ったとき、色の判別が難しい私が遠くから彼女を判別できるように、あえて色彩の鮮やかなものを選んだ?
でも、まさかね
私は現実に戻って、マニピュレーターを操作し、コノハ助教の前にワイングラスを運ぶ。
「どうも」
彼女はグラスを受け取って、くいっと飲み干した。ちなみに中身はワインに見立てたブドウのジュースである。
「ごちそうさん」
「こぼさなくてよかった。ぼくでもこんな風に動かせるなんて、あの少年、やはりただ者じゃないね」
「創造主氏のことかい、でもフクラスズメの大本の設計は彼のオリジナルじゃない。フェルドランスだっけ?あれに準じている」
やはりそうか。フクラスズメの操縦席を見た時から、そんな気がしていた。と、いうことは———。
「彼はフェルドランスの内部構造を知る機会があった?」
「ああ、創造主氏はその機体を修理したことがあるそうだ」
「それはどういうきっかけで?彼はヒューベル博士と知り合いなのか?」
「いや、そうじゃないみたいだ。かつてチューリップとかいう怪物と戦ってフェルドランスが大破した時に、こっそり修理したそうだ。あの操縦士に頼まれてね」
「何だか複雑だな。その時、フェンネル操縦士はアーベル氏の正体を知っていたのか?」
「いや知らなかったらしい。でもあの館長の紹介やらなんやらで、『何でもできる不思議な少年』という認識だったみたいだ。さすがにマンディブラスの関係者と知ってて修理は頼むまいよ」
「ふうん、まあそういった経緯で、フェルドランスの情報がアーベル氏に漏れたわけだな」
「おやおや、ちょっと意地悪な言い方だな。まあそうなんだけど。先の事変が収まった後、フェルドランスを知るアーベル氏が人類に敵対していたら、大事になっていただろう。そうならなくてよかったな。ついでに言うと、そのお陰で我々もフクラスズメを得て命拾いしたわけだ。ああそういえば・・・・」
「そういえば?」
「あの創造主様は、フェルドランスの設計者のことを高く評価している。先の事変でマンディブラス側が敗れたのはあの設計者がいたからだとまで言ってた。あの創造主が一人の人間をそこまで持ち上げたのには驚いたな」
「彼はフェンネル操縦士のことも評価していただろう?」
「あの操縦士の比じゃない。アーベル氏は、あの設計者、ペンクロフト・ヒューベルのことを、ほとんど崇拝している。『師匠』とか言い出しかねない勢いだよ」
「へえ」
私は些か驚いた。あのクールな少年が、ヒューベル博士のことをそこまで買っていたとは。しかし、このフクラスズメの操縦席を見るとわかる気がする。こいつの設計の基になったフェルドランスの設計を見たアーベル氏は、きっと感動したのだ。人間嫌いの彼を心底から打ちのめし崇拝させるほどに。
人間の天才と人外の天才が、ひとつの機体で交錯したのだ。
ヒューベル博士。一見すると目立たなくて、あまり表に出てこない人物だが、保安局の人々の評価や、あの館長が折に触れて、「ヒューベルさんが」、とか「ヒューベルさんに聞いたのですが」、などと言っていることから考えると、彼はやはりただ者ではないのだろう。今回のメンバーで最も重要な人物と言ってもいいかもしれない。
そんな人物の協力を得られていることに、私は感謝した。
でも、彼はアーベル氏とは会ったことがないという。
もし二人が出会ったら、どんな風になるのだろうか?
「なあ」
「なんだい?」
「アーベル氏はヒューベル博士に会いたいだろうか?」
「さあ、それはどうかな?もし会いたければ、先の事変の時からこれまで、いつでも機会はあった。今の関係のままで充分だと思っているんじゃないかな」
「そんなものか」
「ところで」
コノハ助教がコクピットの中に体を乗り出してきた。胸飾りにリンドウの花が挿されている。
「この地底湖の底には、あそこに繋がるトンネルがある。今このときも」
「ああ、そうだよ、それで?」
「この機体で湖に入ったら、今からでもあそこに行けるんだ」
「そうだが?」
私はコノハ助教が何を言いたいのか、よくわからなかった。彼女の赤い瞳が私のすぐ近くにあって、それが悪戯っぽい輝きを放っている。
「ちょっと行ってみないか?」
「え、行くって?あそこに?これから?」
「そうだよ」
「ば、バカなことを言うな!」
「バカじゃないさ。機体に問題はないし、燃料もある」
「し、しかし、他のメンバーに断りもなく・・・・」
「彼らの許可を得る必要がどこにある?これは君と私の話だよ、君はどうしたいんだ?」
私は目の前にある暗い地底湖を見た。青い外灯が湖面に映ってユラユラと揺れている。その黒い水の先に、あの地底世界がある。
このまま放っておいても、あと一週間足らずであそこに行くのだ。今から行く理由はない。だが、次の実験では、私はフェンネル操縦士が操るヴァーミスラックスに乗り込んで行く計画になっていた。コノハ助教は別行動で、ここからフクラスズメで赴くことになる。向こうではコノハ助教は基本的に我々とは接触せず、隠密のようにこちらの様子を見ることになるだろう。何か問題が起きたら助けてくれるだろうが、特に何事もなければ、彼女は私とあちらで合うこともなく帰還する。
前にあの世界に行ったときの出来事を思い出す。焚き火の向こうに座るコノハ助教の姿。二人で食べた浮遊怪物の味が甦った。
「・・・・・じゃあ、行ってみるか」
「おお、いい答えだ」
「だが、問題が二つある」
「なんだい?」
「あの『天使』はどうする?行ったらすぐに襲ってくるぞ」
「急降下してやり過ごすさ。帰るときも同じだ。入口がわかっているんだから一直線に突っ込めばいい。邪魔されたら回転衝角をお見舞いしてやれ。それに、私だって学習した。もし戦闘になっても、前みたいな醜態はさらさないよ。・・・・もう一つの問題は何かな?」
「こいつは一人乗りだ。前の時は君の四肢がなかったから何とかコクピットに収まったが、今は無理だ、どうする?」
「ふふん、そこはちゃんと考えてあるさ」
そう言うと、コノハ助教はひらりと機体から飛び降りて、湖の傍にある小屋に入っていった。しばらくして古風な旅行鞄をひっさげて出てきた彼女は、全身を覆うスーツのような服に着替えていた。手には宇宙飛行士が被るようなヘルメットを持っている。
「これでいいだろ」
彼女はくるりと体を回す。体にフィットした黒いスーツには各所にベルトやハーネスが付いていて、まるで空挺部隊の戦闘員のように見えた。
「ウエットスーツか?」
「いや、ドライスーツだ。完全防水だよ」
「ドライスーツはもっとだぼだぼしてる印象があったが、最近のはよくできているんだな。・・・その鞄は?」
彼女は旅行鞄をこちらに投げてよこした。
「着替えが入っている。濡れないようにコクピットに入れといてくれ、シートの後ろにスペースがあるから」
私はまだ状況についていけなかったが、そんなことにお構いなく彼女は軽やかに跳躍して、コクピットの後ろに着地した。そして機体本体と翼部との間にある台座のような場所に跨がる。フェルドランスなら頭部がある場所だ。今回改装したフクラスズメにはそこに各種センサーの複合ユニットがある。ちょうどそれが鞍みたいになっているので都合がいいようだ。コクピットから後ろを見ると、彼女は馬に乗ったような格好になっていた。
「いいぞ、夜の散歩としゃれ込もうじゃないか」
「こっちは夜でもあっちは明るいだろう」
「じゃあ、せっかくだし、あっちの『夜』まで飛んでみよう」
「夜だって?」
「ノーチラス島の明かりが届かないところさ。どうなっているか気にならないかい?」
あの世界は地下にあって、ノーチラス島が唯一の光源となっている。だから島が通り過ぎたところは暗くなるし、島の軌道から外れたところも暗黒の世界のはずだ。
未知の地底空間の暗闇。
私は少しぞっとした。
だが好奇心もある。光源の周囲は本当に真っ暗なのか?
あの黒い皿のような物体が集光装置みたいに機能していて、地底空間の何処かに明かりを点している可能性はないか?
「そうだな、気になる」
「そうだろう?」
私はキャノピーを閉じた。
背面モニターに映るコノハ助教がフルフェイスのヘルメットを装着する。口を覆う部分から伸びたホースを彼女は背中にある小さな装置に繋いだ。あれが空気タンクになっているようだ。
SF映画に出てくる宇宙戦闘員のような格好になった彼女は、バイクに跨がるように前傾して、コクピットの後ろあたりに左右に取り付けた取っ手をしっかりと掴んだ。親指をあげて合図してくる。準備完了らしい。私は敬礼の真似事で返し、フクラスズメを地底湖に向けた。
「レールの端に金属の台があるだろ。そこに機体を乗せてくれ」
コノハ助教からの通信が入る。私は言われたとおりに台座の上に機体を乗せた。
目の前に、鉄道のようなレールが見えた。それは暗い水の中に消えている。
「回転衝角を起動する」私は通信機に伝えた。
「了解」
コノハ助教がオペレーターみたいに返答する。私はコクピット内のスイッチを押した。鈍いモーター音がして、前に突き出した衝角が回転を始める。衝角の前半分と後ろ半分がそれぞれ反対の方向に回転していた。回転モーメントを打ち消すためだろう。よくできている。私はコンソールの回転計を確認。「異常なし」と告げる。
「了解した、続けてくれたまえ」
「わかった、機体の駆動系を水中移動モードに変更、した」
「了解、ええと、ちょっと見るから待ってくれ、主翼と副翼が規定の位置に・・・・きてる、異常なし」
「了解、すべての機器は正常に稼働中、発進準備、完了」
「了解、発射台の操作は私がやる。いつでもいい、そっちの準備ができたら、言ってくれ」
「わかった、念のため駆動系をもう一回確認する、・・・・よし、いいぞ」
「了解、安全装置解除」
コノハ助教が遠隔操作で台座のロックを外した。
「後は君の指示で台座をリリースする」
「わかった、ちょっと言いたい台詞があるんだ。それを言ったらやってくれ」
「いいよ」
私はかねてから言いたかった台詞を放った。
「フクラスズメ、発進!」
ガキッ、と留め金が外れ、機体が進水式の船みたいに滑り出す。みるみる水面が迫った。
機体が水中へ突入する。
衝撃と共に視界が真っ黒になった。私は機体のライトを点灯。気泡が機体を包んでいた。それを回転衝角が切り裂き、細かな泡が上に流れていく。
私は操縦桿を操作。背中の翼が潜行舵のように動き、機体が下を向いた。
キャノピー越しに背後を見る。こちらからは暗くてコノハ助教の顔は見えないが、あちらからは見えているのだろう。彼女は小さく手を振った。
私は前を向いて、操縦桿を握り直し、回転衝角の出力を上げた。
機体はぐんっと前に押されるように加速。未知の地底空間に向かう。
機体は真っ暗な水中を下へ下へと潜っていった。
目の前にある漆黒の闇を機体のライトが切り開いていく。
しかし、コノハ助教には悪いが、回転衝角を推進器として使う発想は設計ミスかもしれない。衝角の回転によるキャビテーションで生じた気泡がライトに反射して、前がとても見えにくいのだ。ただ、キラキラと煌く気泡が視界いっぱいに広がっている様子はまるで星のようだ。
それを見ているうちに、数日前にあの灯台で見た光景が甦った。
あの日の夜、私は灯台の天辺にある回廊に登って、夜空を見ていた。頭上には満天の星が広がり、その間を灯台の明かりが定期的に切り裂いていく。
「こっちに来てみなよ」
回廊の裏側の方でコノハ助教の声がした。
私がそちらに行くと、彼女は手摺りにもたれて島がある方向を見ていた。ここは視点が高いので島全体が見渡せる。眼下にはノーチラス島の黒い影が巨大な怪物のように伸びていた。
「見てみなよ、これが我々の島だ」
彼女が呟く。
私は言われるままに眼下に広がる島影を見た。黒い影の中に幾つか明かりの塊が見える。こちらもまた星のようだ。左手にあるひときわ明るい光の集団がアルケロン市で、その右手にある高いところの明かりがカプローナ山の天辺にある天文台だ。そのさらに右側のずっと奥の方に小さな明かりがぽつんと見えた。あれがきっとリール・ド・ラビームだろう。そのほかにもポツポツと明かりが見えたが、それほど多くはない。島の大部分は真っ暗だ。この島の調査がほとんど進んでいないことがわかる。
われわれの島、か。
私は横で灰色の髪を夜風になびかせている少女を見た。
彼女と私はお互いに全く異なる生命体だ。私達は、地球では決して「われわれ」には成り得ないだろう。しかしそれが、ここでは奇跡的に成立している。この島にいるときだけ、私達は「ノーチラス島の住人」という、ただその一点において共通なのだ。この未知の島が私と彼女を結びつける縁となっているのである。
「ああ、我々の島だな」
私は暗い島影を見ながら呟いた。
そして、私は我に返る。
目の前に丸窓のような明かりが見えた。
フクラスズメの操縦桿を握って、私は通信機に呼びかける。
「コノハ助教、突入する、振り落とされないように注意してくれ」
「了解」彼女の声は心なしか弾んでいた。
「楽しいのか?」
「夜の探検行だ、そりゃ楽しいさ、君はどうなんだい?」
私も楽しいに決まっている。でもそう答えるのが何だか恥ずかしくなって、私は黙っていた。だがその時、自分の口元が気味悪いくらいに歪んでいることに気づく。
私の口は笑いの形にひん曲がっていた。
きっと今の私はかなり邪悪な形相をしているだろう。
これは決して正義の味方側の顔ではない。恐怖の異世界に魅せられた、狂気の科学者の顔だ。
そしてふと思った。今の私の状況を傍から見たらどう見えるだろうか?
変な学者が島の辺境の研究施設でよくわからない研究をしている。彼はふとしたことから異世界への入口を見つけ、そこを調べていくうちに狂気にとりつかれ、そこを何度も訪れるようになる。
まさに今の私がそうだ。
こうした話の王道展開としては、その狂気の科学者は異世界で消息を絶つ。そして後になって彼が研究室に残した手記などから、主人公が異世界の存在に気づき、そこを探索する。そうした場合、狂気の科学者すなわち私は、異世界で無残な死体となって主人公に発見されることになる。
もしそうなったら、きっと主人公たるフェンネル操縦士が私を見つけるだろう。そして私は話を盛り上げるための脇役としての役目を終える。
でも私にはそれが相応しいのかもしれない。
私の目の前で異空間への入口がいっぱいに広がる。
私の口元がにいっ、と歪んだ。この顔、コノハ助教には見せられない。
フクラスズメは空間を貫いて、地底世界に突入した。
私は一瞬、目を疑った。
眼下に真っ青な世界が広がっている。
思わず、間違った場所に来たのかと混乱した。
あの通路が地底世界ではなく、全く違う何処かの惑星にでも繋がっていたのではないかと。
しかし、周囲にはあの黒い皿が見える。それらが凄いスピートで後方に流れていく。
フクラスズメは間違いなく地底世界に来ていて、急降下していた。
「気をつけろ!」
コノハ助教の叱責が飛んだ。私は我に返る。
そして気づいた。
「コノハ助教、海だ!」
そして私は青い海面の直上で操縦桿を引いた。
海面近くで機体が機首を起こし、水平になる。
同時に飛行モードにシフト、機体の後方から青い光芒が迸った。
機体の背後に白い水柱が上がる。
機体は海面すれすれを滑るように飛んだ。
水平線が見える。眼下は青の世界だった。
「海があったのか」
「まあ、そんなことも充分有り得るだろうな」
コノハ助教が答える。
「この世界は地球の南極大陸くらいの広さがある。内部に海の一つや二つあってもおかしくないさ」
「どうする?」
「このまま飛んでくれ、天使どもが騒いでいる」
私は背後を見た。ガラスのキャノピーの向こうに、白い点々が見える。
点々は慌ただしく動いていた。いきなり我々という「異物」が出現したので、まるで蜂の巣を突いたときみたいに騒然となっている。
「こっちにくる奴がいるぞ」
「わかった、振り切る、しっかり掴まってくれ」
「了解」
私はスロットルを全開にした。
フクラスズメは弦を離れた矢のように加速。機体の背後で水柱が派手に吹き上がった。
一分ほどそのまま飛行して振り返る。背後にはすでに何も見えなかった。
振り切ったらしい。
「ふう」
私は安堵の息を漏らした。
改めて周囲を見渡す。
辺り一面、水平線が広がっていた。
真下の水面にフクラスズメが黒い影を落としている。
「驚いたな」
「結構広いね」
コノハ助教は体を起こして周囲をキョロキョロ見回していた。
「今のところ海しか見えないなあ」
「困ったな、海の真ん中だ、どっちに行けばいいと思う?」
「そうだな。・・・・予定ではこの世界の夜を体験するんじゃなかったっけ?島の進行方向とは逆の方に飛んでみたらどうだ?」
「了解、地図で確認する」
私は機体のディスプレイにノーチラス島の現在位置を表示させた。そこには島の予想進路が描かれている。ここはちょうど島の真下になるはずだ。私は機首を島の進行方向と真逆の方に向けた。
この先に、この地底空間の「夜の世界」があるはずだ。
しばらく飛行したが、周囲の明るさはほとんど変わらなかった。
ノーチラス島から供給される光は、かなり広範囲をカバーしているようだ。
頭上遥か上に岩の天井が見えた。そこには黒い皿のような物体が無数に浮かんでいる。
異様な光景だった。時折、長い根のような物が海に向かって垂れ下がっていた。太いものでは直径が丸太くらいある。
まるで浮き草の根のようなそれらを躱しながら、私は前に進んだ。
根のような物をちらっと見ると、昆虫のような物がその周囲を飛び回っていた。このすぐ上空の黒い皿を生活圏にしているのだろう。まるで水草と戯れる熱帯魚のようだ。
だが、今のところ、巨大な怪物のような物は見当たらない。
眼下には相変わらず青い海が見えた。
この水中にも何かいるだろうか?
まあ、いるだろうな
どんなものがいるだろうか?私はあれこれ想像してみた。ここの生態系の独自性は何と言っても「空中浮遊生態系」だ。でも、水中はそもそも浮力があるから、地球の海だって浮遊生態系みたいなものだ。だとすればこの海は地球のそれとあまり変わらないかもしれない。
「あまり奇抜な奴はいないかもな」
「う〜ん、そうでもないぞ、あれを見たまえ」
コノハ助教が指さす方を見て、私は愕然とした。
200メートルくらい先の水面に、真っ黒い影が見える。
水中に何かがいるのだ。
しかも、大きい。
「なんだあれ、クジラか?」
「さあ、そういうのは君の方が詳しいだろう、でもここからじゃよくわからないな」
私はその方角に機首を向けた。
黒い影に近づくにつれ、そいつがどんどん大きくなる。海だと距離の感覚が掴みづらいせいだろう、思ったよりずっと大きい。
私はそいつの真上に到達し、上空を旋回した。
真っ黒い影が眼下にある。頭部らしき場所の左右がブーメランのように左右に突き出していて、巨大で丸い胴体を持ち、その後ろに異様なくらい長い尾がついているように見えた。
「見たことないシルエットだ、いや、敢えて言うなら古生代のディプロカウルスみたいな」
「クジラじゃないのかい?」
「全然違う」
「そうは言っても、君、本物のクジラを見たことあるのかい?」
「そう言われたら、ないな。でも映像では何度も見た。あれはクジラと言うより、何か、超巨大な両生類みたいに見える。それに、クジラなら定期的に水面に出て呼吸するはずだ。でもその気配がない」
私はしばらく観察していたが、よくわからなかった。その間にその影は深みに潜っていき、見えなくなった。
「何だったんだろう?」
「潜って追いかけてみるかい?」
「え、あ、そうか、この機体ならできる」
「ふふん、そうだよ、どうする」
「そんなの、決まっている」
私の口元がまた歪んだ。
「おいおい、さっきもそんな顔してたろう?本性を現したのか?この狂気科学者め」
しまった、バレていたか。
「ごめん、そうかもしれない」
「ま、いいけどさ」
「じゃあ、海に突入する」
「了解、機体を水中突入モードに。回転衝角は動かしたままだ」
「了解」
私は必要な操作をして、操縦桿を倒す。視界が海の青に染まる。フクラスズメは空中で翼をデルタ翼機のように後退させ、最後の噴射をして、水中にダイブ。傍から見たら、カツオドリがミサイルのように海面に向けて急降下するように見えただろう。
狂気の科学者か。それでもいい。こんな風に巨大生物を追えるのなら、私は喜んでその称号をもらう。
しばらくして、フクラスズメはまた海上を飛んでいた。
水中であの巨大生物を追ってみたが、見失ってしまったのである。
「残念だったな」
コノハ助教がフォローするように言う。
「次までにソナーか何かを搭載しておくよ。私もこんな格好じゃなければもうちょっと状況がわかったんだが。ドライスーツも善し悪しだね」
私はため息をつく。
「まあ、あのサイズだし、何やら剣呑な武器みたいなのもついてたから、今回は深追いしない方が結果的によかったかも」
私の負け惜しみに、コノハ助教が少し申し訳なさそうに答えた。
「本当はキャビテーションの泡で前が見えにくかったんだろう?私の設計が悪かったな。でも、そう言わない君は、あれだな、優しいな」
思ってもみなかったコノハ助教の言葉に、私は返答に窮した。
「・・・・・あ、いや、そんなわけない」
今まで他人から優しいなどと言われたことがなかったので、私は返す言葉を持っていない。
いや、彼女は人じゃないんだから、「他人から」優しいといわれたことは、やはりまだない。
でも、何故だろう、もし仮に人からそう言われたとしても、今ほど嬉しくはない気がする。
しばらく黙っていると、コノハ助教が先の方を指さした。
「君は気持ち悪いけどいいやつだよ、ところで、少し先に島が見える。とりあえずあそこに行ってみないか?」
コノハ助教が指さす先に、ぽつんと小さな島影が見えた。
「了解」
揺れ動く感情を誤魔化すために短く返事をして、私はその方向へと機首を巡らせた。
島の上空に来て、旋回する。
ヤシの木が海岸に生え、中央にこんもりとした森がある小島だった。
上空からざっと見たが、小さな島なので、危険な大型動物はいないようだ。海なのでエサが少ないのか、上を飛行する捕食動物も見当たらない。
そこで、私達はその小島でキャンプをすることにした。
私達が滞在している間も、島はどんどん遠ざかっている。何もしなくても世界は「夜」に近づいているはずだ。でも、周囲の明るさはほとんど変わらなかった。少なくとも私の目にはそう見える。
「いや、暗くはなっているよ、ほんのちょっとだけどね」
コノハ助教が言った。
彼女は焚き火の向こうで空を見ている。
この島に降りてすぐに、彼女はアルザス衣装に着替えていた。
民族衣装の少女が焚き火の向こうに座っている光景だけを見たら、まるで中世のヨーロッパで旅の少女が野営しているみたいだった。でも周囲にはヤシやら蔦やらが繁っているので、凄く違和感がある。
今の彼女は暗黒童話の世界で森に迷い込んだ少女みたいだ。
そんなことを考えていたら彼女が訝しそうにこちらを見たので、私は慌てて目を逸らした。
「こ、ここで夜になるのを待ってても埒が明かないから、明日はもっと飛ばないとな」
「そうだね」
私達は前にここに来たときのように、野宿をすることにした。ただし、今回はテントも持ってきたし、前回よりもずっと快適である。
テントを張った後、焚き火を挟んでとりとめない話をしているうちに、時刻は深夜零時をまわった。でもこちらはずっと明るいままだ。
「白夜って、こんな感じなのかなあ」
「さあ、見たことないから、わからないな」
コノハ助教が興味ありげな顔をしていたので、私は、
「地球に行ってみたいのか?」と尋ねた。
「べつに、それほどじゃない。映像資料でいくらでも見られるしね」
「ふうん」
「君の方はどうなんだい?地球に戻りたいのかな?」
「いいや、そんな気はしないな、少なくとも今はこっちがいい」
「それはよかった」
コノハ助教は嬉しそうに見えた。でもそれは私の願望だったかもしれない。
「・・・・でも、ぼくがノーチラス島にいられる期間は一年だ、あと半年ちょいかな」
「それは、何とかならないのかい?」
「う〜ん、所属は日本の大学で、こっちには出向みたいな形で来てるから、難しいな」
「レプティリカ大学に就職するとか?」
「そんなポストはないよ」
「そうか」
コノハ助教の声が心なしか沈んでいる気がした。
私は実際のところ、とても辛い。ノーチラス島ではいろんな出会いがあって、たくさんの友人ができた。それまで灰色だった私の人生が、カラフルに彩られた気がした。さっき彼女には「こっちがいい」と言ったが、より正直に言うと、ここがいい、ここを離れたくない。
来年の2月か3月、ノーチラス島が陸地に近づいたら、コノハ助教とはお別れだ。その時に私はどんな気持ちになるだろう?
でも、こればっかりは、どうしようもない。
「ぼくがいなくても、館長もコートニーも、アーベル君もいる、君は問題なく暮らせるさ」
「まあ、そうだろうね」
それに、彼女の能力ならレプティリカ大学に入って、そのままノーチラス島で彼女が望む職に就けるかもしれない。
私がいなくても彼女は彼女の人生を歩んでいくのだ。
「・・・・・じゃあ、ぼくはそろそろ休ませてもらう」
「ああ、おやすみ」
コノハ助教は枝をポキッと折って、焚き火にくべた。
「君は休まないのか?」
「私もそろそろ休ませてもらう。白夜の警備はあいつに任せるよ」
「わかった、カレハ助教によろしく」
「ああ、おやすみ」
「おやすみ」
私はテントに入って寝袋に潜り込んだ。
先のことを考えたら感傷的になってしまった。だから私はこれ以上考えないことにした。
今私はここにいるのだ、ここにいられる間は、精一杯楽しませてもらう。一生分のいい想い出を私はここで作り、記憶の宝箱に封じ込めよう。
見知らぬ鳥の声で目が醒めた。テントから這い出して空を仰ぐ。でも明るさは昨日とほとんど変わらない。
6時間かそこらでは、明るさの変化は誤差の範囲なのだろう。
「御館様、おはようございます」
見ると、カレハ助教が拳銃をカッコよく構えようとしているところだった。
「何してるんだ、その拳銃はどうした?」
「ふふん、格好いいでしょう?」
「それはいいから、銃口をこっちに向けるな、指をトリガーから外せ」
「御意」
私はカレハ助教の手にある銃を見た。リボルバーのように見えるが、シリンダーが六角形で、コッキングレバーも小さくて、全体的に特殊な形をしている。
「もしかしてそれ、キアッパ・ライノってやつか?」
「ほお、よくご存知ですね、さすが御館様」
「どうしてそんなものを?街では銃器を売ってないはずだが」
「創造主様がくれました、というか、フクラスズメさんの中に入ってました」
カレハ助教は厨二病的なポーズを取った。自分が買ってきた厨二病的なアルザス衣装に着替えたうえ、専用のショルダーホルスターを装着して厨二病要素を増幅している。ホルスターは両脇にある。二丁拳銃にするつもりか。なんだかアニメの一場面のようだ。私は現実感が失われていく気がして少し眩暈がした。
カレハ助教はもう一つの銃もホルスターから抜いて、華麗にクルクルと回した。
「回すな、危ない」
こんなことで、こんなところで撃たれて命を落としたら馬鹿らしすぎる。
「ええ〜、大丈夫ですよ」
カレハ助教はフグみたいなふくれっ面になった。
「大丈夫じゃない、安全装置はかけてるのか?機体の中にあったからといってそんな物騒なものをだね、振り回すのはね、ぼくはちょっとどうかと思うんだよね・・・・・だからね、それはぼくがあずかって」
カレハ助教はフクラスズメを指さした。
「もう一丁ありましたよ」
「え、ほんとに?」
私は磁石に引かれるようにフクラスズメに駆け寄り、コクピットを覗いてみた。彼女達の旅行鞄を入れていたスペースに幾つか箱がある。そのうちの一つを開封すると、彼女が持っているのと同じタイプの銃が入っていた。ただしこちらの方が銃身が長い。カレハ助教が持っている銃がおそらく2インチ、こっちは6インチだ。銃身が長いことと、その下にギザギサしたピカティニーレールがあるせいで、とてもごつく見える。でも全体的にバランスがとれていて、センスのいい形をしていた。さすがイタリア製。ウォールナットのグリップの形と質感もよい。
「キアッパ・ファイアーアームズ社の銃だよ。マテバという有名な銃の発展型だ。バレルがかなり下についているからリコイルが少ないんだ」
「よく知ってますねえ」
「まあ、男性は概してこういうの好きだしね・・・・しかし、おかしいな、前に見たときは無かったぞ、こんな箱」
「創造主さんがいれておいてくれたんじゃないですかあ?」
「いや、彼が?まさか?・・・・ああそうか、君たちのために」
「こっちの二丁は私の分でしょうけど、その大きい奴はたぶん、御館様にだと思いますよ」
「いや、それはないよ」
あの無愛想で素っ気ない人物が、そんなことするわけない。
「いいやあ〜、あの人ああ見えてツンデレですからねえ」
「そんなわけは」
「まあまあ、とにかく、よかったですね、御館様」
「いや、ぼくの物じゃないから、これ」
「まあ、好きにしたらいいんじゃないですかあ」
カレハ助教がにま〜っとした顔でこちらを見る。
私は黙ってごつい拳銃を見た。
357マグナム弾仕様か。これならこっちにいる怪物に十分対応できる。まあ、前回は何度か死にかけたし、こっちの世界にいるときだけ、護身用に持っておくのはいいかもしれない。
そして、もしあの人物が私のためにこれを用意してくれたのだとしたら。
私も彼にとって重要な————。
でも、まさかね。
私は銃をしまって、カレハ助教の方を向いた。
「じゃあ、朝食を食べたら出発しよう」
「御意」
カレハ助教は華麗に銃をホルスターに収めて、敬礼した。
そういえば、彼女の動きに前みたいなぎこちなさがない。
コノハ助教の身体操作技術が上がったのか。
これでカレハ助教はめでたく「ポンコツオタク少女」から「動けるオタク少女」に変わった。
「ほほ〜い」カレハ助教がまた銃を取り出して遊んでいる。
頭の隅を「なんとかに刃物」という言葉がかすめたが、言ってもどうしようもないので黙っておくことにした。
そして、そんなカレハ助教を見て、ふと思う。
それは例の何の役にも立たない直感であった。
カレハ助教は何か特別なものを持っている気がする。
それは科学者としての私ではなく、自分の中にいるよくわからないもう一つの私が抱いた直感であった。
でも今は、それが何なのかさっぱりわからない。
ざっと計算してみた。
ノーチラス島の移動速度がおよそ時速2キロくらい。ということは、一日でだいたい48キロ移動する。ならば、時速480キロでノーチラス島の進行方向と逆方向に進んだら、およそ一時間で、ノーチラス島が10日間で移動する距離を進むことになる。ノーチラス島の光源がどれくらいの広さをカバーしているか分からないが、3時間も飛べば、島が一ヶ月前にいた場所まで行ける。さすがにそれほど遠くには光は届かないだろう。そこには「夜の世界」があるはずだ。
「ぶぁゔぁゔぁ〜」
機体の背部に跨がったカレハ助教の奇声がヘッドセットから聞こえる。
彼女は扇風機の前で大声を出す子供みたいに遊んでいた。
第二次大戦時の戦闘機くらいの速度で飛行しているので、凄い風圧がかかっている。生身の人間だと結構きつい状況のはずなのに、けろっとしているのはさすがだ。
ただ、彼女の灰色の髪と黒いアルザス衣装はもの凄い風に煽られていた。そんな状況なのに、呑気に遊んでいる姿がシュールでもある。
「ゔぁゔぁあ〜、っと。御館様、どれくらい飛びましたか?」
風が顔に当たらない姿勢になって、彼女が尋ねる。
「一時間くらいかな。でもまだ明るいな」
「そうですか、暗くなってきましたよ」
カレハ助教の視覚でそう見えるのなら、かなりいいところまで来ているのだろう。
「あと一時間くらい飛んでみよう、何か気がついたことがあったら言ってくれ」
「御意、です」
気がつけば、眼下に緑が広がっていた。機体のライトが低木の混じる草原を丸く照らし出している。
海を抜けたらしい。
私はフクラスズメを近くにあった丘の天辺に着陸させた。
そこは開けた草地になっていて、周囲がよく見える。
機体のライトを消し、キャノピーを開いて、私は上を仰いだ。
言葉が出てこない。
そこは夜の世界だった。
私の頭上に、驚くべき光景が広がっている。
岩の天井に、数え切れないほどの青い明かりが見えた。
まるで夜空、というか高精度の天体望遠鏡が描き出す銀河系のようだった。
「すごいですねえ」
カレハ助教もぽかんと口を開いている。
「あの明かり、なんですか?」
「発光生物だ」私は答える。
「あの岩の天井一面に、発光生物が生息しているんだ。まるで地球の洞窟の天井に住むヒカリキノコバエの幼虫みたいに。でもここは規模が違う。多分何かの幼虫が発光しているのだろうが、光量が桁違いだ。巨大な発光イモムシがたくさんいるのかな。きっと、この世界では暗い夜に適応した種がいるだろうと思っていた。地球の深海みたいに。でもこれは、予想以上だ」
光は天井だけではなかった。空中を浮遊する多くの動物が発光している。明るい場所と同じく空中を無数の生き物がふわふわ漂っていて、それらが深海魚のように光を放っていた。
空中に色とりどりの光体が浮かび、ホタルのように飛び交っている。
こんな景色は見たことなかった。
深海ではかなりの種が発光するという。ここでは一体一体のサイズが大きいせいで、一つ一つの光源がまるでクリスマスのイルミネーションみたいに派手だ。それらが水槽の中に群れる熱帯魚みたいに彷徨しているのである。そしてその頭上には無数の星屑のような光が瞬いているのだ。
そんな光景が見渡す限り続いている。
私は圧倒されていた。
「空が宝石箱みたいですねえ」
カレハ助教も見とれている。
「ああ、来てよかった」
私は、コノハ助教にも見せてやりたくなった。いや、カレハ助教が見ているなら彼女にも伝わっているか。
その時、ニヤニヤした顔のカレハ助教と目が合った。
「どうした?」
「ふふ〜ん、私の魔眼はごまかせませんよう」
「何のことだ?」
「あのひと、昨日かなり落ち込んでたから、特別サービスです!」
カレハ助教は機体の上で厨二病的なポーズを取る。
「我、ここに、『教科書でちょっと面白かった用語シリーズその1』にて汝を召喚す・・・・」
また何か変なこと言い出した。その2もあるのか?しかしその姿はこの世界の下、これ以上ないくらいに決まって見えた。
「出でよ!モホロビチッチ不連続面!!」
私の感慨を吹き飛ばすような素っ頓狂な奇声に、私は思いきり興を削がれた。
「いきなりどうした?」
「やめろ、ほんとに恥ずかしいから、やめてくれ」
機体の上でポーズをとっている少女の目が赤に変わっている。コノハ助教だ。
もはや、怒りを通り越して懇願するような言い方になっている。私は彼女が少し気の毒になった。
「あいつめ、余計なことを」
コノハ助教は苦々しい表情をしながらスカートをパタパタ叩いて居住まいを整え、夜の世界を見上げる。
「これは、予想以上だな、君」
「ああ、これほどとは思わなかった。光源が通り過ぎた後は、こんな発光生物の世界になっていたんだ」
「どうしてこんなに光っているんだい?」
「地球の深海と同じだと思う。エサをおびき寄せたり、敵から逃げたり、仲間とコミュニケーションを取ったり、いろいろさ」
「明るいときにいた種とは違うのかな」
「空中を漂っている種の構成は、かなり違う気がする。明るいうちは暗いところに移動していて、ノーチラス島が通り過ぎたら現れるのだろう」
「ほほう、なるほどね」
「見たところ物騒な奴はそれほどいないようだが」
私は周囲を見回した。
その時、遠くの方にひときわ巨大な影が見えた。暗いので輪郭は分からないが、そいつが持つ夥しい数の発光器でだいたいのサイズが覗える。
「あれを見ろ、大きいぞ」
「ほう、すごいね、何メートルくらいあるかな?」
「比較になる物がないから・・・・」
「天井の黒い皿がうっすら見える。あれと比べると、そうだなあ、100メートルくらいかな」
コノハ助教の推測に、私は愕然とした。
「100メートルの飛行生物だって?そんなのありえない」
「でもほら、実際にそこにいるよ」
「ぐぬぬ」
私は愕然とした。この世界の生物はもともと地球から持ち込まれたものだろう。しかし、遠くに見えるあれは、地球生物からの進化の道筋がうまく辿れなかった。
「脊椎動物か?いや、よくわからないな。巨大な節足動物か、あるいは巨大な軟体動物?」
「近くに行ってみるかい?」
「ああ、でも、その必要はないみたいだ、こっちに来る」
私達が見まもる中、そいつは超巨大なクジラのようにゆっくり移動してきて、私達の頭上を越えていった。そいつが頭上に来たとき、私は「未知との遭遇」という古い映画のラストに出てきた巨大な宇宙船を思い出した。
まさにあのシーンと同じだ。様々な色に輝く巨大な宇宙船が、頭上を横切っていく。
何という巨大さ。とても生物とは思えない。でも、呼吸するみたいに明かりが明滅している。やはりある種の動物なのだろう。
「脊椎動物には見えない、近いとすれば、頭足類か?」
「イカやタコの類かい?」
「ああ、あるいは地球産生物とは類縁関係がないかも」
「本物の宇宙生物ということか?それは興味深いねえ」
「宇宙生物というよりも・・・・」
私は少し前にフェンネル操縦士から聞いた話を思い出した。
ノーチラス島を作った存在は、世界をいくつも複製し、その恒星系で有り得た可能性を顕現させたという。ということは、ここには我々の地球以外で発生した様々な生物が混ざり込んでいるのかもしれない。頭上にいる奴も、別の地球で発生した系統なのかも。そしてこの世界の基盤をなす浮遊バクテリアも、別の世界で発生したものかもしれない。植物だって、地球産のものは通常11ヶ月もの暗闇には耐えられない。ここで繁茂している植物はきっと、暗闇耐性の遺伝子を何処かから入手したのだ。
つまりここは、未知の存在が顕わにした様々な可能性が集まった場所なのかもしれない。だとしたらとんでもない場所だ。私は生物学者として最大限の畏敬の念を抱いて頭上を過ぎる怪物を凝視した。じっくり見るが、結局よくわからない。
それはゆっくりと通り過ぎ、夜の世界に消えていった。
「じゃあそろそろ、私たちも帰ろうか」
しばらくして、コノハ助教が言う。
私は頷いた。なかなか有意義な遠足だった。館長にはコノハ助教が地底湖の小屋に書き置きを置いてくれているので大丈夫だと思うが、そろそろ戻らないと余計な心配をさせてしまう。
ここにはまた来ればいい。まるで放課後にちょっと冒険するみたいに異世界に来られるなんて、何と素晴らしいことか。
そう思った。そう、このときは、そう思ったのだ。