恋する美少女
唐突な櫻井さん視点となります!
夢を見ていた。それはつい先日の話、中国転勤することが決まって陰鬱そうな父と、母と、家族会議を行った日の夢だ。
食卓を囲み、夕飯を家族団らんで食べて、それから少し気の抜けた様相で家族会議は始まった。議題は、父の中国転勤について。
まあ、会議と言ってもあたしから先導して何かを言うことは滅多になかった。話はもっぱら、中国転勤したくなくて陰鬱そうな父の愚痴と、そんな父が羨ましく、憎まれ口を叩く母の会話に終始していた。
「まったく、中国の何が嫌なのよ、上海でしょ? 立派な観光地じゃない」
「遊びで行くわけじゃないんだ。俺、ご飯は君に任せきりだし、中国だと深夜残業続きになるだろうし……ああ、憂鬱だ」
お茶を啜りながら、頭を抱える父と面倒そうな母を交互に見た。
客観的に現状を眺めながら、二人の会話の行く末を見守っていた。しかし、話はずっと平行線。母も、父も態度を改める様子はなかった。
このまま平行線のままだと、険悪になりそうな雰囲気を肌で感じていた。
「お母さん、そんなに中国行きたいの?」
父と母の喧嘩なんて見たくなかった。
だからあたしは、一つの決断をするのだった。
「お母さん、お父さんと一緒に中国行ってみれば?」
その決断とは、母に、父に着いていくよう提案すること。そもそも母は旅行好きな性格をしているから、父の態度を見てヤキモキしていることは明白だった。
父も、母がいれば家事をしてくれるし、憂いはなくなる。
我ながら完璧な話だと思っていた。
しかし当然、母も父も、あたしを一人家に残して出国することに難色を示していた。
それでも最終的には、娘に対する信頼からか、二人は中国に一緒に行くことを決意した。これまで一生懸命、頑張ってきて良かった、と心から思った。
これで、二人は満足することが出来ただろう。それが嬉しい。
……ただその代わり、
『この家、当分あたししかいないの……』
あたしは宝田君一家に多大な迷惑をかけてしまった。
特に、宝田君にはたくさんの迷惑をかけてしまった。
ゴキブリ退治に始まり、夕食後の写真鑑賞会。この前は、クラス委員としての仕事さえ手伝ってもらってしまった。
そのことが、辛かった。
だからこそ、少しでも恩返しをしようと思った矢先だったのに……。
目を覚ました理由は、割れるくらいに痛い頭のせい。健康には人一倍気を遣っていたはずなのに、よりによってお出掛けの日に熱を出してしまった。
折角予定を空けてもらっていたのに、宝田君に申し訳なくて胸まで痛くなった気がした。
「あら、起きた?」
我が家に響く女の人の声。母ではない。
「あっ、おばさん……」
「体起こさなくていいわ。辛いでしょ?」
「……ごめんなさい」
「謝る必要なんてないわ。仕方ないことじゃない」
宝田君のお母さんの良心が身に沁みた。熱に浮かされたせいもあるのか、目頭が少し熱かった。
「ちょっとおでこ失礼するわね」
ひんやり冷たいおばさんの手が、額に触れた。
「まだ熱あるわね」
「……ごめんなさい」
「だから、謝る必要なんてない」
「……でも、あたしはしっかりしないといけないのに」
不思議な気持ちだった。
おばさんはあたしの家族ではないのに、優しさに触れたからか、気を抜けば何でも言ってしまうような……決壊したダムのように、とめどなく気持ちが溢れそうだった。
「いつも、ご迷惑をおかけしてばかりで……ごめんなさい」
必死に堪えて、なんとか再び謝罪することが出来た。目元は見せられなかった。
無言の時間が流れた。
……しばらくして、
「あいたっ」
あたしは、おばさんに額をデコピンされた。
「病人の癖に肩肘張らないの」
「……でも」
「あなた、まだ悟と同い年の子供でしょ? 悟を見なさいよ、多分、学校でも我関せずでしょ? あれくらいでいいのよ、子供なんだから」
あたしは返事が出来なかった。でも納得していないだろうことは、おばさんは多分、悟っていた。
「……あなたみたいな子、あたしが高校生くらいの時に同じクラスにいたわ」
おばさんは、呆れたようなため息を吐きながら、あたしのベッドに腰をおろし、あたしの頭を撫でながら話しだした。少しだけこそばゆかった。
「昔から、しっかりした子でね。クラス委員を任されれば部活にも入らず放課後最後まで残って何かしら作業をしてた。小さい頃から、君はしっかりしてるって周囲に言われてたから、自分がしっかりしなきゃと思うようになったんだって」
……自分の話を聞いているようだった。あたしもそうだった。両親に、幼稚園の先生に。小学校、中学校の先生。クラスメイトにも。
茜ちゃんはいつもしっかりしているから、お願い。
そう言われると、頑張ろう、しっかりしないと、と思ってしまうのだ。
「今回熱出したのも、それが関係あるんじゃないの?」
……そういえば最近は、新年度に移り変わったばかりのクラスで、日誌、書類整理、雑用、諸々を毎日こなしてきた。気づけば帰る時間も、日に日に遅くなりつつあった。そして、その後予習復習をするから、寝る時間だって……。
「……ごめんなさい」
「あなたが謝る道理がどこにあるのよ」
「でも、迷惑を」
「じゃあ、もう迷惑をかけないでねって言われたら、あなたそれが出来る?」
……つまり、クラスでの仕事をサボるようになれ、という意味か。
あたしは何も言えなかった。そんなの、出来っこない。
「あなた、本当にそっくりね、誰かさんと」
「……ごめんなさい」
また、謝ってしまった。
「……まあつまり、あたしが言いたいことは、あんまり完璧を求めすぎるなってことよ」
おばさんはあたしの頭を撫でながら言った。
「どっかの誰かさんは、今でもしっかり者過ぎて今でも会社の便利屋的存在に扱われて、それはもう簡単に転勤させられるんだから。あなたもこのままだと、将来都合の良い駒として使われちゃうわよ。だから、ちょっと不十分なくらいが丁度いい。それこそ、甘えられる人を見つけておく、とかね」
「……甘えられる人」
「そう。……例えば、最近一緒にご飯を食べてる人とか、ね」
あたしは、口を閉ざした。
「もっとあたし達を頼りなさいな、茜ちゃん」
「いいんでしょうか?」
声が震えていた。
「迷惑をかけても、いいんでしょうか?」
「当たり前じゃない」
迷惑をかけること。思えばこれまで迷惑をかけてもいいと思ったことがあるのは、家族くらい。いいや、最近では家族でさえなるべく迷惑をかけちゃいけないとさえ思っている。
本当に、いいのだろうか。
……おばさんは、いいと言ってくれている。いいんだ。
……でも。
「宝田君は、迷惑じゃないでしょうか?」
「あの子が? どうして?」
「……学校では、避けられてるから」
おばさんは、少し寂しそうな顔をした後、穏やかな顔に戻った。
「……ごめんね。あの子、臆病なの」
「……臆病?」
「うん。あたし達、親のせいでね」
おばさんは、一度大きく息を吸った。
「あたし達、転勤族だから。これまで各地を転々としてきたの。長くて二年。短ければ三ヶ月くらいで引っ越し。そんな生活をあの子にも強いてきた。そんな生活だったからあの子、友達を作れてもすぐに別れてって、そんな辛い日々を送ってきたの」
そうか。宝田君達、転勤族だったのか。
折角友達が出来ても、すぐに別れる。それも数度の話じゃなく、何回も何回も。それは辛いな、と思った。
「今でも覚えてる。あの子が小四の時だった。今度は神奈川に転勤して、一年くらい経った頃。次の転勤の話が決まって、あの子に話した時、あの子、もう嫌だって大泣きしてね。あれが最初で最後の、あの子の引っ越しへの抗議だった。それ以来ね、あの子が家で友達の話をしなくなったの。多分、あの時からあの子、友達づくりを諦めたの」
つまり、小四までは健気に新天地に赴くために友達づくりに励んでいたんだ。
またすぐ引っ越しするかもしれない中、親に文句も言わずに、ひたむきに。
「あの子があなたを避けているって言ったわね、それはそういう理由での行為なの。だから、ごめんなさい。あたし達のせい」
「……そんな」
おばさんの言葉を借りるなら、それによりおばさんが謝る道理だってない。
仕事ならば、仕方ない話じゃないか。そう思った。
「……でも、そんな宝田君に、迷惑をかけてもいいんでしょうか?」
「当然じゃない」
「でも宝田君、嫌がるかも……」
あたしの言葉におばさんは、
「じゃあ、本人に聞いてみたら?」
そう言って微笑んだ。
本人に聞いてみたらどうか。この場にいない彼に、そんなことを聞く勇気、あたしには……。
丁度あたしが逡巡した時だった。
バタンッ
大きな音を立てて、玄関の扉が開く音がしたのは。
「……誰?」
あたしは驚き、恐怖した。この部屋に入ってくる住人は、あたし以外に本来はいないから。
怯えるあたしの耳に、足早に廊下を歩く音が響く。リビング。そして……襖が開いた。
目が合った。
襖を開けた人物と。
宝田君と、目が合った。
「櫻井さんっ!」
初めてだった。
笑顔の宝田君を見るのも、嬉しそうに大きな声を上げる彼を見るのも。
「良かった。目、覚めたんだ」
「……うん」
彼の初めて見る姿に呆気にとられている中、あたしは気付いた。
「宝田君、びっしょりだ」
「え、ああ。通り雨が降ってきて」
そう言いながら、宝田君は切れた息を整えていた。
「このまま出掛けてたら雨に打たれてただろうし、行かなくて正解だったかもね」
ガサゴソ、と宝田君は持っていたビニール袋を漁った。
「櫻井さん、これ」
宝田君がビニール袋から取り出したのは、薬だった。
「生憎、ウチの解熱剤切らしててさ。走って近くのドラッグストアに行ってきた。あ、あと冷えピタも買ってきたよ」
アハハ、と宝田君は苦笑していた。
「茜ちゃん何も食べてないし、お粥でもこさえて薬飲んだ方がいいわね」
おばさんは、そう言ってあたしの寝室を後にした。
宝田君は、ガサゴソと冷えピタを開封しようとしていた。
手持ち無沙汰なあたしは、一人寝転びながら考えていた。直前、おばさんから言われた言葉だ。
宝田君に迷惑をかけて良いのか、と問うあたしに、おばさんは言ったのだ。
『じゃあ、本人に聞いてみたら?』
そして、宝田君は現れた。
今が、それを聞く絶好の機会ではないだろうか。
……しかし。
しかし、あたしはそれを聞く気はなかった。
雨の中、走ってドラッグストアまで行き薬を買ってきてくれた。
クラス委員の仕事を手伝ってくれた。
遅い時間まで、写真を見せてくれた。
……あの日、苦手なゴキブリをやっつけてくれた。
何度も何度も、あたしは既に宝田君に迷惑をかけていた。
なのに宝田君は……言葉数は少ないが、いつだって嫌な顔一つ見せることなく、手伝ってくれた。助けてくれた。
「……聞く必要なんて、ないじゃん」
「え、櫻井さん、何か言った?」
「何も」
寝返りを打ち宝田君に背中を見せた。頬が緩んだ顔を見せたくなかった。
嬉しかった。
感情がこみ上げていた。
こんな顔、恥ずかしくて宝田君に見せられるはずがなかった。
「櫻井さん、冷えピタ自分で貼れる?」
箱を開けた宝田君に質問された。
「……んーん、貼れない」
あたしは、早速宝田君に甘えることにした。
再び寝返りを打ち、仰向けになり、目を閉じた。
「えぇ……?」
準備のいいあたしに、宝田君が困ったような声をあげた。
「早く」
宝田君を急かすと、
「あ、うん」
戸惑いがちに、宝田君は冷えピタの剥離紙を剥がして、あたしの顔に近寄った。
……心臓が高鳴っていた。思えば同学年の男の子に、ここまで無防備な姿を晒したことは一度もなかった。
そして、あたしは気付いた。
思えば、同学年の男の子に甘えたこと、これまで一度だってあっただろうか?
思い出す限りではなかった。
それ程、同学年の男の子に対して、この人は頼れると思ったことがなかったのだ。
いいや、男の子だけではない。女の子にも。もっと言えば……両親くらいにしか、甘えようと思ったことはなかった。今日おばさんに言われるまで、ずっとそうだった。
……心変わりがあったとはいえ。
どうして早速、宝田君に甘えようと思ったのか。
それは、宝田君が頼れることを知っていたから。
宝田君になら、迷惑をかけてもいいと知れたから。
宝田君に甘えたいと思ったから。
……どうして、宝田君に甘えたいと思ったのだろう?
心臓が高鳴っていく。どんどん強く、高鳴っていく。宝田君の顔が近付く度に、強く強く……。
唇が震えた。
顔が熱かった。
そして、視線が外せなかった。
熱のせい?
いいや、違う。
「やっぱり自分で貼れるや!!」
気付けば羞恥に耐えかねて、あたしは宝田君から冷えピタをひったくっていた。
「そう?」
「うん。大丈夫大丈夫」
「……櫻井さん、顔真っ赤だよ? 本当に大丈夫」
「うひゃあっ!」
宝田君のひんやりとした手が額に触れた。変な声が漏れた。
「やっぱり、早く貼った方がいい」
「……うん」
宝田君の視線から目を逸らしつつ、冷えピタを額に貼った。
ひんやりとした感触があるものの、それどころではなかった。
「も、もうちょっと寝ようかな」
「……それがいい。母さんがお粥作り終わったら、また起こすよ」
「うん。……あの、ありがとう」
再び寝返りを打ち、宝田君へは背中を向けた。今の顔は到底、宝田君に見せることは出来ない。見せたくない。
寝る、と言ったが、荒ぶる心臓に眠れる気は微塵も湧いていなかった。
初めての感情だった。
ドキドキとワクワクとビクビクが入り交じる、不思議な……。
目を閉じれば、宝田君の顔が浮かんだ。
友達づくりに消極的ながら、必死にあたしを助けてくれた宝田君の顔が。
……しかし、これはよくない。
思い出せば思い出すほど、深みに、泥沼に嵌まっていく。でも、何故か心地よかった。
この気持ちの正体に、まもなくあたしは気が付いた。
ああ、これが……。
これが、恋なのか……。
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