完璧美少女
教壇で固まった数秒。その後は異変を察知されないように平静を努めて自己紹介を行った。いつもなら緊迫気味で話すことが多かった自己紹介だが、今回は直前に動揺してしまうほどの一大事が起きたので意識がそちらに向くことはなかった。
「それじゃあ宝田、窓際の一番後ろの席が空いてるからそこへ」
「はい」
遠藤先生に言われた座席まで、足早で向かった。今更ながら、新参者である僕に向けられた多数の視線に気が付いた。居た堪れない気持ちになりつつ、僕は俯きながらに歩いた。
座席に着くと、僕は斜め前の人が微笑んでこちらを見ていることに気が付いた。
『よろしくね』
声を出さず、口パクで櫻井さんは、多分こう言った。
僕と違い、彼女に動揺はないらしい。僕は返事もせず、そっぽを向いた。
そして、新参者である僕を除いて、他の人にとっては恐らくこれまでの日常通りの一日が始まった。
以前の学校と進度がまったく異なる授業を受けて、いつも通り少し戸惑って、そうして休み時間。
小学校までは、転校生である僕に休み時間にもなるとたくさんのクラスメイトが集った。知らない人と話すことへの困惑さと、新天地での生活に慣れるため、必死に僕は彼らと面白みもない話をしたものだ。
ただ、高校にもなると……恐らく、僕の第一印象が良くなかったことも影響しているが、休み時間、わざわざ貴重な時間を僕に割く人はほぼいなかった。
寂しさはなかった。
むしろ、不慣れな環境に飛び出すくらいなら、これでいい。このままでいい。
他人と関わって、傷つくのが怖いから。
……ただ、時々思う。
このままで、本当に良いのだろうか?
「茜、今日カラオケ行こうよ」
「茜、この問題の解き方教えて」
そんな複雑な僕の耳に届く、一人の名前。
櫻井さんの座席の方を見て、僕はうわっと声を上げた。
俯いていたから気付かなかったが、櫻井さんの席の周りにはたくさんの人。人。人。
まるで烏合の衆と化した人達が櫻井さんの周りを取り囲み、彼女の姿は僕の席から拝むことが出来ないまでになっていた。
どうやら、櫻井さんはクラスメイトから相当頼りにされた女子らしい。
聞こえてくる話に耳を傾けると、勉強、色恋沙汰の相談、雑談など、内容が多岐に渡っているから間違いない。
……思えば、先程の数学の授業だって、他のクラスメイトが数人解けなかった問題を櫻井さんは解いて見せていた。
加えて、この頼られまくりの状況。
勉学、コミュニティ。
どうやら櫻井さんは、このクラスでもそれらの能力が秀でた完璧美少女らしい。
「……あ」
そんな櫻井さんの人気に呆気にとられていると、群衆の中から聞き馴染みの声がした。
「宝田君っ!」
群衆の中から、櫻井さんは思い出したように僕に話しかけてきた。
突然話を振られて、僕は固まる。
「……何?」
かろうじて、僕は言った。
「……あの、校内見学しなくて大丈夫?」
突然の誘いだった。
校内見学。確かに、これからこの学校で生活するにあたって、各教室の場所がわからないのは面倒臭い。
完璧美少女の櫻井さんらしい、こちらの身を案じた提案だった。
「大丈夫だよ、その内わかるようになるから」
ただ、僕はその誘いを断る。微笑んで、丁重に。だって、これだけのクラスの人気者と校内見学に行くだなんて、余計な恨みを買いそうだから。
もしかしたら、そんなことはないのかもしれない。
でも、そうなる可能性があるだけで、僕はそれを敬遠したかった。
「……いいの?」
「うん」
それきり、櫻井さんは群衆との会話に身を戻していった。
「なんだよあいつ、感じ悪い」
呟くくらい小さな声が、かの群衆から漏れた。
その言葉に、どうやら自分が選択肢を間違えたことを理解した。
いいやもしかしたら、初めからこの選択肢に正解はなかったのかもしれない。
どちらにせよ結果的にこの場に居た堪れなくなった僕は、残りの休み時間はスマホを持ち出してそれを扱って暇を潰すことにしたのだった。ただ、いくらスマホによって暇は潰せても、荒れた内心まではどうにもならなかった。
いきなりの対人コミュニケーションの失敗。別に、この地で友達が欲しいと思ったわけではない。だけど、クラスメイトに嫌われたいと思っていたわけではないのだ。
悶々とする気持ちで、残りの授業を受けて放課後。
「おうい、宝田」
ショートホームルームにて、僕は遠藤先生に呼び止められた。
「お前、校内見学がまだだったろう。案内してやる」
追い打ちをかけるように、先生にそう提案された。一度は断ったが、押しが強い先生に気圧され、僕は残っていたクラスメイトから白い目をされながら校内の案内をされた。
遠藤先生の後に続いて、校内を回った。音楽室、保健室、職員室。どこに行っても、結局教室が頭に入ってくることはなかった。
これまで何度も転校をしてきたが、今回の出だしはその中でも最悪だと言えた。だから、悪感情が脳内を渦巻いて、それどころではなかった。
三十分程、校内を回り、一通り案内が終わったから、と先生に解放された。
ようやく帰れる。初日から疲労困憊の状態で、僕は鞄を置いてきていた教室へと一度戻ることにした。
廊下を歩いている時に聞こえてきたのは……。
吹奏楽部の練習演奏。
校庭でのサッカー部の掛け声。
その他部活の楽しそうでもあり、大変そうでもある声。
転校初日の高校ながら、それらは今までの学校でも聞いたことがある音。だけど、微かにこれまでの学校のどれとも違う音。
この音に馴染めない内は、僕は結局よそ者なのだ。
……今回は、この音に馴染むことは、出来るのだろうか。
教室から伸びる夕日が眩しくて、僕は廊下で俯いて歩いていた。
ようやく、教室に戻ってこれた。
そこで僕は、再び出会う。
「あれ、宝田君?」
教室の隅っこで、櫻井さんが僕に気付く。見れば、彼女は椅子の上に立ち、印刷用紙の貼替をしているようだった。
「ごめんね、こんな格好で」
申し訳なさそうに、櫻井さんが言った。
「……いや、別に」
「あたし、クラス委員長でさ。さっきまでクラス日誌を書いていたんだけど、今は今日配られたプリントを貼ってるんだ。大事なことだから。ほら、皆が忘れたら困るでしょ?」
そう言って、櫻井さんはせっせと手を動かした。
勉学、コミュニティ、コミュニケーション能力。そして、行動力。献身力。
完璧と言わざるを得なかった。
そこまで、クラスメイトのためを想って動ける彼女を、素直に凄いと僕は思った。
「もうちょっとで終わるから、ちょっと待ってて」
櫻井さんが言った。その言葉の意味を図り損ねたが、まもなく一緒に帰るつもりかも、と僕は気付いた。生憎僕達の家は隣同士で、彼女は僕の家でご飯を食べているのだ。
「ごめん。今日ちょっと寄りたい場所があって」
気付けば、意図せず口から嘘が漏れた。しかし、櫻井さんと一緒に帰りたくない、というのは本音だった。
いつ終わるかもわからない交友関係のために傷つくのは、もう御免だった。
「……あはは。ごめん」
櫻井さんの謝罪は、これまでずっと朗らかだった彼女にしては、少し悲しげな声だった。
ゆっくりと櫻井さんを見ると、彼女は寂しそうに、困ったように苦笑し、頭を掻いていた。
良心が、痛かった。
「……もしかしてだけどさ」
櫻井さんは、寂しそうな声色で続けた。
「……迷惑だったかな?」
言い当てられ、全身の血液が沸騰した。喉が急激に、乾いていった。
「……あ、その……」
「いいの。あたし、よくお節介すぎるって言われるから。本当にごめんね?」
謝罪する櫻井さんに、僕は再び俯いた。裁判所で刑罰を問われているのかと疑うくらい、心臓が痛かった。
……彼女が。
彼女が謝る道理が、どこにある。
転校初日でクラスから浮く僕のために、積極的に声をかけてくれた。
母に僕のことを頼まれたから、学校生活面において僕の身を案じてくれた。
献身的な性格だから、僕なんかのことを気に留めてくれた。
なのに、何故……何故、彼女が謝らなければならないのか。
わかっているのだ。
そうさせたのは、僕だって。
僕が意気地がないから、彼女を悲しませ、寂しがらせ、そして謝罪に追い込んだのだ。
「ごめん」
カラカラの喉で、掠れた声で、僕は謝罪した。
作業に戻っていた櫻井さんは、慌ててこちらに振り返って、
「えぇっ!? た、宝田君。謝る必要なんてないよ?」
困ったように、僕に言った。
「いいや、ごめん」
しかしそう言われても、僕は割り切れなかった。だからもう一度、謝罪をした。
「ごめん。折角、僕なんかを気に留めてくれたのに。断ってばかりで……傷つけて」
……もう傷つきたくない。
そう思ってクラスメイトと距離を置く学校生活を歩むようになった。
だけど、自分が傷つきたくないあまり、他人を傷つけていいのだろうか?
そんなこと、いいはずがない。そんなこと、駄目に決まっている。
「……ごめん」
だから、僕はもう一度謝罪をした。
「宝田君、顔を上げてよ」
櫻井さんにそう言われ、僕は顔を上げた。櫻井さんは、微笑んでいた。思わず見惚れるくらい、優しい笑顔で、微笑んでいたのだ。
「……確かに、さ。少し……ほんの少しだけ、宝田君に今日一日断られ続けて、グサーッと来たところはあったよ?」
「……うん」
「でも……あたし別に、失敗だったとは思ってないもの」
櫻井さんは、続けた。
「だって、宝田君がどう思っているかは、話してみないと……誘ってみないとわからないことじゃない。あたし、嫌だったの。折角あの時助けてくれたのに。なのに、そんな君と曖昧な関係で終わることが。だから……勇気を振り絞って、良かった」
力強く応える櫻井さんに、僕は再び俯いた。
あの時助けてくれたのに。たかだかゴキブリをやっつけてあげたくらいで、それだけでそこまで言ってくれるだなんて。
……それに、櫻井さんはどうやら、本当に失敗だと思ってないらしい。
清々しいまでに晴れやかに微笑む彼女の顔を見ていたら、それは一目瞭然だった。
……いつだって怯えて、俯いて……そんな僕には到底真似できない笑顔。
「ごめん……っ」
僕は、教室を飛び出した。
「宝田君っ!?」
僕を制止する櫻井さんの言葉も聞かず、走った。
脳裏にこびりついて離れなかった。
櫻井さんの笑顔が。
『勇気を振り絞って、良かった』
櫻井さんの言葉が。
対極であることはわかっていた。彼女が、僕とは真逆の……日陰者の僕と、彼女が真逆の性格であることはわかっていたのだ。
でも……ゴキブリが苦手で、家族が転勤し一人暮らしとなれば寂しがって、他人から無下にされれば傷ついて。
彼女だって、僕と一緒じゃないか!
臆病で弱虫な僕と……彼女だって、一緒じゃないか。
『勇気を振り絞って、良かった』
……僕達の違いは。
勇気があるのか。ないのか。
多分、たったそれだけ。……それだけなんだ。
叫びたい衝動に駆られた。自らの不甲斐なさを、慟哭として発散したかった。
でも、慌てて乗り込んだ電車でそんな真似は出来なかった。
悶々とする胸中。
時間と共に失われる積極性。
家の最寄り駅に着く頃には、さっきまでの威勢は消え果てていた。ただ、また櫻井さんをないがしろにしてしまったことへの後悔だけが残った。
家に着いて、自室に行った。夕飯はまだ先らしい。制服を脱いで、落ち着きたくて、僕はパソコンを起動した。
しばらく、かつて自分が撮影した写真を眺めた。海。川。山。空。
心が癒えていくのがわかった。
そしてまもなく、慣れない環境にいたせいで溜まった疲労により、僕は眠りについた。
香ばしい香り。
少し痛む体。
遠くから聞こえた襖の開く音。
自分が机に突っ伏して寝ていることに気付いて、僕は体を起こした。
ふわあぁとあくびをして、気付いた。
「うわぁぁ!!」
寝落ちしていた間に、背後に櫻井さんがいた。多分、母に言われて僕を起こしに来たのだ。
「……あの、その」
先程の一件もあり、僕はしどろもどろになっていた。
しかし、まもなく気付いた。
櫻井さんの興味が、僕に唆られていないことに。
櫻井さんの視線は、パソコンの画面に釘付けになっていた。
僕はぎょっとした。
画面に写されていたのは、以前僕が撮った写真。
写真は、小さい頃にかつての友達に馬鹿にされてから……他人に見せる機会はなかった。
「……これ」
弁明の言葉を吐く前に、櫻井さんが口を開いた。
「これ、宝田君が撮ったの?」
心臓が鷲掴みにされた気分だった。
……もし肯定したとして、櫻井さんはなんと言うのだろうか。
根暗趣味と馬鹿にするのか。
下手くそとなじるのか。
直接的な暴言は吐かずとも、結局……また傷つくだけなんじゃないのか?
……違うと、言った方がいい。
脳裏で警笛が鳴らされた。
違う。僕が撮ったわけではない。ネットで拾って、今保存しただけ。
そう言おうと思った。
『勇気を振り絞って、良かった』
しかし、脳裏に蘇る光景があった。
「……うん」
気持ちに反して。
「うん。うん。……そうだよ、僕が撮った」
僕は、答えた。
櫻井さんは、反応を示さなかった。
うん、とも、すん、とも。
写真をまるで見定めるかのように眺めていた。
やっぱり失敗だったのかもしれない。言わなければ良かったのかもしれない。
勇気を振り絞っても、結局……。
「キレイ」
諦めかけたその時、櫻井さんが言葉を発した。
「キレイ。……きれい。綺麗。すごく、すっごくっ!」
「うわっ」
興奮気味に、櫻井さんに手を握られて、僕の思考はフリーズした。
「宝田君、写真撮るのが趣味なの!?」
櫻井さんに手をぶんぶん振られて、彼女の変貌ぶりに呆気にとられていた。
「……うん」
かろうじて、返事をした。
「そうなの? えー、すごいすごーい! すごいよ、宝田君っ!!!」
わぁ、と言いながら、櫻井さんはパソコンの画面に魅入っていた。
……少しだけ、ほんの少しだけだが、心がむず痒かった。
「ねぇねぇ、宝田君っ!」
パソコンに魅入っていた櫻井さんが、僕の方を振り向いた。
楽しそうに。
嬉しそうに。
彼女は、微笑んでいた。
「もっと色々、写真見せてっ!!!」
短編とは当然ながらちと展開を変えるとおもいます。
まだほとんど一緒だが!!!
ブクマ、評価、感想よろしくお願いします!!!