クラスメイトの美少女
小学生の頃の引っ越し作業は、まだまだ自分の荷物が少ないこともあって、すぐに自分の部屋の整理は片付いた。それからは、父と母に状況を聞いて、二人のお手伝いに回ることが多かった。特段、大変そうな家族の手伝いを買って出たかったわけではないが、そうすることでお駄賃をもらえるから半分嫌々行っていた。
ある日の引っ越しの事だった。
今でも忘れない小学三年生の時の引っ越し。その時の引っ越し作業は、相も変わらず両親よりもさっさと終わらせることが出来て、そしていつもにまして母がヒステリックで、父が物憂げ気味だった。
母に絡むと一つのミスで怒られそうで、父の作業の手伝いに回り、そうして集中力が切れた頃、僕は見つけた。
「うわぁ」
一部シボ加工の施された一眼レフを手に取ると、ズシリと重みが伝わった。それが子供ながらに、これが高級品であることの象徴であるような気がして、父への尊敬とそれを持てることへの興奮を感じていた。
「なんだ悟、カメラに興味があるのか」
「……どうやって写真撮るの?」
物憂げな父は作業の手を止めて、僕に手取り足取りカメラの撮影方法を教えてくれた。
そして、多忙なあまりに使う暇のなくなったお古のカメラを僕にくれたのだった。
それからだった。
僕がカメラを手に持ち、外へ繰り出すようになったのは。
僕はカメラが好きだった。重厚あるそれを持つと、自分が大人になった気分が味わえるから。
僕は写真撮影が好きだった。脳裏に残る記憶はいくら美しかろうが一瞬だが、写真に残せば一生残るから。
……しかし、
「悟、カメラなんて持ってだっせぇ」
当時住んでいた地区の子供に、僕の趣味は共感されなかった。彼らは徒党を組んで、僕を、僕の持つカメラを、そして趣味を馬鹿にして、嘲笑した。
自分の趣味を馬鹿にされた。
その事に対して、不思議と憤りだとか、怒りは沸かなかった。
各地を転々としてきた僕だからこそ、子供ながらに人は如何ようによって考え方、思考、思想が異なることを理解していたから。
だから、どうしてわかってくれないんだ、とは思わなかった。
……ただ。
それ以来、僕は他人に自分の趣味をひけらかすことはなくなった。趣味をひけらかして、また罵倒されるのが嫌だったから。
傷つくのが嫌だったから。
「……それって、友達を作るのを諦めたのと一緒の理由だ」
悪夢からの目覚めは、自分の行動原理が臆病心であることを教えてくれる最悪なものだった。
「悟。早く起きてご飯食べなー。あんた今日から学校でしょ」
リビングから母の声が聞こえた。
眠い目を擦って、ベッドから起き上がった。
自室の襖を開けて、
「……あ」
口を開けてパンを齧ろうとする櫻井さんと、目が合った。
今日は櫻井さんが我が家にご飯を食べに来るようになった、三日目の朝。そして、僕が転校先に足を運ぶ最初の日だった。
「おはよう、宝田君」
「おはよぅ」
尻すぼみな声で、櫻井さんから目を逸らして僕は言った。
今日までの数日、櫻井さんが早起きだったせいで、朝食は櫻井さんと一緒になることはなかった。
だからか、なんだか酷く気まずい。
そんな僕を他所に、櫻井さんはお淑やかにクスクスと笑っていた。
「宝田君、寝癖酷いよ?」
「え、あ……」
「もう、早く直して来な」
母からも一喝をもらい、僕は洗面台へと向かった。
水を出し、バシャバシャと顔を洗いながら、
「最悪の朝だ」
僕は呟いた。まだ櫻井さんが部屋にご飯を食べに来る状況に慣れていないことを加味しても、それは明白だった。
本当に、最悪な朝だ。
リビングへ戻り、僕は朝食を齧りだした。
「そう言えば、宝田君はどこの学校に転校するの?」
戻って早々、櫻井さんに尋ねられた。
「……英有高校」
「えっ」
素っ頓狂な声が、櫻井さんから漏れた。
どうしたのか、と僕は顔を上げた。
「あたしが通う学校」
「えっ」
今度は、僕が素っ頓狂な声を上げる番だった。
制止する僕達。
「何々、あなた達同じ学校だったの?」
そんな僕達を稼働させたのは、母だった。櫻井さんが来て以降、僕達が固まると母はいつも助け舟を出してくれていた。
しかし、今回ばかりは本当に驚いて言葉を発したらしかった。
「あらそう。じゃあ茜ちゃん、ウチの子、頼むわね」
「あ……えぇと、力不足かもしれないですが」
「そんなことない。茜ちゃん、しっかり者だもの」
「そんな。全然です」
二人の会話を聞きながら、僕はいつまでも固まっていてもしょうがないとパンを再び齧った。
気付けば、櫻井さんは既に朝食を食べ終えていた。
「……宝田君、じゃあ、一緒に学校行く?」
櫻井さんは、戸惑いがちに僕に提案した。
僕は、
「大丈夫だよ。場所はわかるし。待たせるのも悪いし、先に行きなよ」
こういう時ばかり、饒舌に櫻井さんに言った。
正直、気だるげな朝は一人で気ままに登校したかった。
「……そう?」
「うん」
「……じゃあ、そうしよっかな」
ご馳走様でした、と食器を母に渡して、櫻井さんは食卓の隣に置いてあった鞄を持った。
「じゃあ、行ってきます」
「はあい、いってらっしゃい」
「……また後でね。宝田君」
「……うん」
櫻井さんがリビングを出ると、玄関の扉が閉まった音を聞き終えて、
「感じ悪ーい」
母に、そう怒られた。
「……そう?」
自覚はあったが、白は切った。
「じゃあ、行ってくる」
数分後、食べかけのパンと食器を手渡して、僕も家を出た。
そうして、転校初日の気だるげな登校が始まった。スマホ片手にマップを開きながら、駅に行き、電車に乗った。幸い、櫻井さんはホームにいない。一本先の電車で先に向かったのだろう。
学校の最寄り駅で電車を降りると、再びスマホを片手に通学路を歩いた。最初は道が合っているかドキドキしたが、まもなく複数の同じ制服を見かけて、安堵のため息を漏らした。
学校に辿り着くと、職員室に向かって、担任の先生と顔を合わせて、早速教室まで案内してもらうことになった。
「教室に着いたら、挨拶してもらうから。ちゃんと何を話すか考えておけよ?」
担任の遠藤先生は、朗らかに言った。
苦笑しながら、面倒だなと内心でため息を吐いていた。
廊下を歩き、二年ながら自分が新参者であるのが酷く不快だなと感じていた。この学校での生活には馴染むことは出来るのだろうか。それとも、馴染む前にまた引っ越しとなるのか。
どちらにせよ、憂い事には変わらないと気が付いた。
「ここが教室。二年四組な」
「はい」
丁度、校舎にチャイムが響いた。
喧騒とした声が響く中、先生は教室の扉を勢いよく開けた。
「おはよう」
快活な先生の声。
そして、僕は先生の後に続く。
先生の後に続き教壇へ上り、一斉にこれからクラスメイトとなる連中の視線を浴びて、教卓の隣に立って黒板に名前を書く先生を待った。
その間、僕はぼんやりとクラスメイトの顔でも眺めておくかと視線を泳がせた。
……そして。
「あ」
一席から、呆気に取られた声が漏れた。
僕も……正直、呆気に取られた様子を顔に出さないようにするのに、必死だった。
後ろから二番目の、窓際から二列目。
そこにいた少女は……他でもない櫻井さんだったのだ。