鼻をかむ美少女
あわあわする悟の先には、目尻を拭う茜。しばらく部長のことも放っておいて、茜への弁明をすること数十分。一時は大泣きされる事態にまで発展したものの、何とか最終的に茜を納得させることが出来た悟は、既に部活動のことなんてどうでも良い気分になっていた。
「お疲れ様」
椅子に腰深く座る悟に、部長が労いの言葉をくれた。部長から見ても、口には出さないが、さすがに今回の一件は茜の奇行が過ぎたように見えたらしかった。
部長に苦笑しつつ、悟は鼻をかみに行くと言った茜に付き合って、しばらくして二人で再び部室に戻った。
「お待たせ」
茜が気を取り直して部長に言った。
「ううん。おかえり」
「お恥ずかしい姿を……」
「アハハ。茜ちゃんのあんな姿、初めて見たよ」
うぅぅ、と茜が唸った。どうやら本人からしても、取り乱しすぎたと思っているようだった。ただ悟は、一体全体どうしてここまで茜が取り乱したのか、心当たりはなかった。
「そう言えば、自己紹介、途中だったよね」
気を取り直すという意味で、部長は未だ自分が悟に名前を言っていなかったことを指摘した。
「そう言えば」
部長の言う通り、悟は未だ彼女の名前を知らないことを思い出して、それに同調した。
「あたしの名前は、柏木真紀。よろしくね」
部長は自己紹介をしながら、悟に握手を求めた。
「あ、はい。よろしくお願いします。柏木先輩」
悟は、そう言えばこんな畏まった挨拶は長らくしていなかったことを思い出し、かつ女子との挨拶だなんてと緊張をしてしまった。声が震えないようにすることで精いっぱいだった。
手が汗ばんでいないか。
そんなことを考えながら、気を付けて握手に応じようと手を伸ばした。
「アハハ。宝田君、違うよ?」
思わず、悟は握手の手を止めて首を傾げた。一体、何が違うと言うのだろうか。
「あたし、二年生。同級生だよ、あたし達」
「……え?」
「真紀ちゃんは、二年六組にいるよ」
ズビビッと鼻をかみながら、茜は言った。
悟は虚を突かれ、言葉を失っていた。同級生だっただなんて、気付けなかった。
「だって櫻井さん、敬語を使って話してる」
同級生と気付けなかったのは、茜の話し方に起因していた。クラスでも、茜は同学年の人間と話す時はいつもため口。確かに、他クラスメイトに比べたら綺麗な言葉は使うものの、完全な敬語で同学年と話している姿を、悟は一度も見たことがなかった。
「あぁ、それは、真紀ちゃんもあたしに敬語を使うから。真紀ちゃん、お淑やかで綺麗で、そんな子が敬語を使っている姿を見たらなんだか見習いたくなっちゃって」
「茜ちゃんの方が綺麗じゃないですか、止めてよぅ」
謙遜する両者に対して、悟は上級生と話していると思っていた緊張が肩透かしだったと知り、がっくりと項垂れた。
「あれ、宝田君、疲れちゃった?」
部長が言った。
「……なんかごめん」
申し訳なさそうな、茜。
「いや、別にそういうわけじゃ……」
と言いつつ、茜が悟を疲弊させた要因を生んだ事実は間違いなかった。
「……まあ、お疲れのところ悪いですが、宝田君。これから、よろしくお願いします」
疲弊する悟へ向けて、部長は頭を下げた。
そう言えば、文芸部に入るという話、まだ誤解されたままだったことを悟は思い出した。
「……あの、ですね」
時間を経て、悟は言い辛い空気を肌で感じていたものの、ここで言わないとタイミングを逃すことを悟って、口にすることにした。
「実は今日は、体験入部ということでお邪魔させてもらっていて……その、入部するかは少しお時間をもらいたくて……」
そう敬語で話して、確かに丁寧な部長相手だと、思わず敬語で喋りたくなる、という茜の話がわかるな、と悟は頭の片隅で思った。しかし、すぐにそんな思考は彼方に放った。
「えっ」
それは、驚いた部長の顔と。
「えぇ?」
この世の終わりのような顔をしている茜を見たからだった。
「……そっか。まだ、決めかねているんですね」
少し寂しそうに、部長は言った。
「はい。折角部活動に入るんだから、ちゃんと吟味した上で決めたいかなって」
以前までの、友達なんて要らないと思っていた時期であれば、そうは思わなかった。でも友達を作りたいと思った以上、悟はそこを妥協などしたくなかった。
「あの、文芸部が悪いと言っているわけではないんです」
そう付け加えたのは、今の言い方があまりに文芸部に対して、不誠実に聞こえた気がしたからだった。
「……でも、もっと視野を広げるのも大事かなって」
「そうですね。わかります。しょうがないですよ」
あくまで悟の意思を尊重したのは、部長だった。
対して、茜は……。
「……櫻井さん、ごめん。変に期待をさせるようなことして」
「あぅぁう……」
なんとも形容しがたい、微妙な顔をしていた。
悟の言い分を、茜は十分理解していた。友達を作りたい。作るべきだと推し進めた当人として、茜も悟がより友達をたくさん作れる状況に身を置くのは非常に賛成だった。
ただ、同じ部活に所属して欲しい、という気持ちと天秤にかけた時、秤は揺れに揺れていた。載せていた重りが吹き飛ばされそうなくらい、曖昧でどっちに転ぶかわからない感情が茜の中で渦巻いていたのだ。
「……宝田君、時間をかけて考えて、良い選択をしてください」
この場ですぐに決まらなさそうな状況を察して、部長はそう言ってこの場を締めるのだった。
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