ゴリ押しする美少女
悟は夢を見ていた。小学四年の頃、もう何度目かも忘れた父の転勤話により引っ越しをしたばかりの時の話だった。
夕暮れ沈む公園。悟が覚えている限りの最後の友達との出会いは、今でも忘れることが出来ない出会いだった。
悟が新たに引っ越した地は、年功序列の色が強い地となっていた。公園で遊ぶとして、もしそこに上級生がいるのなら、下級生は佳境を迎えたサッカーを切り上げて、家に帰ってゲームをしなければならないそんな地域。
転校したばかりの悟は当然、そんなことを知らずに公園で一人、ブランコをして遊んでいた。
「おい、お前。何ブランコなんか使ってるんだ」
そんな時、悟は上級生数人に苦言を呈され、暴行を働かれたのだ。二度と舐めた真似が出来ないようにしてやる、と、我流の大義名分を掲げて、上級生は悟に手をあげた。
「おいっ、何やってんだ!」
そんな時、柄の悪い上級生から悟を守ってくれたのが、同級生のカオルだったのだ。
カオルは、男勝りな勝気な性格をしていた。そして、たくさんの友達がいる悟から見れば羨ましさを感じる人だった。
「最近、あいつら我が物顔でここは俺達の公園だって息巻いてて、ウザかったんだ」
喧嘩終わり、カオルは悟に上級生の愚痴を述べた。
「お前、この辺じゃ見ない顔だな。名前は?」
「……宝田悟」
「悟、か。カッコいい名前じゃん」
微笑むカオルを見て、悟は子供ながらにカッコいいと思うようになっていた。
「悟。じゃあ僕達、今日から友達だ」
そうして、悟は新天地でカオルという友達を手に入れた。それからは、カオルとは別の学区であったにも関わらず、放課後になると公園にやってきてはカオルの引き連れた友達と一緒に遊ぶ毎日を送っていた。
カオルと一緒に、悟は色々な遊びをした。
子供ながらの鬼ごっこ。かくれんぼ。たまにはカオルの家に行き、トランプ、ゲーム。カオルの家で、カオルの親に振舞われたケーキは、今まで食べたどんなケーキよりも美味しかった。
カオルという人物は、不思議な人だった。
勝気で男勝りで、曲がったことが大嫌い。度々悟も、カオルの琴線に触れる行いをして怒られるようなこともあるくらいだった。
悟は、怒られることが苦手だった。相手を怒らす程まずいことをしたのか、と自罰の念に駆られるからである。
ただ不思議と、カオルが怒っても、悟はあまり嫌な気持ちにはならなかった。むしろ、しっかりしないとと思うようなった。
多分それは、カオルが自分のためを思って怒ってくれているのがわかっていたから。注意のようなお叱りを受けた後、カオルは自分で悟を慰める。それは悟からしたら、カオルが本当は自分にお叱りなんてしたくないと言っているようで、もっとしっかりしないとと思うきっかけへと繋がるのだった。
……俯瞰から夢を見て、悟は思っていた。
今の自分の姿を見たら、カオルは一体、どんな態度を示すだろうか。
無関心?
それとも、いつかのように怒る?
……それとも、もう悟のことなんて、覚えていない?
夢の場面が変わると、けたたましい泣き声が聞こえていた。
かつて住んでいた部屋で、目を腫らして泣いていたのは、悟だった。カオルとの別れが決まり、この世の終わりのような絶望感と、父への怒りと、諦めるしかないとわかっている苦しさと。
全てが入り混じった、そんな涙だった。
その時だった。
これほど辛い別れを味わうくらいなら、もう二度と友達なんていらない、と悟が思うようなったのは。
目が覚めると、まだ四月の中旬だと言うのに茹だるような暑さに悟は顔を歪めた。寝間着を洗濯してもらおうと脱ぎ捨てて、制服に着替えた。
「おはよう」
悟がリビングに行くと、母と、茜がいた。
「おはよう。今日は暑いね」
茜が言った。
「うん」
「今日、四月なのにもう最高気温二十八度だって。衣替えの前なのに、夏服で学校行きたいよ」
「……うん」
今更、思い出したくもない夢を見たからか、悟の元気はいつにもましてなかった。返事をするのが精いっぱいだった。
「それで宝田君、何の部活に入るかは決めた?」
今一番聞かれたくない話題に、悟は顔を歪めた。
「……決めてないよ」
「そっかー。迷っちゃうよね、難しい選択だもんね」
「そうだね」
「何々、悟。あんたなんかの部活に入部するの?」
悟の母も、久々に聞いた息子の仄明るい話題に食いついた。
「ウチの学校、部活参加強制なんです。だから昨日、宝田君に先生からお話があったようで」
「へえ、良いじゃない。青春ね」
盛り上がる二人には悪いが自分は一切興味ない、と悟は思っていた。部活動に参加することとなれば、それはつまり同世代の人との関わりを意味する。そしてそれは、交友関係のきっかけになってしまう。深く付き合って友達となるのも、浅く付き合って気まずい間柄になるのも、初めから相手にせず遺恨を残すのも、悟は嫌だった。
「茜ちゃんは、何部に入ってるの?」
「文芸部です。最近は忙しくてなかなか行けなかったんですが、今日は行けそうです」
「あらそう。……それで悟は、何部に入るの?」
「行ってきます」
朝食も食べず、悟は家を飛び出した。これ以上二人と話すと、話が余計こじれると思ったのだ。
いつもは気だるい朝、直前に嫌なことがあったからか歩調は速く、悟は駅を目指した。
「待って、宝田君」
そんな悟を呼び止める荒れた息をした声。
「……櫻井さん」
茜だった。
ようやく追いついたと言いたげに、茜は膝に手を付き息を整えていた。
「……病み上がりなのに、今度は熱中症になるよ?」
「うん。気を付けるよ」
アハハ、と茜は笑っていた。
「どうしたの、そんなに急いで」
「宝田君と一緒に登校しようと思って」
嫌な夢を見たためか。
部活動などという面倒な悩み事を抱えているせいか。
はたまた、ただただ気に入らなかっただけか。
悟は、露骨に顔を歪めていた。
「先、一人で行きなよ」
昨日は遠回しな言い方をしたが、腹の居所が悪かったためか、悟は自分でも驚くくらいあっさりと茜にそう言い放てた。
「僕達は所詮、ただの隣人ってだけじゃないか」
ただ、悟は不思議な感覚を味わっていた。
「どうして一緒に、君と学校に行かないといけないんだ」
ただ腹の居所が悪いだけなのに。
「先に行きなよ」
ブレーキの効かない車のように、自制していた言葉が口から漏れた。
「一人で、僕なんか放って、先に行きなよ」
はっきりと、自分の気持ちを全て、悟は口から漏らした。
……そんな悟の本心を全て聞き、
「嫌だ」
茜は、微笑んでそれを拒んだ。
悟は、目を丸めていた。困惑していた。
「……えぇ?」
まさか、ここまではっきり言って拒まれるだなんて。
つい先日までの茜であれば、ここまで言わずとも察してくれていた。いつからか察しが悪くなり、ついにははっきり口にしても分からなくなった。
「……なんで?」
悟が困惑するのも、無理はなかった。
「なんでって、そんなの決まってるじゃん」
何故ならそれは、突発的な感情だから。突発的に、唐突に、茜は心変わりしたのだ。
「あたしが、宝田君と一緒に登校したいからだよ」
つい先日までの茜であれば、聞かずとも察していたこと。いや今でも、聞かずとも茜は悟の考えなどわかっていた。わかりきっていた。
でも、それを拒んだ。
それは茜が、悟に甘えていいと知れたから。
それは茜が、悟に甘えたいと思ったから。
それは茜が、悟のことが好きだから。
好きな人と一緒に登校したい。それはあまりにも女の子らしい、普通な話なのである。
「……どうして、だよ」
しかし、悟はそんなことさえわからない。知り得ない。
茜は、自らの好意を口にしかけて留まった。今、悟にそんな話をして、悟がそれを受け入れてくれる気がしなかった。
だから、茜は話を逸らすことにした。ただそれも、茜が悟に対してずっと思っていたことだった。
「まず、ごめん。あたし、この前おばさんから聞いちゃった。宝田君の昔話」
茜は、そう言って頭を下げた。
「な、なぁ……」
深刻な顔つきだった悟の顔が、見る見る赤くなっていく。自らの昔話など、黒歴史にも近いそれを知られるだなんて、悟としては恥ずかしかったのだ。
「それで……どうして、人と距離を置くようになったのか。それも大体わかった」
「……そう」
「うん。でも、話を聞いてて思ったよ。宝田君、今無理しているんじゃないかって」
「無理?」
「友達とお別れするのが悲しいのはわかる。何度も何度もそんな体験を繰り返したら、嫌になるのだってわかる。でも、今宝田君は、本当に友達なんていらないと思っているの?」
「……思ってるよ」
「嘘」
静かに、茜はそれを否定した。
「だって宝田君、一緒に写真見ている時、凄く楽しそうだった。自分の趣味を他人と共有する。そのことが、凄く楽しそうだった」
悟は口を閉ざした。それは確かに、茜の言う通りだった。
「それだけじゃない。学校でだって、時々凄い寂しい顔してるし、昼休みだってずっと俯いているし、なんだかいつも、凄い寂しそうだもん」
「……凄い、良く見ているんだね」
呆れるくらいの茜の観察具合に、悟は苦笑した。
「……宝田君の気持ち、わかる。友達に折角なれたのに、親の都合とかでお別れになって。その時凄い悲しいもの。……宝田君、それに責任も感じているんでしょ? 相手にも、同じ悲しみを味わわせてしまったって」
転校して友達と離れ離れになったとして、何も悲しむのは新天地に引っ越しをする側だけではない。相手にもまた、同じ悲しみを味わわせてしまう。
「……そうさ。それだって、僕は……」
悟は、それも嫌だった。
あの日……小学四年の引っ越しの時、悟は怖くて、カオルとお別れをすることが出来なかった。カオルに悲しい思いをさせたくなくて、何も言わずに悟は引っ越ししたのだった。
その辛さは、茜だってわかっていた。いつか茜も、友達が引っ越しをしてお別れをした経験だってあったのだ。
「でも、友達になりたい人にずっと袖にされるのだって、辛いんだよ?」
それは、友達とお別れすることになるのと同じくらい、茜には辛いことだった。
「……あたしは、宝田君と友達になりたい」
茜は、悟に歩み寄った。
「君と、一緒に勉強したり、お出掛けしたり。写真鑑賞したり……!」
そして、温かい手で、悟のひんやりとした頬に触れた。
「そういう時間を、君と過ごしたい……!」
茜の独白を聞き、悟の気は動転していた。茜の言いたいことは理解した。そして、自分が茜に辛い気持ちを味わわせていたことも理解した。
それでもなお、悟は一歩を踏み出せない。
「でも、僕はまた、いつ引っ越しするかだってわからないんだ……」
それは、いつまた親の転勤話が湧いてくるか。いつまた、カオルとの関係のように、お別れがやってくるのか、わからないから。
……そんな悟に。
最後まで逡巡する悟に、完璧美少女である茜は、一つの解決策を見出した。
「嫌」
「え?」
「嫌。転校しないで」
「えぇ……?」
それは、ごり押し。力こそがパワー。パワーこそが力。
茜は既に、悟のいない生活など考えられなかった……!
「でも、親が引っ越すぞって言ったら、しないといけないよ……?」
「その時は、あたしからもおばさんに掛けあう」
茜はそれで、本当に引っ越し問題をどうにか出来ると思っていた。
悟も最初は茜は冗談で言っているんだと思ったが、目を見るとマジで本気だったことを悟った。悟だけに。
「……もし、母さんがあんたも引っ越せって言ったら?」
「なんとかする」
「なんとかって……?」
「なんとかはなんとかするのっ!!!」
まるで駄々っ子のように、茜は頬を膨らませて抗議した。
「もうっ。さっきから否定ばっかり!!! 宝田君はまた引っ越ししたいの? したくないの!??」
怒。
「いや、それはしたくない……」
「じゃあなんで駄目なこと前提で話をするのっ!? 駄目な結果にならないように準備しないと良い結果なんて手繰り寄せられないよ!???」
今悟は、良い結果を導くためにごり押しを選んだ少女を前に、言葉を失った。
……ただ、まもなく悟は理解した。
確かに、良い結果を手繰り寄せられる準備もなしに、成功なんてするはずない、と。
いつかの茜を、悟は思い出していた。
交友関係を築くことを嫌煙する男子を前に、色んなことを誘って来た少女のことを。
あの時、悟は理解したはずだった。
茜だって、苦手なものがあって、他人に無下にされれば傷ついて。自分と変わらない弱い人間だってことを、理解していたはずだったのだ。
それでも、一歩を踏み出せる茜と、それが出来ない悟の違いは……。
「……勇気があるのか。ないのか」
たったそれだけ。
……それだけのことで、悟は今まで、色々なことを諦めてきたのだ。
それでも、諦めなかったこともある。
『そうだよ、僕が撮った』
逃げなかったこともある。
その時の……逃げなかった時の結果は……、
『キレイ』
思わず見惚れてしまうくらいの、とびきりの笑顔だった。
「櫻井さん」
気付けば、悟は口を開いていた。
「僕と、友達になってくれませんか?」
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