No.73 反転スル天祀ノ結界・開錠セシ不浄ノ門・来タルハ冥途ノ渡シ船⑥
周囲に響き渡る鈴の音色。ザッザッと規律のとれた足音。
白い光の波紋が周囲に広がっていき、その光に包まれたアンデッドはボロボロと風化した様に消え去っていく。
プレイヤー達のHPやMPが即座に回復し、消耗した武器や防具の耐久値でさえも回復する。それはまさしく神の御業、あるいは奇跡。
法儀式済みの鎧に身を包んだ聖騎士部隊を率いて、その人物は登場した。
日の丸シティの大聖堂、及びナンバーズシティの教会を総べる聖女リナ。人外染みた美しさの彼女は淡いエメラルドの光を放つ銀の鎧と金の錫杖を纏い、どこからともなく“現在の戦場の中心部”に降臨した。
「(おっと、これはヤバいな)」
ノートの徹夜ナチュラルハイな頭を強制的に、そして完全に醒まさせるほどの圧倒的なまでの存在感。
彼女は戦場を睥睨し、ノートに目を止めた。確かに目が合った。
聖女に関してノートが知っていることはそう多くない。もちろん多くのプレイヤーもよく知らない存在だと。
だが聖女の専スレがあるほどに聖女達に並々ならぬ関心を抱いているプレイヤーは多く、スレの中で勝手にスクショコンテストを行っているほど。なので職業柄人の顔を覚えるのが得意なノートは、それが大聖堂の聖女であることはすぐにわかる。
聖女達の生態に関しては有志が寒気を感じるほどの情熱で日々研究しているので、おそらく並の魔物よりも情報自体は多く集まっている。
例えば、ファストシティの聖女は外遊が好きで、教会の外でNPCの住民の治療を行ったりしていて、買い食いをしてお付きの者によく叱られている。好物は出店の焼き鳥。
フォースシティの聖女は読書が好きで、知識を非常に重んじる。子供NPCに読み聞かせを行う姿も目撃されている。
などなど、彼女たちの生態について色々と調べ上げ、胸のサイズはBだのCだの、こっちの聖女の方がデカいだの、どうでもいいことで争っている。
しかしこれもまたゲームの一つの楽しみ方。周りに大きな迷惑をかけているわけでもなし、個人の自由の範疇と言えないこともない。
まあ、このゲームは割とリアルを重視するので、そんな変態そのものの覗きなどをしていればNPCの間でよくない意味で噂になる覚悟もいるが。
それはともかく、そんな愛しにくい変態達が、デばっかーさん達の支援を受けてその全てを尽くしても、ナショナルシティの大聖堂の聖女に関しては容姿とお偉いさんであること以外は全く情報がない。
ただ、他の聖女達がいたく憧れ敬愛している存在であることは確かだった。
そして大聖堂から一切出ず、その姿をほとんど見せることがないことでも有名だった。
しかしこの性質は他の国のナショナルシティの聖女も同様で、不落の城に対し、変態共が国を跨いで連携してもその生態は一切分かっていないのだった。
その彼女が聖騎士を引き連れて登場した意味とはなんなのか。自分がどれ程のことをやらかしたのか。ここまできて分からないノートではない。
視線は一切聖女リナからそらさず、メニューを素早く操作してユリン達にはタナトスたちを連れて『ファストシティの墓地』に集合するようにパーティーチャットを打って保険をかけておく。
周囲は異様な雰囲気に包まれ、誰もが聖女の一団と、中級死霊達を率いるノートを見ていた。しかし、その膠着状態も続かない。
中級死霊達は敵対する存在に対する攻撃を禁じられていない。そして彼女を中心に広がる光の波紋は、通常のアンデッドのみならずノートの中級死霊たちを呻かせるだけの攻撃的な物が含まれていた。
となれば、彼らは自分たちを脅かさんとする存在にヘイトを貯めるのも当然の事。中級死霊達は一斉に聖女に飛び掛かる。
だが、聖女は手のみを異常に素早く動かし、錫杖を抜刀するように振る。この中で最もランクが高く基礎能力が高いノートでも、それは腕がブレるようにしか見えない程の素早い動きだった。
パッと光る錫杖。その先に光で形成された穂先が形成され、錫杖は柄の長すぎる大剣にも、穂先が大きすぎる槍のようにも見える形になる。
それを一閃するだけで、無双を誇っていた中級死霊はノートの騎乗する中級死霊を除き5体纏めて屠られる。
「(あぁ、勿体ない)」
まあ威力偵察をしてくれただけ良しとするか。
ノートは目の前の異常な現象に特に驚くことなく冷静に思考する。
他のプレイヤーは幾らか驚いていたようだが『ここまで派手な演出で出てきてあっさり死なれたら寧ろこっちがびっくりだわ』とノートは胸中で独り言つ。
色々なゲームでPK側に回ってきたノートにとって、『理不尽なNPC』というのにはある程度慣れている。
ゲームによっては、問答無用で運営の操る超強力なキャラクターにPKプレイヤーが殺されることだって珍しくはないのだ。実際にノートはそういうゲームをしたことがある。
それを皆で協力して撃退しかけたら、アカBANまで追い詰められたことだってある。
俗に言う滅茶苦茶な運営により色々と破綻していたまごうことなきクソゲーだったのだが、今となっては思い出。ゲームを買うときは色々とノートも気を付けるようになった。
そのゲームは開発自体はかなりまともでシステムも悪くなかったが、如何せん実際に管理する連中が言語化したくないほどに無能だったせいでおかしくなった悲しいクソゲーだ。
ノートも事前広告やサービスが開始して間もない(まだ運営陣がぼろを出す前の)評価を見て買ってしまった一人である。
そこでただ後悔せず、クソ運営に一矢報いてやろうと奮起するのが彼が彼たる所以でもあるかもしれない。
幾らおいしいパフェでも、そこに七味やワサビ、ソースやミョウガ、ねぎなどを足したらとても食えるものではないのは当たり前の事。
その時の運営は『吐き気を催す邪悪』と呼ばれゲーマー界隈でブラックリスト入り。そのスタッフが関わっているゲームというだけでクソゲーと揶揄されだしたため、彼らはゲーム界隈から完全に追放、つまりクビをきられたと言われている。
しかし、『一切擁護できないほどの事を実際にやってのけたので、それも当然だ』という声の方が多かった。情報のソースが掲示板なので真相は定かではないが、実際にそのスタッフの名前が入ったゲームは売り上げが露骨に伸びなかったという実績があるので、ノートはクビになった派を推していた。
というより、ノートのその一件がトドメとなりそのゲームは完全にクソゲー認定され、運営陣もめでたくブラックリスト入りしたのだ。
それに比べれば、ALLFOは随分とクリーンだとノートは思う。
完全没入型のゲームは良くも悪くも、21世紀のPCオンラインゲームとはわけが違う。実際に見て聞いて触れてリアルタイムで対面で会話して、まさしくヴァーチャルリアリティを実現しているのだ。
つまりは、個人差はあれど、リアルへの影響がかなり大きいということである。
なので正しい運営の態度や指針というのは未だなおゲーマー界隈でも意見が割れるところである。
例えばノートの場合、『正しいなんて物はない。運営とプレイヤー達がお互いにすり合わせをして常に最善を求めるのが少なくとも唯一正しい物に近しい答え』だと考えている。
これはノートの一意見にしか過ぎない。プレイヤー達にいちいち左右されず、事前にしっかりと明確にして不変なルールを定めてくれ、というプレイヤーだっているのだから。
Q,ではALLFOではその答えの出ない問題にどう答えを出したか?
A,人間よりも賢いAI様に管理をお任せする。
今の状況は大多数の、いや、ALLFOに対して大きい損失を生んでいる。となれば、その調整が起きるのもノートからすれば意外なことでない。
寧ろこの段階でやたら隠したがっていたような大聖堂の聖女が出張ってきたことの方が、そういう意味ではノートにとってかなり驚くべきことのように感じた。
シャンッ!シャンッ!と錫杖がなる。聖女は中級死霊が飛び掛かってきたことなどは特に気にした様子もなく、変わらぬ足取りでノートの元までやってくる。
そしてノートから10mくらいの時点で漸く足を止めた。
「なにか御用でしょうか、大聖堂の聖女リナ様?」
しかしここで先手を取ったのはノートだった。
ノートは自分という物をよく理解している。天才的な身内とゲームをし続けてきたのだ。自分が凡人に過ぎないことはよくわかっている。だが、こと舌戦に関してはノートは唯一自信を持っている。
ノートという男は、天才たちに囲まれて育ってきたが故に、無意識の領域で自己評価が低い。
卑屈で、しかし易々と負け犬になることを受け入れられず、だが自分の一番の趣味と言えるゲームでは自分はやはり凡人だった。
故に彼は知恵を凝らすことに傾倒する。観察して学ぶ。相手の意表を突くことに楽しさを覚え始める。
PKというのは、ノートにとってはシンプル且つはっきりと人間同士の“勝敗”がつくだけ楽しい物だった。
やがてノートは人そのものに強く興味を持ち始め、自分の最大の利点である舌戦能力を自覚、そして磨きをかける。
中学生という、人間が明確な自我を獲得する時期にノートは心理学(大学で彼が学んだ心理学からすれば信憑性の低い雑学的な物だが)に熱中し、より自分の武器を強固に確立する。
天才の様に自己を貫き続けることが難しいことはノートにも中学生ながらよく分かっていた。ならば要領よく生きることに全力になればいいと考えた。
時に大きな失敗もした。特に人間関係では致命的な過ちを犯したこともある。ブラッディメアリーという親友を唐突に失い、人間関係の脆さや不確実性も知った。
しかし、それを踏まえた上で一歩一歩ノートは成長してきた。
そんなノートにとっては、プレイヤー同士の会話が多いVRMMOというジャンルは素晴らしい場所だった。
現実より幾分か責任という物から解放され、明確なルールの存在する中で自由に自分の才覚を試すことができる。
多少の無茶はユリンを始めとした天才たちの力を借りて強引に成し遂げた。
類は友を呼び、また更にとんでもないプレイヤースキルを持った者に出会うことだって多かった。そんな彼らに劣等感を感じつつもノートは人間観察と発想力で彼等を打ち破ってきたし、あるいは味方に引き摺り込んできた。
ではALLFOはどうだろうか。多くのプレイヤーから引き離され人間関係の妙を楽しむことはできず、初期限定特典とかいうチートながらも多くの制約を持った物に振り回されることもある。
しかし、ノートの期待を軽々しく飛び越え、それらのデメリットなど見えなくなるぐらいにALLFOのNPCは素晴らしい出来栄えだった。
一つ一つのNPCに細かな好悪が存在し、明確なアイデンティティを持ち、自ら思考し、自己表現する。その言動や感情は合理的な筋道があり、模倣でしかないAIの“感情表現”は偽物であることはよくわかっていても、限りなく真に近かった。
偽物が本物を上回ることがある、という言葉をノートはある程度信じている。本物に至ろうと努力するからこそ、それはいつしか本物以上に真に迫った物になることがあるのだと。
22世紀最高峰のAIを積んだNPCと人間の違いは何なのか、心理学などを長く学んできたノートにも答えの出ない問いだ。
確かに、究極的にはAIは膨大なフローチャートの上に成り立つ仮想的な存在でしかない。
しかし人間もそうではないか。痛ければ痛いと叫び、嬉しいことがあれば笑い、悲しければ泣く。生まれてからそれまでの経験の元に形成される個性の元に組まれる無限大に近い行動チャート。
人間という物を相手に商売しているノートだからこそ感じる物もある。例えば、時にAIの方がより人間らしい、そんな風に感じることがあるのだ。
つまりは、ノートの舌戦が通用するということの裏返しでもある。ゲームに於けるNPCという存在の扱いはそのゲームごとに大きく異なる。
昔のゲームのようにBOTの如く同じ言葉をしゃべり続けるNPCは流石に居ないもののノートのハイスピードな舌戦に対応できるAIというのはいなかった。
もう少しかみ砕いて言うならば、融通が利かないのだ。
負けイベントはどうしようにも負けイベントだし、命乞いをしたところで助けてくれるわけでもない。
しかしALLFOではそうではないのだと、バルバリッチャはノートに教えてくれた。自分の言動次第で新たな道を切り開くことはできる。NPCは融通の利く存在でALLFOは極めて柔軟性の高い世界だとノートは理解できたのだ。
要するに、“コミュニケーションが取れる”ならば、それはユリンでもヌコォでも、ましてやスピリタスやネオンの領分ではない。ノートの領分だ。
そしてもう一つノートが心がけていることが一つ。それは相手の得意分野で戦わないことだ。
アニメや漫画の様にちょっと窮地に陥った程度では人はポンポン覚醒しない。勝つときは勝つし、負けるときは負ける。
ノートがALLFOで倒してきたプレイヤーの中にも、目を見張る動きをするプレイヤーはいた。
しかし基礎能力値が異なれば真正面から闘って勝てるわけはない。
バットを構える奴にはラグビーボールを投げつけ、将棋盤には碁石を打つ。対人戦に於いて“公平性”などという物は成立しない。自分の得意分野で且つ先手を勝手にとっても、例えそれを詰っても既に勝負は始まっている。
故に何を喚こうが一度ついた黒星は黒星だ。ノートの仕掛けた勝負に乗った時点でそれは勝負として成立している。
だからこそ、極めて冷静にノートは自分の得意分野である舌戦で先手を取る。そして彼は決して自分のなすべきことを間違えない。
確かに、聖女にはノートも興味はある。しかし重要なのは聖女について知りその行動の根底にある理念を暴くことではない。如何に被害を少なくしてここより撤退するかだ。
ノートは緊急時ほど頭のキレが増す。本人は肯定しないが、ノートは“突発的危機的状況”に対しスリルと同時に強烈な快楽を感じる性質の男だ。しかしそれは破滅願望が強いというわけではなく、『如何に臨機応変に乗り越えられるか』という自分の能力値を試す最大限のチャンスだからだ。
自分が持ちうる限られたリソースの中で、より効率的に利益を得るように動くことができるか。ノートはそれをある種ゲームとして捉え楽しんでいるのだ。
今この時、ノートの頭の回転を司る歯車は数段階ギアを上げて回転しだした。
「(さて、どうでる…………?)」
ノートは聖女の一挙手一投足を見逃すことのないように集中する。
普通のゲームなら、キャラの動きのリアリティには限界がある。些か物理的には厳しい動きだって強引にして見せる。あるいは実際の人間より予備動作が異様に少ない。
その点、ALLFOのNPCには妥協がない。恐ろしいまでに作り込まれた生物らしい動きをする。一番怖いのは反射神経を超えた高速移動だが、今はあまり警戒していない。それならこんな御大層な登場の仕方をする必要はないのだから。
ノートも、他のプレイヤー達も皆が皆聖女を見つめる中、兜で顔の見えない聖騎士の一人が聖女の斜め後ろに立つと、槍を地面に突き刺して述べる。
「聖女様は極めて悪しき者である貴様にこうお尋ねになられている。『何ゆえ、このような災いを起こしたのか』と」
「(通訳キャラ有りだと…………?)」
などとノートが考えてしまったのも露知らず、聖女に集まっていた視線が今度はノートに集まる。
プレイヤー達だけでない。NPCも、そして日本サーバー管理者一同も、この(主に運営に対して)邪知暴虐にして冷酷非道な男が何を目的でこの様な真似をしたのか、非常に気になっていた。
というより、管理者モニターでノートを見つめる管理者一同は目が血走って割と危険な感じだった。
彼らにとっても今回の一件は一連の流れ全てが完全に謎に包まれていた。
街に巨大な結界があることも、ましてや砕くこともできるなんて、相当シナリオを進めたプレイヤーの極一部しか知りえないであろう情報だからだ。
だというのに何の情報も得ていないノート達がどうしてもこうも的確にイベントフラグを回収、もとい強奪できたのか全く理解できなかったのだ。
だがしかし、往々にして現実は常にもったいぶった理由があるわけではないのである。
「いや、私は知らないな。一体私が何をしたというんだ?」
100%嘘、というわけではない。今回の一件はノートにもまだよく理解できていないのだから。ただ、NPCはそう判断しなかったようだ。
「『韜晦する御積りでしょうか?』聖女様はそうお尋ねになられている」
人外染みた美麗さ、そして神秘が服を着て歩いているような超然とした立ち居振る舞い。透き通る様な清らかな濁りの無い視線。
職業柄たくさんの人と触れ合う機会のあるノートでも一度としてみたことのない聖女の眼。眼力が異常に強いわけではない。しかし誰もが妙な後ろめたさを感じ反らしたくなるほどに真っすぐな目つきだ。
その眼からノートは一切視線をそらさず、真っ向から見つめ返す。
「では、こちらこそ伺いたい。私が何を成したというのか、事細かに説明を願おう」
冷静なノートの反応に対し、聖騎士たちがピクリと反応する。しかし聖女は錫杖を横に振ることで聖騎士共を落ち着かせる。
「『それは、貴方が一番ご存じでしょう。しかして貴方がこの街に大いなる災厄を持ち込んだ、という事実は依然として変わることはございません』、聖女様はそうおっしゃられている」
聖騎士により伝えられる聖女の言葉。それに対してノートは心中で舌打ちする。
まずもって、一度通訳を挟んで喋るこの形式が非常にやり辛かった。ノートは舌戦において頭の回転スピードで相手を圧倒し丸め込むことを最も得意とする。
相手の少しのミスを即座に突き、一つずつ相手の足場を砕き、落とす。
畳みかけるような舌戦がメイン武器であるノートにとっては、この通訳を挟む話し方ではどうにもペースをつかみ兼ねていた。
心理学の応用ではあるが、人間というのは会話するときにその内容だけでなくペースも非常に重要視している。
これは見落とされがちな要素だが、このコミュニケーションにおける呼吸の間合いをつかめる人は往々にしてコミュニケーション能力が高い。
例えば、仲の良い存在との会話は、その内容そのものが漫才の様に面白くなくとも自然と面白く感じる物である。外野からすれば何が楽しいかよくわからなくとも、コミュニケーションのペースが同様である人との会話はお互いにストレスが少ない。
一方で、オタクという人種は比較的自分のペースでしか喋れない。なので好きな物については勢いよく長く話すが、その時に相手のコミュニケーションのペースと大きくずれていることに気づかない。合わない方からすれば、それはただのストレスでしかない。
内容自体は問題ではないのだ。重要なのは相手と歩調を合わせることができているか、なのだ。
コミュニケーションにおいて、いきなり面白さを求めると大概上手くいかない原因はここにある。まずはお互いのペースを合わせてから、それに合った内容をチョイスすることでペースは弾んでいく、即ち会話が弾む、というわけだ。
反面、喧嘩の時の会話はペースという物が噛み合っていない。お互いがお互いのペースだけで話をしようとするので余計にストレスが溜まってしまうのである。
そして舌戦強者というのは、常に話す内容自体が相手よりも高尚というわけではなく、コミュニケーションのペースの主導権を一方的にとることに長けた人の事をさす。
ネット上にいる、一方的に自分の意見を出して、呆れられてるのにも気づかず論破してやったと勝ち誇っている空気の読めない頓珍漢な人物とは違うのだ。
舌戦というのは、コミュニケーションのペースを奪ったうえでなされる物である。ネット上の論争が泥沼になるのは、“コミュニケーションのペース”という概念がないからだ。
好きな時に好きなように言い、そもそも相手と同じテーブルにつく必要さえもないのだから、まともな舌戦などそうそう成立しないのである。
閑話休題。
ともあれ、このペースを強制的に一定のテンポに戻されてしまうこの話し方はノートにとって非常に嫌な話し方だった。
というより、耳打ちもされてないのに聖騎士が代理人の様に語るのも気に食わない。他者に自分の意を伝聞可能な技術があるなら、直接ノートにしてくれた方が手っ取り早いのだから。
そして気に食わないのはもう一つ。ノートは先ほどの質問でなにかしらの情報を聖女から引き出せないか考えていた。状況証拠的に墓石の破壊が今回の一件に繋がったことは理解できるが、街の結界と墓石がノートの中ではどんな関係にあるのかハッキリわかっていないのだ。
ここで墓石や結界に関する言及があればそれだけでも確定事項が増えて助かるのだが、聖女はそれを全てすり抜けた。賢いAI様だ、ノートはそう歯噛みする。
「災厄、ですか。これだけの災害が私に起こせるとでも?」
しかしノートも唯では転ばない。原因は自分にあるにせよ、その過程に関しては不明。それは事実であり、この質問の回答で聖女がどれ程の情報をもった存在かを測る一材料を確実に得られることができる。
『あなたがやった』と主張すれば情報はそこまで持っていないNPC、それ以外ならばより警戒すべき対象として、先ほどの言い逃れを踏まえてのノートの質問である。アバウトな質問に見せかけた二択の質問。これもまたノートの得意分野だ。
唯一逃げ道があるとすれば、
「…………『それもまた、貴方がご存じでしょう』、聖女様はそうおっしゃられている」
――――このように答えた時だけだ。しかし体よく逃げてもノートはそこから何も得られないわけではない。
例えば先ほどのはぐらかしは偶然ということもある。しかしそれが続けば、偶然の確率はかなり下がる。
聖女がどれほど賢いのか測ることができるなら、そのほかの事にもある程度予想ができるようになる。
「ご存じないから、わざわざ伺ったのですがね。しかしその言い方は先ほどからとても卑怯だ。
私もあくまでこの災害に巻き込まれた一人に過ぎないのです。ですので私はこう考えます。この災害は『教会側の不始末』であるという可能性をね。
先ほどから事態に関する明言を避け、まるで私一人にその全てを押し付け事態の収拾を強引に図ろうとしている様に見える。
さあ、お答えください聖女様!なぜ先ほどからはぐらかすのです!?何を隠そうとしているのです!?」
良く通る声で、他のプレイヤーにも聞こえるように声高にノートは問いかける。
舌戦のテーブルにつかないならば、別のテーブルに強引に座らせるのみ。
先ほどの質問は布石。はぐらかしを二回しそれを指摘されたならば、もうはぐらかしは使えない。
さあ、どう答える?
ノートは獰猛な笑みを仮面の下で浮かべ問いかける。
畳みかけるようなスピード勝負の舌戦ができないとわかれば切り替えればいい。
今度は詰将棋形式で、相手の逃げ道を一つ一つ叩き潰すのだ。なまじ賢いばかりに感情論だけで動ない、そんな聖女はノートにとって舌戦が可能という時点で既に有利だった。
しかしノートは一つ見誤った。聖女が賢くとも、その周りが同等に賢いとは限らないことに。
「貴様ァ!!」
どうやら教会の不信を煽る発言が地雷だったらしい。
そうノートが悟るころには顔めがけて一本の槍となった聖騎士が突っ込んできていた。聖女様の通訳とやらを許されるだけあって強さもそれ相応らしい。ノートには聖騎士が地面を踏み切った瞬間さえまともに認識できなかった。
「なッ!?」
しかしノート自身が反応する必要はない。騎乗する中級死霊に念話で攻撃が来たときは避けるように予め指示を出しておけばいいのだから。今のノートの足は実質上級死霊に迫るスペックを持った存在である。
今まで一度も動かなかっただけに、いきなり身を激しく捩った中級死霊に聖騎士は意表を突かれる。
なんともリアルなNPCだ、とノートは思わず思う。
ノートはいきなり中級死霊が動き出したことに驚いてはいなかった。なぜならノートが話している間に明らかに聖騎士たちが怒りで震えている様に見えたからだ。万が一のことも想定していたが、今回はアタリだった。
バウンティハンターとは違って動くカカシって訳じゃない、それを知れただけもノートには収穫だ。
「おっと、正義を重んじるはずの聖騎士様が不意打ち。これはなんとも酷いことだ。
それともこれも聖女様の御指示ですか?答えに詰まったら今度は攻撃とは、随分と野蛮ですね?」
そしてカウンターはしっかり叩き込む。今の攻撃で無事に帰れそうにないことを悟ったノートは、脳を撤退から情報収集に転向する。
「聖女様を愚弄するな貴様!」
だが、二度目の失敗はない。死霊が動くとわかればそれに合わせた動きを聖騎士は行う。しかし、その2撃目は中級死霊を屠れどノートは屠れなかった。
ノートの戦闘技術は、以前にヌコォも断言したようにどれも平凡だ。
ノートにはユリンやスピリタス、ヌコォの様なとびぬけた身体技能や反射神経、空間認識能力などはない。
また、精神的な物に左右されまだまだ原石に近いが、ネオンの様な異常な戦闘継続能力や単純暗記力もない。
あるのは、奇策を生み出しえる発想能力のみ。
ヌコォが何よりも強く憧れる頭のキレ、それがノートの唯一といってもいい強みだ。
だが、彼だって前衛の戦闘は嫌いではない。寧ろ好きだ。
男の子の大半が、一度は戦隊モノや仮面ライダー、ウルトラマンなどに憧れて木の棒を剣に見立て振り回すように、ゲームを始めた男の子というのは最初はやはり派手な前衛職を選びたくなるものだ。
しかし、彼が可愛がっている、寧ろ溺愛しているともいえる弟分は、彼よりも遥かに年下なのにあっという間に彼の戦闘技術を超えていった。
そして褒めてほしそうな可愛らしい顔でノートに笑いかけるのだ。
自然と、ノートはその弟分のフォローをする方に回る。そして其方の方がずっと上手くいくことに賢いが故に子供ながらに悟る。
自分だけの楽しさと、弟分の笑顔を天秤にかけ、ノートは後者を取った。
結果、彼は効率を重視することを覚え始める。
ユリンの自己形成にノートが大きくかかわっている様に、ノートという人間の自己形成にユリンは知らず知らずのうちに大きくかかわっていたのだ。
やがてノートは後衛の楽しさを見出し、自分以上に自分の思い描く様に動けるユリンを前衛に置くことを当然と思うようになる。
やりたいことと向いていることが合致しないことなどこの世にはごまんとある。それに対して、ノートは向いていることから喜びを見出す方に成長を遂げたタイプの人間である。
だが、それでも前衛を今でもやってみたいかと問われれば、ノートはNOとは言わない。効率と比較して切り捨てるだけで、必要ならば積極的に行う。
そしてその動きの手本をずーーっと長い間ノートは後ろから見つめてきたのだ。
そのノートが取った一手は、魔法で迎撃するわけでもなければ死霊を召喚して身代わりにする事でもない。
ただ、気を失ったように落馬ならぬ落蟲するだけ。それだけで聖騎士の矛先はノートを確実に捉えることが出来ない。
反射神経の勝負で勝てないなら、次は意表をついて動きを止めるまで。合理的だがとっさにできる行動でもない。
更に、ノートは落ちつつも自分を突き刺そうと大きく飛び上がった聖騎士を蹴飛ばした。如何なるものであると、空中に浮いている物は踏ん張りがきかない。
凄まじい重量があるならまだしも、どう計算しても250㎏オーバーにならない塊を蹴ることはできる。この空中蹴り上げの技は以前にユリンがノートに見せたことのある技だ。
突っ込んでくる相手に対して、後転するようにゴロンと転がりつつ、相手の伸び切った体に蹴りを叩き込む。これだけで踏ん張りの利かない相手は大きくバランスを崩す、というわけである。
勿論、大きな蟲から落っこちたら相応のダメージは負うがVR空間なら痛みを伴うことはない。VR空間だからこそできる滅茶苦茶な技だった。
中級死霊は聖騎士渾身の一撃で屠られたが、これで一手分は延命できたということである。ノートはローブについた土を払いながらスッと立ち上がり、今度は聖騎士に舌鋒の矛先を変える。
「では、貴方から説明願いたい。先ほどから耳打をされているわけでもないのに貴方は聖女様の言葉を代弁している。
つまり、それは会話をせずとも指示を受けることは可能ということ。聖女様が攻撃命令をだしていないと、どう証明してくれるのです?」
「それはッ…………!」
俗に言う『悪魔の証明』。無い物を無いと確実に証明するのは相当に難しいことだ。
例えばUFO。でっちあげだ、そんなものはあり得ない、そう科学的に説明することはできる。しかし100%存在する根拠を彼らが否定するように、100%存在しない根拠、というのも用意できないのだ。
「聖女様がそのようなことをなさるはずがないだろうが!」
それに対して、感情のままに叫ぶ聖騎士。かかったなアホが、と仮面の下でノートはにんまりと嗤う。
「では、聖女様の代弁者を任せられるほどの聖騎士が独断で行った、ということですね?直接的な罵倒をしたわけでもないのに関わらず、一度聖女様が攻撃を控えるような動きをしたのにも関わらず、貴方は自分の判断のみで私を殺そうとしたわけだ。
それが貴方がた教会の押し付ける“正義”というわけですね!
ならば!何故私に自分たちの不手際を押し付けるようなことは確実に無いと証明できるのでしょうか!?それとも、また私に刃を向けますか!?
都合が悪ければ消せばいい、そんな人の命を軽く見る教会の底の浅さがそこで現れることでしょう!
さあ、もう一度攻撃をすればいい!『教会の正義』の証人はこの場にたくさんいる!貴方が常に正しいというのなら、その軽い正義でこの軽い人命をこの場で奪うといいでしょう!!そして『教会の正義』とやらを皆に見せつけるのです!!
私にこの災厄の原因が明確にあるかどうかは一切証拠もなくはぐらかすのに対し、身勝手な断罪とは随分と思い切りがいい教会の『正義』を、貴方が今ここで体現するのです!!」
聖女がまともに答え無いなら、攻撃先を変えるだけ。
この状況に於いてノートを下手に攻撃すると、教会側の信頼は少なからず失われる。教会のスタンスを疑いつつ、自分へのヘイト減少、不和の種をばら撒き、そして自分の命を守る。
ノートは今の演説でその4つをやってのけたわけである。
口喧嘩は自分の勝てない領分でやらないのは鉄則。論点のすり替えだって平気でする。大事なのは今ここでノートがコミュニケーションのペースを完全に握ったことだった。
「(いい加減化けの皮を剥いでやるぜ、聖女サマ?)」
ノートは皆の動揺を一切気にした様子もなく、ただ一人こちらを冷静に見つめ続ける聖女を見つめ返すのだった。
(´・ω・`)あまりに人間に近いAIなんてノートにとっては有利なだけなんですよね
本領発揮しちゃいますから