No.Ex 戦闘講義Ⅸ
Lies of P たのしい
いま 2しゅうめ
生きている人形の斧+ブースターグレイブが高火力高機動で全てを解決してくれる
ソウルライク系のゲームやってもらえるとスピリタスの戦闘講義はもっとよく理解できると思う
スピリタスはカードゲームで例えたけど、極論アクションゲーはターン制バトルなのよ
相手が次の手札を出す前に攻撃カードで押し切るか、一端防御カードで相手の攻撃受けて相手がスタミナ切れたところで丁寧に攻撃差し込むか、リスク承知でジャストパリィから即座にカウンターに繋げるか
素手は攻撃力低い代わりに手数と攻撃の発生スピードはトップクラスだから相手の攻撃をいなせる+相手の小さな隙を逃さず確実に攻撃を差し込んでくるプレイヤーが使うとクソほど強い。
この理論で行くと槍が強いのも当たり前で、あいつリーチ長くて突きっていう発生の速い攻撃を打てるんよね。先制が圧倒的に取れやすい。そんでもって点の攻撃だから盾がないと防御も困難という。
なのでALLFOでは速攻で剣より槍に乗り換えるユーザーが多い。だって素人でも使いやすいから
アクションゲー慣れてれば最初から槍選択する
なのでアクションゲー慣れている+槍以外の近接職は強いかイキリのどっちかの傾向
なお対人勢は槍は少ない、インファイトされたときに槍は一気に崩れるから
ここで1つおまけ
今までの理論を踏まえてゴロワーズのスタイル。
基本打撃武器の大中小をすべて使いこなしているやつですが、
重量打撃武器はカードゲームに例えると相手のガードをぶち抜いてくるというクソみたいな特性があります。
じゃんけんでいえばこっちがグーの手を出してるのに握った拳で殴りつけてそのグーを破壊してアイコを無しにしてくるみたいな………
スタミナ削り+体勢崩しって点で上手い奴が使う重量打撃武器はガチで強い
カウンターが『相手の隙が完全にできる前に差し込まれる横着な攻撃』とするなら
打撃武器攻撃は強引に相手の体勢崩して『隙を作らせる』ことが得意な武器
え?火力?
下手に切られるよりゴツい鉄の塊でぶたれた方が私ヤバいと思うの
個人的経験則として、ダメ―ジ入った時の衝撃の残り方が打撃の方がえぐい
剣で切られたり刺されても最悪強引に押し返して肉切骨断的戦術も考えられるけど、打撃は攻撃受けたら体勢崩されるからね。
まあスキルとかあるし、リアルの理論ですべて推し量るのは難しいんだけどね(むしろ打撃系は凶悪化してるといっても過言ではない)
ここに魔法とかも入ってくるという魔境がVRアクションゲー
ってことで私の説明をより理解するためにダクソよりは個人的に難易度マイルドでとっつきやすい
Lies of P をやろう!(ダイマ)
それが終わったら当然ダークソウルだ!!(ダイマ)
ところでブラボ2が出るって話ほんとうですか!?(ダイマ)
個人的な見解として、ダクソ1は黒騎士武器が全てを解決してくれる
黒騎士の大剣ですべて走り抜けた
Lies of Pはアクション苦手なら警備棒手に入れるまでは自力で頑張って
動力ビルド+警備棒で大体ぶち殺せるから
一方で、ALLFOには装備の縛りがない。
一定のステータスや職業、レベルでないと装備不可みたいなゲーム的要素が少ない。物理的重量や実際にプレイヤーが使いこなせるかは別として、魔法使いは金属鎧を着ていてもいいし、盗賊が魔法使いの杖を装備しても良い。
特定の職業でないと習得できないスキルや魔法といった要素も少ない。
やろうと思えばゴリゴリの重戦士でも回復魔法を習得出来るし、僧侶が大剣を使う為のスキルを習得する事も出来る。魔法使いが鍵開けの為のスキルを習得する事もできる。
人理を超えた耐久力を誇る鎧戦士が腰打ちで狙撃銃をブッパしながら回復魔法を使ってもいいし、ボスクラスでも昏倒させる超火力の魔法を放てる闇堕ち聖女が盾を使っても良いのだ。死霊術師が拳銃で追い討ちをかけても許されるのだ。
ALLFOの職業とは、一般的なゲームの様にシステム的な強制力を持つ概念というより、あくまでプレイヤーの成長の方向性を示し、補助する程度の物に近い。
一般的なゲームの職業がプレイヤーの乗るトロッコを走らせるレールなのだとしたら、ALLFOの職業はレールというよりはあくまで道路に引かれた白線だ。
レールは外れられないが、白線なら沿って歩くも自由。逸れて行くも自由だ。
しかし忘れてはいけない。
その白線は正解へのルートを指し示す線だ。そこから逸れるほど、遠回りをしている事になる。正解を真っ直ぐ歩む者から遅れを取る。
普通のゲームがレール形式なのは道を逸れ過ぎて迷子になるプレイヤーが生まれない為だ。難しい事考えずに鍛えれば正解のルートを歩める。ストレートに強くなれる。無駄がない。レールに沿ってトロッコを走らせ続けていれば強くなっていける。
ゲームはこれくらい分かり易くていい。
自由度が高い、可能性が多いという事は、失敗のパターンも圧倒的に多いという事である。
そして多くの可能性から成功を掴み取る事は非常に困難だ。
それは現実が証明している。
世の働く者達の中で、果たして自分の適性にピッタリな仕事ができている者が何人いるだろうか。
勉強する時間も身体を鍛える時間もあったのに、自由なのに。
現実というとても良くできたMMO型リアルタイムシュミレーションゲームが自由度の高さは必ずしも良い訳ではない事を示している。
このゲームはプレイヤーがこの世界で為した全てがプレイヤーに反映される。
何の為に戦い、何を殺し、何を生かし、何を話し、何を聞き、何を考え、何を拾い、何を捨てたのか。
プレイヤーの歩んだ道の数だけ可能性は広がる。
しかしリアルと同じくこの世界にも『時間』という絶対的な限界がある。
可能性の開拓と時間は切っても切り離せない関係にある。
新しきに手を伸ばせば、その分の時間は消費される。
「けど近道だけが本当に一番速く正解に辿り着く道なのか?いや、バルちゃんがわざわざ忠告するって事は明確なデメリットがあるんだろうな」
地図上では最短距離でも、実際その道を進んでみると信号機だらけだったり坂道だったり細く入り組んだ道だったりする。
距離は遠くても信号が少なく平坦な道を進んだ方が最短距離よりも速くゴールに辿り着けるなんてことは珍しくも何ともない。
それをバルバリッチャが理解していないとは思えない。そのバルバリッチャがあえて警告するということは意味があるのだ。
「(メイン職業を最初は2つだけ選べって指示は、多分可能性の分岐率をある程度絞れって事だよな。可能性分岐は本来の分岐を狭める?いや今までの検証的に、分岐派生難度が上がっちゃうのか?)」
最初から一つの道を真っ直ぐに進み続けるなら、プレイヤーが為し、結果として得た物はその道を進む為のエネルギーに費やされる。
しかし進む方向が2つあると、得たエネルギーは分散する。
可能性を広げれば広げるほど、エネルギーがバラけていく。
植物には接ぎ木という育成方法がある。1つの植物の茎に別の植物の茎や苗を植え付けて1つの個体として育てる方法だ。
この方法はお互いの弱点を補ったりすることが可能で、本来の植物よりも丈夫な植物を育てることができる。
だが、1つ2つならまだしも、1つの木に別の植物の枝をよく吟味もせずに何本もぶっ刺したら何が起きるか。栄養は足りるのだろうか。
根の大きさは変わってないのに枝だけ無秩序に増やしたら何が起きるかは自明の理である。
バルバリッチャはノートの言葉に肯定も否定もしない。
ただ、閉じていた目を開いた。
「メリットに見せかけた罠を張るとかクソゲーよりタチ悪いわ」
それはただの愚痴。
誰に聞かれる事もない自分の思考を整理する為の小さな呟き。
だが、ノートにはバルバリッチャの口角が微かに上がった様に感じた、まるで笑うのを堪える様に。
「…………バルちゃん、いや、何でもない」
悪魔達のバフのお陰で付いて行けているが、今も超高速戦闘は継続している。
試しに戦わせてみるかとメギドとザバニヤを召喚してみたがカウンターを食らって一撃で瀕死になったのを見て、ノートは自分の頭に浮かんだあり得ざる予測を消す。
何かを間違えれば次は自分が同じような目に合うと幻視して。
バルバリッチャは傍若無人に見えて寛大なところが多いが、本質的には対話イベントで1発でも地雷を踏み抜いたらBADENDな感じの存在には変わりない。
前触れもなく現れて、突発的に始まる会話イベント。
自分の部屋を出たらばったりラスボス候補に出くわして会話イベントが始まるオンラインゲームは古今東西探しても見つからないだろう。
何が面倒かって、そのラスボス候補の目的がイマイチはっきりしない。
よしんば魔王と街中でも普通に遭遇する様なゲームがあったとして、魔王の目標が『世界の滅亡』とか分かっているなら何が地雷で何をすれば好感度が上がるのかある程度予測出来る。
しかしバルバリッチャは教会側に敵対しているくらいしかよくわからない。かと言って聖女を殺さずに見逃しても文句を言われた事がない。
普通であれば敵対勢力の広告塔兼まとめ役を殺せたのに、それを意図的に見逃したらスポンサーから文句の一つもあって当然のはずなのに。
「(そもそも悪魔ってなんなの?地獄在住の方々?)」
ノート達が耳にしている「悪魔」という単語は、あくまで翻訳のフィルターを通して聞いているものだ。
それでいて日本語における「悪魔」という単語の意味は複数の解釈を持つ。
異教徒、悪の擬人化、キリスト教の神への敵対者、仏道修行を妨げる者etc――――――改めて確認してみると悪魔という存在の定義は割と幅がある。
そもそも天使と悪魔の概念は外来だ。その為に明確に日本語でその存在を定められない。
ここでキリスト教本場のアメリカ出身であるJKにはなんて聞こえているのかと確認を取ると、『Demon』と訳されていると答えた。
英語にも悪き者を現す単語はいくつかあり、Demonに近い単語だとDevilという単語がある。日本だと同じ言葉で括られがちだが、実際は少しニュアンスの違いがある。
無論これは絶対にそうであるという決まりは無いが、Devilは一般的にキリスト教で指す悪魔に使用されており、神の敵対者である。キリスト教における悪魔のトップであるサタン単体を指す場合もある。
一方Demonは邪悪な存在全般を指し示す様なニュアンスを持つ。
例えば日本における鬼などをどちらかに当てはめるとしたら、今回はDemonの方が採用される。
因みに大悪魔は英語だと『Prime Demon』と訳されているとの事だ。
そもそもバルバリッチャ、アグラット、ザガンとネームドの悪魔達の名前はリアルにも実在する悪魔だが、バルバリッチャは『神曲 地獄篇』、アグラットは『ユダヤ教』、ザガンは『悪魔学』と出典がバラバラの存在だ。
もっと言えば、バルバリッチャはあくまで神曲の中で、マレブランケと呼ばれる悪魔の集団のトップであるマラコーダがそう呼んだだけで、本人が名前を名乗るシーンは一切ない。
アグラット、正式名称アグラット・バット・マハラトは固有名詞でありながら、一方でR18系で大活躍なサキュバスなど淫魔全般を指す存在とされるケースもある。
それでいて悪魔之母リリスの娘にして、色欲之魔王アスモデウスの産みの親とALLFOのバルバリッチャから明言されているが、リアルのアグラットにそんな設定はない。
ザガンは言った。
我々は名を借りていると。
ザガンを名乗っているからと言ってザガンそのものではない。
なのに部分的には名前を借りた存在と似通った所もある。
では名前が借り物なら、自己の存在は?
『悪魔』という括りすら、借り物なのだとしたら。
天使と悪魔の対立は様々なフィクションで描かれる。
それが当たり前の事すぎてなぜ天使と悪魔が争っているか改めて考える者が居ないほどに。
悪魔は人の悪い部分を擬人化した様な存在として描かれやすい。あるいは人が良い方向へ向かおうとしている妨げる存在でもある。
しかし、悪魔はなぜ人を悪きに導くかの理由は説明されていない。悪魔にとって人が悪きに転ぶと何かメリットがあるのか。特にない。
勿論創作上では人の悪感情がパワーの源になるから悪魔は悪いことをするんだよ的な理由付けがされたりするが、ALLFOに於いてそんな説明をノートは全く聞いた事がない。
確かに悪魔陣営は本質的には悪なのだろう。
殺しを厭わず、騙し討ちだって平気でできる連中だ。だが悪の塊みたいな存在かと言われると大きく首を傾げる。
他のゲームですら、悪陣営のエンドコンテンツ級の一角がプレイヤーの恋愛相談に乗って、その恋を応援しているなんて話は聞いた事がない。主人の恋愛成就を手伝う姿のどこに悪らしさがあるというのか。どう考えてもネオンとアグラットの間のやり取りは善意100%で構成されている。
実際、告白が成功したことをアグラットに報告したところ、アグラットは自分の事のように喜び、祝福してくれたとネオンからノートは聞いている。
ではこれは宗教対立なのか。
勝利を収めた宗教側の方が負けた異教徒を悪魔扱いするのはリアルの歴史であった動きだ。
これなら単純な善と悪の対立という構図からズラせる。
しかしその場合バルバリッチャ達が自ら悪魔と名乗るのはおかしい。
不自然な点はまだある。
そもそも悪魔が自分を悪魔だと名乗る利点はなんだ。
世の犯罪者達は「自分は犯罪者です」なんてわざわざ名乗るだろうか。
むしろ悪い奴ほど『俺は良い人ですよ』みたいなことを平気で言うのが世の常である。
バルバリッチャが初めてノート達と遭遇した時に悪魔だと名乗ったのはなぜか。
もっと上手い言い方を出来たはずだ。
例えば『呪いをかけられて姿を変えられここに封印されている。私をここから解き放つ事が出来るのは貴方しかない』なんて言えば、大体のプレイヤーはその言葉を信じてバルバリッチャを解き放っただろう。
自分を敢えて悪の化身だと形容する意味とは、一体何なのか。
異世界モノに限らずよぉ
創作物には当たり前のように悪魔っているけどよぉ
他称はともかく自称で悪魔って名乗られるとクエスチョンマークが出るよなぁ?
だって私がもし悪魔だったら、きっと天使って名乗って騙すからね
綺麗な顔と恰好してれば、みんな潜在的に味方って思うじゃん?へへへ
それじゃ、信頼を十分に得たところで、がら空きの背中にバクスタいただきまーすwww
騙される方が悪いよね




