No.521 トップ面
「プロフィールに関してはSNSアカウントに記載してあるよ。ラノ姉で検索してね~。あ、LOWWA子のアカウントにリンクあるからそこから飛んだ方が分かりやすいかも?L、O、W、W、Aで検索よろしくねー、メルセデスさんの視聴者のみなさーん。実は私達、GoldenPear社提供で案件配信中なので配信にも遊びに来てね~」
嘘と言われてもまるで揺らがない。敢えて反論せず、余裕そうに宣伝すらしてくる。肝が据わっているとかそんなレベルではない。
「……案件配信?GoldenPearで?」
「知らなかった?」
メルセデスの研ぎすまれつつある思考に大きなジャミングが入る。
ただの配信にレイドを仕掛けるだけでもあまり歓迎される行為ではない。面識がないなら猶更。それでもメルセデスは自分の納得を優先して戦闘に挑んだ。
だが、それが案件配信中ともなると危険性が段違いだ。いわばその配信者同士の問題だけではなく、スポンサーも口を挟んでくる事態になる。
マズイ。マズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイ―――――――。
LOWWA子がかなり視聴数の取れる配信者だとは知っていたが、GoldenPear社から案件を貰うレベルだとは考えていなかった。他のスポンサーでもヤバいのだが、その中でも一つ敵に回すと一番最悪な相手を選べと言われたらGoldenPear社をメルセデスは挙げる。
VR関係の一切合切を取り仕切っている間違いなく今世界で一番力を持っている会社だ。プロゲーマー達からすれば絶対に敵に回してはいけない組織。その案件配信をリアルタイムで邪魔している。
「良いねその顔。知らなかったんだ。最悪のタイミングでリベンジマッチに挑んじゃったね?あーあー、たいへんだ―。明日のエンタメニュースのトップ面になっちゃうかもねー?」
この女は、どこまで邪悪なのか。
マズイ事態になると知っていて、それでも最初に勝負続行の意思を見せ、今更引き下がれないところで種明かしをしてくる。狙い通り、メルセデスの思考は荒れ狂い心拍数は急速に上がっている。このままではかなりの勢いで炎上しかねない。いや、ただの炎上ならまだなんとか対処できる。だがこの女が中心として動き出した途端に何か自分が予想してない方向から対処できない燃え方をしそうな最悪の予感しかしないのだ。
最初の遭遇からその予兆はあった。周囲に居たリスナーがあまりに従順過ぎた。ラノ姉の指示を聞くことにあまりにためらいもなかった。
この女の最も恐れるべくは、人の心を操るセンス。
最悪のタイミングでJokerを切ってきて、ニヤニヤと嗤っているその底意地の悪い邪悪さを覆い隠す演技力。
だが、メルセデスの思考は再度急速に研ぎ澄まされていく。
そうだ。指揮官なら誰でも至る思考。
過ぎたことをジタバタ暴れても状況は好転しない。
これこそラノ姉の仕掛けてきた最大の罠。動揺すればするほど思うつぼ。何かヤバい時になった時は慌てるのではなく堂々とする。指揮官は完ぺきではない。ミスもする。それでも慌てるより堂々としていた方がチームメンバーは落ち着いていられる。
この女はゲームそのものだけで戦っていない。配信だの案件だの全ての要素を“ゲーム”として捉えて勝つための道具にしか考えていない。
「ようやく、アンタの本質が見えた」
「慌てないんだ?」
一つ大きく息を吐く。メルセデスは静かに大太刀を構えた。
「案件配信だと知らずにお邪魔したことは深くお詫びしよう。本当に申し訳ない。だが続行しているということは、本気で止めに来てないということは、GoldenPear社もまだストップをかけてくるつもりはないという事だ。むしろ、ここで適当にお茶を濁す方が観ている方からしたらつまらない。炎上上等。私は貴方の事がもっと知りたい。そして、勝つ」
メルセデスとて、案件配信の経験はある。それもGoldenPear社の依頼も何度か請け負ったことがある。そのお陰でGoldenPear社がどのような案件配信の台本の組み方をするか知っている。ブザーシステムもそうだ。これは別にGoldenPear社に限ったシステムでもない。
GoldenPear社がラノ姉を止めていないという事は、配信のアイコンが表示され続けているという事は、まだ最悪に至ってはいない。思ったより燃えないかもしれないが、何かしらお小言が飛んでくるのはもう避けられない。ならジタバタしない。悪いことは清く認めて、そして魅せる。
「…………ふーん、いいね。ただ、何を以て勝利とするのかは気になるけど。これは1on1のマッチングじゃないんだよ?」
「確かにな…………」
勝負事に於いて、ゾーンというものがある。
神経が異様に研ぎ澄まされた状態で、なかなかその領域に踏み込むのは難しい。多くの勝負を重ねてきたメルセデスですらその経験は片手の指で数えられる程度。
けれど今、メルセデスはその領域にまた踏み込もうとしていた。
未だ正体を絞り切れない、既知の誰とも違う空気を纏う『ラノ姉』という存在。
自分にいとも簡単に土を付けてくる知略の才能。認めよう。この女は知略なら自分がしのぎを削っている連中にも余裕で張り合ってくる在野の怪物だ。今まで見いだされなかったことが不思議なレベルの異様な化物だ。
そんな女からおちょくられ続けて怒りが限界点を超えた。
そして炎上と言う見えてる脅威。もう後に引けない。
これらの要因が逆にメルセデスの生存欲求を強く刺激し精神を研ぎ澄まさせた。
「とりあえず、その顔が悔し気になったら一つ私の勝ちとしよう」
「酷い条件だね~。でも嫌いじゃない。あとなんどメルセデスちゃんは吼えズラかくのかな?わんわん」
メルセデスのゾーンに入り始めた精神がラノ姉の変化を敏感に感じ取る。
魔女。
確かに、魔女の称号が相応しい。
人を取って食うことになんのためらいもない邪悪さ。
冷静に考えてみると、GoldenPear社からの案件配信中なのにプロゲーマーを煽り倒し背中をわざと踏みつけて頭を蹴るなんてお前こそ炎上が怖くないのかとメルセデスは言いたくなる。
「まさかとは思うが………アンタ―――――」
敢えて自分も炎上しかねない様な動きをして、此方の問題行動を薄れさせようとしているのか。
自分の為?
いや違う。
LOWWA子の為だ。
GoldenPear社からの初案件。それを部外者のプロゲーマーの炎上で終わらせると問題がある。こちらの炎上を薄めてエンタメに昇華しようとこの女は考えているのではないか。だから不利対面に文句ひとつ言わずに乗ってきたのではないか。
本当にもっと口撃を仕掛けるならそれでもよかったはずだ。
プロゲーマーが不意打ちで、しかも有利なビルドで素人にいきなり挑むなんて恥知らずだと配信上で糾弾すれば少なくないダメージをメルセデスに与えられたはずだ。だが、それをしてこない。
今案件配信中だと明かしてきたのも、ただこちらの動揺を誘うだけでなく、それを理解させてこちらの動きをエンタメ方向に誘導しようとしているのなら。
「(お前は本当に何者なんだ、ラノ。自分が炎上することも厭わずに、LOWWA子の配信の為に自我をすり潰せるというのか)」
配信業というのは、門戸が広い割に長続きするのはほんの一握りだ。それで生計を立てるなら尚更。今時人気な配信者は素人スタートではなく、プロゲーマーだったり何か他に強力な武器を有しているケースが多い。
ただ、回数を重ねることは無駄ではない。3年ほどやれば突発的な事象の対応もある程度慣れが出てくる。
対してラノ姉は今までの配信出演回数はわずか50回程度。LOWWA子チャンネルの活動期間から見ればかなり少ない。1年で50回ならまだしも、ラノ姉の場合は5年以上あってこの回数だ。配信者という観点で見ればかなり少ない。
あくまでLOWWA子チャンネルのサブキャラなのだ。
なのでラノ姉も案件配信に出演中というのは正直メルセデスとしても違和感を覚えている。正式な配信者ではない人物にGoldenPear社が案件依頼するなど聞いたことない。だが、流石にこの場でそんな大嘘をついてくるとは考えにくいので事実なのだろう。
初めての案件配信。
それもGoldenPearという配信社たちにとっては絶対に敵に回したくない存在。
その中でプロゲーマーに急に勝負を挑まれて平然と今の状況まで持ち込む。
「これは雑談なんだが、1ついいか」
「答えられることは限られるよ」
世に名を馳せる配信者達でも、この同条件で何人がここまで上手く状況を処理できるか。
「なぜアンタは独立しない?配信者として言わせてもらうけど、アンタには並外れた配信者としてのセンスがあるよ」
まさにこういうのを天職というのではないか。
ラノ姉の情報を集める中で、メルセデスはラノ姉の魅力を理解できた。
視聴者の捌き方、盛り上げ方、SNSを利用したネット上の立ち回り全てがパーフェクト。少し不気味なくらい粗がない。
「ありがとう。けど私はメインで活動する気はないんだ。やらなきゃいけないことが他にもたくさんあってね。LOWWA子の手伝いをしてるくらいが丁度いいんだよ」
「勿体無いな、とても」
「もっと才能を活かせることがあるんだ」
「そうか——————胸を借りるつもりで戦わせてもらうぞ」
「いいよ」
これは、プロゲーマーが素人にイチャモンをつける為の時間ではない。格下が格上にリベンジをする為の配信なのだと口に出す。
その言葉は思いの外スッと出てきた。
プロゲーマーが素人に投げかけるのには違和感のある言葉。されどプライドを度外視して、ラノ姉を格上と認めるとノイズだらけの思考がストンと整理された。
ラノ姉の同意を機に、2人はどちらともなく一気に動き出す。




