No.519 スモーク松ぼっくり
メルセデスは復讐心を燃え上がらせて走り出す。
場所は住宅街の中の狭いT字路。
だが、その突き当りは長方形に切り取られたように不自然に黒い。幅としては成人男性二人がギリギリ横並びで歩ける程度か。
その黒は近づくことでバランス調整をミスしたとしか思えないほどの影のグラフィックなのだと理解する。つまりこの道はT時ではなく、実際には十字路なわけだ。
しかしその暗く狭い道は農民しか利用できないいわゆる裏道。滞在制限時間こそあれ、この道に農民が逃げ込んだら武士はまず手が出ない。
ラノ姉が陣取ったのはその裏道ではなく、その手前。丁度十字路のど真ん中。いちでも逃げ込めるが、同時に戦闘するポーズは見せている。
走り込みながらメルセデスの目は目まぐるしく微細動し、その情報は即座に脳の中で整理されていく。
道幅は大きなトラックが1台が通れる程度より2周り程度大きい。おおよそ3.5m程度か。
手に持つ太刀、厳密には大太刀は刃渡り90㎝。
太刀、と聞くとアニメやゲームの影響で2m近いサイズを想像してしまう事もあるが、実際はあり得ない長さだ。冷静に考えて、2m近い鉄の棒を端を持ってビュンビュン振り回すことなど凡そ普通の人間には不可能だ。
サイズ設定では太刀はもっと長めに設定できるが、メルセデスは自分の身長を考えてこの長さにした。それでも実際に振ってみると頑丈な鎧を着ていてはなかなか思うように振る事は難しい。他のゲームで経験していなかったらメルセデスはもう少し刀のサイズを短くしただろう。
3.5mの幅の道、90㎝の刀を振るうには広いようで広くない。
さらに警戒すべきは農民の回避能力とアイテム数。下手に詰めると何が起きるか分からない。
「成敗!!」
「一揆、いくよ~」
単なる素人相手ならアドリブで切り返す自信がある。
しかし今対面に立つのはラノ姉。
今のメルセデスにラノ姉を侮る気持ちは1㎜たりともない。想定されるは同格。いや、必要なデータと戦闘回数が少ない分、同格以上の警戒。合理で計算をして動くメルセデスの評価では勝てると思っている。されど合理の外にある自分自身の奥底のなにかが警鐘を鳴らし続けている。
「(おそらく、この不気味さの源泉は…………!)」
目元が仮面で隠れているので目線が見にくい。
表情が微笑で固定されていがちなので感情が読み取りにくい。
ただそれ以上に、メルセデスがプロゲーマーだと分かっていて、更に今は配信中だというのに、まるで動揺がない。この異様な落ち着き用がメルセデスを不安にさせる。
無論、ラノ姉が人並外れて鈍感なだけのタイプの可能性はある。あるいは恐怖心がかなり薄いタイプ。
「(わからない!お前は一体なんなんだ!?)」
緩い声と動きでラノ姉はゆらりと姿勢を変える。
右手を後ろに腰を少し低く、左手を前に。まるで野球の投球フォームの様に。
彼我の距離は10m。農民のパラメータでも何かしらを投擲すれば十分にヒット圏内。
「そぅれ!」
「ッ!?」
そのフォームを見て自然と走る速度が急速に落ちそうになる。
同時にメルセデスの思考は高速で動く。
現状このエリアになにか細工を既に施している可能性があるが確認している暇はない。ただ、今までの分析から確実に何か手を打ってあると決め打ちする。
では、一方でここで何かを投げるとしたらラノ姉なら何を選択するか。
農民が使えるアイテムはかなり多岐にわたるが、ビルドさえ絞り込めればその候補をある程度は絞り込める。
農民は直接戦闘能力や自己強化のパークを増やせば増やすほどアイテムの所持枠と選択肢が減り、周囲の強化を優先して直接戦闘能力を捨てるほどアイテム枠と選択肢は増えていく。
「(今までの傾向的に、そして邂逅した時の立ち回りから考えるにこの女は少なくともコマンダー型!)」
農民の厄介な点は、そのビルドの自由度の高さもある。武士の様にはっきりと分かれていない代わりに、最大3つまでのビルドを選んで好きなパークを使える。勿論、選択ビルドを増やすごとにパークのリキャストやコストが重くなるなどのペナルティが付くが、その分、武士側は余計に農民がどんな技能を使ってくるか読みにくくなってくる。
AMMⅢの動きも検証してみたが、ラノ姉のタイプは選択肢が多いほど脅威度を増してくる。自分の適性を良く理解していると感心するが、 それが強いとは限らない。要するにラノ姉の選んだと考えられるコマンダービルドは仲間がいて一番効果を発揮するビルド。アイテムだけで戦おうとすればいずれリソース不足でじり貧になるのは確実にラノ姉の方が先。
なのに敢えて1on1に応じている。
「(勝算があるのか?配信映え?コマンダー型を選んでいるのは恐らく確定として、最初に投げたのはスモーク松ぼっくりだから―――――――)」
コマンダーは農民の中でも特に直接戦闘能力が低く、他のゲームで言えばバッファーが近いポジションだろう。コマンダーはアイテムのスロットですら少ない。とにかく仲間を強化して総合的な勝利を目指せるプレイヤーでもないと使いこなせないビルドだ。
なのに、アイテムを使う時に躊躇いらしい躊躇いを感じられない。
加えて、最初に投げたスモーク松ぼっくりを攪乱向き。武士と邂逅した時に逃走を選択しがちなコマンダーとしては是が非でもほしいアイテムだが、コマンダーの選択可能アイテムの中にスモーク松ぼっくりはない。
つまり、ラノ姉はコマンダー以外にも何かビルドを選択している。
「(スモーク松ぼっくりを選べるビルドは―――――――――)」
逃げるも攻めるも視界封じはかなり役に立つ。なので農民のビルドは多くあれど実際にスモーク松ぼっくりを選べるビルドは少ない。
そこから更にラノ姉の性格を鑑みる。
「――――――!」
その性格診断に思考が及ぶ前にラノ姉が動き出す。
素人にしては綺麗な投球フォーム。そこそこ練習をしたと見て取れる。メルセデスの動体視力はラノ姉の手に持つものが手の大きさを大きく超える様なモノではないと認識する。
今現在走るこの道は左側は裏口、右側は住宅の玄関がこちらに面している。
その中で特に気になるのが右側。桶が沢山出ている店と、野菜が並べられている店はスペースが開けている。少ない時間の中でも、なにか物を取って来たり、何かを隠しておいたりするのは難しくない。
メルセデスの思考処理の中でやたらその二つが引っかかる。
「(この女なら絶対に何かしている!)」
敵として憎らしいからこそ、人の意表を突いてくる人物と最大限警戒しているからこそメルセデスは確信した。
次に考えるのは投擲物。
何が飛んでくるのか。
選択肢は2つ。
将軍のガード系のパークを発動し強引に押し切るか、その場で避けるか。
ガード系は直撃こそしてアイテムの効果は発揮されるが隙が少ない。
その場で避けたらアイテムの効果は受けないが次の動きに隙が生まれる。
この女なら何を投げる。
まだ手前にある桶屋には少し距離がある。
「(ここは―――――!)」
まだデータが取り切れてない相手を前に隙を晒すことを嫌ったメルセデスはパークを発動した。
同時にラノ姉が振りかぶった手を勢いよく振り下ろした。




