No.Ex 第十章余話/NeWとNavyの現状報告❶
「はぁー…………疲れた」
「あ゛~~、しんど」
「2人ともお疲れ」
ソファには2人の男がホットタオルを顔の上に乗せて疲れ切ったオーラを滲ませていた。まるでおっさんである。各々の彼女の前では見せないかなりだらけた姿だ。
そんな男たちの前に柔和な笑みを浮かべた男がコーヒーと紅茶を置く。
「公認カウンセラーって児童保護のNPO団体より絶対児童保護に貢献してるって」
「俺達の仕事じゃねぇよマジで」
「はははは、其れは仕方ないね。やる気があっても権限がなければ違法になってしまうからね。何事も意思と権利、両方が並び立っていないと物事には軋轢が生じるものだよ」
「「知ってる」」
―――――――力なき正義は無能であり、正義なき力は圧制である。
とは哲学者パスカルの言葉である。
ただ、万人にとって平等な『正義』は存在しない。正義とは結局自己都合の一致指数の高い事柄を指しているだけで、大衆に該当しない方は損を被る。
正直であることは一般的には美徳とされる。しかし、もし老け顔の人に「私老けてると思う?」と聞かれて正直に老けていると答えることは良くないと怒られる。
世の悪を正す為のデモ行進は正しさを求める為の行為だ。されど道を塞がれたことにより損を被った人にとっては邪魔でしかない。
暴力を振るう事は良くない。人を痛めつけることは良くない。けれど暴れるヤツを皆の安全に取り押さえる為に多少痛めつけても批判されることはない。
平時の殺人は重罪だ。けれど戦時なら国を守る為に人を殺すことは正義とされる。
古の指導者は国の為に他国を侵略し、多くの屍を生み出した。それでも結果的に自国に多くの利を齎せば自国の歴史ではその指導者は『英雄』扱いだ。
『正義』や『正しさ』は絶対的なモノではない。時代や状況によって幾らでも変化する不確かなものだ。
故に、正義とはより正しい表現をするなら、『その時々に応じて最も多くの大義名分を持つ事柄』と言い換える事ができる。大多数に対し憚られる事のない事象を即ち正義と言うのだ。
そして、『正しい事』を『正しく為す』には基本的に3種類の人間が必要だ。
実行に至るまでの大義名分などを用意して御膳立てをする者。
大衆の意見をまとめて実際に実行する者。
そして終わりを綺麗に整える為に後始末をする者。
特にこの後始末役を忘れると物事を次に繋げにくくなる。
正義を貫くには何かが犠牲になり、その犠牲に対してフォローがいる。或いは、その少数の不満を握り潰せる人物が。
「って事でいつも通りあとは頼む」
「頼むぜー」
「了解。いつも通り処理しておくよ」
この3人がつるむ様になったのは、ある種役割分担が出来ていたからだろう。
裏方で動き回る事を好むNeW。
大衆を巻き込み多少のトラブルも強引に突破して事を起こすノート。
そしてその後片付けやバランス調整をするネーヴィー。
性根が似通いつつも役割が違うからこの3人は大人になっても強い繋がりを保っている。
特にノートとNeWは正義を振り翳しながら時に法的にもグレーな部分にも踏み込みまくるタイプなので、それを強引にシロとできるネーヴィーの様な調整役は必須だ。
「俺ら専属みたいになってるけど弁護士としてはどーなん?」
「新人の時から指名があるのは極めて有り難いね。おかげで出世株だよ。そこは僕らお互い様だろう?」
「だな。カウンセラー、探偵、弁護士それぞれがそれぞれの力を借りたくなる時が出てくる」
AIによる自動裁判なども進む昨今、弁護士はカウンセラー以上に更に狭き門ではあるが、弁護士にも種類がある。スピリタスの姉の様に刑事裁判などを担い、ドラマの様に実際に法廷に立つ弁護士もいる一方で、『裁判にならない様に仲裁という名の握り潰しを行う弁護士』というのもある。
特に児童保護に関しては保護者とのトラブルはほぼ必須なので、実際に面倒な裁判沙汰になる前に後始末をつける必要がある。それを担うのが雲類鷲だ。
「もっと国で動きゃいーのによー」
「警察も今や治安維持マシーンの整備係だからな。お役所仕事どころか本当に機械的な対応しかしねぇ」
「そう言いつつ保護活動やるよね?」
「そりゃお得意様のオーダーだからな。逆らえねぇよ」
児童保護は保護して終わりではない。
保護した後は連れ戻そうとする親と戦う必要があるし、保護された子供の方もしっかりとケアしておかないと死ぬまで残る様な深い傷が心に刻まれてる。ただ、カウンセラーとして虚しいのは、助けた時点でその子供には消えない傷が刻まれている事だ。カウンセラーにできるのはその傷を如何に適切に手当するか。
心の傷は重度の火傷に近い。
重度の火傷はどんなに速く処置をしても傷が残る。処置しなければ組織が壊死して最悪死に至るし、ケアが遅れるほど深い傷が残る。
警察は基本的に現行犯でしか動けない。
だから児童保護団体やノート達のような保護活動を行う者がいる。
しかしその保護活動者達も事が起きる前に、子供が傷つく前に止める事ができない。災害と違って予防ができないからこそ辛い現実と向き合い続けなければならない。
児童保護で一番メインで色々と奔走するのはNeWの役だ。あれこれ手を使い色々な証拠を集め、ノートが保護認定を出せるだけの用意を整える。勿論ノートも認定を出すのにかなりの根回しをしているが、本番は保護してから。子供の心を癒しながら子供の口から両親の実態を証言させて保護を継続させるための証言を得る必要がある。保護認定は親からの介入を防げるかなりの強力な命令なので下すカウンセラーにもかなりの責任がつき纏う。なのである程度保護センターに馴染むまでカウンセリングをして経過観察をするのもノートの仕事だ。
ではノート達がどんな経緯で保護対象となる子供を見つけてくるかと言えば、その保護センターを運営しているNPOだ。そのNPOが持っている小学校なども参加している独自のネットワークがあり、保護センターなどに色々な情報が寄せられる。そしてそこからノートに相談が持ち掛けられ、緊急性が高ければノートからNeWに話が移りNeWが証拠集めをして保護を実行する。
22世紀の日本は緩いディストピアなどと国民からも冗談めかして言われるほどの監視社会だ。
それでも家庭内部で起きている全てを感知する事はできない。特に虐待や家庭内暴力、あるいは直接的な暴力ではない、精神に対する暴力。
四角い板の角を切り落とし続けて円を作る。するとまた小さな角が出来る。角を切って切って、更に円に近づけていく。犯罪と法の関係はまさにこれだ。大きな角を切り落とすと小さな角が2つ出来る。何かを規制すると影で規制を掻い潜る小さな悪が生まれる。切っても切っても完全な円には至れない。それが人間の抱える業だ。
遠くから見れば円に見えても、その小さな角の当事者になってしまえば世界は円からまだほど遠い。
その小さな角に子供が立たされてしまったら。
場合によっては命の危機に瀕している子供もいる。直接的な暴力を今現在は振るってなくても、大人にとってはちょっと衝動的に振るった程度の力でも子供は容易く命を落とす。不可能にも近い『予防』を成すには多少グレーなやり方をするしかない。事が起きる前に救い出さなければならない。事が起きた後では遅いのだ。幼い子供の関わる事柄は気づいた時には手遅れである事が多すぎる。
故にノートには365日24時間いきなり相談が舞い込んだりする。人命がかかっているのだから仕方がないが勘弁してくれと言うのが本音だ。それでも無視できないのはカウンセラーにとって児童保護センターを運営するNPO周りがお得意様だからだ。
こんな大変な事をノートもボランティアでやるわけではない。
一応、建前では保護活動のためにノートに直接的に国から『給料』が払われることはない。払ってはいけないのだ。給料を支払えばその間には上下関係が出来る。人のプライバシーや心に踏み込むカウンセラーは独立している状態を求められるのでその状態は社会から許容されない。
ではどこで稼ぎが生まれるかと言えば、まず保護に成功した時に国からNPOに支払われる『支援金』。この一部がノートに『必要経費』として支払われる。国から直接ではなく、国からNPOを通じて支払われるのだ。そしてその後のカウンセリングでもノートに分割して『経費』が支払われる。
国家公認カウンセラーは資格を得ることができてもいきなり患者のカウンセリングができるわけではない。まずこのように児童保護など世間一般ではあまり認識されてないキツい仕事をする。どこかしらの事務所に所属し、下っ端から少しずつ下積みをして、NPOなどからの覚えが良くなり、事務所の先輩から事務所と提携している精神科医を紹介してもらい、ようやく個人依頼が少しずつ出来るようになる。
問題はノートの場合、そこを師匠のお陰でショートカットしている事だろう。まずもって苦労してようやく顔繫ぎできる精神科医と最初から知り合い。しかもその界隈ではトップの席を狙える男だ。色んな権利団体とも“仲良し”な先生はノートに自分の知り合いが運営する児童保護団体を当てがって下積みするように言った。やっている事は他の若手カウンセラーに近いが、ノートの場合はノートが代表者なのでかなりの無理を逆に通す事も出来る。実行部隊に身内を起用するみたいな事が出来る。
こうして大きな実績を次々と積み上げることで、若手が必死こいて登山している険しい山の上をジェット機で飛ぶようにノートは飛躍した。こんな調子なので世間一般からの覚えはかなりめでたいが、同期連中から蛇蝎の如く嫌われているのだ。
なんせ誰がどう見てもコネ採用である。更にムカつくのはコネなのは確かだが、同時に実力もずば抜けていてコネを感じさせないほど保護成功件数も圧倒的に多い事だろう。そして保護の後のケアに関しても非常に評判がいい。カウンセラーの世界は修羅の世界だ。コネだけどうにかなる世界ではない。患者はいつだって正直なのだ。特に子供は忖度などしない。
カウンセラーとしてもあまり扱いたがらない子供を相手に明確な成果を出しているからノートは若手トップと認められるだけの評価を得ている。
こうして弟子が活躍すれば、回り回ってその若手を見つけてきた先生の評判も上がる。先生の評判も上がればノートが借りられる虎の威のグレードも上がっていくので自分のやりたい事がやりやすくなる。お互いWin-Winと言うわけだ。




