No.465 Ginger
おみくじは小吉でした
対戦ありがとうございました
Gingerがアサイラムの周りでは大人しくなったことは、DDがアサイラムと戦闘し負けた事よりも大きな衝撃をDDに齎したと言っても過言では無かった。
それはDDにとってGingerはそれほどに制御困難な狂犬扱いだったという事であり、同時にDDの戦力として強い信頼を寄せられていたという事。アサイラムの急な襲撃で負けたけれど、Gingerがいればまた違う結果だったはずだ。そう潜在的に、無意識に考えていたDD達の心をへし折った。
ただ倒すだけでなく、Gingerが白旗を上げたという事実がDDを震撼させた。
ノートとしては予想の中では最良の結果。想定よりGingerが狂犬であれば問題があったが、Gingerはトン2や鎌鼬よりかはまだ人間的な感性があったので「逆らったらとても危ない」という本能的危機察知能力からノートと事を構える事を避けた。トン2達がどこか機械的な部分のある非人間性であるのなら、Gingerのそれは獣に近い。機械よりも獣の方がまだ人の情理を理解していた。
「せぃっ!」
「甘ぇなっ!」
ただ、Gingerはただビビッてアサイラム賛成派についたわけではない。ノートは恐怖だけで人を縛るやり方を取らない。実際アサイラム派を表明する事で大きな実利がGingerにはあった。
Gingerの直剣をスピリタスがギリギリで躱しカウンターの蹴りを繰り出す。それをGingerは柄でなんとか受け止め直撃を避ける、はずだったがスピリタスの蹴りの軌道がそれを読んでいたように素早く切り変わりGingerは鳩尾をメタルブーツで思い切り抉られて吹っ飛ばされる。腹を蹴られたが、吹っ飛んだGingerの顔は心底楽しそうな笑顔だった。
退屈は猫をも殺す。
戦闘に飢える狂犬。その飢えをアサイラムの面々は満たせるだけの力があった。アサイラムもアサイラムでGingerは“遊び相手”として申し分のない強さを持つ人物だった。
闇魔法の結界で周囲に暗幕を張り、声も一切漏れないように。要塞の一角に作った簡易闘技場の中で、アサイラムのメンバーに関する素性に一切言及しないという契約でGingerはアサイラムのメンバーと戦う事ができていた。
スピリタスとの試合を終え、Gingerはダグザの食物を食べてスタミナを回復。さあ次は誰が戦ってくれるのかと刀を再び構えると、小柄な人物が前に出る。スキルを使って意図的にパラメータを大きく縛っている、それこそリアルのレベルまで下げている事が同じスキルを持つGingerにはわかった。
「へぇ、次はアンタ?当然手加減はせんけども――――――」
楽し気に笑っていたGingerの顔が真剣になる。構えが一切油断のない物に変わっていく。
その小さな堕天使はいつもの双剣ではなく、一振りの刀を持っていた。どす黒い呪いに塗りつぶされたように真っ黒な刀身。まるでその空間だけぽっかり抜け落ちたような「黒」。
しかしGingerが警戒したのはその刀の異様さではない。堕天使から放たれている濃密な殺気だった。今までの遊びではなく、自分を本気で殺しに来ている殺意だ。
怒りや恨みを買った覚えはない。実際その様な感情に由来する嫌な匂いはない。なのに凄まじい敵意が向けられている。純粋な殺意が張り詰めている。これは、試合の時に感じる、それも世界大会で感じるような空気。
「アンタ―――――」
所作、刀の持ち方、無言の構え。
Gingerの記憶の中でその動きには強い既視感があった。この小さな堕天使が誰なのかGingerは本能で察した。この予測があっているのか問うてみたい。しかし実際に口で聞くよりもGingerには相手を深く理解する方法がある。
Gingerは獰猛な笑みを浮かべながら構えた。堕天使の発動しているスキルと同じ物を使い自分のパラメータに制約をかけ、リアルに近いレベルまで強引に落とし込んだ。
同時に堕天使から無言でシステムによる決闘申請が来て、Gingerは思考操作でこれに同意する。
「始め」
いつの間にか審判の様に立っていたノートがゴングを鳴らす。
今までの遊びのPvPにはなかった試合形式。
次の瞬間には黒い光のエフェクトが2人の真ん中で弾けていた。呻き声の様な重低音が涼やかな金属音に混じっていた。
Gingerの持つ直剣は特殊だ。特殊な保護をしていない武器であればGingerの直剣にぶつけただけで一撃で破壊されるか半壊する。しかし堕天使の持つ刀に罅はない。深淵の様な黒の刀身が浸蝕に抵抗するようにエフェクトを放つ。
何も言わずとも、決闘では特に制限こそかけていなかったが、お互いにスキル、魔法、初期特の能力の使用はなし。パラメータもリアルに大きく近づけている。故に求められるのは、この戦闘の結果を左右するのはプレイヤースキルだけ。純粋な刀の扱いの上手さだけが勝敗を決する。
傍からその決闘を見ていたノートには、パラメータ補正のお陰で動きを追う事はできていたもののどれほど高度な技の応酬が為されているかを全て理解する事はできなかった。互いにパラメータを縛っている事が疑わしい速度で反応し動いている。2人が刀を打ち合う音だけが響く。
この場に居るメンバーは誰もが沈黙しその戦闘を見ていた。
堕天使の、ユリンの戦闘で刀を合わせる音がするというのは非常に稀だ。膂力と体格の問題でどうしても鍔迫り合いではユリンは大きな不利になる。されどこの決闘に於いては金属の音が響いていた。
それはGinger側も同じ。Gingerも本来は積極的に鍔迫り合いを狙うタイプではない。女子VRチャンバラでは小柄よりに分類される体型。ユリン程小さくはないが、それでも平均よりかは小さく、筋肉が付きやすい体質でもない。ユリンと同じ回避主体寄りのプレイヤーに分類される。
そんな2人の刀が打ち合うのはそれほどこの戦闘の速度が速いという事。回避主体の2人がお互いにお互いの攻撃を躱しきれないと理解しているから、打ち合うしかないのだ。
極限まで研ぎ澄まされた集中力、そして殺意。
Gingerの顔に笑顔がない。表情筋すら余計な事に使っている余裕が無い。元々大きい目を更に見開いている。瞳孔が完全に開いている。相手の指先1つの動きすら見落とさないように。
ユリンにも口撃する余裕が無い。戦略を冷静に立てている暇がない。純粋な実力勝負をするしかない。
まるでそれは鍛造で武器を鍛えるかのようだった。
刀同士が打ち合う金属音は、熱された武器を鎚で打って不純物を押し出していくような檄である。
刀を打ち合う戦闘に慣れていない2人だったが、一つ打ち合う事に動きが洗練されていく。不純物が消えていく。研ぎ澄まされていく。
常人離れした学習能力。学習速度。そしてその経験を体に即座に反映させていく運動神経。それを応用に発展させ、更に違う打ち合い方を学び改善する圧倒的な戦闘センス。一つ音が響くたびに次の動きは一つ上のステージに至る。
常人が数年、下手すれば競技人生を賭けてようやく掴む感覚を数振りで掴み、そして超えていく。
まだこの2人は、戦闘センス、戦闘経験の限界に到達していない。
既に世界でも頂点を取れると評価される2人は、まだまだ成長途上であるという事を理解できる者が果たして何人いるのか。
スキルや魔法は一切使っていない。ゲーム的な要素の介入は大きく減っている。だが、常人のなんでもアリPvPよりも2人の戦闘は常人離れしていた。純粋な戦闘能力を極めていった結果、2人の戦闘はまるでアニメの様な挙動をしていた。
読み合いの時間を与えることはなく、ただその戦闘センスの暴力をぶつけ合い続ける。止まれば死ぬと言わんばかりに動き続ける。蹴り、投げ、ユリンの格闘攻撃にもGingerはカウンターを返そうとし、更にユリンのカウンターが炸裂し、それを受け止めながらGingerが更なるカウンターをし――――――カウンターとカウンターが無限に連鎖していく。
次の一手を思いつけなくなった奴が負けと言わんばかりに攻撃が止まらない。
チャンバラのはずなのに互いの膝蹴りがクロスする。従来の動きに一切縛られない動き。人外に片足突っ込んでいる運動神経任せの暴力。呼応するように、共鳴するように。互いに互いの不純物を削り落とすように。
「ああなるのか、実力が完全に拮抗すると」
ノートの口からぽつりと言葉が漏れる。
自分には恐らく一生かかっても理解できない領域の戦闘。見ているだけで震えるほどの、常人を絶望させるほどの才能の暴力。ノートが求め、しかし決して届かないものと理解しているモノ。
「そこまで」
「「!」」
嫉妬しつつも、まだ見ていたいと思えるその超絶技巧の競り合いをノートは中断させる。召喚したメギドが2人の間にハルバードを振り落とし強引に流れを断ち切る。
あまりに深く戦闘にのめり込んでいた為か、2人の殺意はノートに向けられる。気の弱い者なら怯えて蹲る強烈な殺気だが、ノートはそれを微風の様に笑って受け流す。むしろ羨む。そこまで同じ視座で本気で競り合える敵と戦えるのは楽しそうだと。
「それ以上はユリンの刀が壊れる。あと、掠った程度ではあるがそれだけでお互いの装備が破壊されかねない。それにこれはVRチャンバラじゃない。スタミナの概念がある。その続きをするには、完全に舞台を整えられるほど安定した状況になってからだ。或いはプライベートでやるかだ」
ユリンが持つ黒い刀はノートに冷遇され続けている事に定評のある骸獄がガチャで吐き出したモノ。骸獄は実験にて定期的に色々な物を廃棄、もとい食わせている。そうして骸獄が吐き出してきた物の中でもトップクラスに呪いを受けた刀だ。
それはもはや『呪われた武器』というよりは『呪いが武器の形になっている』と言ってもいいほど大量の呪いが付与されている。呪いに対して極めて強い耐性を持っている秘忌人か堕天使でもない限りまともに触れない代物だ。
ユリンにとっては一種の切り札に近い武装だが、ユリンはGingerにデスペナを貫通する呪いを与えたくてこの武器を取り出したわけではない。このレベルの武器ではないとGingerの武器、初期限定特典である刀とまともに戦えないのだ。
装備破壊。
厳密には『存在』ドレインと言うべきか。刀に触れる度に力を吸い取られて破壊されてしまう。
初期限定特典の能力と10分近く競り合えただけ、逆にこの刀を褒めるべきだろう。罅こそ入っていたが呪いをもう一度継ぎ足して骸獄に食わせればまた直せる範疇だった。問題はそれ以外の装備。呪い弾き系の消費アイテムは全損し、装備もお互い呪いの影響で大きく劣化して修復不可能に近づきつつある。本番前に装備を壊されては困ると、心を鬼にしてノートは止めるしかなかった。
少しずつ頭が冷えてきたのか、ゆっくりと2人の殺意が小さくなっていく。ゾーンに深く入って沈んでいた人間的な精神が浮上してくる。
そして身体の神経も同時に通常モードに切り替わっていく。呼吸は無意識に最低限しかしていなかったのだろう。無論VR故に極論呼吸に関しては関係はないのだが、それでもユリンとGingerは呼吸を思い出したように荒い深呼吸をして今にもしゃがみ込んでしまいそうだった。
「はぁ、はぁ、はぁ、アンタ、さ―――――」
VRの感覚制限を乗り越えてのめり込んでいたせいでユリンとGingerの身体にはいきなりとんでもない重りが伸し掛かった様な感覚に襲われる。ゾーンに入る事で振り切っていたスタミナ消費の感覚が纏めて反映されたのだ。
それでも、今しか言えないと言わんばかりにGingerは命を削る勢いで強引に言葉を絞り出した。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、な、に?」
初対面の人間にはいつもハリネズミの様に棘をむき出しにして威嚇しがちなユリンだが、幾分か素直な言葉をGingerに返した。Gingerが刀を通してユリンを理解したように、ユリンもGingerと刀を交えてGingerの性根をなんとなく感じ取っていた。才能が一定領域を超えてしまったが故の孤独を知る者同士だけが理解できる感覚だ。
「アンタ、さ―――はぁ、はぁ、――――女、舐めん、じゃ、にゃーわ!勝手、に、はぁ、はぁ、女、見、限って、んじゃ、なーぞ!―――はぁ、はぁ―――いらん、こと、言う、奴は!――――はぁ、はぁ、ウチが、一緒に、ぶちのめし、ちゃるから!!まだ!間に合う、から!」
「……………………」
いつもストレートな言い回しをするGingerにしては、かなり表現を選んだ婉曲的な言葉。ユリンは何も言わない。呼吸を荒くしながら俯く。
ノートがGingerの言葉を咄嗟に止めようと口を開いたが、拳を強く握りしめて堪えた。こうして自分が守り続けているだけでは、自分も、ユリンも変われないから。
「ウチは、待っとるぞ!―――――――今年、世界の、テッペンで!」
鉄塊を首から吊り下げられたように重い頭を必死に上げて、ユリンの目を真っすぐ見つめて、吼えるように、自分の想いが届くように叫んで、そしてGingerは遂に耐えきれずに膝から崩れ落ちた。刀を杖にして縋るように。身体が呼吸を求める脳の信号を無視して叫んだ代償を受けていた。
「なぁ、ノート。お前もしかして………いや、なんでもねぇ」
「のっくんはさ~自分が苦しい事はだまーってやっちゃうからねー」
「昔からそうよね。私達くらいには理由を先に話せばいいのに」
それを見ていたスピリタスはどうして急にノートがアメリカに行くなどと言いだしたのかその理由に思い至り、トン2と鎌鼬は引きとめるように、精神的なアンカーとなるようにノートの服を掴んでいた。長い事ユリン本人と同じくらいノートが苦悩するところを見てきた二人だからこそノートが何を考えているかよくわかっていた。
「……ついでだ、ついで。まぁ、思ったよりかGingerはアツい女だったらしい」
ノートとしては本当についでだ。Gingerの性格に関しては色々な情報から予想していたがそれが100%合っているという事はない。読み違える事もある。ユリンにもGingerと戦ってほしいと言っていない。Gingerとユリンが戦うかどうかはそれこそノートは運任せにしていた。場を整えたが2人が戦うかは本人たち次第だった。
結果はこの通り。ノートの予想よりも遥かにGingerとユリンは共鳴した。Gingerは見るモノを怯ませ、闇を強引に照らすほどに真っすぐで強い女性だった。
ユリンは何も言わない。反抗するわけでも、怒るわけでもない。
納刀し、黙り込んだ。
これ以上はもう喋れないと、ステータスを縛った代償を受けて大の字でGingerは地面に転がっていた。そのGingerをユリンは黙って見下ろしていた。
もしこの話題を口にすれば、友人と認めているトン2達相手でも、例えそれが実の両親であっても激怒する内容だったが、思う所があるのかユリンはただただ沈黙していた。
「お頭が来たな。作戦は成功したようだ。ちょっと外に出るわ。…………あとの事、頼んでいいか?」
「いいよー」
「ええ」
「おうっ」
「ありがと」
外に出るために仮面を付けたノートの表情は分からない。それでもノートが私事で頼ってきた事に対してトン2達は嬉しそうに頷く。
ほんと、いい女達だ。
ノートはそう思いながら、余程頭を抱えることが多いのか非常に悩まし気な表情でこちらの闘技場に歩いてきているお頭、そしてそれに続く部下達の様子をグレゴリの共有視界越しに見ながら闘技場の結界の外に出るのだった。
初期限定特典図鑑㉒
【Mirror mirror(鏡よ、鏡)】
自由に形状や大きさを変化させることの出来る鏡を器とする初期限定特典。鏡自体耐久値が無限なので無敵の盾として機能する上に、鏡で映した敵や武器、魔法などを複製する事が出来る(なお複製時にはノートの本召喚の様にコストがかかる。複製の精度、品質は鏡で映した時間と費やした生贄の品質に依存する)。重要なのは武器や魔法の複製が可能な事だろう。更に追加のコストを払う事でストックをする事もできる。勿論自分で使った魔法をストックしておいて好きな時に鏡から放つこともOK。自分の姿を映しておいてストックする事で疑似的な残機として使う事も可能。なお、鏡には強い毒性があり、複製物に全て毒が付与されることも一つの特徴。なので複製したアイテムや武器も持つだけで毒状態になるし、食べ物の複製なんてもってのほか。この毒は鏡の使用者自身もレジストできない毒となっている。また自分を鏡に映して残機にすることはできるが、写した分だけ複製元の物質は呪われて劣化するので自分を複製すると自分が常時弱体化状態になりかねない。なので無限に武器やアイテムを複製するとかもできない。
加えて最大の難点は鏡自身が意思を持つところ。盾にはできるが盾にすれば好感度は下がるし、あまり適当に使っているという事を聞いてくれなくなる。また、複製は100%成功するわけではなく、稀に失敗することで元の物質がただただ大きく劣化する。この失敗率は鏡の好感度に依存している。




