No.Ex 第八章補完話/VRチャンバラ全日本大会++++++++ ユリンのターン
吉ケ別府は焦らないように心を落ち着ける。自分は長期戦が得意なのだから焦る必要はないと。
吉ケ別府の強さは周囲をアッと言わせる得意技を持っている事ではない。むしろ泥臭い試合展開をすることが多い。ただ、全てのパラメータが高水準なのだ。
ALLFOで例えるなら、スキルや魔法の数は多くないが1つ1つの質が高く全てのパラメータがS或いはAに到達している感じだ。その上ビルド構成自体も近接、中衛、後衛と全てのポジションをこなせる万能型。初期限定特典のような一点突破のピーキーさとは対照的な徹底した堅実性を持つ。
そして集中力という点に関しては他の選手と比較しても目を見張る強さがあった。
全パラメータが高くて苦手が無くて戦闘体力が高い。彼は無理な大技を出す必要がない。自分の力でしっかり戦えば大概の相手はボロが出る。そのボロが出た瞬間を突いて少しずつ相手のペースを崩していく。致命判定を避けて相手から堅実にポイントを取っていく。長期戦は吉ケ別府にとって得意分野と言えた。
問題はリントだ。
リントはそれこそピーキーを突き詰めたような選手だ。F1カーに近い。あまりにも尖ったパラメータをしており、その反面どこかに支障をきたせば全てが総崩れしかねない危うさを持っていた。それでも短い時間だけならそのモンスターエンジンは誰にも負けない。そのタイヤが焼き切れる前に、モーターが火を噴く前に決着をつけてしまえばいい。リントはそんな危うい設計思想の元で作られた様な存在だった。
これに加えてリントにはムラッ気があった。集中している時は恐ろしいほどに強いのだが、急にやる気を失ったような状態になったり、集中力が続かなくなったりする。そのせいで過去にも予期せぬ相手に致命判定を取られている事も有る。
リントの弱点はムラッ気。また、長期戦に持ち込まれた時に集中力切れを起こした時に負ける傾向が強かった。体格的、膂力的ハンデを抱えてるためにリントは人一倍注意して動き、回避し、如何に相手を早めに倒すか考えなければならない。脳にかかる負荷は人より遥かに大きい。集中力が続かないのはリントの性格だけでなく、リントの体格上仕方のない事だった。
だが、その集中力の低下が今は見られない。
いや、厳密には低下しているのかわからなかった。
今までのリントと言えば張り詰めた弦の様で深く集中している時の目には恐ろしい殺気が宿っていた。反面集中力が切れると明らかに瞬きが増えたり目を細めたりと顔から覇気が薄れるのだ。冷酷非情な感じだが感情が顔に出ないわけではない。リントを知る選手はリントの顔を見てペースを測ることも少なくなかった。
しかし今のリントは違う。冷たいわけでも殺気立っているわけでも腑抜けているわけでもない。恐ろしいほどに凪いだ瞳をしていた。疲れているのか集中しているのか表情から全く読み取れないのだ。
吉ケ別府はリントに対して攻撃を何度も行うが、リントは回避したりしつつ偶にカウンターを織り交ぜてくる。格闘攻撃を使う気はないらしい。真っ当に剣で返してくる。時折致命判定を狙った鋭いカウンターが飛んでくるが、そこは吉ケ別府はしっかりガードする。リントを沢山研究してきたからこそ吉ケ別府は防げる。しかし完全に防げるわけではなく刀身を掠らされジリジリとポイントを取られる。それは正にいつも吉ケ別府がやっている戦い方だった。
「(焦るな、致命判定だけは取られるな。この点差ならまだひっくり返せる。今の俺はベストに近い。ほぼ理想的な形で全部致命判定攻撃を防げている)」
しかし吉ケ別府に焦りはない。吉ケ別府は自分の集中力の高さ、戦闘体力には人一倍自信があった。最悪このラウンドを捨ててもいい。リントからすれば吉ケ別府のスタイルを真似することは大きな体力の消耗に繋がる。この戦い方は吉ケ別府の集中力の長さありきなのだ。
「(焦れてきたな)」
そして徐々にリントのカウンター攻撃は雑になっていく。
吉ケ別府の戦い方は集中力の長さもそうだが、派手な攻撃を控えるメンタルの強さが必要だ。焦らずジックリと、相手の隙を見たからと言って即座に飛び込んだりしない。手堅くリスクの低い攻撃を重ねて相手の体力をジワジワ削るのだ。慣れてないとかなりイライラする時間が続く。そもそも吉ケ別府の戦い方を真似をしながら体力消費の大きい致命判定攻撃を狙ってきている時点で完全にスタイルを模倣できているわけではない。付け焼き刃のやり方だ。
「(ここで集中力を削り切ろう)」
吉ケ別府はリントの致命判定攻撃にも段々慣れてきて、そこから連鎖するように刀身を掠らされることもなくなってきた。被弾が大きく減り、凪いでいたリントの表情に微かに焦りが滲んだ。
「(はは、焦ってるな。ここまで完璧に致命判定攻撃をガードされると思わなかったんだろ)」
今の吉ケ別府は吉ケ別府自身でも驚くほど集中できていた。リントの致命判定攻撃は研究ししっかりと対策を練って尚ガード困難な恐ろしい攻撃だ。既に全日本大会を2連覇しているリントの攻撃は全ての選手が研究しているのにも関わらず今までの選手の殆どがリントに致命判定攻撃を食らっていた。
対して吉ケ別府の防衛率は模擬戦でリントのモーションをインストールしたアバターと特訓した時よりも上回っていた。練習よりも完璧なガードを吉ケ別府は行っていた。
「(このままいけば俺の…………!俺の…………ん?)」
そして吉ケ別府は気づく。
あまりにも“完璧すぎる”事に。
昨今のスポーツ業界はデータをスポーツに活用し始めた21世紀初頭から更に進化を続けほぼ全てがデータ化されていると言っても過言ではない。特にVR系統はデータがそっくりそのまま取得されるため、選手の癖から“視野の動き”、“呼吸のペース”、“瞬きの多さ”などまで精密にデータ化される。
そしてそれだけのデータが揃い、更にはカウンセリングを可能とするAIまで当たり前の様に存在している22世紀、選手の思考回路や性格傾向が会得した情報から分析されるの当たり前のことなのだ。
その結果として相手選手を模倣した様なNPCを作る事さえ出来てしまう。
無論、データが全てではない。しかしデータは嘘をつかない。
試合中にいきなり覚醒する主人公気質みたいなバグも偶にいるが、それは極めて特例だ。人間は練習とかけ離れた力をいきなり発揮することはまずない。練習より下回ることはあってもだ。長期戦を展開する吉ケ別府は普通の選手よりデータを強く重要視していた。
どうすれば相手を焦らせることができるか。どうすれば隙を作れるか。手にした分析データから相手の攻略法を考えて堅実に戦う。それが吉ケ別府の戦い方だ。
その吉ケ別府は来たるリントへのリベンジへ向け、リントと戦っていない期間もリントのデータを追ってきた。そしてそのデータからAIは奇異な分析結果を吐きだした。
リントという選手の中にはまるで人格が乖離した思考回路がある、と。
彼が表に見せている顔やインタビューへの対応などその他諸々から推定されるリントの性格と合致する動きは多い。しかしリントがスタイルを変える時、今まで取得されたデータとは異なる分析結果が弾きだされていた。
それは奇策師、アイデアマン、策謀家、人の不意を突くような、最小限の力で最大限の効果を齎すことに喜悦を得る様な、破滅願望にも近い非常に危ない手札を躊躇いなく切るような。
間違いなくそれは吉ケ別府の思い込みと極めて高い集中力がバグの様に生み出した幻覚だった。VRの視界データはリントのアバターデータを勝手に書き換えたりしない。故にそれはVRから送信されたデータを受信している吉ケ別府の脳側の問題だ。
吉ケ別府の直感が無視できないエラーを感知した瞬間、リントの手がブレた。小さなリントの姿に別人の影を見た。
全力で攻撃を行う。次はその1%低めのクオリティの攻撃を行う。その次は更に1%低めのクオリティの攻撃を行う。
一回一回の振れ幅は誤差に感じる程度の差。むしろ“集中力が切れてきた事で精度が下がっているのだ”と認識してしまいそうな自然な力のセーブ。
生きているカエルを熱湯に放り込むとカエルは命がけでその熱湯から脱出しようとする。
しかしカエルを常温の水の中にいれゆっくりと水を熱していくと、先ほどは触れた瞬間に即座に命がけで逃げようとした高温に達してもなかなか行動を起こさない。
致命的な毒には人は即座に反応するが、遅効性の毒には反応が遅れる。
その毒はじっくりゆっくり流し込まれていた。
心理学を少しでも齧っていれば人間の脳が如何におバカで怠惰なのか理解する。
人の脳は楽をしたがる。本人は常にフルスペックのつもりでも脳が慣れてしまうと基準点がズレる。基準点を勝手にズラしてしまう。
何かのドラマを通常速度で視聴する。それを3倍速にしてみよう。当然の如く映像は早くなる。1分間に脳に送られる情報量は単純計算で3倍になる。集中して聞いていないとセリフを聞き逃すし見るべきものも見逃してしまう。
しかし3倍速である程度映像を見てもらった後で、それを2倍速にしてみたらどうだろうか。2倍速は普通ならかなり速い。この速度でも視聴に適した速度とは言いづらい、普通なら。けれど3倍速になれた後に見ると、2倍速でも十分聞き取れる。脳の基準点が「3倍速の映像」になっているので、2倍になったことで随分と見やすい映像になったと錯覚するのだ。
ではその逆をやったら?
リントが繰り出したのは混じりけなしの“全力の攻撃”。
今大会で「全力」と考えられていたその速度すらもフェイク。
吉ケ別府は少しずつ遅めの速度に脳を慣らされていた。最初に速攻戦を仕掛けなかったのも全ては吉ケ別府の中にある“スピードの基準点”を狂わせるため。
セーブされていたリントの攻撃を“全力”と錯覚させられていた吉ケ別府にはリントが繰り出した攻撃が見えなかった。
いつもの吉ケ別府なら試合開始時なら防げたかもしれない速度の攻撃。その攻撃が遅い攻撃になれてしまった吉ケ別府には馬鹿げた速度の攻撃となって襲いかかってくる。




