No.Ex 第六章余話/オフ会 +++
「ありがとう。本当に」
ワインをお互いに注ぎ、軽く取り留めもない雑談。それが一段落したところで、朝音の父は切り出した。
「娘は…………実の父親である私が言うのもなんだが、あまりとっつきやすい子ではなかっただろう。特に、貴方方の様な煌びやかな人達とは縁遠い子だ。それでも馴染めているということは、朝音自身の成長だけでなく、貴方方の歩み寄りもかなり大きいのだろう。本当、ありがとう」
「ははは。先ほども説明したように、最初はかなり不純というか、ゲーム的な利益目的で近づいたわけなのでそう言われると…………ですが、娘さんの人柄に惹かれたからこそ、我々もこうして今でも仲良くさせていただいているわけでして。ネットの垣根を超えて会おうと思えたのも、すべては娘さんの性格の良さあっての物ですよ」
「そういわれると、私も嬉しいな」
かなりのペースで飲んではいるが、朝音の父親は大して堪えた様子がない。
先ほど酒をのんで朝音のエピソードを無限にしゃべり続けていた時よりもアルコール量は明らかに多いのに今の方が随分と落ち着いて見えた。
「(やっぱり、割と無理してたのか…………)」
朝音は恥ずかしくて気づいていなかったようだが、父親もデリカシーを忘れて娘の恥ずかしエピソードを開陳していたわけではない。父親として色々と思うところがあったのだ。ノートもそれには何となく気づいていたのだが、今のワインの飲みっぷりを見てそれは確信に変わる。
そもそも、昼間から酒を飲んで娘の事をべらべら喋ったり、色々と自分から話そうとする父親の姿は、朝音から聞いていた父親の特徴とはずいぶん異なっていたのだ。
「私は…………あまりいい父親ではない。自分なりに色々気を使ってみたのだが、いつも空回りしているんだ。とても懐いていた祖父母が亡くなり、同時期に転校してふさぎ込みがちになった娘と、私はどう向き合っていいのかわからなかった。祖父母に世話を任せていたツケが回ってきたのだな。何かを自分からやりたいということも殆どなく、私達の勧めた道に文句の一つも言わずに進み、いつしか娘の本音が全く聞こえなくなっていた」
「…………本音、ですか」
「昔の朝音はもっと明るくて活発で、こちらが止めないと好き勝手に動き回るような自由な子だったんだ。写真で見せた虫かごに虫取り網を持って森を走っている小さな女の子が朝音だった。今の様子からすると想像しがたい姿だろうけどね」
口下手でも、努力しなかったわけではない。なんとか昔の様にならないかと自分なりに努力した。しかし、娘の変調に気づいたときにはもはや手遅れの段階に踏み込んでいた。朝音側も、活発ではあったがあまり自分から何かをしたいと言う方ではなく、とても穏やかな性格をしていた。おまけに両親の口下手を見事に引き継ぎ、その上相手の内面を察する才能も欠けていたため、連鎖するディスコミュニケーション。想いは拗れに拗れる。お互いに大切に思っているのに歯車の噛み合わない家庭、それが霜月家の現状だった。
そんな歪みが、ノートにはしっかりと見えていた。
「いえ、娘さんが実は結構明るい性格をしているのはなんとなく気づいてましたよ。緊張しがちに見えて決めなきゃいけないところでは覚悟を決めてしっかりやり抜きますし、努力の才能は頭抜けていると思います。時間はかかりますが、徐々に娘さんの抱えている問題も改善していくでしょう。非常に素直ですし、過剰にネガティブな思考もしていないので、正しい努力のやり方さえ分かっていれば、あとは自然と、という感じです」
アルコールの入った朝音はとても楽しそうで、ニコニコと笑っていた。手放しに料理を褒められてテンションが上がっているのもあるが、アルコールで普段抑えらえていた物が出てきたのだ。
泣き上戸、笑い上戸、怒り上戸、などなど。酒が入るといつもとは違う一面を見せる者がいる。普段抑圧している物が大きい人ほど、その反動は大きい。
元々明るい性格をしている朝音は素直に感情を表現し、「自分が今話していることが可笑しくないか」という普段の妙な不安もないので喋りも流暢だった。普段、イライラや不満をため込んでいるならばこうはいかない。滅茶苦茶に飲んで好き勝手暴言を吐きだしても不思議ではない。物静かな人ほどアルコールでタガが外れると普段ため込んでいる分大噴火するのだ。
「あなたは、確かカウンセラーだったね。流石に娘の事をよく見ている。むしろ実の父である私よりも理解しているのかもしれないですね。ふっ、なんとも情けない父親だ。しかし、こんな事を言う資格は無いのかもしれないが、なんだか少し寂しい物だ」
「寂しい?」
「いつかこんな日がくるかもしれない。などと生まれた時には良く思ったものだが、実際に娘が1人の男性に恋する姿を見るのはなんとも言えない気分になります」
「…………」
鈍いように見えて案外鋭い所もあるのか、唐突な話にいきなり噴出さなかっただけノートは自分を褒めたくなった。ある程度、事前に予想をしていた範疇というのもあるのだが、それでもかなりの不意打ちだった。
「君達はゲームを基盤とした友人関係ということだが、それだけではないのは何となく私にもわかりましたよ。娘が貴方に向ける視線が明らかに違うのも」
「それこそ、言っていい事なんですか?娘さん、怒るどころじゃなくなりますよ」
「あなたなら気づいていると思ってね、つい口が滑りました。半年くらい前から娘が少しずつ変わり、父親から見ても綺麗になっていったように見えました。友達ができて、自分の見た目を今までよりも気にするようになったのかとも思いましたけど、恋を知ったからと思えば納得です。女性は恋をすると綺麗になるというのを、娘で実感するとは…………複雑な気持ちですよ」
「娘さんのお気持ちは結局娘さんしか分からないのでコメントは差し支えますが、いい変化なのは確かだと思いますよ。最近は自分から色々と何かを試したりすることも多くなりましたし」
この会話の行き着く先はどこなのか。女友達の父親との会話としては既にかなり気まずいパターンなのだが、ノートも可愛げのある性格をしていないのですんなり受け流す。
暫しの沈黙。ノートのグラスが空になったのに気づき、ボトルを差し出す朝音父。礼儀としてノートがグラスを出したところで、朝音父はジッとノートの目を見つめた。
「こんなことを頼むのは父親として思うところもあるのだが、父として、朝音とは真摯に向き合って欲しいのです。どうか、この通り。例えどんな答えにせよ、正直に思いを伝えて欲しいのです」
グラスにワインを注ぎきると、そのまま深々と頭を下げる朝音父。
そこには有無を言わさぬ圧があり、ノートもコクリと頷く。
「適当な事を言う気は私もありませんよ。ただ、お父さんとしては思うところはあるんじゃないですか?」
『なに』を指して『思うところ』なのかとは言わない。ただ、それでも朝音父には言わんとするところは伝わっていた。
おかしな男女比、対する女性陣の言動を見ていれば、わかる人にはとても歪な関係に見えるだろう。同じ男からすれば尚更、そこに娘が加わっているとならば、親によっては全力で引き離そうとするだろう。
ノート自身とて、もし自分が父親だったら納得できない状況だと思っているのだ。父親の目にはどう映るのか。ノートも酔いが回ってきているのか少し突っ込んだ返しをした。
「あるよ。あるさ。でも、娘も、周りにいる女の子たちも楽しそうなのが伝わってきてね」
対して、朝音父も率直な答えを返す。同時に離れの方から本家のほうまで聞こえるほど明るい笑い声が響いた。ひと際大きく朝音の笑い声が聞こえる。何か余程面白いことがあったのだろう。
「グループの中心である君がいなくても、娘が楽しそうにしているのがわかるとなんだか安心するよ。ただ恋だけに生きているわけではなく、女性たちともちゃんと友人関係を築けている。そう思うと、そのキッカケを作ってくれた君には強く出れないですよ」
父親の矜持。同時に、自分が父親であると胸を張れるだけの自信もなく。内心、父親としてはとても複雑だ。それでも娘が幼少期以来見たことがないくらいに楽しそうにしているのを見ると、何かをあれこれ言うよりも先に安堵と嬉しさを父親としては感じるのだ。
「娘を、よろしく頼みます」
「…………ここで、素直に『はい』とは言いませんよ。けど、きちんと最後まで責任は取ります。カウンセラーとして途中で突き放すことはありません。自分の言動にも責任は持ちます。『はい』とすぐに答えられたらよかったんですけど、今はこれで勘弁してください。ワイン、ご馳走でした」
色々こみ上げた物を飲み下すように、渋みの深いワインを一息でノートは飲み干す。頭のチューニングが微かに歪むが、まだ理性はしっかりと働いている。
深々と頭を下げた朝音父に対し、ノートも立って深々と礼をする。自分が今できる、最大限の礼をする。
ほんのわずかに覚束ない足取りで離れへと戻っていくノートの背中に向け、朝音父は最後まで頭を下げ続けていた。




