第4話 一錠残った風邪薬
雪がちらちら舞うある冬の日……。冷えこむ廊下を足早に歩き、部室に向かう将来の妻。扉を開けるなり、部屋の中で小説を読んでいる将来の夫に悪態をついてしまいます。
「……何で今日も早いのよ」
将来の妻は、そのまま部室に入ると将来の夫と向かい合うように座り、机の上に置いた鞄から教科書やノート、スポーツ飲料をお店を広げるように出し始めます。
「君が遅いだけじゃないかな? それよりも……」
将来の夫は、鞄を机の横にかけマスクをずらしながら一口だけスポーツ飲料に口をつける、将来の妻を気づかうように言葉を続けます。
「身体、大丈夫? 風邪でも引いた?」
心配してくれる将来の夫に、将来の妻はちょっとだけ頬を紅くしながら答えます。
「……大丈夫よ、これくらい。朝もちゃんと風邪薬飲んできたし」
将来の妻はそう言いながら、鞄の中から風邪薬の入った薬瓶を出し、その中から風邪薬を三錠手のひらに開けて、それをスポーツ飲料で服用します。
その様子を見た将来の夫は、読んでいた小説の手を休め、将来の妻に声をかけます。
「……そういうの、止めた方が良いよ? 薬の効果が薄まっちゃうから」
「しょうがないじゃない、昼間、薬飲めなかったんだもの」
しかし、将来の妻は聞く耳を持たず、一錠だけ残った風邪薬の瓶を鞄の中に仕舞い、机に向かって勉強を始めました。
「ごほ、ごほ!」
少しずつ、咳き込むようになる将来の妻。将来の夫が、心配しながら声をかけます。
「ねぇ、今日は無理をしないで早く帰ったら? 何か辛そうだし……」
「……どうして……そういう意地悪言うのよ……」
声を震わせる将来の妻。気を使ったつもりの将来の夫の言葉は、彼女にとっては失言のようでした。
「……意地悪を言ったつもりは無かったんだけど……」
ふたりの間に、しばし沈黙が走ります。雪の降る、しんしんという音が聴こえてくるほどの……
「そういえばさ……」
将来の夫が、思い出したかのように口を開きます。
「風邪って人にうつすと治るって言うよね」
「……だから何よ……」
くぐもった声で答える将来の妻。
「僕にうつしたら?」
「……ヘ?」
将来の妻は、将来の夫の言葉に条件反射のように顔を上げ、目を合わせてしまいます。
「でも、そんな事したらあなたが……」
「もしかして、僕の事を気遣ってくれてるの?」
将来の夫のからかうような口調に頬を紅く染めた将来の妻は、力強く机を叩きながら立ち上がり、思わず大声を出してしまいます。
「……そ、そんな訳ないでしょう!! どうして私があなたの事を心配しなきゃならないのよ!?」
「じゃあ僕にうつしても問題ないよね?」
どこか勝ち誇ったような将来の夫の言動……将来の妻は、その将来の夫の口振りに、両手を握り締め、身体をわなわなと震わせます。
「……誰が……あなたと……あなたとなんか……」
そして、口を滑らせました。
「誰があなたとキスなんかしてやるもんですか!!」
次の瞬間、右手を口に当て、はっとしたような顔をする将来の妻。
「……僕、一言もキス何て言ってないけど」
「……う」
押し黙ってしまう将来の妻。将来の夫はそんな将来の妻に向かって優しく微笑むと、こう語りかけてきました。
「もしかして君、本当はキスで風邪をうつそう、なんて思ってた?」
「思ってない! あんたとキスしてあげようなんて、これっぽっちも思ってた無かったから!!」
それを聞いた将来の夫は、心を見透かしたかのように将来の妻の目を見つめます。
「本当かなぁ……? でも風邪をうつす方法なら、他にも色々あると思うよ?」
「た、例えば……?」
将来の夫の言葉に耳を傾ける将来の妻。言っていることが既にバイオレンスな事に気づいてないようです。
「そうだなぁ……抱き合うとか、かな? そうすればお互い密着状態になるから、ウイルスがうつり易くなるんじゃないかな?」
それを聞いた将来の妻は、頬を紅くしながらしばし考え込みます。
「……そ、そうね……抱き合うくらいなら……」
考え込むこと早十秒……。顎に手を当て動かなくなった将来の妻に向かって、将来の夫はこう言いました。
「でもさ、わざわざそんな事しなくても大丈夫じゃないかな?」
「……え? どうして?」
将来の妻が、顎から手を離して聞いてきます。
「君とふだん通り、こうして接していればいずれ風邪がうつると思うから」
「そ、そうですか……」
将来の夫はそう語ると、再び小説を読み始めます。将来の妻はそれをどこか残念そうに見つめ、椅子に座ると、勉強をするため再び机に向かいました。
「……キス、する?」
「……マスク越しなら」そう言いかけて、口をつぐむ将来の妻……。
「……また、今度」
「うん、分かった……」
ふたりの間には又しばしの間、雪の降る、しんしんという音が響き渡りました……