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第4話 空虚な部屋

その日の夜、夢を見たんだ。


それは、ひどく懐かしくて、遠い昔の記憶。


僕の家は、とても貧乏だった。ぼろのアパート、六畳一間で三人暮らし。今時、テレビもなくて、ちゃぶ台と冷蔵庫、布団だけ。


「ハッピバースデーディアボンター」


僕が十歳になる頃、父と母は二十九歳だった。僕を生んだのは十九歳、妊娠が分かったのは十八歳の頃だったそうだ。二人の結婚は両家の大反対の末に行われた。勘当するとまで言われて、それでも僕を生んだそうだ。


あと少しで卒業だった高校をやめ、僕のために働き始めたらしい。


暗い部屋でろうそくに息を吹きかけて、火を消した。たちまち「おめでとう」って言って、二人が手を叩く。


たった一切れのショートケーキ。断面から見えるみずみずしいイチゴ。綺麗な小麦色のスポンジ、纏う純白なクリーム。僕には光って見えた。我が家にとって、とんでもない贅沢。


「ホントにこれ、一人で食べていいの!?」

「もちろんっ、たんと食べな」


とっても嬉しくなって、その後で申し訳なくなったのを覚えている。だから、フォークで三つに切り分けて、一緒に食べよって言った。


「父ちゃん達はお腹いっぱいだから、遠慮しないで全部食え」


思えば、気を遣わせないための嘘だったのだろう。父はそう言って笑うと、わしわしと頭を撫でた。


嬉しくって、初めて食べたケーキは、ほっぺが落ちてしまうと思った。それを見て、母はニコニコと笑っていた。僕にはそれが不思議だった。


中学生の時、母が病気になった。過労がたたったのだと、医師は言った。ベッドの上で、母は申し訳なさそうに「ごめんね」と言った。


「あいつんち、すっげービンボーでさ、可愛そーだよな。子供は親を選べないからさー」


修学旅行の前日、僕が行けないことを知った同級生がそう言った。悪気はなかったのだろう。彼にとって、本当に何気ない一言。

僕はその日、初めて人を殴った。


「お前に何が分かるんだよっ! お前なんかに、父さんと母さんの何が分かるって言うんだよっ!」


先生に止められるまで何度も、何度も。


何も悪くないのに、呼び出された父は何度も深く頭を下げた。

帰り道、怒られると思った。それなのに、父は何も言わずに、頭をわしわしと撫でて、一緒に家まで歩いてくれた。


僕はそれが嬉しくって、悔しくって、夕日が涙で滲んで見えた。


やがて、母の病気がよくなった頃、修学旅行に行けなかった代わりにと、三人でバスに乗って、小旅行に行くことにした。


中学生にもなって、家族みんなでお出かけだなんて小っ恥ずかしかったけど、本当はとっても嬉しかった。僕にとって、三人一緒に入れることがなによりも幸せだったから。


途中、喉が渇いてバッグから水筒を出そうとした時、足下に落っことした。ちょうど信号でバスが止まって、水筒を拾おうと立ち上がる。


水筒は、後ろの席の人の足下にまで転がっていて、一言謝って取ろうと身をかがめたた時、首をぐいっと強い力で引っ張られた。


「て、てめぇらっ! 全員、動くんじゃねぇっ!」


頬に冷たい感触がして、ツーと痛みが走った。

乗客が騒ぎ出して、悲鳴が狭い空間に広がった。何が何だか分からなかった。辺りを見るとみんなが僕を見ている。頬を拭うと手が赤くなった。どうしようもなく怖かった。


「助けてっっっ!」


僕が叫ぶと、「黙れ」と言って頬を殴られた。じんじんと熱くて、反対に首にはヒンヤリとした感触が伝わった。


みんな、目を反らしていた。


そうだよ。怖いんだ。


僕だけじゃない。みんな怖くて、逃げ出したいんだ。自分じゃどうにもできないって分かっているんだ。


そんな中で、立ち上がる一人の男がいた。その男は、両手を挙げて無抵抗を示しながら「落ち着いて話し合いましょう」とゆっくりと歩いて近づいた。


「く、クソッ! これ以上来るんじゃねぇっ!こいつがどうなっても良いのかっ!」


不審者は動揺し、歩み寄る男にナイフを向けて威嚇する。その時だった。

男は、走り出して一気に間合いを詰めると、不審者から僕を引き剥がして、後ろへ放り投げた。揺れる車内に身体を打ち付けられ身悶えした。そんな僕に、僕に誰かが覆い被さった。


途端に視界が暗くなって、怖くて、怖くて。目を閉じて、耳を塞いで、丸くなった。全てが終わってくれるのを必死に願った。


少しして、警察がバスの中に突入した。

不審者は指名手配犯で、気づいたバスの運転手が、あらかじめ通報していたらしい。警察の声を聞いてホッとした僕は、覆い被さっていた女の人から抜け出し手当たりを見渡した。


足元が水浸しで、父と母が転がっていた。

父の首からは、絶え間なく血が零れ続けている。母の背には、幾つもの刺されて空いた穴が広がっている。


警察の事情聴取が終わって、家に帰った。

玄関を開けると、いつものように明るい声が聞こえてきて、全部夢である事を願った。


あんなに狭かった部屋が嫌に広くて、寂しくて、声を押し殺して泣いた。

体がデカくて、手がゴツゴツで、いつも笑っていた父はもう帰ってこない。少しがさつで、それでも優しくて、暖かかった母はもう帰ってこない。


棺桶で眠る父と母を見て、僕は考えていた。きっと母さんだって、可愛い服を着たり、友達とお洒落なカフェでお喋りしたりしたかったはずだ。父さんだって、ゲーセンに行ったり、腹一杯肉を食べたりしたかったはずだ。


全部全部、僕のために捨ててきた。最後の最後まで、僕なんかのために生きた。なんなんだ。なんなんだよ。僕はいったい、なんなんだ。


二人のことを思うと、涙を止めることなんてできなかった。もし僕がいなければ、二人はまだ生きていたのだろうか。そんなことを考えてしまう自分が、心の底から嫌だった。


それから僕は、母方の両親に引き取られることになった。

ずいぶんと、不自由のない暮らしをさせてもらった。誕生日には、ケーキがホールで振る舞われた。服だって新品だ。携帯電話だって買ってもらった。


それなのに、満たされない。


おじいちゃんもおばあちゃんも、とても良い人だ。新しくできた友達だってみんな優しい。

それでも、一人で経験するたくさんの初めては、とても虚しい。そこに、二人だけが足りない。


ほんの偶然だった。SNSで話題になっている動画を友達が僕に見せてくれた。それは、バスジャックから人質を、身を挺して救う二人の動画。


現場にいた誰かが携帯で撮っていたのだろう。その投稿には幾つもの、コメントがついていた。二人をヒーローだというもの。自分もこんな風になりたいというもの。

多くが肯定的なものだった。その中で、やけに目についた。


「こいつらが出しゃばったせいで、他の乗客まで危険になった。警察が有能で良かった」


その動画はひとたび話題になって、すぐに削除された。

それなのに、どれだけ時間がたっても、そのコメントだけが忘れられない。


なぜ、そんなことを言えるんだ。二人はいつも優しくて、強くて。何もしちゃいないお前なんかが、どうしてそんなことを言えるんだ。


もう、何もかもがわからなくなっていた。ずっと、僕のせいでって言葉が渦を巻いて僕を苦しめる。僕はただ、二人がいればそれだけでよかったんだ。


二人が幸せであればそれだけでよかったんだ。それなのに、それさえも、もはや僕のせいで叶わない。あんなに愛おしかった二人。

二人がいなくなって、ガラスの靴が脱げたように夢から覚めてしまった。あまりにこの世界は寂しすぎる。


僕の全てだった、あの小さな部屋。そこで過ごした最後の日、夕暮れ時の寂しげな赤が窓から差し込んで、えらく広く感じさせた。


ああ、そうだ。僕の時はあの時からずっと動いちゃいない。あのどのこまでも広くて空虚な部屋で、閉じこもったまんまだ。


思い出せ、僕に何ができた。僕はいつだって、守られてばかりだった。今だってそうだ。そうだ、僕は元の世界に帰る。それが、生かされた僕の、せめてもの慰めだ。


改めて見直すとめっちゃ切ない・・・

辛い・・・

凡太ー! 幸せになってくれー!

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