第29話 死ぬべきは
こんなことをあらたまって言うことじゃないんだけど、僕はどこにでもいるような平凡な中学生だった。
特筆するような特技も、趣味もなく、情熱を向ける矛先を探しあぐねたまま、日常を無感情に消費して生きた。
通学の電車で、つり革に捕まって、押し込められた人の肩に圧迫されながら見る、窓の外の世界。それはいつも代わり映えのしないものだった。そんな日々に嫌気が差した。だから、SNSなんかで愚痴をはいて、芸能人の悪口をなんか書き込んだ。叩かれてる人を見つけて、一緒になって批判を呟いた。
一時だけ、自分が正義の中にでもいるような気分に浸れて気持ちが良かった。
でも、その仮染の優越感も長くは続かない。胸に残る虚しさが、ちっぽけな自分を際立たせた。僕じゃ、なにも変えられない。
テレビが、インターネットが、どれだけ自分が平凡な存在であるかを晒し上げた。あんなふうに、才能に満ち溢れ、未来に全幅の希望を抱くことなんてできやしない。
誰かのため、自分のすべてをかなぐりすててまでボランティアだとかをするきになんてなれやしない。
結局、僕のような平凡な男じゃ、何も変えられないんだ。
だから、特になにかする気も起きない。だって、無駄だもん。
しかたなく、適当に友達とハンバーガーを食べたり、ボウリングに行ったりして、それなりに過ごす。
でも、みんなそうだろ? これが普通だ。
なんとか取り残されてしまわぬように、必死に皆に流される。何事にも本気にならず、一歩後ろで冷めた視線を送る。
それの何が悪い。自分じゃどうすることもできなかった。誰が、僕を責め立てられる。
気がついた時、視界に映るのは明るい部屋じゃない。いらない物で溢れていた部屋は見る影もなく、硬い土がむき出しの地面に、いくつもの鉄の棒が突き刺さっていた。ピチャンピチャンと水滴が垂れて、弾ける音だけが暗闇の中で響く。
なんど、舌を噛みちぎろうかと考えただろうか。その度に、舌を歯で挟み、両顎にグッと力を込める。小さな痛みと、大きな恐怖に満たされて、結局血が出たことさえなかった。
夢じゃなかった。目が覚める度に、深い絶望に襲われた。ひどく、寒い場所だった。体がずっと震えていて、小刻みに歯がぶつかる音がなった。めいっぱい体を丸めて、目が覚めろと唱えながら眠りが訪れるのを待った。
硬い地面では、いつまで立っても眠気は襲ってこない。状態を起こして、壁にもたれかかってみても今度は腰が痛くなる。
心も、体も休まる瞬間は一時もなかった。
ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。
日常が壊れてしまえば良い、そんなことを考えてしまって。物語のような非日常を体験したいだなんて思ってしまって。
押し寄せる後悔は、なんの意味も持たず、励ましにさえなりはしなかった。
乾燥した肌がガサガサで、ひび割れて血が滲んだ。噛みあとのついた爪は短く削れてしまっている。
「飯だ」
鉄格子の前に置かれたパンを、あいだから両手を出して掴んだ。顎に、大きな衝撃が走ってクラクラと思考が揺れて視界が真っ白になった。
「この失敗作がっっっ!」
苛つきを隠そうともせず、白衣を纏う老人は僕にツバを吐きかけてこの場を離れていった。
カサカサのパンが、喉に詰まって窒息しそうになる。骨張った胸を叩いて、なんとか飲み込むと、牢屋の壁を舐め、伝っている水を飲み込んだ。
いつの間にか、僕の世界はかび臭い地下楼の中と、白衣を纏う白髪のじいさんだけになっていた。
あの日、いつものように部屋の椅子に座って携帯をいじっていた。特にやることもないのに、数十分ただ眺めて、とうとうどうでもいい情報さえ出てこなくなったもんだから、携帯をベッドの方に放り投げた。
マットに一度跳ね、携帯はベッドと壁の隙間に吸い込まれていく。
「あー、もうさいっあく」
ぼやきながら、頭をガリガリとかいて立ち上がる。
横着しなければよかった。余計に手間だ。そんなことを考えている時だった。
突然、部屋が明るくなった。
体の周りでパチパチ光が弾ける。
何かのコードがショートしたのかと、焦って部屋中を見渡した。どうやらそうじゃないであろうことにすぐに気がついた。
部屋を明るくした一番大きな光源は、すぐ足元にあった。それは、漫画やアニメなんかでよく見る、魔法陣というものに酷似していた。
驚きの中で、正直、喜びの感情を抱いていた。
よくある、異世界転移とやらに思いを馳せた。きっと、剣と魔法のファンタジーの世界へ飛んで、ハリウッドも腰を抜かして失禁してしまうような、スペクタルで大迫力、感動的で完璧な物語が、僕を中心に紡がれるんだと思った。
光は、どんどんと大きくなっていく。やがて視界いっぱいを満たし、たまらず閉じた瞼を再び開けた。
「あっちちち」
頬を、チッと焦がす火の粉を手ではらう。
ぼやけていた視界がやがて鮮明になってゆく。
きっと、壮大な草原か、巨大な都市の中心で目覚めると思っていた。
ようやく開けた視界を満たすのは、轟々と燃える町と、足元に転がる苦しみに満ちた死体の山だった。
それが目に写った瞬間、焦げた肉の匂いと、鋭い臓物の匂いが鼻を一杯にして、胃の中にあるものがすべて飛び出した。
四つん這いになって、口の端についた吐瀉物を袖で拭った時、後ろ髪を強く引っ張られた。
無理矢理に視線を向けさせられ、揺れる白い髭が目に焼き付いた。
裾の長い白衣を着た老人と、背の高い男が二人立っていた。しわくちゃの顔が、いびつな笑顔を浮かべ僕を覗き込む。
首筋に大きな衝撃が走って、眼球がグルンと裏返り、意識が急速に離れていくのがわかった。
ピシャリと、顔に冷たい水をかけられ、意識を取り戻す。
瞼を開いているはずなのに、何も見えない。
「さぁっっ! お前の魔法を使ってみせろ!」
前方から、声が聞こえた。
助けを求めようとして、立ち上がって声のもとへ向かおうとしたその時、ガシャガシャと金属が音を立て、足と腕を引っ張った。
硬い鉄が肉に食い込み、動きが封じられているのがわかった。
「んーっっっ! んーーーー!」
助けてと叫ぼうとするけど、それさえ叶わない。口の中には何かが詰め込まれている。
「どうしたっっっ! お前にならその程度の拘束を解くのはたやすいだろう!」
次第に、声に苛立ちが孕み始めていた。横倒しになって地面に当たる耳に、小刻みに足を揺する衝撃が伝わった。
「んーっっっんー!!!!」
そんなこと、できっこない。必死に訴え、首を降った。
「その程度のことさえできんのかっっっ!」
怒鳴り超えと共に、顎に鈍い痛みが走った。
ジンジンと熱が籠もり、痛みが残る。少しして蹴飛ばされたのだと理解した。
声の主は、まだ「これでは、前の実験体のほうが何倍もマシじゃないかっ」と声を荒らげながら遠のいていく。
足音がどんどんと小さくなっていって、最後に「失敗作めが」と口汚く罵る声が聞こえた。
幾日かが過ぎた。拘束具が外され、体の自由を取り戻したものの、鉄格子の中の世界はあまりにも狭い。眠りに付けば、ネズミが足を齧りに来た。暗闇の中で、黄色く光る瞳が不気味で、怖かった。
老人は、日に一度だけ質素な食べ物を運んでくる。なにやら、実験がうまく言っていないようで、毎度苛立ちをぶつけて去っていく。
ろくに栄養も取れず、殴り蹴られてできた痣は治らない。切り傷にできたカサブタが膿んだ。惨めな生活だった。
「真似をしてみろ」
その日、何の酔狂か老人は話しかけてきた。暴力を振るうことなく、一方的でない会話は実に初めてだった。
思わず、目をつぶっていた。瞼を貫通して、光が網膜を焼く。暗闇の中、光のない世界で暮らしていたから、あまりに眩しかった。
見たことのある光だった。少しして、なんとか薄目を開けてその光景を見た。老人の足元に、光の円が地面を縁取って、光の粒子を空気中に撒き散らしている。
地面から、何かが這い出てきた。青白い体毛が美しく、僕をみつめて歯茎をむき出しに唸る。
一度だけ吠え、すぐに光の粒子がほどけると、犬のような生き物は空気中に霧散していく。
その異様な光景に目を見張った。
できるわけがない。何が魔法だ、そんなものの使い方なんて知るわけがない。それでも、死にものぐるいでやった。
ろくに眠れておらず、グチャグチャの思考の中で、なんでもいいから現われろと唱えた。
拳台の小さな光が、目の前の地面で灯った。
小さな円のうちから、憎たらしい顔が現れた。灰色の薄汚い体毛を纏う、ネズミが這い出ようとしていた。
それを見て、驚きと共に、胸のうちで強く祈っていた。
殺してくれ。
穴からとめどなくネズミが溢れ出して、老人の体を覆い、肉をかじり尽くしてくれる未来を願った。
しかし、叶うわけもない。
一匹すらもままならず、ネズミの体は首半ばでちぎれ、光の円が消えた。口からはだらしなく舌が垂れ下がっており、うつろな目をしていた。
ああ、失敗した。老人を殺すどころか、魔法を成功させることすらできなかった。
胸のうちに恐怖がやどり、体を丸めて身構えた。次に振るわれるであろう暴力に備えた。
しかし、いつまで立っても衝撃は訪れない。
「おお、おおおおおお。よくやったっ! よくやったぞっっっ!」
老人は喜びの表情を浮かべ、歓喜の声を上げる。
その日、久しぶりに温かいものを食べた。シチューが体を温めて、内側から溶かしてゆく。幸福感と快感で、体が溶けてしまいそうだった。
それから、老人は僕の前に来るとき、誰かもう一人を連れてくるようになった。鉄の首輪に取り付けられた鎖を引かれ、小汚い男が俺の前に立った。
両手を前にかざし、手のひらから雫がプクリプクリと浮き出て、空中に集まっていくと一つの水の塊ができた。
サッカーボール台になると弾けて水が地面に散らばった。
「やってみろ」
無我夢中だった。真似をして、両手を突き出した。微細な水が手のひらからあふれるのが分かった。両手をかざした先に、雫が集まっていき拳台の球を作る。
グッと、腹に力がこもらなくなった。水の球が弾けて、跳ねた水が頬を濡らした。全身に力が入らなくなって、気づいたら硬い地面に横たわっていた。
グキュルルルとお腹がなった。
視界が霞がかって行く中で、また喜びの声を上げる老人の姿が見えた。
何度も、魔法を使った。毎度、違う人がやって来ては別の魔法を見せる。必死にそれを真似た。
当然、どれだけやっても上手くできないことがあった。そんな日は決まって暴力を振るわれた。でも、上手く行く日もあった。僕が魔法を行使する姿を見て、老人は上機嫌になり、豪華なご飯が振る舞われた。
その異常な環境で、いつしか小さな喜びを見つけ始めていた自分がいた。その狭く暗い世界には、自分と老人、そして毎度入れ替わる人物の三つしかなかった。
いくら暴力を振るわれようと、上手く魔法を行使し、褒められれば嬉しくて、小さな幸福感するも感じていた。温かいご飯は、日々に達成感を与えていた。
そんな日々が、長い間繰り返され、ようやく変化が訪れる。
キィーという鉄の擦れる音と共に、鉄格子が開かれた。
僕は、褒めてもらえるように大人しく首輪をつけられるのを待った。首輪についた鎖に引かれるまま、連れて行かれたのは、同じ地下の広間だった。
円形に削られて広間の壁には、一定感覚で窪みがありロウソクが不気味に炎を揺らしていた。ジャラジャラと鎖が音を立てて耳に張り付いた。
影が細長く引き伸ばされて、揺れる。まるで笑っているかのようだった。
ひどい匂いだった。所々に赤黒いシミが見える。この空間だけどこか厭な空気がこもっており、どんよりとした気持ちの悪い感覚が肌をなでた。
広間の真ん中に、一メートルほどの麻袋が置いてあった。中には何かがギュウギュウに詰められており、入り口がギュッと閉じられていた。
「さぁ、これでアレをズダズダにしろ」
渡されたナイフを握り、側面に映る自分の顔を見ていた。えらく痩せこけて、目の下には深い隈があった。もう、もとの姿を思い出すことも叶わない。
どうすればいいのかもわからず、呆然と立ち尽くしていた。そんな僕の耳元で「これが終われば、肉をやる」と実に楽しそうな声が聞こえた。
「もちろん、分厚いやつだ。ああ、ああ。そうだとも。油もたっぷりだ。今日はいいパンも付けてやる。ああ、まったく。そうだ。スープもだ」
口の端を釣り上げて、狂気的な笑みを浮かべたまま男は続けた。隙間風が吹いて、炎が揺れ、老人の顔に影が落ちる。壁に映し出された影は、実に悪魔のようだった。
「さぁ、さぁ。何をためらう」
思わず、老人の顔を見た。その時、自分がどんな顔をしていたのか、今となっては知るすべはない。
「ああ、そうか。そうだな。いや、大丈夫だ。アレはただの家畜だ。人じゃない」
三日月のように、目が歪み気味の悪い笑みを浮かべる。隙間から覗く瞳が炎を爛々と反射して僕を映した。
ああ、なら大丈夫だ。
僕は歩きだしていた。
ゆっくりと、麻袋へと歩む。ガサゴソと言う物音が聞こえる。家畜だ。人じゃない。
これを殺して、僕は今日、豪華なご飯を食べるんだ。
麻袋のすぐ横に立つ。ナイフを振り下ろそうとしたとき、手が小刻みに震えていることに気がついた。連鎖的に、呼吸が苦しくなった。上手く息を吸えず、必死に心臓が鼓動しているのがわかった。
大丈夫。大丈夫。
腰を下ろし、ナイフの先を麻袋に押し当てた。震える手が、ナイフを落としてしまう前に体重をかける。
プツンと断ち切れるような感触が手に伝わり、ナイフの刃がすべて麻袋の中へ沈み込んだ。声にもならない、空気の漏れ出す音が聞こえた。
ナイフを刺した位置から、赤い液体が染み出して麻袋を染めてゆく。呼吸が一気に短くなって、追い払うようにナイフを抜き、何度も刺した。
麻袋がジタバタと暴れる。
恐怖に追いつかれないように、刺して、刺して、刺した。
やがて、ぐったりと動かなくなり、ナイフが開けた穴から、ドロリと血がたれた。
「いいぞっ! いいぞいいぞ! 良くやった。お前は実に優秀だ」
老人が、心底嬉しそうな声を上げて後ろから近づいてくる。まるで、初孫を可愛がるみたいに、放心する僕の頭を抱いて、髪の毛をかき乱して乱暴に撫でた。
不思議と、もう喜びはなかった。ただ、この異様な光景が恐ろしかった。
「よーく見ておけ、これが家畜の哀れな最後だ」
老人は麻袋をめくり、中の生き物を露出させた。
酷く苦しそうな顔をした、少女だった。
白目を剥き、口の端が切れて血が滲んでいる。体中に穴が空いている。コプッと音を立てて泡が弾けて、血が吹き出した。
どうやって、もとの地下牢まで戻ったか記憶がない。
出された豪華なご飯を無気力に口へ運ぶ。味がしなくて、ブヨブヨと硬いゴムをかんでいるようだった。なんとか、噛みちぎって飲み込もうとした。その瞬間、深く空いた穴から見えた赤い肉が脳いっぱいに広がった。
「ウッオエエエエェェェ」
思わず、吐き出していた。体中にピシャリと水を掛けられたみたいで、体温が下がっていく。全身に血を被ってしまったかのような錯覚に陥った。
息をするのも苦しくなり、目の前を死体のうつろな瞳が覆った。
胃の中をすべてぶちまけて、ようやく落ち着いてきたころ、僕は憎悪の視線の中で、自らの吐瀉物をすすった。
次の日、また格子が開けられた。
「おとなしくしていろよ」
表面だけの優しさを声に纏わせて、老人が近づいてきた。その手には、首輪が握られている。
「うあ、うああああああああああああっっっ! 嫌だ嫌だ嫌だイヤだっっっっ!」
尻をこすって、必死に後ずさると、首を降って暴れまわり抵抗した。老人の横で、昨日殺した少女が、立っていた。僕を恨めしそうに見つめている。
口が小さく動いて、ボソボソと声が聞こえた。
「お前が死ねばよかったのに」
蹴飛ばされ、殴られて、瞼の上が切れて血が垂れた。最後に唾を吐き捨てて、老人は去っていく。その日、ご飯は出だれなかった。
天井を見上げ、口を開けると手のひらで塞いで魔法を使った。雀の涙程度のしょうもない水が、かろうじて喉を潤した。




