第21話 憧れ
胸いっぱいを満たす思いがあった。とっても楽しくて嬉しくて。幸せだった。
「パパ、ママ! これプレゼント!」
「あら、ありがとう」
「リダはやさしいな」
受け取った花の冠を付けると、ママは優しく微笑んだ。パパは少し乱暴に、頭をなでた。
「えへへ」
その大きな手が大好きだった。
グー
お腹がなった。私の顔を見て、ママがまた笑うと「じゃあ、お昼ご飯にしよっか」って言って、バスケットを取り出した。
白のパンに挟まれた、みずみずしいトマトとレタス、間に挟まったハム。大好きなサンドイッチ。
「ほらほら、ちゃんと手を吹いて」
堪えきれずに伸ばした手を、ママが取っておしぼりで拭いた。パパがそれを楽しそうに見つめている。
「んー、おいひー!」
大きく開けた口いっぱいに、サンドイッチを頬張ると幸福感に満たされた。春の昼下がりに心地良い風が拭いて、草原を波立たせる。
ポカポカと温かい日差しの下で、ちょうちょが黄色い花の蜜を吸っていた。
「ほら、付いてるぞ」
焦って食べる私の頬を、お父さんが人差し指で拭った。どうやら、二個目のサンドイッチに挟まっていた卵が口の端に残っていたらしい。
「んふふ」
「どうしたの?」
幸せいっぱいに笑う私にママが聞いてきて、とっておきを教えてあげるといった風に答えた。
「パパだーいすき! 私将来パパのお嫁さんになる!」
そう言うと、嬉しいような、少し困ったような表情を浮かべて、頭を掻いた。
「だーめ、パパのお嫁さんはママなんだからね」
ママはそう言って、パパの腕に抱きついた。対抗するように私もパパに抱きつくと、より一層困ったような表情を浮かべた。
三人でおいかけっこした。ちっちゃな川、点々とある石の足場に飛び移って渡った。足を滑らせたパパがお尻を濡らしていた。
一面に広がるピンクの花を見た。とても綺麗で、甘くて良い匂いがした。近づいて見ると、ママが悲鳴を上げてヘナヘナと腰を抜かす。
よく見たら、花の茎に芋虫が付いていた。その姿を見て、パパと顔を見合わせて笑った。ママは頬を膨らませて少しむくれていた。
丘を登って、見下ろした。走ってきた、眼下に広がる道の草が、いつの間にか赤く染まっている。空を見上げると、赤い太陽に溶かされた雲が、薄く広がっていた。
その壮大な光景を、口を開けて見ていた。なんだか少し寂しくなってしまった私の手を、パパとママが包んでくれた。
「帰ろっか」
ママの言葉に、うんと大きく返事を返して私は自らの家へと歩き出した。
「あら、何処かに行ってきたのかい?」
「うん! 皆でピクニック!」
「あらあら、それはよかったねぇ。あい、注文の挽肉、いつもパパにはお世話になってるからおまけしておいたよ」
「ありがとう、おばちゃん!」
町へ戻って、夜ご飯の買い物をしていた。お肉を受け取ると、ママは軽く会釈をしてまた歩き出す。お肉屋のおばちゃんが、手を振って見送ってくれていた。
今日の晩御飯に心を踊らせながら、スキップして石作りの道を歩いた。その日は、なんだか周りの建物が一段と大きく見えたし、ペンキで色の塗られた屋根が一層綺麗に見えた。見慣れた光景のはずなのに、素晴らしいものだと思えた。
「だれかぁっっ!!!」
路地の奥で反響して、懸命に助けを求める女の人の声が聞こえた。
「お母さん」
パパが呼ぶと、二人は顔を見合わせて頷きあった。
「すぐに戻るから、ここから動かないで少しだけ待ってて。できる?」
ママは膝をつくと、私の目を見て言った。なんだか不安な気持ちで一杯になって、服の胸元を両手でギュッと握り「うん」と短く頷いた。
「ありがとう」
ママはそういって、優しい顔で頭を撫でると踵を返し、パパと、声がした路地へと走っていった。
夕刻を終えようとした空は、赤色を飲み込むように藍色が伸び始めている。次第に濃くなっていく影が、なんだか怖かった。
先程まで多かった通りも減っていく。今、確かに刻々と太陽は落ちて消えていく。地平線の境目でかろうじてチカチカと光る赤色が余計に不安を駆り立てた。
横を通り過ぎていく、背の高い影。顔を上げると、幾人かが歩いているのが見える。自分だけが幼い子供であり、見上げれば、影で顔が黒く染まって表情が伺えない。
不気味さが、より一層ました。
私は、たまらず走り出してしまった。
悪い子だ。ママの言いつけを守れなかった。
心の中で、ごめんなさいと何度も謝った。
路地は、少し長い一本道になっていた。両脇に背の高い建物を携えたそこには、当然陽の光がさすことはなく、ひどく暗い。
牛乳が腐ったような匂いがして、耳元で虫の羽音が聞こえた。怖くて、今にも泣き出してしまいそうで、目尻が重かった。
それでも、奥に人影が見えた。背の高い二人が立って向かい合っているのがなんとなくわかった。
きっと、パパとママだ。そう思った瞬間、ようやく胸を満たしていた恐怖が晴れて、私は走り出していた。
「来るなっ! リダッッッ!」
パパの怒鳴り声が聞こえた。次第に目が慣れ始めて、向かい合う二人が見えた。路地の奥で立つ影の、口が動くのが見えた。
その横で、倒れ込む人と側で支える人が見えた。
きっと、私の方にいる人がパパで、奥に立ってるのがママだと思っていた。
パァッと、路地裏に光が満ちていく。誰かが、倒れ込む人に手を翳す姿が見えた。とても優しい明かりで、私の知っている、ママの治癒の魔法が放つ光だ。
じゃあ、この目の前の人は誰だろう。
その様相はどこか薄汚れていて、背は曲がっている。腰に付いた革の鞘にナイフは収まっておらず、既に右手に握られていた。
よく知っている、冒険者の姿と酷似している。
男はゆっくりと振り向いて、黄ばみ、欠けたを歯を露出させて口角を上げた。
「近づくんじゃねぇっ!」
頬がチクっとして、熱を奪った。男は私を持ち上げると、肘で顎をガッチリと固める。私の頬を射したナイフをパパに向けて男は言った。
見上げると、脂ぎって、汗を浮かべるベタついた顔がすぐ隣にある。荒い鼻息が髪にかかった。
「パパぁぁっっ! 助けてぇっっっ!」
ナイフには、ベットリと赤い血がこびりついていた。それは私の血ではない。
ギョロついた目は、焦点が合わずあたりを泳いでいる。
ただ、ひたすらに怖かった。自らの身に何が起きているのか理解できず、涙と鼻水を垂れ流しながら、ジタバタと暴れることしかできなかった。
「娘を放せ……」
パパがそう言って、両手を上げながらにじり寄った。その目は、いつもの優しい瞳じゃない。
すべてを切り裂くような、鋭い視線が突き刺さった。
「ヒっ」
威圧感に気圧され、男が一歩後ずさる。その瞬間、パパは全力で走り出した。
気の動転した男は、とっさにナイフを私に向けて、差し込もうとした。
ギュッと、目を結んだ。
締め付けられていた首が開放され、体が宙に浮いたかと思えば強くお尻を打った。涙でぐちゃぐちゃの目を開けて、ぼやけた視界に映るのは、私を囲うオレンジで半透明の膜。パパの魔法だった。
パパはいつも誇らしげに言っていた。
「傷つけるんじゃない。誰かを守ることのできる魔法なんだ」
カランカランと金属が転がる音がしたかと思えば、すぐにドサリと音がして土煙が小さく立った。利き腕を背に回されて、うつ伏せに男が押さえつけられていた。
動けないように、背中に馬乗りになるパパは片目を瞑っていた。
瞼の下から濁々と血が溢れ、深い切り傷が刻まれていた。
「くそぉっっ! おれはわるくねぇんだっっ!」
唾を撒き散らせながら、男が連れて行かれるのが見えた。
泥が付いて、ボロボロになった服を着た女の人が、深々と頭を下げてお礼を言った。
パパとママは「無事でよかった」というと、破けた穴から露出した肌を隠せるように、ママがちょうどいい毛布か何かを買いにいった。
「うぅ……。 ヒック、ごめんなさい……」
パパの顔を見ることができず、俯いてただ謝った。ボロボロと落ちる涙が地面を濡らし、いくつもの大きなシミを作る。
空はもう暗く、周りの建物の窓から漏れる光が影を作って揺らした。夜の帳に包まれて、私のすすり泣く声だけが静かに、どこまでも響く。その沈黙が、やっぱり怖かった。
深い切り傷は、治癒魔法を持ってしても消しきれずまだ後が残っている。溢れ出す血が、忘れられず拭うことができない。
コツン
頭を軽く叩かれた。
「もう、危ないことをするんじゃないぞ。怖い思いをさせてゴメンな」
顔を見上げると、パパがそういって頭をなでた。いつもの優しい顔だった。
ちょうどママが帰ってきて、女の人に毛布を被せて上げると、それぞれの帰路に別れた。
また、パパとママの間に挟まって、手をつないだ。
二人の手が、いつにもまして大きく感じて、暖かかった。だから、憧れた。
ここから過去編始まります
少しばかりお付き合いお願いいたしまする




