第20話 代わり
声が遠のいていく。
脱力しきった体を引きずられ、どこかへ運ばれていくのがわかった。
なんで、なんでなんだ。早く直してよ。傷口を塞いでよ。
剣が魔力に戻り、霧散して空へ散った。深い穴だけが残って、血がとめどなく溢れている。
いつも、すぐに傷を直してくれたじゃないか。自分の傷だってすぐに治るはずじゃないか。
いつも温くて、柔らかかった。それなのに、凍りついたように固く冷たい。
「嫌だっ、嫌だ嫌だ嫌だっ!」
「っ……」
「行くぞっ!!!」
ララメを僕から無理やり引き剥がすと、リダは辛そうに口を結んだ。クシュージャさんの怒鳴り声が聞こえ、担がれる。
景色が流れていく。
自分とは関係のない、映画でも見ているかのような気分だった。まるで実感が沸かない。人が人を殺すその様相をただ眺めていた。狂気に満ちた表情で、歓喜の声をもらす。
頭の奥で、いつも笑顔だった少女の顔がちらついた。
あまりに現実感がない。大事なものが抜け落ちてしまったようで、その光景をただ漠然と見つめた。
村から抜け出して、走った。どこまでも走った。
何も聞こえない森の奥まで来て、乱暴に投げ出された。
流石に疲れたのか、クシュージャさんも膝を付き、そのまま、そばの木にもたれ掛かる。
「埋めてあげよ……」
地面に、仰向けにしてララメを置く。リダは、ララメの前髪を分けて目を閉じて上げた。肌に雨粒が落ちる。血の汚れを流れ落とし、その下に眠る肌を露出させた。
ひどく青白い。
誰も、何も言わなかった。現実を受け止めきれないまま、無心で土を掘った。でき上がった穴に、優しくララメを置いた。
生気のない肌に、土が被せられていく。両手を胸の前で握り、瞼を閉じたまま安らかに曇り空を見上げていた。
そのお腹には、穴が空いている。小さな体に、深く空いた穴。
穴は深く、底が見えそうにない。地面を超えてもっと深く、どこまでも続いているような気がした。
やがて、盛り上がる土の山だけが残った。たったそれだけ。
それだけだ。
到底、これ以上動く気にはなれなかった。土の前で、呆然と時が過ぎるのを待った。
雨は止む気配さえ見せずに絶えず降り続け、夜をより一層暗くする。いつも見えていた月明かりさえ今宵は覗くことなく、シートで作った簡易的な屋根に降り注ぐ雨音が、嫌に耳に残る。
味のしない、ご飯を食べた。
「次は、ここだろう」
寝る前に、クシュージャさんが地図の一点を指す。
指の下に、文字が記されていた。街の名前だ。今までの比にならない、多くの人が暮らしているのだろう。
勇者を見ることはなかった。
フードの男たちを殺すことは叶わなかった。
まだだ。まだ終わっちゃいない。
「皆を救うの。痛いのは嫌だもん。怖いのは嫌だもんね」
テントの中で、周期的に刻む雨の音を聞いた。瞼の裏で、ララメが笑っていた。
空は暗く、見上げると厚い雲がどこまでも広がっている。太陽は見えそうにない。
裾を汚しながら、雨で緩んだ道を歩く。踏ん張りが効かず、苔が足を何度も滑らせる。膝をつく僕の肩を持ち上げてくれたのは、クシュージャさんだった。
「行くぞ」
それだけ言うとまた歩き出す。
蒸した空気が、肌に張り付いた。不快な温度が、じわりじわりと体を蝕んでいくような気がする。
額から流れた汗を拭うと、服の裾が赤く染まった。固まっていた血が溶け出して、鋭い匂いが鼻を突き刺した。途端に、惨憺たる光景が目に浮かんだ。
「大丈夫、顔色悪いよ?」
心配そうにリダが覗き込んでくる。その顔はどこか疲れ、頬がコケていた。目は赤く腫れている。
「大丈夫だから」
逃げ出すように、目を逸らして歩き出した。あまりに痛々しいその表情を、見ていられなかった。
なんで、なんで僕に優しくするんだ。
胸のうちで、そんな言葉が渦巻いていた。なんで僕を責めないんだ。
僕のせいだ。救えるはずだった。終わるはずだった。
僕がララメを殺したんだ。
全部全部、僕のせいじゃないか。
いっそ、誰かに叱りつけてほしかった。そんな甘えが、毒のように体に染み込んでゆく。
そうだ、僕が死ぬべきだったのに。
誰も何も喋らなかった。我武者羅に歩いた。何度もコケて、夜になる頃には体中が擦り傷だらけだった。
「僕が、ララメの代わりにならなくちゃ」
それがようやく僕の出した答えだった。
クシュージャさんは僕を見つめる。憐れむような悲しい目だ。彼は何も言わない。背を向けて、歩き出した。
なんども繰り返した。変わらず、僕はその背を追った。
少し開けた場所に出て、向かい合って剣を握る。革の巻かれた柄がキュと音を鳴らした。耳に入るのは深い呼吸の音。不思議と気持ちは落ち着いていた。
「リダ」
「はい」
急に名前を呼ばれ、不思議そうにリダが首を傾げた。
「頼んだぞ」
クシュージャさんが続けていった。リダはその言葉を受け止めると、ゆっくりと咀嚼して深く頷いた。
また、クシュージャさんの目が僕を捉えた。闇夜に姿は溶け込んでほとんどが見えない。それなのに、赤い瞳だけが浮き彫りになって睨みつける。
なめらかな曲線を描いて、動き出した。目で必死に追って、振りかざされた剣をなんとか弾く。
未だ乾ききっていない土が滑り、体制を崩した。そこへ第二撃が迫る。大丈夫だ。僕ならやれる。
胸の奥から、殺せと叫ぶ声が広がる。心拍数が跳ね上がり、強く瞳孔が開いてゆく。自らの体を考えることもせず、力いっぱいに剣を振るう。
乱暴な剣は当然、クシュージャさんに届くわけもない。ただ、弾くことはできた。まだ、胴は繋がっている。
体の奥から、赤黒い怒りが這い出てきた。反面、その奥でどうしようもないほどに冷え切ってしまった自分の存在に気がついた。
大丈夫だ。
まだ飲まれきっちゃいない。
そうだ。僕がララメの代わりになるんだ。救うんだろ?
暗闇の中で、赤い炎が揺れ動く。
視線が交差して、鋭い瞳が僕の目を見つめた。すべてを見通すように、突き刺さり僕の奥へ入り込んでいく。
途端に、お腹の中が空っぽになるのを感じた。体が軽くなった。
大丈夫、大丈夫、大丈夫。
僕は、勇者になるんだ。
感覚が繋がった。
「っ……!」
咄嗟に、剣を投げ捨てて喉を抑えていた。暗闇の中で、空気が全て消えて息ができなくなった。どんなに吸っても酸素が入ってこない。
ただ、腹の奥から膨大な感情だけが流れ込んでくる。目が充血していくのが感覚でわかる。激しい怒りだ。
ただ、それだけじゃなかった。
いくつもの激しい感情が、頭の中でかき混ぜられる。グチャグチャになったパレッドの上では、もはや何色だったのかさえわからない。
「ボンタくんっっっ!」
空気のない深い深海の中で、その声が水を震わせて伝わる。
そうだ……ふかく、深く悲しかった。深く、深く憎かった。
だから諦めた。
剣が、突き上げられていく。
深々と突き刺さった剣は、僕の体に風穴を開けて血を垂れ流す。ララメはもういない。
きっと僕は死ぬんだ。
あまりに鮮明に、死のイメージが浮かび上がった。不自然に、黒色の絵の具で顔だけが塗りつぶされている。
その顔はどんな表情を浮かべている。怒りだろうか、悲しみだろうか、苦しみだろうか。それとも、安堵だろうか?
やがて、視界がぼやけていく。両手で腹を抑えて、漏れ出す血を押し止めようとする。
ああ、もはやどこが痛いのかさえもわからない。
視界が、白と黒だけの灰に染まった。
ガキンッ
甲高い音が耳に響いた。冷たい粒が僕の肌にぶつかっては溶け、小さな水の粒へと姿を変える。
剣は弾かれた。僕の腹に張られた厚い氷によって。
クシュージャさんと目があった。今、彼はどんな色を浮かべている。
剣身に映る僕と目があった。その瞳は何色を宿している。
僕の血は……何色なんだ。
南斗の者かな?




