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46 亜深の結論

次の日。

何となく胸騒ぎがした。

いつもより早く会社に着き、社長室を訪れた。

「おう、神林。どうした?」

社長は、いつも通りそこにいた。

いつも通りの明るい声で。

でも、何だろうか。

何かが、違うような気がした。

「やっぱり早いんですね」

「トップが一番最初に来なくてどうする」

「そういうもんですかね」

「そうさ」

……何が違うのだろう。

「ところで、忘年会はどうします?

 予定通りに行うんですか?」

「ああ。

 須賀はまだ難しそうだからな。

 でも今年中には退院できそうだから、

 祝いを兼ねて新年会でも開くか」

「そうですか。

 ……あ、いや、それだけです。

 失礼します。また後程」

「……なあ、神林」

社長といい須賀といい、背中に声をかけるのが好きだな。

そう思って振り返った俺の笑みはすぐに消えた。

昨日の姿が思い出される。

夜のベンチでひっそりと泣いていた姿が重なる。

「ワシは……これからどうすればいいんだろなぁ……」

そう呟く社長はとても弱々しく見えた。

今にも消えてしまいそうに見えた。

「……俺に分かるわけ、ないじゃないですか」

「……そうだよなぁ……」

そうだ。

俺には分からない。

俺には関係無い。

俺が言えることなんて、無い。


そのはずなのに。

足が、動かなかった。

何かを言わなければいけない気がした。

俺に何が言えるというのだ。

俺に何が出来るというのだ。

所詮俺は凡人なのだから。

放った言葉は、随分と投げやりになった。

「とりあえず、生きればいいんじゃないですか」

背後で、社長が笑った気がした。



仕事を終えて、家に帰る。

変な気持ちだった。

最近の俺の心は引っ掻き回されてばかりだった。

須賀に、誠という少年に、そして社長に。

でもどうしてだろう。

今の俺は落ち着いていた。


ずっと前から我ながら不思議に思っていた。

俺は小さいころに苦労した人間だと思う。

幼くして苦労した人間は安定志向になりやすいという。

でも、俺はそうじゃなかった。

平凡な毎日に、嫌気がさしていた。

何か刺激がないかと、いつも思っていた。

だからこそあの事件に遭遇したわけだし、

過程はどうあれ、結果だけを見れば俺は満足していた。


だが、ふと思った。

俺は別に、代わり映えしない暮らしが嫌だったのではないのではないか。

俺は別に、非現実的なものを求めていたのではないのではないか。

俺はただ、今の自分のままでいることが嫌だったのではないか。

周囲に変わって欲しいのではなく、自分が変わりたかったのではないか。

「ハハハ……コリャ傑作だ」

そう自嘲気味に呟いた。

誰も信じるべきではないと思ってきた、

誰も信じてはいけないと思ってきた、

その俺が。

誰かを信じたいと思っているわけだ。

誰も信じられない今の自分でいたくなかったわけだ。

そう考えると何故だか無性におかしくなって、

俺は夜の街中を笑いながら歩いた。

どこからどう見ても不審者だっただろう。


不審者。

不審な行動をとる者。

でもそれは同時に、不信者でもある。

信用できない者。

信用できないからこそ、人は警戒する。

不審者、なんて言葉が頻繁に使われるようになったのは、ごく最近の気がする。

俺が子どもの頃は、なんというか、もっと皆が他人を信じられていた気がする。

もっと人と人との絆が深かった気がする。

これも時代の流れだろうか。

時代が真実に近い方向に流れているのだとしたら、

俺の生き方は間違っちゃいないのだろうか。


今の俺には分かる。

正しいか間違っているかなんて、たいした問題じゃないんだ。

人を信じられるって気持ちのいいことだろうな、それだけだ。

心の底でそう思っているからこそ、

俺は今の俺に対して、少なくない不満を抱いているのだろう。

でも、だったらどうする?

今から生き方を変えてみようか。

信じられそうな人を信じてみようか。

それは少し大変な作業だ。

10年以上の長きに渡って貫いてきた信念をずらすのだ。

わざわざそんなことをして、得られるものはあるのだろうか。

失うものと得られるものと、どちらが大きいのだろうか。



家の前に着いた。

鍵を取り出す。

扉を開ける。

明かりをつける。

靴を脱ぐ。

シャワーを浴びる。

ベッドに横になる。

いつもと同じ動作の繰り返しなのに、不思議と不満は無かった。

どうやら今の俺は機嫌がいいらしい。

かといって興奮しているわけでもなく、眠気はすぐに襲ってきた。


何だか、今日はあの夢を見ても大丈夫な気がした。



とりあえずは、保留でいいんじゃないか。

夢に落ちる前に、俺はそう思った。

生き方を変えるのは大変だ。

今までの自分を否定することにもなりかねない。

自分は自分だ。

それに、もともと俺の信条にも譲歩はあった。

「無条件に信じられる人もいる」。

そんな人に、いつかきっと会える。

それで万々歳じゃなかろうか。

それが分かっただけでも、良かったと思う。

自分が自分をどう思っているかが分かって、良かったと思う。


信じないということは、期待しないということ。

信じないということは、失望しないということ。

期待が上り坂で、失望が下り坂なら、

俺は今まで平坦な道ばかりを選んできた。

それはそれで良かったんだと思う。

下り坂を通らないようにしてきた結果が、それなのだ。


でも、たまには。

ほんの少しだけ。


上からの景色も、眺めてみたいと思った。

今まで辿って来た道を、見下ろしてみたいと思った。

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