34 隼人の物語6
「……それ、マジかよ……」
放課後、生物室前の廊下で篠崎から聞いた話に、
俺は不快感をあらわにする。
「ホントのホント。確かな筋の話だよ。
僕もさっき聞いたんだけどね。
信じられないというのなら、
証人に合わせようか?」
「……いや、別に耳を疑うような話じゃないさ。
……でもなぁ……」
「君の言いたいことは分かるよ。
この先の学校が思いやられるんだろ。
同感だ。僕としてもできるだけ
関わらないようにしたいね」
そう、はっきり言ってしまえば、
十分にありえることだった。
文芸部は部員数も少ないし、
自己顕示欲の強い尾崎のことだ。
むしろ、そうならないほうが不思議というものだ。
俺はため息をつく。
「……尾崎が……
文芸部の次期部長ねぇ……」
俺が生物部の次期部長に決まったのは
決して早いことじゃない。
この時期、ほとんどの部活でその話が行われ始める。
そして1月末までには、
部活の更新手続きを行わなければならない。
その際の書類に、次期部長と副部長の名前を書くのだ。
だから最近はそういう話もちらほら聞こえていた。
あの部活は誰が部長なのか、あいつはどうなったのか。
その話の中に、尾崎の名前があったわけだ。
尾崎栄一郎。
俺のクラスメートにして、教頭の息子。
性格は傲慢で高圧的。
そのくせ先輩や教師には尻尾を振る。
嫌なヤツの見本みたいなヤツ。
そして何かと親のことを引き合いに出す。
「内申を下げる」だの、「停学にする」だの。
さすがに退学なんてことは口に出さないが、
ここは私立校で、教頭がある程度の
権限を握っているのは確かだ。
そしてここは進学校。
だから、多くの奴等は将来に響かないよう、
尾崎に逆らわないようにやっている。
「でもさ、それってただのハッタリだと思うぜ。
だって俺、一回教頭の授業サボったし。
尾崎のわがままに付き合ったこと無いし。
それでも俺はぴんぴんしてるぞ」
まあ、たしかに教頭との仲は最悪だが。
「どうだろうね。
外面的には何も起こっていないように見えるけど、
だからといって問題無いとは限らない。
もしかしたら成績表が酷いことになってるかもよ?」
「成績なんて、ほとんどテストの点数じゃねーか。
俺、別に推薦入学とかする気もねーし、
一般入試だったら内申ほとんど関係無いだろ」
「へぇ、意外だね。
てっきり君はテストが嫌いだと思っていたんだけど、
それは僕の見当違いだったかな?」
「テストは嫌いだ。でも、んー、なんつうか、
推薦ってすごい下手に出てる気がするんだよな。
ヘコヘコするのは俺の柄じゃねえ」
「……それは何か違うような気もするけど。
それに、いざ3年生になっても
気持ちが変わらないとは限らないんじゃないかな」
「……何だよ、お前、
尾崎の言うことを聞けって言いたいのか?」
「語弊がありそうな言い方だけど、まあそういうこと。
あまり牙を向けるのはやめた方がいい」
「別にわざと食って掛かってるわけじゃねーよ。
できるだけ無視するようにしてるだけだ」
「同じようなもんさ。
とにかく、変なことはしないほうがいい。
君のためにも、部のためにも」
「……どういうことだ……?」
部活のため……?
俺が何かすることで、問題があるのか?
尾崎は軽く息を吐く。
「……どうやら、知らないみたいだね」
「何の話だ。教えろ」
「言われなくても教えるよ。
でも、さすがにこれは知ってるだろう?
旅行部騒動はさ」
その話なら知っている。
つい最近聞いた話だ。
ウチの学校には旅行部という小さな部活がある。
マイナーもマイナー、今年の1年はたった一人。
だから当然そいつが次期部長になると思われていた。
だが、そうならなかった。
現部長が引き続き務めることになったのだ。
1年がいない場合、そういったこともある。
でも、いるのに、そうなった。
加えて旅行部には3ヶ月の活動停止命令が出された。
理由は「丹木高生のモラルに反した」という曖昧さ。
なのに彼らもすんなりとそれを受け入れた。
当事者は皆口を閉ざしているらしく、
何があったのかはよく分からない。
異例の事態。俺も少なからず興味を持った。
一時期騒ぎにはなったが、
新しい情報が全く出てこないので、
最近は既に沈静化していている。
「あれがどうしたんだ?
まさかそこに、尾崎が絡んでるってのか?」
「ご名答」
篠崎は人差し指を立てて見せる。
「これも確かな筋から聞いた話。
実はその1年生、尾崎と一悶着あったらしいんだ。
そのときに、尾崎は言った。
『どうなっても知らないぞ』ってね」
「……」
それが何を意味するのか。
ぼんやりとではあるが分かってきた。
つまり俺と尾崎が対立すれば、
その火の粉が生物部にも飛んでくるかもってことか。
俺が部長ともなれば尚更危険度は高い。
「……部長は……そのこと知ってるのか」
「さあ、どうだろうね」
「尾崎が俺を嫌ってるってことは?」
「僕に訊かれても困るね」
「……知ってたら、俺を選んだりは
しなかったんじゃねーかな」
そうだ。
そんな危険なこと、するわけがない。
だったら……
「だったら、本人に訊いてみればいい」
そう言って篠崎は生物室の扉を開ける。
「部長、すみません」
中で大沼と話していた部長は話を止め、
外に出てきた。
「なんだい諸君、私も猥談に入れてくれるのかい?」
「そんな話してません」
「じゃあ何だというのだね?
あ、あれか。冴っちと話してたのが気に食わないのか」
「違いますって。
部長は旅行部の話、知ってますか?」
「知ってるよ」
「俺と尾崎の関係は?」
「ボーイズラブの方向じゃなければ」
「やめてください」
おかしい。部長が真面目に取り合わない。
「……俺が部長で、大丈夫なんですか?」
「何々ー? 君達はそんなことを心配してるのかい。
大丈夫大丈夫、風見は普通にやってればいいんだよ。
あ、まあさすがに授業サボったりはNGだけどね。
んじゃ、そういうことでっ」
一方的に話を切り上げると、部長は室内に戻っていった。
「……」
残された俺たちは、ただ顔を見合わせるだけだった。