31 綾乃の物語9
「綾乃が変な勘違い起こしてるって分かってから
よくよく話を聞いてみたらさ、水樹に相談したっていうじゃん。
一歩間違えてたらちょっとヤなことになってた感もあるし、
こりゃちょっと親友である私からもお礼を言っとくべきかなって」
麻衣が運ばれてきたケーキにフォークを立てる。
「……で、まあ、そういうわけでさ、うん、
そういうわけだから、まあ、そういうわけだよ」
「……いや、意味が分かりません」
「何言ってんの。全国模試でベスト100に入った誠君なら
これくらいの行間読めるでしょ」
「……ばれてる」
「そりゃ見るでしょー、知ってる高校の人がいないか。
まさか知ってる名前があるとは思わなかったけど。
それにしてもすごいねー。学年トップですか」
「1位になんてなったことないよ。あの時だって3位だったし」
「あれ、そうだっけ。まじでか。まだ上がいるのか。
やべぇ、思ったより怖いぞ、丹木高校」
「ハハハ……」
……なんだろう。
どことなく、おかしかった。
暗い気がした。
影がある気がした。
あの時の私に似た感じがした。
「……誠、何かあった?」
「え? 何が?」
「いや、なんていうか……大丈夫?」
「何々? 何か悩み事? 言ってみ言ってみ。
あれか! 恋の悩みか! そういうことなら任せなさい。
このインストラクター暦20年の私が華麗なアドバイスを……」
「……」
「突っ込む気力も無いのか。重症だな」
「今の突っ込んでよかったんだ。
……あ、変なこと言ってごめんね。なんでもないならいいんだ」
そう言ってケーキを一口食べる。
話題を移そうとしたところで、
ケーキを見つめていた誠がぼそりと呟いた。
「……こんなんでいいのかな」
「え?」
「思い返してみると……勉強ばかりしている気がするんだ。
こんなことを続けてていいのかなって、
もっと青春らしいことがあるんじゃないかって、思っちゃうんだ」
「馬鹿かあんたは」
速攻で麻衣の野次が飛んだ。
「だーれが青春しようって思って青春するんだっての。
そんな言葉、現在進行形で真っ只中の私達が使うモンじゃないっての。
『アレがそうだったんだな』って、終わってから振り返ってさ、
めくるめくノスタルジーの世界に浸るわけよ。そういうモンでしょ」
「何、そのいかにも知ったかのような」
「姉貴の受け売り」
「さいですか」
飲み物が運ばれてくる。
「綾乃って牛乳入れるっけ?」
「ブラックで」
「渋いね。じゃあ、いただきます」
麻衣は付属のミルクポットを手に取るとコーヒーカップに注ぎだす。
「私もさ、同じこと姉貴に言ったのよ。で、そういうこと言われたわけ」
「……」
「要するにさ、みんなそういうこと考えるのよ。
みんな同じようなことで悩むわけよ。
でもさ、そうやって迷いながら進んでくワケじゃん。
それ自体、青春だと思うのよね、私は」
「……って、ミルクどこまで入れんのよ」
「全部」
「全部って、おい」
カップに並々と注がれたコーヒー、もとい、コーヒー牛乳を前に、
麻衣は満足げにポットを戻す。
「こんなことを考えてるのは自分だけだなんて思うんじゃないよ。
うぬぼれるんじゃない。閉じこもるんじゃない。
それが普通だ。そう思うだけで、ずいぶん楽になるもんだよ」
ふと、あることを思いついた。
「ごめん、ちょっと」
そう言って席を立つ。向かう先はトイレ。
鍵をかけて、私は携帯電話を取り出した。
誠が青春らしいことをしたいというのなら。
一石二鳥、いや三鳥。
電話を、かけた。
話はついた。というか、つけた。
席に戻り、既に3皿目に入っている麻衣を尻目に、私は誠に提案する。
「ねえ、食べ終わったらちょっと出かけない?」
「どこに?」
「うん、ちょっとね」
心の中で笑いが止まらなかった。
どうなるだろうと楽しみで仕方なかった。
……えーと、うん。
ごめん、訂正するわ。
誠のためだとか、そういうんじゃないや。
単なる私のいたずら趣味だ。
帰り道、中学校の前を通った。
たった1年前に通っていた場所。
そういえば、麻衣と知り合ったのもここなんだなぁ。
同じクラスになって、席が近くで。
中学校生活に緊張していた私に、「久しぶり!」なんて声をかけてきて。
「え……と、前にどこかで会ったっけ?」
「さあ。前世に会ってたかもしれないね」
最初は変なヤツだなって思ったけど、すぐに打ち解けた。
いつも私を笑わせてくれた。
いつも何かを教えられた。
人間的に、とてつもなくでっかい存在に見えて。
「……麻衣、ありがとね」
「んー?」
「私が今こうしていられるのは、麻衣のおかげ。
私に進むべき方向を教えてくれた。
学校に関わることの大切さを、楽しさを教えてくれた。
麻衣がいなかったら、私は今も惰性で生きていたと思う。
何かしなきゃと思って、でも何をしたらいいか分からなくて。
だから、ありがとう」
「何を今更。
私は何もしてないよ。動いたのはあんたでしょ。
例え私がいなくたって、あんたなら自分で見つけてたよ」
「そんなことない。だって――」
「はいはいはい、やめやめ。堂々巡りが始まるよ。
どうだっていいじゃん、そんなこと。今ある世界が全てだよ」
「……」
私は諦めた。
麻衣はこういうヤツなのだ。
与えてばっかりで、受け取ろうとしない。
だったら、受け取ってもらえなくてもいい。
でも、私は受け取ってばっかりの人間だから。
だから、せめてものお礼。
麻衣、覚悟しな。
これからずっと、ずーっと言ってやるんだから。
ありがとう、って。
「ところで、つかぬ事をお聞きしますが」
「うん?」
「綾乃って、水樹のことどう思ってるわけ?」
「恩人にして、大切な友達」
「なんだ」
「なんだって何よ。
麻衣は? 中学の頃、何か言ってなかったっけ」
「好感が持てる、以上の何物でもないよ。
ま、今回の件で三段階特進くらいしたかもしれんけど。
そんなことより私は現在絶賛恋愛中だもんね」
「うそ、マジで。付き合ってんの?」
「いや。只今絶賛先輩に片思い中」
「部活の? 誰?」
「教えなーい」
「何でよー。うーん……五条先輩?」
「ぶっぶー」
「えーと、じゃあ……大槻先輩」
「ぶー」
「村瀬先輩」
「こらー、虱潰し禁止ー」
楽しい。楽しいよ。
なんでもない、日常の1コマかもしれないけれど。
それでも一度は失いかけたものだから。
これが誠の言う青春なのかは分からない。
でも。
私は、幸せだ。