30 誠の物語5
寝起きは最高だった。
そしてすぐに最悪になった。
いつもより少し遅く目が覚める。
時計を見ると8時。
まだ両親も寝ているのだろう。階下から音は聞こえない。
二度寝すると一層気分が悪くなりそうだったので、ベッドから体を起こす。
今日は土曜日。休日だ。
着替えながら本棚に目をやる。
生物、古典、数学、英語……
教科書に、ノートに、問題集に、模試のファイル。
その上の段には数冊の漫画と小説。
棚の上には小中学校での作品が飾ってあって。
机にはパソコンと宿題。
そして……
これだけか。
僕は溜息をつく。
これだけしか無いんだなと。
いつも見ているはずなのに、やたらスカスカに見える。
まただ。
またこれだ。
虚無感の発作。
朝からだなんて、最悪だ。
とても楽しい夢を見た。
すごく抽象的な夢だったけれど、とにかく楽しかった。
他に表現する言葉が見つからないくらい、楽しかった。
テストに向かうときの楽しさじゃない。
緊張感のある楽しさじゃなくて、純粋な喜び。
今までに味わったことの無い感覚。
青春ってこういうものなんじゃないかと、起きた今思う。
楽しいはずなのに。
現実も、楽しいはずなのに。
楽しんでいるはずなのに。
何なんだろう。
どうして、こんな悲しい気持ちになるんだろう。
一体自分は今まで何をしてきたのかと思ってしまう。
何を成し遂げたのかと自問してしまう。
そして答えられない。
僕は、何を築き上げてきたのだろう。
誰かに披露できるような趣味も無く。
賞賛を受けるような技能も無く。
胸を張れるような功績も無く。
僕が僕であるための何かを、僕は持っているのだろうか。
ええい、何を考えているんだ僕は。
意味の無いネガティヴ思考はやめよう。
とりあえずは朝ごはんだ。
リビングに行くと、ちょうどお母さんが起きてきたところだった。
「おはよう」とお互いに言う。
それだけで、僕の気持ちはずいぶんと軽くなった。
そう。一番の薬は、他人との交流なんだ。
この発作は寂しさから来るものなんだから。
そして自分と関わりの薄い人ほど、効果が高い。
家族より友達、友達より先生、見知らぬ人。
自分が社会と繋がっていることを感じさせてくれるから。
そんなことが最近分かってきた。
朝ごはんを食べて少しぼぅっとしていたところで、電話が鳴った。
お母さんが取って、少しのやり取りのあと、僕を見た。
「誠に電話。中学の学級委員長さんだって」
中学の?
今更何の用だろうか。
……あ。
慌てて受話器を受け取る。
中学のときの学級委員長。
僕のクラスなら、それは決まっていた。
綾乃さんからの電話だった。
待ち合わせ場所は中学の近くの喫茶店だった。
来るのは初めてだった。
休日に女の子に呼び出されるなんてのはちょっと青春ぽいかもしれない、
なんて馬鹿げたことを考えながら空を眺めて立っていると、横から声をかけられた。
「おっす、誠」
「あ、綾乃さん、おはよう」
「中で待ってれば良かったのに」
「いや、なんかこういう所に一人で入るのはちょっと」
「あー、誠らしい」
そこで僕はもう一人の人物に気付く。
知ってる人だった。
「水樹君、おひさー」
「あ。えっと……」
「やべぇ、名前忘れられてる。ショック」
「いや、下の名前は出てくるんだけど……
あ、そうだ。お久しぶり、井上さん」
井上麻衣さん。中一の頃のクラスメートで、同じ清掃委員だった。
綾乃さんの友人で、今も同じ高校に通っている。
「あれ……何でここに?」
「うわ、邪魔だって言われた」
「言ってない言ってない」
「まあ、ちょっとお礼が言いたくってさ」
「お礼? 何の?」
「とりあえず中に入ろうよ。あ、今日は私達が奢るから」
そう言うや否や、2人は店内に入っていく。
僕は慌てて後を追った。
4人掛けのテーブルに着く。すぐに店員さんがやってきた。
「ご注文は」
「えーと、じゃあアイスティー」
「おいまて。一番安いの頼むな」
「えー」
「せっかくケーキの美味しいところなんだから、
食べなきゃ勿体無いでしょ」
「そうなの? じゃあケーキセット小」
「だから何で一番安いのを頼む」
「だって……」
「奢るって言ってんじゃん。安いの頼まれたら甲斐が無いってもんよ」
「いや、いいよ。悪いし」
「すみません、ケーキコース3つお願いします」
「ええ、ちょっと……」
メニューを見る。自家製ケーキ3種。飲み物おかわり可能。値段は……4桁だった。
「お飲み物はどうなされますか」
「誠はアイスティーね。じゃあ私達はホットコーヒーで」
「かしこまりました」
店員さんが立ち去る。なんかすごい笑っていた気がする。
「……で、どうしたの?」
支払いの話はその段になってからで良いとして、僕は本題に入る。
「あんたさー、世間話を楽しもうとか、そういう気持ちは無いの?」
いきなり井上さんにたしなめられた。横で綾乃さんが笑う。
「うん、だからさ、誠にお礼がいいたくて。奢るってのもそういうこと」
「中学校関連で?」
「いや、電話の時は他に誠との関係の説明の仕方が思いつかなかったってだけ。
中学は関係無いよ」
首を傾げる。
と、すぐに思いついた。
何だ、決まってるじゃないか。
最近綾乃さんに会った時のこと。
「ということは……井上さんだったわけか」
2人は頷く。楽しそうに。