25 綾乃の物語6
「……あ、綾乃さん……ちょっと……えっと……」
うろたえる誠の声で、私は我に帰る。
そして、現状を確認する。
……
「きゃあっ!」
「わわっ!」
思わず、誠の体を突き飛ばす。
辺りを見回すと、車両にまばらに座った乗客の視線がさっと逸れた。
……あーもー、何やってんだ私。
「……ご、ごめん……大丈夫?」
「だ、大丈夫大丈夫」
床に尻餅をついた状態から立ち上がる誠。
……反対側に人が座ってなくてよかった。
「誠、いつからいたの?」
「今乗ってきたところ。綾乃さんが乗るのが見えたから」
「……そっか。まあ、座ってよ。なんか気がひける」
「うん」
誠は私の隣に腰掛ける。
私は胸に手を当てて深呼吸する。
誠に会えて嬉しかった。
でも、まだ気は晴れなかった。
私のすべきことはこれからだ。
「……久しぶりだね。2ヶ月前か、最後に会ったのは」
「そうだね……あの時だから……」
かすれるような声のこそこそ話はかえって聞こえやすいらしい。
だから声は低く、小さく。
がたんがたん、がたんがたん。
電車の走る音に紛れ込ませる。
「……報告してなかったよね。私……みんなに打ち明けたよ」
「……」
「全然大したことなかった。
ちょっと騒ぎになったけど……今も無事に高校生やってるし。
加奈もね……助けてくれたんだ。嬉しかった。本当に。
今こうしていられるの、誠のおかげだよ。ありがとう」
「……別に何もしてないよ。何も助言もしてない。
綾乃さんが自分で決めて、自分でやったことだよ」
「どうだかねー」
「だって、常磐さんがいなかったら……」
「誠がいなくても、駄目だったよ」
「……」
「あーもう、どういたしましてくらい言えないのかね。
自分の功績を認めなさい。そんなんじゃアメリカでやっていけないよ」
「別に海外行くつもり無いし……でも、まあ、どういたしまして」
「うん、よろしい」
電車が止まる。1つ目の停車駅。そこで、私はふと気付いた。
「あれ、そういえば隼人君は?」
「隼人は用事があるって言って先に帰ったよ。
なんかビデオが見つからなくて大規模捜索を行うとか」
この前会ったときにビデオを貸してもらう約束をしたことを思い出す。
……それ、もしかして私のせい?
「まあ、テストも終わったことだしね。
しばらくはゆっくりしてもいいんだけど」
「あ、テストあったんだ。ウチもだよ」
「高校はみんな大体同じ時期だよね。
そういえば、テストの答案ってどれくらいで返ってくる?」
「うーん、先生にもよるけど、10日くらいかな。
あ、あれでしょ。そっちは次の授業時に必ず返ってくるんでしょ」
「よく知ってるね」
「有名だよ、それは。大変だよねー、そっちの先生はさ」
「今日の帰りが遅いのもテスト関係?」
「……ううん、別に何も。今日は至って普通の日だよ」
普通って何だろう。そう思った。
電車が駅を発つ。次の次が私の降りる駅。
話をしながら、私は焦りだしていた。
話をしている間中、聞こえていた。
早く本題を切り出せと、強すぎる「私」が言う。
誠は終点まで乗っていく。
だから、私が降りるときがさよなら。
時間が無い。
でも、とても無理だった。
あの時とは違う。他に乗客がいる。
盗み聞きされて良い話じゃない。
誠に話すのさえ、ためらってしまうのに。
こんな所じゃ、話せない。
何をやっているんだ、私は。
せっかく誠に会えたというのに。
みすみすチャンスを逃すようなことを。
焦る。
焦るけど、どうにもできない。
時間がどんどん過ぎていって。
目的地がどんどん近づいてきて。
普通の高校生な話ばかりが続いて。
そして。
「まもなく、衣由羽、衣由羽です。降り口は左側です」
その時が、来てしまった。
「……じゃあ、ね。今日は会えて良かったよ」
半分は本当だけれど、半分は嘘。
私は立ち上がる。
このまま終点まで乗っていこうかとも思った。
でも、話すのをためらう「私」がいる。
できることなら逃げてしまいたいと思う「私」がいる。
だから、これを口実にしようとする「私」がいる。
……違う。
これは「私」じゃない。
私、だ。
私が、逃げたがっている。
だから今、私は電車を降りようとしている。
諦めようとしている。
やっぱり私は弱かった。
駄目だなぁ。
こんなんだから……こんなんだから……
それでもせめて少しばかりの抵抗をしたくて、私は振り返った。
誠と目が合った。
私は精一杯の笑顔を作って見せた。
涙がこぼれそうだったけれど、我慢した。
虚勢なのかもしれない。
薄っぺらい殻なのかもしれない。
それでも、それでも。
少しでも、理想の自分に近づきたかった。
私は、強くなりたかった。
すっ、と誠が立ち上がった。
そして、電車を降りた。
しばらく意味が分からなかった。
でも、慌てて私も電車を降りる。
もう辺りは真っ暗だった。
他の乗客が階段を上ってホームから消えていく。
誠は反対側、ホームの先へ歩いていく。
私も、後を追う。
「ど、どうしたのさ」
誠は隅のベンチに腰を下ろした。
「……ちょっと寒いね、ごめん」
「いやそんなことはどうでもいいんだけど、何のつもり?」
「……ここなら、話せるんじゃないかと思ってさ」
「……」
「何かあるんじゃないかな。
だって、わざわざあんなことを言うだけのために待ってないよね」
「……なんで、そんなこと……」
「だって綾乃さん、煙草のにおいがする」
袖を鼻にやる。確かに、臭いが付いていた。
「まさか綾乃さんが煙草を吸うなんて思えないし、
そうだとしてもそれならもっとちゃんと隠すはず。
なら、煙草の煙が充満している所にしばらく居たんだろうって。
今時職員室も禁煙だし、女子高生が行くような飲食店も薄い。
駅の喫煙所に入っていた可能性が高いと思ったんだ」
その通りだった。
駅で待っているとき、下校ラッシュ時にクラスメートに合わないように、
私はホームの端っこにある喫煙所に隠れていた。
窓や換気口はあるけれど、隅でうずくまっていれば
覗こうとでも思わない限り見つからない。
私は誠に感謝しなければならない。
ここまで見破られて、なお口を閉ざそうとするほど私は臆病じゃない。
いや、そもそも私は誠に相談したくてこの時間までいたのだ。
もう、障害は無い。
私は話した。
麻衣が――誠とも知り合いだし、流石に名前は伏せたけれど――
学校の裏サイトでやっていたことを。




