20 加奈の物語6
「綿原、って分かるかな。あたしの苗字なんだけど」
「……聞いたことある。町内会の副会長さん」
「うん、そうそう」
「仕事をバリバリやってくれて、すごいってお母さんが言ってた」
「ふふ、ありがと」
自慢の母親だった。
強くて、優しくて。
でも、だからなのだろうか。
あたしがこんなに弱くなってしまったのは。
「……それに……」
「それに?」
「僕を助けてくれたのも……おばさんだった」
やっぱり。そうだったんだ。
「……4月の終わりに、入院したんだ。
自転車で走ってて、横断歩道を渡ってから道を間違えたことに気付いて、
慌てて引き返した。
そのときに、曲がってきた車とぶつかって……
痛くて、動けなかった。
車の人は、あたふたしていて。
そこにおばさんが来て、救急車を呼んでくれて……」
声変わり前の高い声。
何だか、聞いていて心地良かった。
……なんて、そんなことを考えてるときじゃない。
「おばさんに伝えて。あの時はありがとうございました、って」
「うん、分かった。
それで……どれくらい入院したの?」
「……複雑骨折で、3ヶ月」
「そうだよね」
「……え?」
不思議そうな顔をする拓馬君。
そう、あたしは見当がついていた。
そして、彼が学校に行っていない理由も。
あたしも何度も味わったことのある、とっても単純なこと。
誰だって感じる、簡単な心理。
……なんだ、あたしだって「論理」してるじゃない。
でもまだ、それを言うべきじゃない。
踏み込んだ話だから。立ち入った話だから。
こうやって、お喋りしているだけで、いいから。
拓馬君が、立ち上がった。
「どうしたの?」
「……お昼ご飯、買ってくる」
「お弁当、作ってもらってないの?」
「……学校に行くって言ってるから」
「あ、ごめん……」
去っていく拓馬君。
すぐに、ビニール袋を提げて戻ってきた。
中身は、コンビニのハンバーグ弁当とスポーツドリンクだった。
「いつもそういうの買って食べてるの?」
「うん」
でも、拓馬君が学校に行っていないのは、両親だって分かっているはず。
なら、どうして……
「朝ごはんは、作ってもらってるの?」
「お母さんもお父さんも忙しいから、自分でパンを焼いて食べる」
「2人とも働いてるの?」
「うん」
「そっか。夕ご飯も1人?」
「……たまに」
共働きか……大変だ。
「お姉ちゃんは……お昼どうするの?」
「あたしは、持ってきたから」
そう言ってお母さんが作った弁当を取り出す。
携帯を見ると11時半。
ちょっと早いけれど、お昼ご飯にしてもいいかもしれない。
弁当箱を開けると、いつも通りの中身が顔を出した。
いや、「いつも通り」なんて言っちゃ失礼だ。
毎日毎日違うおかずを、朝早くから起きて作って。
「いただきます」
手を合わせて、礼をした。
食べられてくれる生物に、そして作ってくれたお母さんに感謝して。
「……鳥の唐揚げ……」
拓馬君が、中身に注目していた。
「うん、トリカラの生姜醤油。好き?」
「うん」
「とりかえっこしようか、おかず」
「……うん」
2人の距離が半分になった。
「この前の人……お姉ちゃんの友達?」
「この前……? ああ、うん、そうだよ」
少しためらったけど、そう言った。
友達って何だろうなんて思ったら、きっと綾乃ちゃんに怒られてしまうだろう。
「綾乃ちゃんは、あたしの親友で、恩人だよ」
「学校の……?」
「……うん、高校に入って、同じクラスになったの」
「お姉ちゃんも、バレー部なの?」
「え? ううん、違うけど、どうして?」
「あの人が、そう言ってたから」
言われてみればそうだったかもしれない。ちゃんと聴いていたんだ。
綾乃ちゃんが聞いたら、さぞかし喜ぶことだろう。
「僕にもね、親友がいるんだ。健斗っていって、同じサッカー部だった。
サッカーがすごく上手いんだ。来年は部長になるんだ、きっと。
3年生のときに同じクラスになって、いつも一緒に遊んでた。
……でも、僕が引っ越すことになって、別れちゃった」
「今でも連絡とってるの?」
「ううん。1回電話しただけ。そのあとすぐに入院しちゃって……」
骨折したなんて恥ずかしくて言えなかったのだろうか。
でも、そうなると。
この子の周りには、誰もいないことになる。
その後は、普通におしゃべりが続いた。
あまり学校のことには触れないほうがいいかと思っていたけれど、
向こうから聞いてくるので、高校のことを色々話した。
ウチのサッカー部は強いんだよって話をしたら、目を輝かせていた。
テストが1週間続くんだよって話をしたら、露骨に嫌な顔をしていた。
パソコンは結構できるらしくて、あたしの方が首をかしげた。
ゲームとかの話は、正直、ついていけなかった。
綾乃ちゃん以外とこんなにたくさんお喋りするのは本当に久しぶり。
時々沈黙もあったけれど、
何だかんだで気がつくと辺りは暗くなっていた。
「最近、日が沈むのが早い……」
「もうすぐ冬至だからね」
「トウジ?」
「1年で一番夜が長い日」
「ふーん」
「カボチャを食べるんだよ」
「ハロウィン?」
「それはカボチャをかぶるの」
本当に、久しぶり。