14 綾乃の物語2
藤崎祥子。
小学6年生のときに不登校になった子。
結局卒業式にも来なかった子。
その後すぐに引っ越してしまった子。
藤崎祥子。
ワタシガイジメタコ。
祥子の母親がお茶を2つのコップに注いで、部屋を出て行った。
その間、私も祥子も何も言わなかった。
きっと、この母親も事情が分かっているのだろう。
階段を下りる音が消えてから、祥子は私に向き直った。
私は居住まいを正す。
鼓動が速い。
「あらかじめ言っておく。私はあなたたちのことが好きじゃないし、許してもいない」
「……ごめん」
「謝っても許さない」
「……それは分かってる」
「本当に? 本当に分かってる? 私がどんなに苦しんだか、苦しんでいるか、本当に分かってる?」
「……」
「……ごめんなさい、言い過ぎたね。別にあなた1人が悪いんじゃないのに。むしろ……」
彼女はそこで言葉を飲み込む。俯いて、唇を噛んでいた。
「……今だったら、訊けるのかな」
祥子は私の記憶の中の彼女より、ずっと饒舌だった。
もともとそうだったのか、引っ越してから変わったのか、今は興奮しているのか、私には分からない。
「どうして、私はいじめられたの? 私の何がいけなかったの? 私はどうすればよかったの?」
「……」
ああ、やっぱりそうなんだ。
加奈もそうだった。
いじめられるのは、自分のせいだと。自分が悪いんだと。
そう自分に言い聞かせてしまうんだ。
どうすればいいのだろうと悩む。
どうすれば復讐できるのかじゃない。
どうすれば仲間として認めてくれるのかを。
何を直せば受け入れられるのかを。
でも、事実は残酷だ。
「……祥子は何も悪くなかったよ。生贄を選んだのは私達」
理由なんて無い、それが現実。
それを伝えるのは、間違いだっただろうか。
祥子にも落ち度があったと言ったほうが良かったのだろうか。
でも、そんなのは私自身が許せない。
「……そっか、やっぱりそうなんだ」
祥子はそう言って立ち上がった。寂しそうに笑っていた。
「何の理由もなく……ただただ偶然、運が悪くて。
そんなことで私は……」
私に背を向ける。細い体だった。簡単に折れてしまいそうだった。
私が祥子に与えた影響は大きい。
大きすぎる。
「……ごめんなさい」
「謝るのはやめて。謝っても過去は変わらない。
事実は変わらない。気持ちは変わらない。何も変わらない」
「でも……なら、どうすればいいの……」
私も立ち上がる。祥子に向かって、一歩進む。
その振動で、床に置いたグラス同士がぶつかって音を立てた。
「私は何だってする。祥子が望むなら、何だってするよ。
それで祥子の気持ちが晴れるなら……私には、それくらいしかできない」
私ができること。
私に祥子は救えないかもしれない。
でも、少しでも罪滅ぼしをさせて欲しい。
祥子の力になりたい。
そのために、私は何も厭うことは無い。
例えそれが、私の人生を滅茶苦茶にすることだとしても。
だって、私は祥子の人生を滅茶苦茶にしてしまったのだから。
「……そう。それなら……」
祥子が振り向いた。私は怯まない。
何だってする。何だって。
例えそれが、私の人生をオワラセルコトダトシテモ。
「生きて」
「……え……?」
耳を疑った。
私に、「生きて」?
死んで欲しいというのならまだしも、その逆は考えられなかった。
動揺する私を見据えて、祥子は言葉を続ける。
「私はいじめを無くしたい。
でも、関わったことのない、知らない、当事者でない人は声高に叫ぶのは難しいし、
いじめられた側だけが言っても人によっては負け犬の遠吠えに聞こえるかも知れない。
だから、いじめた側の人間が必要なの。
いじめは誰にとっても苦しいことだ、って伝えなきゃいけない。それを、あなたがして」
「……」
断る理由は無かった。
もともと私もそうしようと思っていたし、してきたつもりだ。
でも、そっか。そのためには、私は死ねないんだ。
「分かった。祥子がそう言うなら……そうする」
約束。私は死なない。絶対に。
死んでたまるもんか!
沈黙が流れた。私にはそれを破る権利も術も無いと思ったから、祥子の言葉を待った。
「……今日はもう帰ってくれないかな。疲れたから」
「……うん」
私は立ち上がる。ドアノブに手をかけたところで、ふと言葉が口を突いた。
「また……来てもいいかな……」
「駄目」
即答だった。でもそれに対して憤慨する権利は私には無い。私は許して貰う立場。
「私にちゃんと顔向け出来るようになるまでは来ないで。
それがいつかは、どうすればいいかは、私が決めることじゃない。
あなたが、自分に胸を張れるようになったら来て。
そうしたら、私はあなたのことを許せるかも知れない」
私は振り返らずに強く頷いて、部屋を後にした。
ほんの、10分ほどの訪問だった。
祥子は部屋に座ったまま、見送りには来なかった。
代わりに母親が靴を履く私に向かって微笑んでいた。
「……ありがとう」
ぽつり。
あまりにも唐突で、か細くて、意外な言葉だったので、
それが私に向けられたものだと気づくのが随分と遅れた。
「……やめてください。そんなこと言われる立場じゃ、ないです」
「そうだろうね」
祥子がはっきり物を言うのは親譲りなのか、偶然か。それとも……同じ経験をしたのだろうか。
「でもね、嬉しいときは、ありがとうって言うもんじゃないかな」
「嬉……しい……?」
「あなたがやったという事実は、この先何があっても変わらない。
だからせめて、あなたには反省して欲しかったの。
そして、二度と同じ過ちを犯さないで欲しい。私達のような人を増やさないで欲しい。
できれば、無くす努力をして欲しい。
それが、どんなに賠償金を貰うより、重く罰するより、私達には一番嬉しいことなんだから」
私の中学の記憶が正しければ、雲が空の面積の1割以下の時を快晴という。
当時はそんなことあるわけないと思ったけれど、今が正にそれだった。
空が青くて、白くて、透明で、とてもきれい。
罰するだけじゃダメ。大切なのは気づいて、反省すること。
誠もそんなことを言っていた気がする。
私は反省した。謝った。
でも、それで終わりじゃない。その経験を、私は活かさなくちゃならない。
私は日なたに出て、伸びをする。太陽が眩しくて、暖かい。
大丈夫。
もう冷たい風の中でも大丈夫。
私は、力を貰ったから。