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01 亜深の物語1

「カノウセイ(A False Sequel)」を読んでいることが前提となっています。

タ・ス・ケ・テ・ク・レ


タ ス ケ テ ク レ


タスケテクレ


たすけてくれ


助けてくれ!


「助けてくれぇぇぇぇえぇええぇ!」



俺は勢いよくベッドから起き上がった。

息が荒い。

汗が頬をつたう。

手がシーツを握り締めている。


まただ。


右手の平を額に押し当て、目を瞑り、息を整える。

落ち着け。

もう大丈夫だ。

もうあんな目には遭わない。

こんな悪夢を見る必要なんて無いんだ。



「信じることは大切だよ」

俺の母親がいつも俺に言い聞かせていた言葉だ。

人は皆良い人だから。

信じてあげなきゃいけない。

信じることは信じられること。

幸せにさせてあげること。

幸せになれること。

信頼は幸福。


そんなの、嘘っぱちだ。


当の本人は、「信じていた」夫に裏切られた。

浮気をされて、離婚した。

酒に溺れて、夜の街を徘徊して。

アル中から肝硬変になって、死んだ。


誰も助けてはくれなかった。

父親は音信不通。

一体誰を信じろと?


人間はもともと良い生物だという性善説。

人間は本来自己中心的な生物だという性悪説。

母親は前者を信じて失敗した。

それなら俺は後者を選ぼう。


俺は、誰も信じないことに、決めた。



「よお」

会社の入り口で、俺に声をかけてくる人物がいた。

須賀智彦。

もう三十路にさしかかろうというのに未だに学生気分が抜けきっていないような男。

そのフランクな物言いを好くか嫌うかは結構分かれるところだ。

良く言えば分け隔て無い、悪く言えば馴れ馴れしい。

俺と須賀も大して親密な仲じゃない。

まあ、俺が言葉を交わす数少ない人物ではあるのだが。

適当に返事を返すと、ヤツは肩をすくめ、そのまま扉をくぐって行った。

日常の1シーン。

ありふれた1コマ。

でも今日の俺には、身の回りのものすべてが、どこか異質に見えた。


あの夢を見た日は、いつもこうだ。

何かがおかしい。

でも何もおかしくない。

おかしいはずなのに実際はおかしくないというのが、おかしい。

そんな無益な堂々巡りをしてしまう。

最近はあまり見なくなったと思っていた。

あの事件が起きてからは、一度も見なかったように思える。

でもやはり、忌まわしい記憶なんてものは、なかなか俺を解放してはくれないらしい。


「信じないことは大切」。

「不信は必要」。

それが俺の信条だった。

ただ、死ぬまで人を信じ続けた母親に敬意を表して、次の事柄も付け加えてある。

「理屈無しに信じられる人物もいる」。

しかし、そんな人物は、母親を除けば、人生で1人も会ったことがない。


「おい、神林、どうした」

そんな声がして俺の肩がバシンと叩かれた。

「……あ、社長、おはようございます」

「そんなところに突っ立ってないで、入った入った」

「あ、はい」

俺は社長と並んで玄関の扉をくぐる。

社長…正直言って名前は忘れたが、俺が勤めているちっぽけな会社の社長だ。

小太りの体に広い額、気さくな物言い、大雑把な行動力。

初めて会ったとき、この人が関西弁でなく関東弁を話すのに俺はいささか驚いたものだ。

須賀と同じくよく俺に話しかける珍しい人間だが、この2人の印象はまるで違う。

須賀がどことなく、心の奥底では俺と似た雰囲気を持っているように思えるのに対し、

この人はどこまでいっても晴天だ。

この人の底抜けの明るさにつられてしまうことも、多くもないが、少なくない。

いつの間にか、俺の違和感は消失していた。



いつものように、仕事を終える。

いつものように、会社を出る。

いつものように、定食屋に寄る。

いつものように、電車に乗る。


そういえば、あの時は違ったな。

日常に紛れ込んだ、非日常。

今でも、俺はあれが本当にあったことなのか分からなくなる。

だが、あの事件の翌朝、新聞に載っていた。

「東南線で殺人事件、犯人は運転手!?」。

俺はその記事を切り抜いた。

今もそれは鞄の中に入っている。

あれが夢だと思うたび、俺はその記事を取り出す。

そして、現実の出来事だったということを、認めさせるのだ。


誰に言っても、信じてもらえないだろう。

でも、きっとあの出来事は、俺に何かを教えてくれた。

そんな気がする。


いつものように、家に帰る。

いつものように、床に就く。


久しぶりに、眠るのが怖かった。

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