『浩国国王と王妃の語らい』
注意)BL的な表現があります。
利潤と紫蘭が「尻、尻、尻」と煩いです。苦手な方は注意して下さい。
広い広い宴の間。
高い天井のあちこちから吊された釣り灯籠が照らす中、浩国国王主催の宴が開催される。
そこには、多くの者達が居た。
美しく着飾った女性達や男性達が、互いに誘うように微笑みながら裾を靡かせ視線を向ける。
そんな妖艶な誘いに、誘われた者達は駆け引きを楽しみながら、目当ての蝶を捕まえようとする。
勿論、最初から相手の居る者達は互いの相手と談笑する者達も居れば、仕事の話に勤しむ男達や女性達で噂話に興じる者達も居た。
華やかな宴は、婚約者探しと情報合戦の場。
一見すると和やかなそれも、一皮むけばそこは戦場だった。
この国の王ーー浩王ーー利潤は、御簾で区切られた中にある玉座に座り、その宴を見守った。その隣では、薄絹を被って顔を隠した彼の正妃であり浩王妃ーー紫蘭が静かに座っていた。
和解した後も、まだ凪国に滞在している彼女がこうして浩国王妃として公式の場に出席する事は、非常に珍しい事だった。一応、炎水家のお達しでの凪国滞在中の身だが、普段は他国に住まうという事実を歪曲して捉え、面白おかしく噂をする者達は少なくない。
中には、悪意たっぷりの噂をまき散らす者達も居る。
ついさっきも、挨拶とばかりに浩国王妃の醜聞探しに勤しもうとした貴族に、利潤は甘い笑みと共に地獄の一丁目へと誘導してやった。
上層部が動く気配があったが、馬鹿らしい。
こんな馬鹿など、利潤一神で十分だ。
他者の悪意に長年晒されてきた利潤は、箱入りとは真逆の立ち位置に居る。どの部分を突いて叩けば相手が立ち直れない程傷つくかなんて、いやという程分かっていた。
善意には善意を。
悪意には悪意を。
散々他者の欲望に晒され続けてきた利潤は、敵意を向けてくる相手を野放しにはしない。
小物だと泳がせばこちらの足が掬われる。
泳がすならば、自滅の道を辿らせる様にして泳がせなければならない。
しかしあの貴族、お前は駄目だ。
最初から紫蘭を嘲笑ってきた相手を無傷で帰すほど、利潤は甘くはない。
そうして、せいせいしたとばかりに利潤が扇で口元を隠して鼻で笑うと、隣から「はぁ……」と小さな溜息が聞こえた。
「紫蘭?」
薄絹を通しても分かる。
紫蘭の視線を辿った利潤は、口を閉じた。
「陛下、私」
「うん」
「今の伯爵ですが、あそこに居る侯爵とデキていると思うのです。『や、やめろ!お前なんて、くうっ』とか拒否しながらも『ふん、そんな事を言って、ここは素直だぞ』というドS鬼畜な侯爵に手を突っ込まれ、好き勝手されて悶える伯爵を想像すると、もう」
うっとりと微笑む紫蘭。
どうやら、浩国王妃は自らの思考で某場所の二丁目に送りつけたらしい。
「…………紫蘭」
「はい」
利潤は、蕩けるような笑みを己の妻へと向けた。
「もっとやれ」
「陛下」
「もっともっと、その伯爵でえげつない想像をして痛めつけろ。僕が許す」
その伯爵は今、紫蘭を侮辱し利潤の怒りを買って追い返された貴族だ。よろしい、やれ。俺が許す。妄想の中で、徹底的に奴の尻を痛めつけてやれ。
自分や上層部の尻は許さないが、奴の尻なら存分にいたぶってくれて構わない。むしろ、紫蘭の妄想を直接奴の脳内に送りつけて、自分が他の男に組み敷かれて嫌がりながらも最終的に絆されていく様を魂にまで刻み込んでやりたい。そして絶望して死ね。
およそ王とは思えぬ野蛮で鬼畜な所行を企てて微笑む利潤だったが、そもそも巨大な花街の一つーー【華嵐】にて、最高位の『蜜姫』の地位に君臨していた過去を持つ彼は、決してお上品な育ちはしていない。
むしろ、神としての最底辺を這いずってきたと言えよう。
男娼や娼妓は、その花街でどんなに売れっ子で頂点の地位に就こうとも、外の者達からすれば蔑みの対象なのである。
ただ利潤は、その地位を思う存分に利用した。
当時、『蜜姫』と呼ばれる存在は利潤以外は女性ばかりだった。それこそ、陰間茶屋の男娼が『蜜姫』の座に座れるのは本当に異例中の異例だったが、それでもそこらの娼妓よりもよほど女性と見紛う美貌の男の娘であった利潤は、更にその高い知性と教養、そして優れた歌舞音曲への才もあって、それこそ満場一致で『蜜姫』の座に就いた。
そんな利潤は、高い知性と気品を感じさせる巧みな話術もそうだが、それ以前に視線一つ向けるだけで他者の心を掴み、その微笑み一つでもって客達に次々と金塊一山を貢がせたのである。
利潤と過ごす一夜に対しても、客達の間で激しい競争が起きていたが、身請けを希望するとなれば更に競争は激しさを増し、身請けを望む者達が常に争い殺し合った。その結果、なんとか身請けまでこぎ着けたお大尽様が居たがーー最後の最後で利潤を手に入れる事は出来なかった。
そんな、ごく一握りの権力者達だけが触れる事が許された伝説の男娼が大国の王をやっているのだから、当時の客達が知ればそれこそ権力と財力に物を言わせて浩国に攻め入ってきたかもしれない。
まあ、その時の客はほぼ残っていないが。
殺された者達も多いし、利潤自身の手で殺しまくったりもしたし。
そうーー殺しまくった。
枷が壊され、自由を得た利潤を止められる者など存在しなかった。
何せ、その手には既に紫蘭が居たのだ。
紫蘭に出会う少し前。
ようやく利潤の身請けに成功したお大尽を拒否して地下牢に叩き込まれた時、利潤はほくそ笑みつつただその時を待っていた。
そして、事は起きた。
地下牢に叩き込まれている間に巨大な敷地を有する花街は襲撃された。あれ程、警備の厳重な花街は簡単に焼き尽くされ、そのお大尽という馬鹿も殺害された。
当たり前だ。
利潤を、死んでも良いから手に入れたいと願う者達は跡を絶たず――だから、利用してやったのだ。どんな犠牲を払っても利潤を手に入れようとした者に仕組ませて。
そうして花街を焼き払うべく雇われ盗賊団は、見事に仕事を遂行した後、花街から一神残らず美しい男娼や娼妓達を連れ去った。それが、どういう結果になるのかなんて、考えもせずに。
当時、利潤が閉じ込められていた花街は、美しい者達で溢れていた。美しくない者達の存在は許されていなかった。
だから、全員連れて行かれた。
そう、利潤以外一神残らず。
けれど、奴等は利潤を連れて行った。
そう彼らの中に居た男娼が演じ、そして連れ去られた者達もまたそれを認めたのだから。
そうして意気揚々と『利潤』を連れていく中で、連れ去った男娼達や娼妓達を味見した盗賊団、そして奴隷商神達は。
物言わぬ肉塊となった。
なあ、俺と手を組まないか?
あの日、伸ばした手を取ったのは、向こう。
彼らはそうやって、自分達を閉じ込めた牢獄から抜け出し、そして持ちうる術を使って盗賊団と奴隷商神達を籠絡し、その命を狩り取った。
そして、『利潤』を求めてその牢獄を壊した権力者もまた、彼らに殺されたのである。
俺が牢獄を壊す様に誘導する
だから
ああ、俺達が後始末をしよう
花街は徹底的に焼く。
権力者達の欲望を満たす為だけの、無秩序で残酷な仕掛けのされた『箱庭』などいらない。
そうして、利潤は地下牢で徹底的に花街が破壊されるのを見守ったのである。
それは必要な事だった。
大切な事だった。
破壊がもたらす、契約の破棄。
そうーー契約がもたらす呪縛は、花街の消失と共に消えた。
そうして、制約がある中で強引に無理矢理力を使いすぎてへばっていた所を、彼女に発見されたのだ。
不細工だからと、一神花街に放置された紫蘭と。
感謝した。
紫蘭が不細工で。
当時は、「誰だこの不細工」と、突然現れた紫蘭に対して思っていた。けれど、今は、過去を思い出した今は違う。
彼女が他の男娼達や娼妓達と共に連れて行かれなくて良かった。
何せ、盗賊団や奴隷商神達は、彼らをたっぷりと味見したのだ。
もし、紫蘭がそこに居たらーー。
『いや、容姿的に大丈夫だと思うけど』
当時連れ攫われた側の男娼・娼妓達グループの長的存在であり、今は立派に彼らを上層部として国を率いるかの国の王はそう言ったが、その時既に記憶を取り戻していた利潤は大反論した。
ふざけんな!!あいつは味わえば味わうほど味の出てくるするめだぞ!!
『女性をするめ扱いするなっ!!』
全力で怒られたけれど。
けれど、この前紫蘭と初対面した際に「なんで君みたいな良い子が……」とか涙ぐんだのを俺は忘れない。しかも、ついてきた上層部も「ああ、この世の終わりだわ」とか言ったのも忘れない。
公的な交流は継続だが、私的な交流はしばらく断絶したいぐらいだった。
『まあでも、安心したよーー』
一神、花街に残り下手すれば死ぬかもしれない作業をーー徹底的に花街を焼くという利潤を、彼らや彼女達……男娼達や娼妓達は心配し止めようとしてくれた。
共に行こうと言ってくれた。
それでも、利潤は共に行かなかった。
そう……留まらなくてはならなかったから。
その理由は今は分かる。
利潤は、紫蘭が来るのを待っていたのだ。
「陛下ーー」
「ん?」
二神の出会いを思い出していた利潤は、自分を呼ぶ紫蘭に振り返る。
昔よりも成長したーーけれど、容姿の殆ど変わらない彼女の魂は、昔以上に輝きを増す。
見る者が見れば気づくだろう。
その魂の美しさと、清廉たる神力の質に。
包み込む清水の様に涼やかで清らかな神力は、利潤と比べればずっとずっと量は少ないけれど、その心地よさに惹かれる者は少なくはない。
薄絹で隠された素顔こそ、平均以下の容貌だが……所詮、そんなもの。
外見ではなく、その中身を見抜く者達であれば容姿になど囚われない。
だから、隠さなければならないーー
凪国が、津国が、他の国々がそうしたようにーー
「陛下」
「なに?」
こてんと首を傾げた利潤に、紫蘭は
「陛下、尻は痛めつけるものじゃないわ。愛でるものよ」
と、のたまった。
訂正しよう。神力は清らかだが、こいつの頭は良い感じでBとLのつく思想に毒されている。
それもこれも、あいつのせいで。
いや、今世では紫蘭が勝手にそっち方面に突き抜けたが、彼女が音羽として生きていた時代、まだその手の事について何も知らぬ彼女にそれを教えたのは、あいつだ。
「それに、お尻はとても繊細だから痛めつけるなんてそんな」
「お前ーーなら、繊細な筈の凪国の男どもの尻に、全力でえぐる様な狩人の視線を向けているお前は何なんだよ。繊細なんだろ?突き刺すどころかえぐってどうするんだ」
「愛でているだけです!!」
「あほか!!毎回毎回あの剛胆な凪国の男の娘どもが怯えて泣きじゃくってーーあれ絶対に演技じゃないぞ!!確実に後ろの貞操の危機を感じてるぞっ!」
「相手は?!相手は誰?!」
「お前だ!!」
指を突きつけ、まるで犯罪者を断罪するかの如く宣告する利潤。
その声の大きさは、最早宴の間に響き渡ってもおかしくない音量だったがーー優秀過ぎる臣下達が招待客達にすら気づかせぬ緻密で複雑な防音結界を、御簾の中に張り巡らせた事で外に利潤と紫蘭の言い合いの声は全く聞こえなかった。
しかし、結界を張りつつ話の内容を聞いていた臣下達は笑顔を浮かべながらそれぞれ行動しつつも、心の中で泣いていた。特に男の娘達。
可愛い、綺麗、美しいーー様々な種類の女性と見紛う浩国上層部の男の娘達は、凪国の男の娘達に同情しつつ、自分達の尻の安全が危険に脅かされている事を再確認した。
最近、よく突き刺さる様なーーそれでいて涎を垂らさんばかりの獣の様な視線を感じるのだ。そしてその視線の先には、よく紫蘭が居る。
何故だ。
どうして紫蘭だ。
全力でぶっ飛ばせないだろうが。
むしろ、紫蘭の為であれば自ら尻を差し出すぐらいの覚悟を持っている。でも、出来る限り差し出したくない。願わくば、こちらと敵対する相手に紫蘭のドンピシャなタイプが居てくれる事を願うのみだ。
いやーーそれはそれで、自分達ではなく別の男に紫蘭が関心を寄せるとなれば、腹立たしくもあるが。
ようやく和解し、傍に近付く事が許され、話をする事が許された。
昔を、前世を思い出した。
それでも、紫蘭にしてきた仕打ちが許されるわけではない。
音羽を守る為に行なった代償が、紫蘭だけではなく自分達にも降りかかり、等しく被ったとはいえ。
だからといって、紫蘭があの様な仕打ちを受けて良いというものは無かった。
自分達はまだ良い。だって、仲間が居たから。
けれど、紫蘭は一神だった。
誰も思い出さず、彼女は壊れた。
彼女は『紫蘭』になった。
記憶を取り戻し、受け入れてくれただけで、奇跡なのだ。
そんな彼女が笑顔で暮らせる為であればーー自分達の尻を差し出す事も検討する。
そんな熱い決意に満ち溢れる上層部の男の娘達を余所に、御簾の中では利潤と紫蘭の言い合いが続いていた。
「ってか!!尻尻尻尻尻煩いわっ!!」
「陛下……ごめんなさい!私が間違ってた!!何も殿方が愛を確かめ合う箇所は他にもありますよね!!唇とか」
「唇で何をさせる気だよっ」
「口付け」
利潤は想像した。
とりあえず、適当な上層部の男の娘達と口付けを交わす様を。彼らは尊い犠牲になったのだ。ただ、自分も率先して犠牲になっていく利潤は、上に立つ者の鑑だろう。
「なんで男と口付けしなきゃなんねぇんだよっ」
「男だから」
異性という選択肢は、彼女の中には存在していないらしい。
「それよりも!!実はこの前、素敵な書物を果竪ちゃんから頂いたの」
「どうせ『世界の大根大百科』か何かだろう?」
「ううん、うちの大根ちゃん達の『写真集』」
「しゃーー」
え?あいつらの?
利潤の脳裏に、前世からの、それも長い長い付き合いの、あの初代動く大根が「やっ」と短い手を上げ、きらりと光らせている姿が浮かんだ。というか、何やっているんだあいつは。そして誰が撮ったんだそんなもん。
そんな初代動く大根は、現在本神の気の赴くままにあちこち旅していた。そして時たま戻ってくる。
最早あれは、神とかそういう概念からかけ離れた異端なる存在らしい。よく長年大事にされて神化する付喪神とも違うらしいが。
というか、付喪神の皆さんにあの大根を見せたら
「あ、あれ付喪神じゃないです。全力で違います」
と、全否定された。
一体あの動く大根は、動く大根達は何なのか?
その疑問に答えられる者は、今の所は居ない。
ただ、凪国の王妃は
「愛です!!浩国の皆さんの愛があの艶めかしい大根さん達という奇跡をこの世に生み出したのです!!」
と、のたまってくれた。もしそうであるならば、自分達はなんて無駄な所に無駄な物を注ぎ込んでしまったのかと嘆きたい。というか、まず注ぎ込んだ覚え自体がないのだが。
「あ、で、写真集とは別にこれをくれて」
「あ?」
紫蘭が取り出したのは
『俺達の漢・全集~全て見せます、俺達とアニキのメモリアルストーリー~』
という題名が書かれた本だった。
中身は、ムキムキな肉体美をこれでもかと見せ、きわどすぎるTバック一枚で勝負する男達の写真集だった。何故だろう?見るからに、BL。そう、BL。何故そこまで近付く?何故そんな所に手が入る?何故そんな頬を赤らめて相手を見る?そのバッチコイ、スタンバイ完了な感じのポーズをとる?バッチコイだから?死ね。
男の娘達にとっては、欲しくても決して得られないムキムキな筋肉の男達の写真がぎっしりと詰まったその写真集は、とても分厚かった。
「是非、次回の新作の資料にしてねって。ふぅ……いつもは線の細い美少年や美青年達の物語を書いていたけれど、こういうムキムキな男性の話も」
「紫蘭」
「はい」
真っ正面から自分を見つめる利潤に、紫蘭は首を傾げた。というか、玉座を立って自分の前に居るが、こんな宴の最中に良いのだろうか?御簾で見えないけど。
「お前は、線の細い美形達の話だけ書いてろ!!」
「え?!でも、選り好みはーーどんなジャンルでもカップリングでも受け入れられる包容力が」
「新規ジャンルを開拓したければ、この俺を倒してから行け!!」
後に、利潤は上層部の男の娘達にこう語ったと言う。
「お前ら、良いか?あいつのカップリングが線の細い男達である間は俺達にも感心を持っていてくれる。だが、ムキムキの、ムキムキ過ぎる漢達のカップリングになったら、あいつの関心はそっちに移るんだぞ?そうしたら、まず、絶対に、それとはほど遠い俺達なんて視界にすら入れなくなるっ」
その時の利潤はとても鬼気迫る様子だったという。
と同時に、その話を聞いた男の娘達はこれ以上ない程の絶望に染まったとか染まらなかったとか。
とりあえず、せっかく凪国王妃ーー果竪が贈った写真集は、紫蘭の手から奪い取られた事だけは確かだった。