『呼ぶべき名は』
以前活動報告に載せていた物です。
忘れないで
名を呼んで
どんな場所に居たって、私は駆けつけるーー
奏でられる歌声に、耳を澄ませ顔を上げる者達は何神も居た。
それはどこか悲しい旋律だった。
「おやおや、また私の果竪が歌っているのですね」
最後の謁見者が退出したばかりの謁見の間で、玉座に座る萩波は頬杖をついたままクスリと笑った。
「というか、またお付きの者達を撒いたようだ」
明睡が大きな溜息をつけば、傍に居た茨戯が楽しげに笑い声をこぼした。
「まあまあ、大丈夫よ。隠れた護衛は居るし、それに朱詩もすぐ駆けつけるわ」
「全く……王妃として自覚が足りないな」
「明睡、それは無理でしょ。だって今の果竪は、昔の事はな~んにも覚えていないんだもの」
そう言って手をヒラヒラてさせる茨戯に、明睡は項垂れた。
「だからこそ今が一番危ない。自分がどの様な存在かを自覚していなくても、周りが放っては置かないからな」
「まあね。だからこそ、アタシ達が居るんでしょう?」
「ーーああ」
「それに、大抵の輩は朱詩一神でどうにかなるから。アイツはあんな見た目だけど、戦闘ではそこらの将軍には負けない猛者なんだし」
「それどころか事態をかなり大事にするがな」
「相手の逃げ道を塞ぐ為にね。ふん、アイツの方がよっぽどエゲツないんだから」
ぷりぷりと怒る茨戯に、明睡はげんなりとし、萩波はクスクスと笑ったのだった。
忘れないで
名を呼んで
どんな場所に居たって、私は駆けつけるーー
最後の旋律が空に溶ける様に消えた後、果竪はゆっくりと後ろを振り返った。
「相変わらずだね、果竪」
「朱詩ーー様」
「ああもう!様は禁止!呼び捨てにしないと返事しないから」
「ふふーー」
年頃の少女の様にクスクスと笑う果竪に、朱詩は嬉しさと、どこか切なく苦しい物がこみ上げた。
目の前に居るのは果竪。
自分達と共に居たあの果竪だ。
けれど、記憶だけが無い。
彼女の記憶に自分達は居ない。
それでもーー
戻ってきてくれた
永遠に目覚めぬ眠りについた彼女は、こうして今、朱詩の前に居る。
それがどれ程嬉しい事だったか
どれ程、渇望していた事だったか
全ての悲しみに終わりをーー
終わりの女神がもたらした、それは朱詩達の悲しみと苦しみと絶望を終わらせてくれた。
朱詩はゆっくりと近付いて手を伸ばす。
そしてその小柄な体をすっぽりと自分の腕の中に納めてしまった。
「朱詩様?」
「朱詩」
「朱詩、さん」
「むぅ~~、今はそれで良いよ。ってか、絶対に将来にそんな風に呼んだ事を後悔するからっ」
と、朱詩は自信ありげに言うが、遠い未来に記憶を取り戻した果竪はと言うと
「後悔なんてしないから」
と言って、逆に朱詩をあたふたさせたりする。
けれどそれはもっとずっと遠い未来のお話である。
「ってか、また歌っていたんだね」
「あ、はい。その、癖みたいなもので」
よく鼻歌を歌う事からして果竪は歌が好きだ。
そして誰も居ない所では、結構歌っている。
「ーーま、いっか」
朱詩はそう言って頷くと、果竪をひょいっと抱き上げた。
まるで大事な宝物を抱くようにお姫様抱っこをすると、腕の中で果竪か騒ぎ出した。
「あ、あのっ!」
「勝手に一神でふらふらした罰だよ。嫌ならもう一神で彷徨いたら駄目だからね」
そのまま歩き出した朱詩とすれ違う様に、幾つかの気配が駆け抜けていく。
「ふふ、ば~か」
「ご、ごめんなさい」
「って、果竪に言ってるんじゃないからっ!!」
★
「侵入者はこれで全部か」
「ああ。全く、陛下のお膝元に汚らしい足を踏み入れるなど、なんて罰当りな奴等か」
「まあまあ。というか、こいつらは陛下のご聖恩によって足を踏み入れる事を許されたんだから、むしろここまで来てくれないと駄目だよ。まあーー」
「生きて戻れるとは思わないで欲しいがな」
「はははははは、ふふふふふふふ、あ~あ、こんな汚くなっちゃって。王妃様のお側に上がれないじゃないか」
「王妃様はそこまで狭い心の持ち主ではないぞ」
「王妃様は、ね」
「お側に居られる方々が」
その一言で、彼らは全てを悟った。
「俺、この前、王妃様の前にたまたま出る事があってな。といっても、王妃様を狙う痴れ者を人知れず抹殺した時なんだけど」
「ああ」
「何とか王妃様に知られる前に排除したんだが、その時にかすり傷を手に負ってな。その傷に気づかれた王妃様が手当をして下さって」
「うんうん」
「手ずから手当される感動に打ち震えていたんだが、そんな俺をとてつもない殺気が襲って」
「あ、その後の展開が読めたからもういいわ」
「しかし俺は、王妃様自らされる手当という貴重な時間を捨てる事は出来なかった!!」
「お前、勇者かーー」
「ま、明睡様の冷たすぎる視線で俺のライフはその後ゼロだったがな」
「手当されたのに」
「というか、明睡様ってあのお三方の中では一番王妃様に当たりがキツくて冷たいのに」
「思い切り溺愛しているからな。見た目で騙されたら確実に死ぬ」
そう言って、揃って溜息をつく彼らは、それでも手を動かす事は止めずに汚れたその場を綺麗に掃除し終えたのだった。
★
「何してるの、果竪」
「あ、茨戯様」
「様なんていらないわよ。というか、アンタにそう呼ばれるのは嫌だわ」
「……」
「って、しょげないでよ!!別にアンタが嫌だとかじゃなくてーーああもうっ!それより、何してるのよ」
「え」
果竪は、ハッと気づいた様に彼女へと視線を戻した。
物陰に隠れるようにしながら見つめていた、彼女へと。
「紫蘭がどうかしたの?」
「紫蘭……」
「あ、下手に近付くんじゃないわよ。むしろ視界に入れられたら終わりよ」
いつも視姦するが如く見つめられる様を思い出した茨戯は、ぶるりと震える自分の体を守る様にかき抱いた。
「あの、子」
「果竪?」
「…………」
もしや、思い出したのだろうか?
そんな考えを抱いた茨戯に、果竪はゆっくりと顔を俯かせた。
「果竪?」
「……戻ります」
元々、周りに内緒でここまで一神でやってきたのだ。なのに、踵を返して戻ろうとする果竪を、茨戯は慌てて止めた。
「ちょっ!だからどうしたの?」
「……」
「紫蘭が何かしたの?なら」
いくら、浩国の王妃であろうとも自分達の王妃に何かしたとなればーー。
「違う」
「は?」
「あの神は何も、何も……」
ごめんなさいーー
果竪の前に居た茨戯が消える。
代わりに現れたのは、自分にそっくりな少女と、そしてーー。
ごめんなさいーー
私は貴方を守れなかった
ごめんなさい
こんな風にさせる為に貴方の手を掴んだんじゃないのにーー
泣きじゃくる少女に、彼女が微笑む。
それは散りゆく桜の様に儚く
ああ
まるで桜が散る様に彼女は
待ってーー
果竪は叫んだ。
彼女の代わりに、現れた青年。
女性と見紛う程に美しいその青年は。
傾国の美姫とも謳われし美貌の彼が、こちらをちらりと振り返る。
このまま逝かせるつもりはない
駄目!そんな事をしたら、貴方がーー
失敗した
果竪の前に立つ、自分そっくりの少女が項垂れたまま口を開く。
「しっ……ぱい」
失敗した
守れなかった
救えなかった
止められなかった
ならば
「今度こそ」
少女がゆっくりと顔を上げる。
その強い強い眼差しが、果竪を射貫く。
「今度こそ、今度こそ助ける」
だから名を呼んで
どんな場所に居たって、私は駆けつけるーー
悲しい旋律が風に乗っていく
「紫蘭、どうしたの?」
「ん?」
今、何か聞こえた様な気がした紫蘭は、立ち止まり後ろを振り返った。そんな紫蘭に、同僚が声をかける。
「ほら、遅れるよ」
「うわっ!まずいっ!」
そう言って走り出した同僚の背を追いかけ、紫蘭は走りだそうとした。けれど、何かに引かれる様にして、一度だけ振り向いた。
「名は……」
呼ぶべき名を、彼女は思い出せない。