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【徒花は花園には咲けない 9】

 それから紫蘭は演無達と夕食を食べ、少し早いが床に入る。お風呂代わりの水浴びも済ませた体に自分用の毛布はとても暖かかった。向こうでは定期的に毛布は新しく支給されていたが、新しいのを使わずにずっと古い物を使い続けてきた。そして今回は、新しい物を持ってきたのだ。え?軍の物を横領?大丈夫、だってこれ、買い取り済みだもん。というか、基本的に日常生活物品に関しては、給料から天引きされているのだ。


 そうして毛布の暖かさを噛み締めていたが、なんだか眠気が来ない。

 そのまま一時間ぐらいゴロゴロしていたが、それでも眠れず紫蘭は体を起こした。すぐ傍では、蘇芳がすやすやと寝息を立てている。


「今日は色々あったからな」


 まだ気持ちが高揚しているのかもしれない。

 窓から外を眺めれば、外は既に暗くなっており、静けさに満ちている。


「……」


 紫蘭は寝床から出ると、音を立てないようにして部屋を後にした。そのまま、居間に向かうと演無が寝息を立てて眠っている。そんな彼の横を、足音を立てないようにして通り、外へと繋がる扉へと出た。


 外気は思ったより寒くなく、外套を一つ羽織れば、少しの間であれば外に居る事は可能だった。


 少し外の空気を吸って眠気でも出れば儲けものだと思った紫蘭だったが、ふと空を見て驚いた。そこには満天の星空が広がっていたのだ。


「うわぁ~~」


 拠点とは違い、ここは灯りが少ない。いや、街の中心部には灯りがあるだろうが、そこから離れたこの下町は、そもそも灯りを灯す燃料自体が貴重な物で、日が落ちたら早々と眠る者達が多いという。日が昇ったら起きて、日が暮れたら寝る。実に分かり易い生活の仕方だった。

 というか、そうでない場所もあるだろうが、基本的にこの世界の田舎と呼ばれる場所はそうだった。


 それに、この辺りには神々は住んで居らず、一番近くの住居まで少し歩かなければならない。周りに神気がないというのは、何かあった時に助けを呼べないという意味で不安だし、寂しさも覚えるだろう。けれど、ひっそりと暮らす事を望む者達にとっては、案外良い場所なのかもしれない。


 もし、追っ手さえかかっていなければ、ここで暮らすのも良かったかもしれない。


 治安の問題はあるが、紫蘭は自分の容姿が男性にはモテない事を知り尽くしている。というか、全く興味を持たれない事も分かりきっている。だから、ストレス発散のサンドバッグ扱いさえ気をつければ、案外ここで快適に暮らせるかもしれない。


 紫蘭は持っていたランタンに灯りを付け、ゆっくりと歩き出し、演無の家から一番近い廃屋へと近付く。ランタンの灯りで照らされたそこは、お世辞にも綺麗ではないが、雨風を十分凌げるだけの屋根と壁はあった。ここなんて良いかもしれない。


 追っ手さえ、居なければ。


「おやおや?女性の一神歩きは危険だよ」


 困った物だねーーそんな風に後ろから声をかけられた紫蘭は、小さく悲鳴を上げて振り返った。

 そこに居たのは、自分を照らす月の光すら恥じ入る様な神秘的な美しさを持つ麗神だった。白銀の長い髪を一本に編み込んで背中に垂らし、美しい瑠璃色の瞳を紫蘭に向けてくる。

 女性と見紛う清楚で神秘的な絶世の佳神は、その整いすぎた白皙の美貌に笑みを浮かべる。


「ふふ、どうしたんだい?そんな化け物でも見た様な顔をして」


 そんな風に見られるのは初めてだよーーそう告げる相手に、紫蘭は後ずさり背を先程の廃屋の壁へと付けた。


「……白銀(しろがね)、さん」

「ふふふ」


 軍の上層部であり、まさか五大部隊の一つーー【特殊殲滅部隊】の長である白銀が、何故ここに?


 五大部隊の長達は、基本的に利潤の傍に居る事が多く、滅多な事では離れない。当然のことながら、白銀もそうだ。特に五大部隊に四つある戦闘部隊の中で最も強いと言われる【特殊殲滅部隊】、その長がこうして軍の中でも末端中の末端である紫蘭の前に姿を現すなんて、あり得ない。


 けれど、そんな白銀と紫蘭の付き合いは、驚く事に浅くはなかった。いや、むしろ深い方だろう。出会った時から高潔で麗しく誇り高かった彼は、利潤の足元に縋る様にして忠誠を誓った。そんな彼は、まだ当時それ程神が集まっておらず、まだ軍としてしっかりと機能していなかった時から、利潤を支える一神としてその辣腕を振るっていた。と同時に、利潤の傍に居た紫蘭にも礼儀正しく振る舞い、彼女に礼を尽くしてくれた。


 初めまして、【紫蘭】。俺の名は白銀。共に利潤様をお支えしようーー


 おまけの紫蘭に目を合わせ、微笑み、彼はその手を差し出した。その手を取れなかった紫蘭を、彼は責める事なく変わらず接してくれた。

 常に礼儀正しく、優しく、温厚でーー。一度仕事となれば、誰よりも苛烈で冷酷なのに、彼は紫蘭にそれを見せようとせず、柔らかく微笑みまるで高貴な令嬢の如く扱ってくれたのだ。


 それでも、更に神々が集まり、優秀な者達が利潤を囲い、軍として成り立ち大きくなっていく中で、紫蘭は少しずつ利潤から離れ、同時に彼らから離れていった。


 そんな紫蘭に対して、不義理だと怒る事もなく、白銀は時折彼女の前に現れ何か不足している物は無いか、大変な事はないかと聞いていく。

 見目立ち振る舞いは、神聖にして穢れなき巫女姫の如きそれであり、決して穢してはならない高貴なる高嶺の華だがーー彼は、底辺にいる紫蘭にも分け隔て無く手を差し伸べてくれる。そう、女性なら誰しもが憧れる高貴な王子様そのものだったーー中身は。


 義務感もあるだろう。

 それでも、優しく近況を気にしてくれる彼を、紫蘭は強く拒否する事は出来ず、なんというか、絆されてしまった部分があった。


 そんな彼は一神で来る時もあれば、誰かと共に来る時もあった。

 紫蘭は彼を、彼らを拒まず、時には共に食事をする事もたまにだがあった。


 この前も……そう、この前も一月ぐらい前に共に食事をした気がする。


 困っている事はないかい?


 そう聞いてくれた彼に、紫蘭は何も無いと答えた。そう、何もなかったから。


 あの時は、ただいつもの日常が続いていくと思っていたから。


「紫蘭、俺は前にも夜の一神歩きは危ないと前に教えたよね?」

「……」

「俺だけじゃない。他の者達も皆、心配している」


 一番始めに白銀が声をかけてくれた。

 それから、少しずつ他の者達も紫蘭に近付き声をかけてくれた。


 遠巻きにされている事は、分かっていた。

 何か言いたげにしているのは、分かっていた。


 それでも、何も言わずそっと離れる紫蘭の前に立ちはだかり、一番最初に声をかけてくれたーー白銀。


 彼が道を切り開き、そして他の者達がそれを整地し。


 ああ、そうだ。

 軍がまだ大きくなる前。

 上層部と呼ばれる者達しか居なかった頃。


 紫蘭は白銀に手を引かれ、確かに彼らの中へと入っていった。


 そんな彼らと距離を取り始めたのは何時の頃かーー。

 視線を向けられても、呼ばれても、腕を引かれても。


 顔を背け、耳を塞ぎ、引かれた腕をそっと外し。



 なんであんたみたいのが、あの御方の、あの御方達の傍に居るのよ!!この邪魔者!!


 お前みたいのが、あの方達の傍に居るなんて烏滸がましい!!離れなさい!!離れなさいよこのブス!!


 消えろ!!お前が居るとあの御方達が穢れるんだよ!!目障りだ!!消えろったら消えろ!!


 お前なんて死んじまえ!!



「紫蘭ーー」

「っ!!」


 いつの間にか距離を縮められ、手首を握り締められている。白銀の美しい紅く濡れた唇が耳元に近付き、そこから玲瓏なる美声が紡がれる。


「帰ろう、紫蘭。皆待っている。そう、皆が」

「……白銀さん、でも」


 待っている者達の中に、利潤も居る。分かる。でも、戻ったら自分がどんな目に遭わされるかも想像出来た。そしてたぶん、その想像は紫蘭の考えすぎではない事も。


「軍が嫌なのかい?」

「そ、れは」


 嫌ーーではない。

 そもそも、法も倫理も無きに等しい……弱ければ奪われる、このご時世。力なき者こそ悪として、強者に、権力者に奪われるのが常だった。

 それは物だけに留まらず、神もそう。美しければ美しいほど価値が上がり、美しいと称されれば平穏な暮らしなど存在しない。ただ愛玩物として多くの権力者の元を渡り歩く。妻と名が付こうとも、実質相手の欲望を満たすだけの道具であり、他神の妻だろうと夫だろうと容赦はされなかった。妻、妾、妃、側室ーーそれらの名で奪われ、翻弄される神生。

 多くの国々を傾けた傾国の美姫の名は数知れないが、果たしてそれは彼ら彼女達の真意だっただろうか。


 美しさが憎いーー


 泣き声が聞こえる。


 ああ、その泣き声は誰のものだったか?


 紫蘭は何も持っていなかった。

 優しく宥めるべきだったかもしれないけれど、上手い言葉を持ち合わせていなかった。だから、ただ泣き止むまで傍に居て、その背中にそっと手を添え続けた。


 泣かないでとは言えない。

 だから、泣いてもいい、怒鳴り散らしてもいい。それでも、傍に居るから。



 見放さない、見捨てない、からーー



 白銀は、自分と同じ月光に照らされる紫蘭を見つめた。ああ、なんとーー。



 そうして、紫蘭の手首を掴む手に力を入れてしまえば、彼女が痛みに顔を歪めた。ああ、痛がらせるつもりなんてなかったのに。



「ねぇ、紫蘭、恐い事は何もないんだよ」

「私、は」


 軍に戻っても何も恐い事はないと白銀は言う。


「軍に……戻って、利潤に謝ったら……今までみたいに、暮ら、せる、の?」

「今までみたいに?」

「軍の下働きとして……時々、利潤とか白銀さん達が来て……利潤が、媚薬を肩代わりする、前みたいに」


 白銀は、彼女が何を言いたいのか理解した。

 そして白銀は、彼女に対して誰よりも誠実に優しくあろうと心がけていた。


 だから


「無理だよ」


 紫蘭の瞳から、涙が溢れ出す。彼女は今まで通りを望んだ。今回の諸悪の根源は、奴等だ。あいつらが紫蘭にちょっかいをかけなければ、彼女は今も静かに暮らせた筈だ。けれど、奴等は手を出してはいけない領域に手を出し、他の者を巻き込み、そして紫蘭にその決断を下させた。


 いや、誘導されたと言った方が良いか……


「もう……昔に戻る事は出来ない。過去を変える事は出来ないんだ」

「……それでも、未来は変えられる」

「そうだね」


 ただ、それが紫蘭の望む物になるとは限らない。いや、無理だろう。


 彼は、利潤はもう決めてしまっている。白銀なんか足元にも及ばない程に苛烈で美しい、御方。


 そして彼もまたーー



 ああ、可愛い可愛い私の妹ーー



「紫蘭、もしこのまま帰るのであれば俺も口添えしよう」

「え?」

「まだ君の心は揺らいでいると。もう少し時間が欲しいと」

「しろ、がね?」

「そう。君の心が決まるまで。勿論、あの御方の傍には居なきゃならないけれど、それでも俺は命をかけてあの御方を説得するよ」

「説得?傍に?」

「ああ。そこの所だけは紫蘭には酷かもしれないけれど、受け入れて貰うしかない。でなきゃ、絶対にあの御方は受け入れない」

「私……」


 傍に?駄目だ、無理だ。

 これ以上、傍になんていられない。離れたい。軍の片隅でひっそりと暮らしたい。


「なん、で……私、どうし……他の神は」

「紫蘭、そんな事を口にしては駄目だ。あの御方にお願いを聞き入れて貰うなら、そんな事を言ってはいけないよ」

「私は……離れたい」

「利潤様にした事なら、誰も、利潤様も怒ってないよ」

「っ!!う、そ!!だって私、媚薬の効果、あれは男性に抱かれなきゃ」

「本来はそうだね。でも、それとこれとは別なんだ。だって、あの御方は叶ったのだから」


 叶う?何、が?


「怯えなくて良い。何度も言うが、誰も紫蘭を怒ったりはしない」


 まるで紫蘭の心を読むように、白銀は優しく微笑みながらそれを口にする。


「だから帰っておいで」


 でなきゃーー


「君の恩神を俺は手にかけなきゃならなくなる」

「っーー」


 驚き絶望の色を乗せた瞳で自分を見つめる紫蘭に、白銀は胸の苦しさを覚えた。本当はそんな顔をさせたいわけではない。でも、紫蘭をこのまま逃がす事は出来ないのだ。


「さあ、行こうーー」

「紫蘭っ」


 その叫ぶ様な声と共に、こちらに駆けてくる足音に紫蘭は顔を上げた。白銀の向こうに見えるのは。


「演無、さん」

「ああ、邪魔者か」


 不機嫌そうな表情を浮かべた白銀が、演無を振り返る。駄目だ、演無が消されてしまう。


 紫蘭は手首を拘束されながらも、必死に演無にここから立ち去る様に懇願しようとした。けれど、白銀は相手を見つめたまま、いつまで経っても動かない。


「白銀、さん?」

「まさ、か……」

「紫蘭!!大丈夫か?!」


 演無がこちらに駆けてくる。そして、白銀の横を通り、紫蘭の所までやってきた。


「演無さんっ」

「目が覚めたら居なくて、外が騒がしくて……この神は」


 もしや追っ手?と白銀を見る彼に、紫蘭は慌てた。


「演無さん!それより早くここから」

「み~つけた」

「演無ーーえ?」


 白銀が、紫蘭の手を掴んだままクスクスと笑い出す。空いた片手で顔を覆いながら、クスクスと、クスクスと。


「……ぁ……」


 物凄い焦燥感を覚える。駄目だ、このまま演無をここに居させては。


 紫蘭は演無をここから逃がそうとした。このままでは、演無は。


「み つ け た」


 白銀が顔から手を外す。月光に照らされた美しい顔が、ニタリとした笑みを佩く。


「こんな所に居たのかーーお前は」

「あ……え?」


 白銀の腕が、彼に向かって伸ばされる。


「演無さん、逃げて!!」

「駄目だよ、逃がさない。ようやく見つけたんだから」



 俺の絢奈(あやな)


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