【徒花は花園には咲けない 6】
すぐに戻ってくるからーーそう言って塩を買いに出てしまった演無を見送った紫蘭は、申し訳なさで罪悪感に押し潰されかけていた。
「うう……ごめんなさい」
元は自分のせいなのだ。しかも、演無に助けられた上に、ここに滞在する許可も貰う事が出来た。何か、ここを出る時には何かお礼をしようと思う。
とりあえず、駄目にした塩代は払うつもりだ。
「それにしても……まさか、もう追っ手がかかっているとは思わなかった」
むしろ、追っ手自体がかかっているとはーーいや、利潤の命令に背いて逃げ出したのだ。懲罰目的での追っ手だろう。
だって、彼らの目が本気だったし。
まさか、利潤直属の【特殊部隊】から追っ手がかかるとは思わなかった。
軍の者達は基本的に、バリバリ戦う組である前衛部隊と、支援を主とする後衛部隊に分かれる。戦えない者達は主に後衛部隊という後方組に属する。紫蘭もそれだ。
そして大事なのが、その前衛部隊とは別に幾つかの特殊部隊が存在した。それらは、利潤直属で言わば利潤の命令しか聞かない。勿論、それらの部隊は上も下も上層部と呼ばれる、利潤の周囲を囲む軍の中でも利潤に次ぐ地位に居る者達の一部で構成されている。
そんな特殊部隊は全部で五つ。
【特殊殲滅部隊】、【怪異討伐部隊】、【呪詛対策部隊】、【監査・鎮圧部隊】、【情報・隠密部隊】
この内、先の四つが戦闘部隊にあたる。特に、四つ目は内部の者達でも限られた者達しか知らない幻の部隊と呼ばれている。紫蘭も神員は知らないが、ただ大きくなっていく組織につきものな内部の腐敗を監査し、時に逮捕、討伐する権限を与えられている。言わば、軍内部での利潤の【目】と【耳】、【手】の役割を持つ。
今回来たのは、五つ目の【情報・隠密部隊】だ。勿論全員が来たわけではなく、その一部だが、まさかそこの第三位まで来るとは思わなかった。
一応、戦闘部隊ではないし、先の四つに比べれば戦力として劣るが、それでも並の軍神より余程強く身体能力にも優れている。紫蘭では、相手が一神だとしても太刀打ち出来ないだろう。
現に、あの時もあっという間に囲まれてしまった。
「なんで、貴方達が」
神ごみに紛れて街中を進んでいた紫蘭は、ふと自分に絡み付く視線に気づいた。足の歩みを止めず、ちらりと背後を確認するが、見覚えのある姿はない。ただ、嫌な予感はどんどん強くなっていき、更に歩く速さを速めた。それがまさか、誘導されているなんて思ってもみなかった。
気づいた時には裏道に誘導され、彼らに囲まれた。
「無事で何より」
「なんで、貴方達がここに」
「おや?我らは利潤様直属の【情報・隠密部隊】。新しい場所での斥候は後衛部隊に任せていますが、それとは別に色々と作業をしたり、更に深い情報を得る為には【情報・隠密部隊】が潜入するのは貴方もご存じの筈。何せ、貴方は最も利潤様との付き合いが古く長い、最古参なのですから」
【情報・隠密部隊】の第三位が、能面の様な無表情ですらすらと紫蘭の疑問に答える。能面、無表情、表情筋が死んでいるーーとにかく色々と言われるぐらいの表情無しだが、そんな彼もまたとても顔が良い。女性と見紛う美貌は、荒野に気高く咲き誇る花を思わせる凜とした美しさを有していた。
しかし、そんな美貌は他の者達と同様に、外套で頭からすっぽりと隠され、顔も鼻から下しか分からない。それでも、その声で誰だか分かる。
「つまり、この街に仕事に来ていたって事よね。なら、それこそ分からない。街に来ているのは分かる。でも、どうしてわざわざ私の前に現れたの?」
「仕事だからです」
「は?」
第三位の彼の他、二神。この街に潜入している者達はもっと多いだろうが、それでも自分の前に三神も現れるとは思っては居なかった。あれだ、かならず捕まえる、懲罰を与える、という並々ならぬ決意が伺えてならない。そんなに紫蘭は、利潤の誇りを傷付けてしまったのだろうか?
「見逃してーーくれる?」
「【情報・隠密部隊】は利潤様直属の五大部隊の一つ。すなわち」
「利潤様の命令しか聞かない、か」
他の上層部の命であっても、彼らは聞かない。そう、彼らが主とするのは、利潤ただ一神なのだから。
「私を捕まえろって命令が来てるのね」
「捕縛ではなく保護です。ーーご同行願います」
「嫌だと言ったら?」
「利潤様の命令は絶対です」
「もう二度と、利潤様の前に姿は出さないと言っても?」
「ーーどういう事ですか?」
紫蘭は、こんな要求が通るとは思ってはいなかった。それでも、少しでも隙を探す。
「私、軍を抜けるわ」
「貴方は何を言っているのか分かっているのですか?」
「軍を抜けるのは本神の自由だと、軍に入る者達には最初に話していたと思うけれど」
「それは、一般の者の場合です。しかし貴方は違う。軍の結成当初、それよりも前から利潤様と共に居られる貴方は、利潤様を付け狙い、この軍を利用しようとする者達からすれば、喉から手が出る程欲しい情報源です」
「……」
「分からぬ者達も多い。けれど、少しでも考える力のある者であれば、戦う力のない貴方は簡単に手に入る情報源。例え利潤様が命じずとも、我らが利潤様に危険が及ぶのを見逃すと思いますか?」
「……ならば、大事な事は口に出来ない呪術を先にかけて貰うべきだったという事ね」
うっかりどころか、そういった可能性をすっかり頭から消し飛ばしていた事実に紫蘭はがっくりと項垂れた。
「お言葉ですが、【呪術対策部隊】の長から、『貴方にかける力は一欠片も無いのよ、お~ほほほほほ』という伝言を貰ってきています」
「……」
思わず地団駄を踏んだ紫蘭に、他の二神の追っ手が同情の眼差しを向けてきたのが分かった。あの『呪術対策部隊』の長は、私に何か恨みでもあるのか?!確かにあの長、利潤に心酔めいた気持ちを抱いているけれど、だからと言って、普段は利潤と殆ど接点がない紫蘭に、何の怨みを抱くと言うのか。
付き合いの長さ?なら、これから自分で長い付き合いをしていけば良いではないか。
「……つまり、私は軍に帰るしかないって言いたいのね」
「それしかないでしょう。生きる為には」
それは、生きたいなら軍に戻れ。でなくば、死ねと言っている様なものだ。いや、実際に死ねと、そういう事だろう。
「生き恥をさらせと言うの?」
むしろ黒歴史でしかない。それも超ド級のはた迷惑さ加減での。そして迷惑をかけたのは、紫蘭の方だ。
「生き恥?利潤様との関係が?」
そう言われ、紫蘭はギョっとした。いや、彼ならばーー五大部隊の者達であれば、既に知っていてもおかしくないだろう。
紫蘭のせいで無関係の者を巻き込み、更には媚薬の効果を彼らが心酔する利潤に肩代わりさせた挙げ句に、しなくても良い体の関係まで結んだ。正に、抹殺対象だ。何が何でも懲罰の為に、彼らが連れて帰りたいと職務に全力を尽くしたとしても、仕方が無い。これは完全に詰んだ。
「……分かりました、懲罰でも何でも受けます」
「……懲罰?」
「そもそも、懲罰も受けずに無断で軍を出たのは、迷惑をかけたにも関わらず、罰も受けず反省する素振りもないと思われても、確かにおかしくはありませんね」
「懲罰……何のですか?」
「出来れば、懲罰の後に軍から放り出して欲しいんですけど。せめてもの、恩情として。いやまあ、ここまで迷惑をかけた末に恩情も何もないと思いますけど、せめて今まで下働きを頑張ってきた功績を汲んで頂けると嬉しいです」
「そもそも、懲罰とは何ですか?」
「え、いや、それは迷惑をかけ」
思い切り迷惑をかけた上に脱走だ。そう、きちんと軍を辞める申請をして、それが認められてから出てきたわけではない。でも、そんな暇はなかった。いや、更に迷惑の上塗りをして昨夜我慢して、それから申請を出して辞めてくれば良かったのかもしれない。そうしたら、流石にここまで追いかけて……いや、そもそも辞めたら情報うんぬんで駄目だと言われているから無理か。
という事は、もうこれ詰んだ?
なんで?これ以上迷惑をかけるのも、寝所に引きずり込まれないようにって思っただけなのに。
ーーいや、あれか?そもそも寝所に引きずり込まれなければ無問題?
でも、利潤は話をする機会なんてくれなかった。
「……」
「……もう気は済みましたか?」
第三位の彼が、少し気遣わしげに問いかけてくる。気が済んだ?そんなわけない。出来るならばこのまま見逃して欲しい。それか、懲罰を受けた後に軍から出して欲しい。駄目なら、せめて今まで通り軍の隅っこで静かに暮らしたい。
それは過ぎた願いだと言う事だろうか?
「ーーさあ、帰りますよ」
「っーー!!」
静かに伸ばされた手が紫蘭の手首を掴む。
「離して!!」
「無理な事は言わないで下さい。それに、もしここで逃げたとしても、捕まるのが少し遅くなるだけです。それよりも早く拠点に戻りましょう。彼女達も帰りを待っています。何よりも、利潤様がお待ちです」
「だから、どうして利潤様の、利潤の所に行かせようとするの?!軍に戻るとしてもそれだけはい」
「そ れ だ け は ?」
彼の顔が、紫蘭の顔を覗き込む。その美しい顔が紫蘭の間近に迫る。その美しい瞳に見つめられた紫蘭は、ゾクリと背筋を這い上がる恐怖に戦いた。
無表情でも美しく輝くその瞳は、どこまでも深い闇を宿していたからだ。
見る者全てを恐怖に堕とす様な、その瞳がニタリと笑みを浮かべる。
「ーー帰りましょう」
駄目だ、連れて行かれる
そしたら、もうーー
「離して!!」
その闇がもたらす恐怖よりも、軍に、利潤の元に戻される恐怖に、紫蘭は悲鳴を上げた。そして、彼の手を振り払い後ずさる。けれど、背後には、いつの間にか後ろに回った他の二神が、退路を阻むようにして立っていた。
「強引な手段は使いたくありませんが、仕方ありません。これ以上、貴方をこの様な場所には置いて置きたくない」
振り払った手が、再び紫蘭の手首を掴む。
「さあ、俺達と」
そこで、ドンッととんでもない音がした後に、第三位の彼の後頭部に直撃したのが分かった。そうして、演無が現れ、紫蘭をあの場から連れ出してくれたのだった。
「第三位ーーいえ、八代様、大丈夫ですか?」
「……ああ」
後頭部に受けた衝撃による痛みは、すぐに部下が治癒の術で治してくれた。まあ、別にあの程度の衝撃など、八代にとっては取るに足らない痛みである。それよりも、紫蘭を連れ去られた事が問題だった。
拠点から連絡を受けたのは、まだ夜も明けきらぬ頃。
情報が遅いと無表情で怒りを覚えた八代に、情報を伝達しに来た相手は飄々と笑った。
「まさか、あんな行動を取るとは思わなかったんですもの」
「情報が遅れる事での危機もある」
「それには同意しますわ。でも、あの御方が被る外套は利潤様お手製の物。認識阻害の術式が組まれていますから、盗賊にしろ、【魔獣】にしろ、敵対勢力にしろ、すぐに発見する事は出来ないですわ」
自分達の長である利潤は、その神力はさる事ながら、操る神術も多種多様であり、その術を破るのは【呪詛討伐部隊】の者達でも難しかった。
超一流の術師として活躍する事も出来ただろう。神力の質はとびっきりの極上で、量は無尽蔵に近い。そして数多の神術を頭にたたき込み、自由自在に術式を組めるばかりか、新たな術を自分で生み出し組んでしまう。
あれ程の術者は見た事が無い。
まるで自分の手足の様に自由自在に複数の術を同時に操る様は、同じ神である自分達ですら圧倒されるものだった。
そんな彼が、自ら力を練り上げて構築した認識阻害の術をかけて作り出した、特殊な外套。あの外套のおかげで、自身が何度も命拾いをする事になったのを、彼女ーー紫蘭は知っているだろうか?
ただ彼女は、どんな時もあの外套を手放さない。
ボロボロになっても、すぐに利潤の神力さえあれば自動修復される白い外套を身に纏い、彼女は軍を飛び出した。
「本来であれば、利潤様が力の供給を止めてしまえばそれで済むもの。そう、力の供給が止まれば、すぐにではなくとも、込められた力が尽きれば、あれはただの外套となりますもの」
認識阻害の術は解かれ、誰でも彼女を探し出す事が出来るだろう。
「本当に、困った物ですわ」
この大事な時期にーーそう呟く彼女に、八代は小さな笑みを浮かべた。
軍はーーそう、上層部は今、三つに分かれてしまっている。
そう、全てはーー。
「それで、貴方はどれ?」
クスクスと笑う彼女を、八代はジッと見つめた。
「お前は?」
「ーーふふふ」
ニコニコと笑う彼女が、その艶めかしい唇を動かした。