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【徒花は花園には咲けない 3】

 事はその日の夕方に起きた。


 夕食に薬を入れられたのだ。

 所謂媚薬系のそれを、飲物に。

 ただし、紫蘭はそれを飲まなかった。

 隣の席で食べていた同じ下働きの子が、自分のと間違ってそれを飲んでしまったのだ。


 自分達の企みが失敗したが、媚薬に侵された子が美神だったせいか、それはそれでと舌なめずりをするあの男達に、紫蘭は静かに席を立った。もうこの時、紫蘭はこいつらが飲物に薬を入れたと確信していた。だって、本神達がそう言っていたのが聞こえたからだ。


 そして――


「やる事がせこいのよ!!このスットコドッコイ!!」


 テーブルを飛び越し、男達に跳び蹴りを食らわせると、そのまま右手で横っ面を張り倒した。もうそこからは大乱闘だった。


「おい、やめろ!!」


 所謂軍の上層部――そう、利潤の周囲を固める軍で最も優秀な者達も出てきて、その大乱闘を止めた。しかし、切れていた紫蘭は「あぁ?!」とメンチを切り、後ろから羽交い締めにされているにも関わらず、目の前の男の顔面を蹴り飛ばした。


「素敵――」


 と、誰かがうっとりとした声で呟いた様な気がするが、それどころでは無かった。


「私が気に食わないなら私にくれば良い。周囲を巻き込むんじゃないわよっ!!」


 その後、利潤が出てきて、男達と紫蘭は引き離された。そして、大乱闘中に水やら食事やらを被ってグチャグチャになった状態で利潤の前に出る事は無礼だと言わんばかりに、温泉に叩き込まれた。その時の拠点は、温泉の出る場所があったのだ。


 そうして身支度を調えられた紫蘭は、ポイッと放り投げられる様に利潤の私室に放り込まれた。


「お前……」


 夜着に身を包み、薄衣を肩にひっかけた利潤の姿は、とても色っぽかった。同じ様な夜着を身につけている紫蘭とは雲泥の差だ。


「俺は言ったよな?余計な事はするなと」

「向こうが先に喧嘩を売ってきたのよ」


 そして、無関係の者が巻き込まれた。あのまま放置していれば、あの娘があの男達の餌食になってしまっただろう。というか、私はサンドバッグなのにあの娘には性的な乱暴を企む男達に、紫蘭は「これだから男って」と完璧に幻滅した。


 まあ、女でもロクでもない者達は居るけれど、とりあえず今はロクでもない男達を思い、また頭から湯気が出そうだった。


「言っとくが、そもそもはお前がとっとと被害届を出せば良かったんだ」

「そ、それは」


 確かに被害届を出せば、男達はもっと早くに懲罰対象になっただろう。少なくとも、媚薬なんて物は仕込めなかった筈だ。けれど、被害届が必ずしも受理されるとは限らないし、実際されなかった。


 しかし、紫蘭はそれを口にしなかった。


「……とにかく、これに懲りたら次はさっさと被害届を出せよ」

「……はい」

「分かったならそれで良い。下がれ、今すぐに」


 そう言われて、紫蘭はすごすごと利潤の私室から出て行こうと踵を返して歩き出した。そうしてあと一歩で部屋を出て行こうとしたその時だった。後ろで大きな物音がして、反射的に振り返った。


 後ろには、利潤が床に倒れていた。


「へ?!利潤?!」


 驚き慌てて駆け寄りその体を抱き起こす。

 見ると呼吸が荒く、苦しそうに胸を押さえている。

 まさか、病か何かか?


 誰かを呼ぼうとする紫蘭だったが、その口を利潤が手で覆った。


「いい、誰も呼ぶな」

「で、でもっ」


 口を覆う手を強引に外させ、紫蘭は利潤に怒鳴った。

 どう見てもただ事ではない。


「どうせ出来る事なんてない」

「え?でも医者とか」

「医者じゃどうにもならん。そもそも、医者も認知済みだ」

「へ?」

「くそっ……解毒剤なしって、なんつぅ代物に手を出しやがった」

「り、利潤?」


 呆然とする紫蘭に、利潤は手を離せと命じる。それは上に立つ者のそれだが、紫蘭はそれを拒んだ。


「一体、何が起きてるのか知るまで離さないっ」

「お前……こっちにはお前に起きた事を知らせなかったくせに?」

「それとこれとは話が別!!って、解毒剤とかって言ってたわよね?!それってもしかして」


 解毒剤という言葉から連想されるのは、毒、かそれに準ずるもの。でも、毒というには何か違う気がする。となると、もう一つ、解毒剤が必要になるものがある。


 そう――媚薬。


「利潤、まさか媚薬」


 飲んだの?


 そう聞いた紫蘭に、利潤は呆れた様に笑った。


「誰が飲むか。というか、そもそも飲んでない」


 ただし、肩代わりはしたが――と小さな声で呟いたそれを、紫蘭は聞き逃さなかった。


 媚薬の肩代わり――それが何を意味するのか、誰のを肩代わりしたのか、紫蘭は悟った。


「あの子の」

「解毒剤がない媚薬だ。しかも、特定の相手がいない。それで他の男と交われなんて酷だろう?」


 利潤はそう言うと、クスクスと笑う。

 そんな昔馴染みの様子に、紫蘭はボロボロと涙が流れていった。


「お、おい」

「ごめん、私のせいだ」


 紫蘭が最初の時点で被害届を出していれば。

 受理されないと分かっていても、諦めずに出していれば、少なくとも彼女が紫蘭の代わりに媚薬を飲んでしまう事はなかったかもしれない。

 そして、その彼女の飲んだ媚薬を利潤が肩代わりする事もなかっただろう。


 というか、解毒剤がないのに媚薬を肩代わりするだなんて完全に自殺行為である。


 いや、利潤であれば、相手になってくれる者達は掃いて捨てる程居るだろう。それこそ、甘い声で「お ね が い」と囁けば、軍の男どもはこぞって手を上げるに違いない。


 ただし、この場合完全に利潤は女役だ、分かる。

 通常時から、その滴る様な色香と女性と見紛う美貌から、【女】として見られる事が多い。むしろ見られない事が無いぐらいに完全に【女】に見られている。

 だから、こんな色気ダダ漏れとなった今、確実に利潤は女役になるだろう。


 しかし紫蘭は知っている。

 利潤は見た目に反して、中身は完全に【男】のそれだと。

 誰よりも中身が雄々しく男らしい彼は、【女】として扱われる事を酷く嫌がる。【女】の見目を利用し尽くすくせに、【女】として扱う者達全てを呪って呪い足りないというスタンス。まあ、物心付く前から花街に閉じ込められ【女】扱いされてきたのだ。普通であれば心も女に調教されてしまうパターンもあるが、利潤はどれだけ【女】扱いされてこようとも、決して【男】である己を見失わなかった。

 誰がどんな手段を用いようとも、【男】で在り続けた誇り高い男だ。


 まあ、【女】の見目を利用し、【女】として振る舞い相手の懐に入り込む手腕を磨き続けているが、だからといって好き好んで男に抱かれたいわけではない。むしろ、恋愛対象は異性だと紫蘭は見抜いている。


 利潤の好きな相手は誰だろう?


 少なくとも紫蘭は知らない。

 けれど、利潤の周りに居る者達であれば分かるかもしれない。


 そうして誰かと声を上げようとした紫蘭の腕の中で、利潤がまた苦しげに呻いた。


 駄目だ、探している暇はない――


 頬を赤らめ、苦しそうに呼吸を繰り返す利潤を前に、もう一刻の猶予もないのだと理解した。媚薬によっては、我慢させられればさせられる程、効果を増していき、摂取した相手に気を狂わせる様な残酷な物も存在する。もしそれだったら、利潤の気が狂う。


「利潤……」


 紫蘭は覚悟を決めた。


「ごめん」


 紫蘭は、自分より少しだけ背丈の小さい利潤の体を抱き抱えると、そのまま私室の奥にある寝台へと連れて行った。いつも重い物を持ち運んでいた自分、万歳。あと利潤、なんでそこで泣く?


「お前に、僕の心の機微が分かってたまるか」

「え?ごめん聞こえない?」

「っ!って、うわっ」


 寝台にポスンと下ろして、紫蘭は利潤の上にのしかかった。


「……おい」

「責任はとるわ」


 媚薬の効果を肩代わりさせてしまった責任は取る。

 もしかしたら、利潤の周りに居る上層部の女性陣の方が見目麗しく聡明で利潤に相応しいかもしれないけれど、こうなったのは紫蘭の責任なので、ここは潔く責任を取らせて欲しい。


「ば、馬鹿!!」

「目隠しすればいけるいける」


 貞淑な女性ならば憤死しそうな光景。

 けれど、花街に売られた経験を持ち、利潤を狙う者達から逃げ回り続け、更に軍の中でそういった関係の話を聞き続けていた紫蘭は、意外と耳年増だった。そして、自分の貞操に関して必要ならば、利用か捨てるぐらいの価値しか抱いていなかった。

 だから、紫蘭は利潤が肩代わりした媚薬の効果を消す為に、自分の体を使う事にした。


 そうして明けた朝――


「ちくしょう――くそっ、くそっ、くそっ!だからそもそもなんでこいつを連れて――くそっ」

「あ、お水飲む?」

「お前……情緒をどこに置いてきた?」


 一仕事終えたとばかりに、紫蘭はさっさと寝台を飛び出した。

 目隠しは途中から外されたけれど、利潤から媚薬の効果が消えたようなので問題なし。

 まあ初体験がこんなんだったけれど、そもそも結婚そのものを諦めている紫蘭にとっては、最初で最後の経験だろう。

 その相手が、超絶見目麗しい相手だったのだ。むしろ儲けものだと思った方が良い。


 その後、紫蘭は疲れ果てて動けない利潤を寝台に寝かしつけると、さっさとその場を後にした。


 問題はその後だった。




「来い――」


 あの問題を起こした男達は軍から追放。

 そして紫蘭は、媚薬を飲んでしまった彼女に平謝りどころか、土下座する勢いで謝り、彼女もそれを許してくれて――というか、彼女は優しくて逆に紫蘭が危険な状態だった事に怒ってくれた。そんな彼女から、何かあったら相談する事と約束させられ、「ああ、捨てたものではないな」と思いながら日常に戻ろうとした紫蘭の前に利潤は現れた。

 前に会ってから次回会うまでの日数が最短記録を更新した。


「は?」


 突然現れ、「来い」と言われて引っ張られる。一体何が?と思ったら、紫蘭は利潤の寝台に引きずり込まれた。


 は?は?は?と困惑している間に、二度目のそれは終わった。

 そして次の日も、次の日もまた引きずり込まれた。


 そうしてあの日から一週間経った日の朝――


 寝台の上で一神朝を迎えた紫蘭は、呆然と呟いた。


「……もう相手、私じゃ無くても良くない?」


 何がどうしてこうなった?

 今日も温泉に放り投げられ、体を磨かれた。いつ頃からか――上層部の女性陣が数神、紫蘭の身支度を調えに来る様になった。


 そして、身支度を終えた紫蘭を引っ張って、利潤の下へと連れて行くのだ。


 しかしちょっと待って欲しい。

 もう媚薬の効果はない筈だ。というか、最初の頃よりも差し迫った様子も無いから、今度こそ好みの相手にお願いすれば良いのでは?呼び出す時間はあるだろう?


 それともあれか?この俺に迷惑をかけたんだから、少しの間玩具代わりにでもなっていろと?


 ここは利潤を問い質すべきだったが、その当の本神である利潤との会話がまず成り立たなかった。部屋に入った瞬間寝台に引きずり込まれ、気づけば朝だ。

 そしてその時には、利潤はそこには居ない。


 もうこれは、確実に自分と話し合う気はないという事だ。

 というか、もうここまで来ると単純に性欲が溜まっている?なら、それこそ好みの相手にお願いして欲しい。


 そうしてその日もまた、利潤に呼ばれた。


「え?今日も?」


 利潤からの使者として現れたのは、いつも彼女の身支度を手伝い利潤の下へ案内する女性の一神だった。滴る様な色香を漂わせた優艶なる美貌の彼女の方が、余程利潤の寝台に引きずり込まれるに相応しいと思う。あ、違う。利潤の夜のお相手をするに相応しい――だ。


 紫蘭は、洗濯板で洗濯物をゴシゴシと洗う手を止め、彼女を見上げた。およそ家事仕事とは無縁のほっそりとした白魚のような指が、長い服の裾からちらりと見える。反対に、自分の指は節くれ立ったゴツゴツとしたものだ。あと、水仕事のし過ぎで手も荒れ放題だ。


「……あの、利潤――いや、利潤様には特別な相手とかって」


 居ないのか?と聞こうとした時だった。

 がやがやと声が近付いてくる。自分と彼女だけだった空間に、下働き仲間達が近付いてくるのが分かった。


「では、時間になりましたらおいで下さいませね」


 そう言うと、彼女は立ち去ってしまった。後には、彼女を制止する言葉をかける暇もなく、ただ洗濯板と洗濯物を手にした紫蘭だけが残ったのだった。



 それから数時間後。

 夕食の時間になり、紫蘭は食堂に向かった。

 大きなテントの中に造られた食堂には、既に大勢の者達が居た。


 食堂のあるテントは、これ一つではない。全部で五つあり、それぞれの階級で使用出来る食堂が違った。例えば、利潤や彼の周囲に在る事が許される者達――そう、上層部と呼ばれる者達は、第一食堂、それに準ずる者達は第二食堂という様に分けられる。因みに、紫蘭は下働きの者達が集う一番下の第五食堂で食事をするのがもっぱらだった。


 ただ今回は食堂が一杯だった為、座る席がない。となれば、これはもう外で食べるしかなかった。


 食器の上に料理を載せて貰うと、紫蘭はテントの外へと出た。

 今日は雨も降っていないし、風も強くないから外で食べるのもなかなかおつな物だろう。


 紫蘭はいそいそと自分のお気に入りの場所へと歩いて行く。

 その途中で、聞き覚えのある声が聞こえて足を止めた。


 ――――


 ――――


「……」


 そこで踵を返せば良かったと思う。けれど、何故か紫蘭は導かれる様にその場所へと歩いて行った。そして、物陰からそれを見つめた。


 紫蘭の視線の先に、利潤と、彼女――そして彼が居た。

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