『凪国国王と浩国国王の語らい』
「果竪、愛してますわ!!」
「あ~、はいはい」
凪国王妃付き侍女長にして、宰相の妹姫。
そして、凪国一の美姫と名高く、その名は周辺国にまで轟く美貌の佳神。
明燐と呼ばれる少女は、平々凡々が服を着て歩いているかの様な凪国王妃ーー果竪に飛びついた。
しかし、それを軽くいなして果竪はスタスタと歩く。
絶世の美貌と、その蠱惑的で悩ましい肢体の明燐が腰に絡み付いたままだと思わせぬ淡々さだった。
そんな光景に、凪国国王の下を訪問していた浩国国王ーー利潤は、色々な意味で感心した。
「何事にも動じないにも程があるな」
その腰に纏わり付いているのは、品位を極め、高貴さが全身から滴り落ちる様な美少女である。そして滲み出る色香は、その見た目の年齢にそぐわぬ濃厚さでもって、老若男女問わずに虜としていた。
凪国建国当初から引きも切らない大量の縁談が降り注ぎ、神妻となった現在も隙あらば、むしろ隙を強引に作ってでも我が物にしようと企む者達は多い。
そんな絶世の美姫に絡み付かれるとなれば、全ての財どころか命すら擲っても構わないと言う者達が大量続出する事は容易に予想出来た。
しかし、果竪は動じない。
そんな彼女に対して、分不相応だだとか、なんて傲慢なとか、明燐様がお可哀想だとか、頼んでも居ないのに騒ぎ立てる者達が多いが、そんなものは雑音だとばかりに切って捨てる勢いで果竪は全く動じなかった。
むしろ、その姿こそ、大国の王妃に相応しいと言えないだろうか?
明燐に勝るとも劣らないーーいや、正確には勝っている美貌と色香の持ち主である利潤は、一般の民達から見ればなんて傲慢極まりない、凪国上層部から見れば「ああ、いつもの面白主従」という評価を受ける果竪と明燐の姿を見ながら、「動じないにも程がある」と繰り返した。
「果竪も色々ありましたからねぇ」
利潤が唯一敵わないと言わしめる凪国国王ーー萩波。
美貌は勿論の事、その才能と能力すらも利潤を上回る彼は、たぶん炎水界に数多ある国々の王や女王すらも遠く引き離す有能にして優秀な国王だった。
正に、賢王と呼ぶに相応しい神物である。
その彼は、いつもの事だと言わんばかりに書類に向けた視線を動かさなかった。
「色々……まあ、あったよな」
だが、「大根が動く?」ときょとんとした目で自分を見た後、何か神でも見るかの様な崇拝の眼差しを向けた果竪の事を利潤は一生忘れない。
そして、「は?大根が動く?お前ヤクでもやってんの?」と言った凪国上層部一同の暴言と仕打ちを、利潤は絶対に忘れない。絶対にだ。
前世、自分に「は?大根は動くだろ。当然だろ」とか言い放った挙げ句、こちらの国を大根大パニック状態に陥らせたその暴挙。例え生まれ変わったって忘れるものか。むしろ、うちの国の上層部の全員が覚えていた。
なのに、大 根 は 動 か な い?
お前らマジふざけんな!!
今更、大根が動かない事が常識だった頃の俺達には、もう戻れないと言うのに!!
思い出しただけで、腹立たしくなる。
下手すれば、宣戦布告すら行なってしまいそうになる自分を必死に押さえ付け、利潤は果竪と明燐に視線を戻した。
「大根が動く事を忘れるぐらいの色々があったのか」
「ありましたね。そして、果竪も最初からああだったわけではありませんよ」
「そうなのか?前世のあいつなら、どんな事があろうとも動じなかったが」
むしろ大根に生きて大根に死すーーぐらいの大根狂いだった。自分の誇りをかけて戦う以上に大根の為に戦っていた。色々と間違った人生だが、あれでかなり強かったーー心身共に。
「そうですね、果竪は強いです。でも、果竪だって戸惑ったり怯えたりする事はあるんですよ?」
「あの大根狂いがねぇ?例えば?」
「そうですねーー」
そうして、萩波はゆっくりとその時の事を話し出した。
★
「果竪、貴女付きの侍女を選ばなければなりません」
「侍女」
「ええ。何神か候補は居ますが、その筆頭として自薦他薦で明燐が任命される事になりました。所謂、侍女長という存在ですね」
この時、果竪は侍女という存在について詳しく説明を受けた。すなわち、貴神の傍に仕えその身の回りの世話をする者の事を言う。そして、時には腹心たる存在となる。
ただし、建国する前からその類い希なる美貌と溢れる才能と能力の高さから、彼女こそが萩波の正妻に相応しいと言われているのを知っていた果竪は、明燐を侍女長にする事で周囲からの反感の強さを思い不安を覚えた。
むしろ、全力でチェンジと言いたい。出来れば、明燐を王妃に据えたい。萩波の事は好きだけれど、どう考えても、どれだけ頑張っても萩波に相応しいだけの美貌と才能と能力は手に入れられないだろうーーと、当時十四歳の果竪は悟っていた。
空気が読めなさそうとか言われているが、大根さえ関わらなければ果竪は結構空気の読める出来る子だった。
「一応、他の侍女達に関しては明燐が直々に候補を絞り面接をする形となります。まあ、他の部署の長達もその形式を取りますし、特に問題はないでしょう」
しかし、それ以前の問題がある事をこの時の萩波は知らなかった。
そして任命式の後、果竪及びその場に居た者達全員が衝撃を受けた。
それは、凪国王妃となった果竪の下に侍女長が挨拶に来る時の事だった。長年一緒で今更感が満載なものの、儀礼やら何やらと煩い者達が居る為、それらを黙らせる為にも、そして果竪を王妃として認めない勢力を押さえ付ける為にも、凪国国王の隣に相応しい、いや彼女こそ正妃だと謳われる明燐が果竪の下に挨拶に来る必要があった。
明燐の方から出向き、果竪の前で膝を折る。
そうする事で、誰が上で誰が下かをはっきりとさせる為だ。
自分の妹は世界一と豪語して止まない、超シスコンの兄にして宰相の明睡もまた、それを認め推奨していた。妹は誰よりも美しく可憐な存在だが、凪国国王の妻にしたいとは思っていなかった。それは、萩波が妹に相応しくないという事ではなく、萩波が果竪を王妃にと望んでおり、また明睡自身も萩波の妻には果竪をと望んでいるからだ。
だから、従姉妹と引き離されて泣きじゃくる果竪の説得に、明睡も日々奔走したのだった。従姉妹の所に行くと騒ぎ、隙を突いては従姉妹に会いに行こうとする果竪を押さえ付けるのは苦しかったし辛かったけれど、だからと言って自分達は失えない。
二神を会わせ共に居させる事は、どちらかが失う事だ。
どちらも失えない。
そうして、二神は引き離された。
いつか、もっと国が、世界が落ち着いたら会わせるからーーそうやって、丸め込んだ。
そうして従姉妹を思って寂しがる果竪が、少しでも心安らかに過ごせる様に周囲を整える侍女長という地位に妹が就いた事はむしろ光栄とすら思っていた。
そう、その侍女長としての初顔合わせの時までは。
誰もが想像していた。
侍女長としての衣に身を包み、清楚で気品に満ちた姿で恭しく王妃の前に傅く明燐の姿を。
まさかーー
荘厳に鳴り響く打楽器。
その楽器を鳴らしながら、大名行列の如くぞろぞろと男女入り交じる行列が近付いてくる。しかし、驚いたのはそれだけではない。
その行列の中央部分。
八神の男達が前後それぞれ二人ずつで、巨大な神輿を担いでいる。いや、神輿かと思ったら、違う。
担いでいるのは美しく豪奢な椅子が置かれた輿だ。そして、その椅子の上に座るのは。
「め……明燐」
明睡が、妹の姿を見て震える声でその名を呼んだ。
いつも笑みを絶やさない朱詩があんぐりと口を開けた横で、茨戯がその光景を無かった事にしたがった。無理だけど。
明燐がその椅子に座っていた。
それも、露出激しい衣装を身に纏い、深く入った切れ込みから除く太股をこれでもかと見せつけ、足を組む。その姿は、正しく下々を見下ろす女王の如く。
あれ?凪国って女王制だったけ?
そんな疑問がその場に居た者達の胸に過ぎった。
真実を知るだろう凪国国王である萩波は、他の上層部とそれに次ぐ者達を引き連れて今別の場所に居るので、残念ながらその真実を聞く事は出来ない。
打ち鳴らされる打楽器が、更に激しくなる。
沢山の花びらが行列の女性達によってまかれる。
正しく、女王様のお通りだーーを地で行く、いや、むしろそれしか見えないその大行列を果竪はぽかんとして見ていた。
驚きすぎて怯える事すら出来なかったのだろう。
神数にして、百名は軽く居る。
というか、何故そんな大神数で来たのか。
そして何故輿に乗ってきたのか。
あれか?果竪ではなく自分が上だと周囲に見せつける為か?
むしろ自分が王妃になりたかった?
問い質すべき者達は、その大行列に圧倒されて何も言えなかった。というか、即座に反応出来たらその相手は勇者だ。
誰かどうにかしてくれーー
それでも、朱詩は果竪を守る様にしてその前に立った。男だ、彼こそ真の男だ。茨戯も果竪の横に立ち、いつでも応戦出来る様にした。彼もまた男である。どちらも、絶世の美姫すら裸足で逃げ出す程の美貌の持ち主達だったけれど。
そして一番使えないのが、明燐の兄である明睡だった。
彼はまだ固まっていた。
大行列はそのまま進み、そして果竪の前に辿り着くと、ざっと行列が左右に分かれて輿を担ぐ男達が進んでくる。
そのまま、果竪の前に来ると、輿が降ろされた。
すると優雅に椅子から立ち上がり、ゆっくりと果竪の前へとやってくる。
「……」
「果竪、いえ、凪国王妃様」
そう明燐が呼んだ瞬間、その場に激震が走った。
自分こそが女王と言わんばかりの登場をしたくせして、果竪を王妃と呼ぶのは一体何の冗談か?むしろ普通は喧嘩を売っているとしか思えない。
しかし、侍女長として相応しい口上を凪国王妃である果竪に捧げ、恭しく一礼をする様は、うっとりする程の完璧な物だった。
だが、その完璧さを壊す様に、彼女が引き連れてきた者達が「明燐様万歳」コールを激しく行なう。行ないすぎて、口上が聞き取れなかった者達も居たぐらいだ。
「つきましては、私の忠誠の証として私の全てを凪国王妃様に捧げましょう。そう、全てを」
全て?
果竪は嫌な予感がした。
断りたかった。全力で断りたかった。
けれど、それを制する様に先に明燐が口を開いた。
「今より、私の奴隷達も全て凪国王妃様ーー果竪様の物となりましょう」
そこから激しいブーイングが起きた。
明燐様には全てを捧げてもおかしくない。けれど、凪国王妃である果竪は平々凡々で仕えるに価しないと豪語する奴隷達。
当然の如く、明燐からのきついお仕置きが炸裂した。
ピンヒールで踏み潰され、乱舞する鞭で打たれ。
恍惚とした奴隷達の姿に、「あ、こいつらわざと言いやがった」と朱詩と茨戯は悟った。
確かに果竪は平々凡々で王妃としては未熟過ぎてはいるが、それを敢えて指摘して罵る事で必ず来るだろう明燐からのお仕置きを待ち望んでいたのだ。
確か最近、焦らしプレイが多いらしく、彼らの要求不満が募っていた。しかし、いくら要求不満でも、女王様が望まないのに自分達がおねだりするわけにはいかない。
そんな中で、絶好のお仕置きを受ける機会が来たのだ。それはもう、全力で罵るだろう。
そうして、待ちに待ちわびた至福の時を迎え、彼らは喜びに酔いしれた。
だが、その代償は大きかった。
「ふ、ふぇ、ふぇぇぇぇんっ」
果竪が泣いた。
これはもう本気泣きだ。
幼い子供の様に泣きじゃくる果竪の泣き声を聞きつけた萩波が来たのは、その五秒後だった。
★
「という事がありまして。しばらく果竪は怯えてしまいましてね」
「っーー」
利潤でさえ理解出来る。
可哀想過ぎて、自分も涙が止まらない。
「明燐としては、自分の持つ奴隷達全てが果竪の下に下る事を望んでの行動だったようですがーー果竪からすれば悪夢でしかなかったようで」
「どう考えても悪夢だろ。むしろなんで受け入れられると思ったんだよ」
利潤の指摘はまっとうだった。
むしろこんな事でまっとうさを出したくはない位だった。
「明燐も一生懸命なのですが」
「完全に百八十度ずれてるよな」
「それで果竪がしばらく自分を寄りつかせてくれなかったので、余計に奴隷達への仕置きがきついものとなり、その結果奴隷達はもう大喜びとなりました。そしてこれだけのきつく甘美な仕置きをしてくれる原因となった果竪に対して、永久の忠誠を誓」
「いや、なんで?なんでそうなるの?というか誓われても困るんだけど?俺なら全力でお断りするけど?むしろ全てを焼き尽くすけど?」
「明燐の焦らしプレイは絶妙なバランスで行なわれているのですが、されている方はもうもどかしくて切なくて狂おしくて。そして限界までに耐えた所での素晴らしい仕置き、その完璧なタイミングで行なわれたのは、全て果竪が明燐につれなくしたからで、そんな素晴らしいタイミングを図ってくれる存在であれば、是非ともという感じでした」
「お前……果竪が、果竪が一体何をしたって言うんだよ。あの大根娘は確かに大根狂いだけれど、明燐の奴隷達に崇拝されるだけのどんな罪を犯したって言うんだよ」
利潤は問いかけた。
本気で本気でその疑問に対する答えを欲しがった。
「さて、次の書類についてですが」
「無視すんなっ」
しかし、一筋縄で行かない萩波がその回答をくれる事は最後までなかった。