第七話 自由主義者
5日後、博多に着いた。その間に着物の着方は完璧に覚えた。もう遊女やおっさんに着させてもらう羞恥プレイはしなくいい。
着物を着る練習や食事の時間の他は、航海の間じゅう、船酔いと戦いながら簿記と英語をひたすら勉強していた。というか、させられた。
遊郭を出て船に戻った後、喜右衛門さんは、
「博多に着くまでに、これを覚えろ」
と言って、複式簿記の教科書と、シェークスピアのハムレットを渡してきたのだった。その時、
「喜右衛門さん、昨晩はありがとうございます」
と言った。すると、
「ばかやろう、喜右衛門は遊郭で使ってる名前たい。本当の名前は治助たい。金子治助! 遊郭以外で喜右衛門って呼ぶな。気色悪かね」
と言われた。
寄港するたびに他の乗組員は最低限の見張りをのこして街に繰り出したが、俺だけ外出が許可されず、水夫、兵介や例の三人の部下から、俺は哀れな目で見られた。
三人の部下はそれぞれ、高田権兵衛、川村喜七、的野直光と言うらしい。三人とも筑前(福岡)の出身で、治助さんのもとで奉公しているとのことだった。その時に知ったのだが、商人は普段から苗字を名乗るそうだ。名前だけだとどこの誰だかわからないかららしい。ただ、武士など商人以外の人と話すときはあまり苗字は名乗らないらしい。
広島に寄港したときだけは外出が許可された。といっても、居酒屋で治助さんとサシ飲みだったが。
広島の居酒屋では、主に俺が元々いた時代と、その歴史についての話をした。
治助さんは俺の話を一通り聞くと、こうまとめた。
「つまり、貴様がおった『もう一つの歴史』では、日本は国を閉じて貧乏になったゆうことか。1850年代まで外とほとんど貿易せんかったら、そら貧乏になるわ。こっちの歴史はずっと貿易してきたけん、1820年の今の方が、もう一つの歴史の1850年より豊かやっちゅうことたいね」
その後は遊郭や、ハムレットの登場人物など、取り留めのない話をした。俺が元居た世界の話は妙に避けている様子だった。飲み終わると、治助さんは急いで船に戻った。遊郭や宿に泊まると金が余分にかかるから、寄港する日も、普段は船で寝ることになっていて、船に戻ること自体は特におかしくない。しかし、妙にせかせかしていた。
水夫以外の治助さんの部下は個室を与えられていたから、俺も個室を貰っている。居酒屋から帰った後、寝る前にハムレットに目を通していると、治助さんがやってきた。
「甲板に行くぞ」とだけ言われ、俺は甲板に連れ出された。
甲板には見張りの水夫が何人かいたが、治助さんは水夫がいない隅っこの方に行き、辺りで会話を聞いている人がいないかどうか念入りに確かめた後、こう言った。
「貴様が元々おったという世界の話な、もう二度と外でするな。いつしょっ引かれるかわからん。しかもただでさえ散切り頭で悪目立ちするけん、危なくてしょうがない」
元々いた世界の話をしてはいけない。これについては納得がいった。キチガイと思われる可能性があるからだ。だが、その話をしたらしょっ引かれるというのはどういうことだろうか。いぶかしる俺をよそに治助さんは続けた。
「貴様が元々おった世界では、明治維新とやらが起きたらしいな」
そのとき俺は、自分がうかつだったことに気付いた。考えてみれば当たり前の話だ。明治維新は、徳川家が倒された革命の事だ。そんな話を誰かに聞かれたら、いつ牢屋に入れられるかわかったもんじゃない。
自分のやったことの危なさにぞっとした俺は、ただ下を向くしかなかった。海面に反射した月光がちらちらと目に入る。どうすれば今後このような危険に自らをさらすことがないか考えた。そして、単純にこの世界について知らなさすぎるだけだと気づいた。常識を知らなければ、常識はずれの行動をしてしまうのは当たり前だ。
「わかりました。ただ、この世界の歴史について、教えてもらえませんか?元々いた世界と違いすぎて、何が何だかわからないんで」
「それは大丈夫や。博多にある儂の家に歴史書がある。それを貸しちゃるから、読みい。とにかく、今は徳川の世ってことだけは忘れたらならん」
「ありがとうございます」
「とにかく、二度と外でこの話はするな。疑わしい奴は罰せられても文句は言えん。貴様は儂にひっとらえられて思い知ったろうも。確かに悪かったとはおもっとるけど、万が一貴様きさんが刺客やった場合、儂は多くの信用と物を失うところやったんや。疑われた時点で文句は言えん」
厳しい世界だな、と思った。確かにそういう意味では疑われることそのものが悪いともいえるのだ。元の世界は何と優しかったのだろうか。
「わかりました」
とだけ答えた。
これで終わりかと思ったら、治助さんは最後に付け加えた。
「ちなみに、儂は自由主義者バイ。明治維新、いつか起こしたいと思ったわ」