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私文商会  作者: オブロンスキー
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第四話 歴史の渦

 痛みとともに目が覚めた。起き上がるのがキツイから寝転がったままだ。牢屋には窓がないが、板や壁の隙間から漏れてくる光で今は太陽が昇っているのだとわかる。昨日は散々だった。トラックに轢かれたと思ったら、奇妙な時代にタイムスリップをして、拷問を受けた。変な夢を見ていたのかと思ったが、どうやらこれは現実らしい。


 着ていたスウェットはひん剥かれた。拷問が終わった後、代わりにぼろ布一枚が渡されたのだが、どうも虫が湧いているらしい。かゆくて仕方がないが、これを体に巻き付けていないと寒くて仕方がない。




 目覚めた後、しばらくかゆみと戦っていると、例のおっさんが風呂敷片手にやってきた。俺は昨日の拷問を思い出し、寝転がったまま恐怖に身をすくめる。


「いやあ、昨日は悪かったバイ。こっちの勘違いやったってことで、貴様を牢屋から出すことになったバイ」


 そう言いながらおっさんは牢屋の鍵を開け、俺に近づき、座り込んだ。俺は急に態度が柔らかくなったおっさんに対して余計な恐怖を覚えた。




「そうおびえんといてや。悪くはせんけん。あの後色々考えて、結局あんたを雇うことにしたんよ。昨日のお詫びの分も含めて、金ははずむバイ」


 そう言えば昨日も、このおっさんは俺を雇いたいとか言っていた。申し出はありがたいが、こんな目に合わせておいて雇いたいなど、どの口が言うのだろうか。


「ありがたいですけど、嫌です」


 俺は震える声で断った。




「自分の立場が分かっとらんようやね。貴様(きさん)の選択肢は四つしかないんよ。ここで死ぬまで拷問されるか、嘘の自白をして首を縛られるか、放免されて身寄りがないままのたれ死ぬか、儂に雇われるか。最後のを選ぶのが一番ましやとおもうっちゃけどねえ」


 おっさんの声にはやさしさと残酷さが同居していた。しかし、この人の言うとおりだ。俺はこの人に雇われなければ、恐らくこの時代で生きていくことはできない。放免されたところで、野垂れ死ぬか、昨日みたいに不審者扱いでまた拘束されるのがおちだ。知らない時代に放り出されて、いきなり一人で生きていけるわけがない。




「わかりました」


 と答えざるを得なかった。おっさんは満足げに頷き、手に下げた風呂敷から、ふんどしと着物を出して渡してきた。早く着替えるようにせかしてくる。しかし、一つ大きな問題があった。俺はふんどしも着物も着たことがないのだ。


 まごついている俺を見て、


「貴様、小袖が着れんどころかふんどしの付け方もわからんのか。変な男やね。どれ、かしてみい。つけたるわ。男が男に服を着せるとか、気色悪かことばってん」


 おっさんにふんどしをつけられるのは屈辱だったが、昨日全裸で拷問を受けたことを考えるとまだましだ。言われるままに足を上げたり手を広げたりして、着物を着せてもらう。着物を着せ終わると、


「きちんとした身なりをすればそれなりになるったいねえ。まあ、急ぐバイ」


 といって、せかせかと帆船から降りた。東インド会社の社員はまだ寝ているのか、船の中であまり人とすれ違うことはなかった。港に降りても急ぎっぱなしで、そのまま別のアジア風の帆船に移った。




 帆船に入った後もおっさんはせかせかしていた。部下らしき人達からの挨拶にも名返事をかえすだけで、おっさんの自室らしき部屋に入って、ようやく落ち着いた。


 部屋にはテーブルと椅子が置かれていて、どちらかというと洋風の雰囲気だった。おっさんは奥の方の上座に座り、俺は下座に座った。おっさんは何も言わずにテーブルの上の書類に目を通し始めたため、俺は自分から話しかけざるを得なかった。


「それにしても、どうして急に放免されたんですか?」


「これたい、これ」


 おっさんはそう言って袖の下に手を入る動作をした。賄賂ということだろう。そしてこっちを見ることなく話を続けた。


「貴様が来ていた妙な服な、儂は最初はヨーロッパの服やと思っとったばってん、イギリス人たちも物珍しい目でみとった。儂はこう尋ねたんや。『この服はイギリスにはないんか?』ってな。するとあいつら、『こげな(こんな)形の服はあるが、こげな繊維はみたことなか』って答えたったい」


 


 そりゃそうだ。この時代に化学繊維を持ってきたら、みんな驚く。それにしても俺のスウェットはどうなったのだろうか。


「それで、俺の服はどうなったんですか?」


「やから言ったろーも。袖の下たい。賄賂!


あげな(あんな)繊維見たこともないし、今の時代の技術力で作れるモノでもなか。持ってたところで珍しいだけの役に立たん品物たい。貴様きさんが言ってた『別の時代から来た』って話はどうやら本当らしいな」




 どうやらおっさんは俺の話を信じたらしい。ただ、俺の服の所有権はいつの間にかおっさんに渡り、そしてイギリス人に渡ったらしい。


「役に立たんって、あれは俺の服やないですか」


俺の言葉に、今まで書類を処理しながら話していたおっさんは、ぴたりと手を止めて、こっちを見た。


「貴様は本当に自分の立場が分かっとらんなあ。儂が貴様を捕まえた時点で、貴様の物は儂の物になるったい。まあ“役所に特別な忠誠を誓ういーすとえいじゃこんぱにとその仲間”だけができることやから、普通の常識とは違うけどな。ただな、今から言うことは肝に銘じろよ。儂は貴様を、あの服よりも価値があると思ったからこそ、あの服を賄賂にして貴様を買い取ったったい。あの繊維はかなりの値段になる。ただ、それ以上に英語が話せる大男の方が価値があると踏んだったい。よか買い物したとおもっとるばってん、その分の働きはしてもらうけんな」




 つまり、このおっさんは東インド会社にうまく取り込み、そのおこぼれを食べている商人らしい。この世界の情勢はまだ全く呑み込めていないが、俺はとんでもない歴史の渦の中に巻き込まれているのかもしれないということだけは、理解できた。

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