第一話 ああ悲しき私立文系
赤く染まった視界がぼやけ、聞こえる音も小さくなり、意識がうすれるなか、俺は人生を振り返っていた。むしろここで死んだ方が幸せかもしれない。
必死に受験勉強をして入った関西の私立大学はネットで叩かれまくる大学だった。とくに私立文系の叩かれようはすさまじい。ちなみに俺は私立文系だ。
大学生活もそこまで楽しくなかった。ウェイウェイチャラチャラしなければ人間として扱われない空気があるなか、ウェイウェイチャラチャラが苦手な俺は見事にボッチ大学生になった。
日常の大部分は生活費を稼ぐためのバイトに捧げていたが、暇な時間がないのは逆に救いだった。それにバイト先の居酒屋では俺は比較的高学歴だったから、チヤホヤされて気持ちよかった。
「カンガク?すごいね!」「カンガク?高学歴やん!」
ただ、某京都の旧帝国大学生の学生がはいってきた後は、それほどちやほやされることもなくなってしまった。好きだったバイト仲間はその新人と付き合いはじめた。おかげで未だに童貞だ。
学校とバイト先を往復するうちに三回生の冬が来て就活が始まり、四回生の秋にようやく終わった。見事に大手病に罹患した俺は就活に失敗し、遅くまで採用活動をしていたしょぼい専門商社から内定を貰っただけだった。俺より低い学歴なのに俺よりいい会社から内定をもらった例のバイト仲間からは「せっかくカンガクなのに。高望みはやっぱあかんね。女のうちより年収低くなるんちゃう。ま、うちの彼氏はキョーダイやから高望みしまくっても大丈夫やったけど」と言われた。
大学生活は楽しくない、中途半端な高学歴だから中途半端にしかチヤホヤされない、就活も失敗した。必死に受験勉強に励んだのに、結局何も手に入らなかった。
そんな絶望にかられながらも、俺はバイト漬けの生活を送っていた。生活費を稼ぐ必要があるし、内定先の会社は薄給だから今のうちにできるだけ奨学金を返しておきたかった。
住んでいるアパートからバイト先の居酒屋までは基本的に下り坂だから、自転車に乗っているとスピードが出る。嫌なことを忘れ、ストレスを発散するにはもってこいだ。
そして今日、いつものように坂道を飛ばしていたら、トラックに轢かれた。
どこまで上手くいかないんだ。俺の人生。
こうなるはずじゃなかったが、こうなってしまった。すべてが狂ったのは高校時代からだ。やり直せるならやり直したい。高校一年のときに野球部をやめなければよかった。
中学の三年間を捧げ、高校三年間も捧げる予定だった野球を、高校1年の秋に「キツイ」という理由で辞めたのがすべてのはじまりだった。
それまで俺はスクールカーストで上位に位置していたから、野球部をやめた後はその権力を遺憾なく利用してキラキラ高校生活を楽しむはずだった。友達、バイト、そして彼女。なによりも彼女。田舎高校でも彼女がいればバラ色だ。
ところが現実は厳しかった。俺のスクールカーストは野球部という後ろ盾によって保たれていただけで、野球部をやめた俺は何の権力も持たなかった。一気にボッチに成り下がってしまった。
友達欲しさに帰宅部集団に入れてもらおうとも思ったが、変なプライドがそれを許さなかったし、なにより帰宅部集団は元野球部の俺におびえて話がまともにできなかった。
かくして俺は友達のいない高校生活を送ることとなった。時間が余ったからバイトをしてお金を稼いだが、一緒に遊ぶ友達もいないから貯金残高はうなぎのぼりに増え、高校三年の夏には百何十万円にまで膨れ上がった。
通帳を見てニヤニヤしていたら、母親にこういわれた。
「あんた、そげんお金ば貯めてどうするとね。まさか大学に行くつもりじゃなかろーね」
そうだ、100万円もあれば、大学にいけるかもしれない!俺はそのときはじめてきづいた。調べたら、奨学金とバイト代をこれに足せば十分に大学の学費と一人暮らしの費用がまかなえることがわかった。
俺の地元は交通が不便な田舎で、大学に通う人は都会に出て一人暮らしをする必要があり、それにかかる費用がネックとなって大学に進学する人は少なかった。一応Fラン大はあったが、カネと四年間をどぶに捨てるだけだから地元の人は誰も行きたがらなかった。そんなわけで、俺も高校を卒業した後は就職するしかないと思い込んでいた。
しかし、俺は方向転換をした。いい大学に行って、これまでの人生を大きく飛躍させるのだと。高校生活をバイトに捧げたことで得た大金を元手に、いい大学に行くのだと。
国立大学はさすがに無理だったが、私立文系なら希望があった。国語と英語と社会だけを勉強すればいい大学に行けるとは、なんと素晴らしい。暗記に暗記を重ねれば、それまであまり勉強してこなかった人でもいわゆる難関大学に入ることができ、その後バラ色の人生が開けるのである。
勉強は得意ではなかったが苦手でもなかったから、勝算はあった。それなりにいい大学に行ければいいと思っていたが、まさかカンガクに届くとはおもっていなかった。
ただ、大学に受かった後のことを真剣に考えていなかったのが失敗だった。