泥喰い
呪術師に拾われてはじめて口にしたのは泥を焼いた石だった。灰色鼠色の棒っきれを置いて師となる呪術師は「ぎょうだ」とどこかにいってしまった。
目の前には石棒と水の入った瓶とすくい用の椀。ぼうっと水をすすり、石をしゃぶった。石は甘い味がして不思議だった。
戻ってきた呪術師が石棒を叩き割ってなかみを食べるようにとさしだされたそれを貪り食った。
のちに師と呼ぶようになる呪術師は「悪かったなぁ」と火に薪をくべていた。
籠に入った魚をお師様が一匹一匹泥に沈めていく。川魚が沈められひきあげられて泥の塊になるのをただぼうと見ていた。里であればきっと殴られてたとつい周囲をうかがってしまう。お師様しかいないのに。
「これが、お前の朝の仕事だ。わっしが帰ってくるまでにやっておけ」
お師様はそう言って水の入ったひょうたんを置いて行ってしまう。魚は銀色の鱗をキラキラさせていた。
毎朝、お師様は魚の入った籠を置いて泥の塊にするよう言いつけてから蔓枝を拾って帰ってくる。
魚がしっかり泥だらけになってなければ朝餉は食べられない。もったいないと思いつつしっかりと泥の塊に変える。
朝はかまどから昨日の灰と炭を取りのぞく。荒い作りの桶に入れてお師様がどこかへ持っていく。取りのぞいた跡から蒸し焼かれた芋が出てくる。この芋となにか果実が朝餉だった。
そのあとは今日のかまどのしつらえ。お師様が取ってきた芋を掘り込まれた穴に入れて灰をかけ泥を敷いてならしたあとに蔓枝から落とした葉を撒き薪を組んでおくのが朝の仕事になった。
終えた後はお師様が拾ってきた蔓枝から葉を落とし並べておいたり、少しはなれた場所に湧き水を汲みに行ったり周囲を観察したりして過ごした。
ピーッと鳥が空を飛んでゆく。
踏みならされた道を野に帰そうと茂る葉草に若枝。湧き出でる清水は小さな池をつくり細い滝をつくっている。
小さな池や滝壺のあたりにはなめらかな大きな石がたくさん転がり、苔や藻が小さな魚を慈しんでいる。透き通る水越しにも見える石にはりつく石貝。小さなサワガニ。およぐ小さな黒点は魚の目玉。
ここには食べられるものがたくさんあった。
昼をまわる頃にお師様は戻ってきて水がめと蔓枝の様子に嬉しげに撫でてくれる。
生木色の布で顔を隠すお師様の表情はわからないけれど、なんとなく届くものはあった。
かまどに火をつけて麦粥をお師様が炊く。
麦は里から頼まれる魔除けの対価だとお師様が教えてくれる。
「子が生まれたら魔除けと先占をな」
確かに里長やその親族はそうしていた気がする。
麦粥が煮えるまでお師様は拾ってきた蔓枝を並べて組み合わせるように編んでいく。
「やってみぃ」
蔓枝は硬くうまく嵌めれない。お師様は笑いながら撫でてくれる。
それでもくりかえせばなんとか形になるようになった。無理に嵌めて石を使って押しこんでいく。ぼこぼこあいた隙間を軟らかい蔓で埋めていく。蔓枝を編むよりずっと楽に編めた。
編んだものを日干しにしたり、重ねて繋いだりしたある日。
「これがお前のついの寝床だよ」
その日からお師様の寝床から自分で作った寝床に寝るようにと言いつけられた。
綿の実から糸を紡ぐ方法、糸をおりあわせていく方法。そんなことを魚を泥に沈めるように教えてくれた。
春は芽吹く若葉の食べれる食べれない。
春先は飢えて荒れるけものが多いから避けること。
夏は水遊びに草刈り草編み狩りのこと。
秋は隙なく実りを集め、冬に向けての備えをしつらえること。
冬はかまどのそばで古い話を編み仕事をしながら紡ぐ。
もどかしくも楽しい日々。
ゆっくりと呪具の扱いを倣い、山神への作法を倣い、けものらとのつきあいを倣う。
「大きゅうなったなぁ」
気がつけばお師様を見上げなくなっていた。
「良きえにしはあったか」
ごしき。きしき。つかえ。
護式。鬼式。仕衛。
死後の身を魂を餌に結ぶ約定。
えにしの証は晒してはならない。
ゆえにお師様の顔を知らない。
お師様はからから笑う。
「よき嫁御を娶れ。式らも妻との閨のむつみごとは目を瞑ろうよ」
お師様の言葉に式たちも笑った。
「弟子よ。弟子よ。里に帰りたかったか?」
「いいえ。お師様があって今生きてます」
感謝しかないのに。
「呪術師は安らぎの野には、祖霊に迎えられることのないモノだ」
お師様は後悔を口にする。
人の輪に戻ることなく、すべての身を魂を力となった者たちに与える。彼らの中に還る。彼らの中が安らぎの野。
星が瞬く夜だった。
山神や式たちが騒いでいた。
乾いた木はよく燃える。
里人達が望んだものは雨。
そしてお師様が言ったついの寝床の意味を知る。
ひと夜寝床は燃え続け、夜明けに降り出した大雨にけぶり流され見失う。
呪布をまとい、えにしの証を隠し振る舞う姿はお師様と同じ。
「面布を新しくなっすったか。呪術師さま」
里人の言葉に彼らが『呪術師』としてしか見ていないと知れた。
雲雀が鳴く。
小枝を持つ子供があぜを駆けていく。
腰に手をあて背を伸ばす女性は母の慈愛で駆ける子を見送る。
人の営み。
それがとても遠かった。