ハードラックダガーB 霧中の暗殺者
「助けてほしい相手がいるんだ」
少し場違いな酒場で、緑色の髪をした少女は切り出した。
助けてほしいその相手。仮に名前をKと呼ぼう。Kは暗殺者だった。Kはもう死んだはずだ。
だが、時折、裏路地にKが現れることがある。残像となって。
少女の出身地の宗教観では、それは「天に還っていない」ということであり、良くない状態らしい。
「俺は強い」と男は言った。
「相手が硬質ダガー使いだとしても?」
「俺は強い」生まれそうになった一瞬の間を、男は躊躇いなく切り捨てた。男は硬質だった。
「報酬は、君の酒場のツケに相当するcだ。明日送るよ。もし君が死んでいたら、送金ミスのメッセージが表示される」
「充分だ」それだけ言って、男は仕事を引き受けた。口数の少なさ。それは硬質さの一端でしかない。
『ハードダガー』。男を一言で表す硬質な言葉を探すなら、まさにそれだった。
時刻は深夜を回ったころ。男は霧の渦巻く裏路地に来ていた。
残像領域では、危険なシチュエーションが重複することがよくある。そして危険はその数だけ累積する。
霧の中、何者かが現れるべくして現れた。それがターゲット(暗殺者のK)だと、男は結論したようだった。
この世に霧よりも恐ろしいものがあるとすれば、それは夜の闇だ。
霧の中では、もとより視界は信用できない。聴覚を研ぎ澄まし、死の匂いを嗅ぎ分け、絶望を触覚で認識する。
それでも、霧の中ならばまだマシだ。僅かな視界すら助けにならない夜の闇は、ある意味で霧よりも恐れられていた。
「抜けよ」
男の挑発に乗ったのか、漆黒の中、硬質ダガーと硬質ダガーがぶつかり合い、互いの刃が弾け飛ぶ。
その一瞬の、火打石めいた光で互いの位置をスキャンし、再び刃が振るわれる。互いの刃がまた弾け飛ぶ。リロード。
一撃の鋭さは、互角だった。もっと言うのであれば、自分が優位に立っていると錯覚したほうが死ぬ、といえばわかりやすいか。
お互いが繰り出す一撃は、常に想定外の角度から、想定外の強さでやってくる。
弱い攻撃にはフェイントという意味があり、次の一撃が来るまでの猶予が短い。
普通の攻撃は、相手の出方を伺い、次に何が来るかの判断を強いる。
そして強い攻撃には相手のよろめきを狙う意図があり、それを捌けなければ死が待つだけだ。
戦いは長引いた。そして、戦いはややKに有利に進んだ。Kは職業的暗殺者であり、一方、男はハードダガーだった。
Kは幾度もの硬質ダガーによるやりとりの後、確実な死を与えることを、つまりリスクを冒さず、相打ちに次ぐ相打ちで、ハードダガーが疲れ果てるのを待つことを選んだようだった。
死の舞踏は永遠に続くかに思われた。だが、残像領域に永遠などない。既に勝負はついていた。
直撃。
「二刀流可能だ」男は言い放つ。
「……霊障付きの硬質ダガーの他に、別の硬質ダガーを隠し持っていたとはね」
ごぽっと血を吐いて、Kは崩れ落ちる。
「俺は強い」
「……だが二つのダガーを持っていたのは偶然だった。たまたま今日は硬質ダガーを新調しに行っていた。さっきそのことを思い出した。前のもまだ使えた。それだけの話だ」
「……俺は運がよかった。お前はどうだ?」
暗殺者は答えない。突風。唐突に霧が晴れ、朝日が差し込んだ時、そこには何もない雑然とした裏路地だけがあった。
再び酒場。
「お酒、もっと飲むかい?」緑の髪の少女が酒をすすめるも、
「俺は強い。だがこれ以上の状態異常を許容することはできない」男はそれを退ける。
「あんまり飲めないんだね」
「俺は強い」
酒場の一角で、緑色の髪をした少女と、顔を少し赤くした男が会話する。
「Kとは……知り合いだったのか?」男は珍しく饒舌になる。
「Kは僕の母親だよ」
その気まずい空気に耐えかねて、男はグラスに残った酒を、一気にあおった。