08話 捨てられた者に救いの手をさし伸ばす適任者
ラックスたちが出ていくと、ルナはイティと対面する。
二人きりだと、やはり緊張する。
昔から、イティのことは良く知っている。
ずっと、個人的に彼女の情報を密かに集めていたこととは関係なしに、相手は有名人。
調べなくとも、勝手に情報は入ってくる。
どれだけの建物や破壊し、組織を破滅させてきたか。
どれだけ破天荒で風来坊なのかも。
今、こうして教鞭をとっていることが信じられない。
教師生活初日、教室の一つや二つ崩壊させるぐらいが、よっぽど彼女らしいのだが、まだ破壊活動を行っていないのが不思議なほどだ。
こうして近くにいるだけで心臓が破裂しそうだが、自分の感情を悟られたくない。
一呼吸置くと、もっともな質問を投げ返る。
「どうして、私だけを残したんですか?」
「お前に、頼みがあるからだ」
「頼み、ですか?」
教師として、生徒に指示を出すといった感じではない。
これは、まるで懇願。
どちらの立場が上なのかを忘れてしまっているかのようなへりくだり方だ。
「あいつを――ラックスのことをなるべく見てやってくれないか」
イティはまるで親が子どものことを心配するかのように、喉の奥から声を絞り出す。
「私が、あいつのことを?」
色々と疑問がある。
だが一番の疑問点は一つ。
(――どうして、私に?)
イティがラックスのことをいつだって心配していることは、態度から丸わかりだ。
だが、だとしたら、イティ自身がラックスのことを見てやればいい。
彼に一番近しいのは、イティなのだから。
「私じゃだめなんだ。私では、あいつを救うことができない」
「……救うって、どういうことなんですか?」
言っている意味がまるで理解できない。
救うと言葉も、あまりにも大仰過ぎて場にそぐわない。
「これから話すことは他言無用で頼む。いいか?」
「はい」
イティがそこまでいうのならば、もちろん、誰にも話すつもりはない。
「あいつは、ほんとうの両親から捨てられたんだ」
身構えていたはずなのに、反応が一呼吸遅れてしまった。
「…………えっ?」
「あいつの両親は言ってはいけないが、正真正銘クズだったよ。父親は賭け事に執心し、母親は宝石を買った。そこまで裕福な家庭じゃなかったのに、子どもに使うべき養育費を全て自分たちのために、無計画に買い込んだ。子どもの頃のあいつはちゃんとした服や食事なんてしたことがなかったらしい。全てが露見した時には、もう、あの家庭は崩壊していた」
「それは……」
それは、虐待というやつじゃないのだろうか。
だとしたら、姉であるイティも同じような目にあったということになるのだろうか。
「あいつの父親と母親は別の家庭を持つと言い出した。それで、当時六歳だったラックスのことが邪魔になったんだ。私が駆けつけた時には、どうやってラックスのことを追い出すのか。どちらがラックスを養うのかを押し付け合っていた。そんな最低なケンカをラックスの前でずっとやっていたんだ。この私が目の前にいようが、ケンカをやめなかった。ま、最終的には力づくで止めたけどな」
駆けつけてきたということは、イティが家にいない間に両親はラックスを痛めつけていたのか。
歳の離れた姉だから、家にいなく自立していたことも頷ける。
でも、だからこそ、ラックスを救うことが遅れてしまったのだろう。
「ラックスの前で、捨てることを話し合っていたんですか?」
「ああ。それに文句をいうこともなく、ただ黙って聞いていたあいつのことを見て、私は泣きそうだった。『お前のせいで、あの人が私と一緒に暮らすのを了承してくれない。どうして、お前なんかを産んでしまったんだろう。お前は、私にとって人生最大の過ちだ。お前が生きているせいで、金がないんだ』……そんな悪口を聴いていたあいつの瞳は濁っていて、生きながらにして死んだようだった」
「それで、イティ先生がラックスのことを家族として……姉として連れだしたんですね」
その時にラックスのことは救えたはずだ。
それで、この話はハッピーエンドで、もう何も、不幸な話は紡がれることはない。
そのはずなのに、どうして今頃になって『救う』なんて単語が出てくるのか。
「まあ、ある意味正しいが、ある意味間違っているな」
「…………?」
まるで、涙をこらえるように頬を引き攣らせると、
「だって、私は、あいつの本当の家族じゃないから」
見ている方がどうにかなりそうなぐらい悲しい顔をした。
「あいつとは遠い親戚なんだ。六歳の時にあいつを引き取って、家族として過ごした。あの頃のあいつには、家族が必要だったんだ。一か所に留まることができなくて、私はフラフラしていた。ずっと旅を続けていた。だが、そんな私のことを慕ってくれている。それは感謝している。あんなことがあったのに、本当に優しい奴に育ったと思う。あいつが稼いだ金のほとんどは、私に渡している。いらないといっても、無理やり握らせてくる。あの時助けてもらった恩だと」
同情はする。
だけど、だからといってどうしてなのか。
(――どうして、私に話すのか)
独りじゃ抱えきれなくなって、意図せず口走るなら分かる。
だが、イティは覚悟を決めて話を始めた。
それは、どうしてだろう。
責めているわけじゃない。
ただの疑問。
冷たいようだが、どこまでいってもラックスとは無関係なのだ。
「ど、どうして。ほんとうに、どうしてそんなこと私に話したんですか? 正直、私じゃ背負いきれないようなことばかりなんですけど……」
「すまないな。だけど、これはお前だからこそ、話したんだ。――結論から先に言えば、お前とラックスは似ているからだ」
「に、似ていますか? いったいどこが?」
「お前の両親も、ある意味ではお前のことをないがしろにしているだろう?」
「それは……」
どうやらイティは、ルナの親のことをよく知っているようだ。
当たり前か。
ルナの親はこの学園では――きっと特に、教師の間ではよく話題の中心になっているだろう。
出資者としてではなく、要注意人物として。
それは、自分の子どもに対して過保護すぎるところがあるから。
だからこそ、暴走してしまう。
だけど、親は気がついていない。
子どものためにと言い訳して周りに迷惑をかけることは、許されると思っている。それが、子どものためにならないってことを、きっと一生気がつかない。
「あいつは、今でもきっと、金がこの世で一番大切なものだと思い込んでいる。もしも、あの時金さえあれば、両親には捨てられなかったと思っている。だがな、金があろうがなかろうが、腐敗しきった人の心は何一つ変わらない。金があっても別の理由であいつは切り捨てられていただろう」
そうかもしれない。
あくまで、イティ主観の話だけを聴くと、ラックスの両親に改心する余地はないように思える。
仮に大金持ちになったとしても、考えなしに金を使い果たして貧乏になりそうなぐらいに考えなしな人たちのように思える。
「金はあいつを苦しめる。金のせいで、あいつは世界から切り離されてしまった。なのに、憎むべきその金を集め続けなければならない。金を集めていれば、過去の自分を救える気持ちになるから……辞めることなんてできない。だけど、そんなの、自分を傷つけるだけだ。あいつが自ら傷つく姿を、このままただ見ているだけなんて、私には耐えられない」
「金はイティ先生への恩返しのためだけじゃなくて、過去から目を逸らすためのものでもあるってことですか?」
「そうだ。あいつはあんな目に合っても、まだ両親のことを愛している」
「憎んでいないんですか? 自分の親を」
「憎んでいるさ。だけど、人が人を憎み続けるというのは、きっと不可能なんだ。誰かを愛し続けることより、誰かを憎み続けることのほうがよっぽど難しい。自分の中に堆積していく暗い感情に、人は耐えられない。だから自分を捨てた親であっても――『実は本当は自分のことを愛してくれていたんだ』っていう風に過去を、記憶を改竄する。報復しようと思えば、いくらでも方法があるのにあいつはしない。それに、あいつは自分の口から両親の悪口を私の前で言ったことなど一度もない。家族三人で映った唯一の写真を今でも隠し持っている」
なんて、可愛そうなんだろうか。
両親のことを切り離すことができれば、どれだけ楽になるだろうか。
だけど、いつまでもつきまとう。
最低最悪な親だったとしても、完全に自分の心から追い出すことはできない。
きっと、どれだけ離れていても。
そして、どれだけ会わなかったとしても。
いつまでも、根っこのように心に絡みついて抜けやしないのだ。
それぐらいなら、分かる。
分かってしまう。
「あいつの気持ちが分かるのはお前だけだ」
だって、ラックスはまるで鏡写しのようだから。
確かに、どこまでも――悲しいくらいに似ていた。
他人に対してそんな風に思ったのは、生まれて初めてかもしれない。
「ほんとうは、あいつのことは私が救ってやりたい。だけど、だめなんだ。あいつは、私と距離を置いてしまっている。昔は一緒に水浴びをしたり、同じベッドに寝ることは当たり前だったのに、最近は恥ずかしいからと言って一緒にいてくれないっ!! 私のことをあいつは、きっと嫌いになったんだっ!!」
「あっ、えっと、もしかして、それってのろけてますか?」
「…………なんのことだ?」
「あっ、天然なんですね、そうですか……」
ラックスのことを救うということが、まだ具体的には分かっていないけれど。
やっぱり、その役目はイティが適任な気がする。
だけど、意外に頑固なところがあるから、こちらの話をまともに聴いてくれそうにない。
「とにかく、ラックスのことを見てやってほしい。これが自分勝手な願いだということは分かっている。だけど、だけど、頼むっ!! 私は、自分の弟が世界で一番かわいいんだっ! 私があいつの力になれなくても、それでも、どんな形であってもあいつを守ってやりたいんだっ!! 救ってやりたいんだッ!! だからっ!!」
イティは立ち上がる。
そこらの紙が舞い上がる勢いで机に手を叩きつけると、
「あいつのことをよろしく頼む」
そのまま、頭まで机に叩き付ける。
「ま、待ってください。顔を上げてくださいっ!!」
「………………」
悲鳴を上げるように叫ぶが、微動だにしない。
きっと、こちらが了承するまで、てこでも動かないつもりだろう。
「分かりましたっ!! 私のできる範囲でラックスのことをちゃんと見てますよっ!」
「ほ、本当か? ありがとうっ!! ルナっ!!」
手を握られてぶんぶん上下させる。
イティの屈託のない笑顔を見ていると、面倒が彼女の願いを聞き届けてよかったと思えた。
後々、そのことを、相当後悔することになったとしても。
今のルナは何も知らない。