28話 全ては金のために
学園の保健室。
その個室のベッドには、ルナが動かずに横たわっている。
静謐な空間からは、沈黙しか生まれない。
そんな時間に耐え切れずに、ラックスは拳を握りしめる。
「ルナ……」
動いてくれないのは分かっていた。
どんなに呼んでも起きてくれないだろう。
それでも、肩を揺らしてしまう。
目蓋をキッチリと閉じたままのルナが、すぐさま元気に目覚めてくれることを願って――。
「起きてくれよ、ルナ。なあ、ルナッ!! 眼を、開けてくれ……」
ずっと、こうなのだ。
毎日毎日こうやって呼びかけているのに、眠ったまま起きてくれない。すぐさま覚醒してくれれば、こんな苦労しなくて済む。
それなのに、一度や二度の呼びかけや、小さな揺れじゃどうにもならない。だから、いつも通り、肩をつかんでガッ、とそっぽを向いているルナを仰向けにさせて、身体にかけてあった布団を取っ払う。
「眼を、開けろおおおおおおおおおおおおっ!!」
「きゃああああああああああああああああっ!!」
悲鳴を上げて、ルナが眼を見開く。
ようやく起きたようだ。
毎度毎度面倒くさすぎる。
どうにもルナな寝起きが悪いらしく、こうやって起こす時は毎回苦労するのだ。普段独りで朝を迎える時はどうやって起きているのか不思議なぐらい起きない。
確かに、ルナは重体だ。
身体を満足に動かすこともできないほどに。
だが、だからといって、命に別状がある訳ではない。
むしろ、見た目だけなら元気そのものに見える。本当に危険なのは外見ではなく、中身。体中に駆け巡っている魔力に異常がある。
「いや、ほんと、毎日毎日、お前は朝も昼も夜も寝やがって……。こっちは授業やら後始末やらで日々大変なんだぞっ!! それなのに、お前は身体が弱っているという名目で堂々とサボれるんだから、いいご身分だなっ!!」
「本当に弱っているのよ! 一日中ずっと寝てても、まだ魔力が体中で暴れてて、まともに身体を動かすこともできないんだからっ!!」
魔力の暴走。
それは、あの時ルナが、『私だけの理想郷』を無理やり抑え込んだからだ。
一つの世界を造りだす。
それは、個人の身に余るほどの力だ。
生み出すこともそうなのだが、消し去る方が難しかった。どれだけルナが消そうとしても、暴発しそうになった。
実は二人で手を取り終わって、『私だけの理想郷』から脱出することを協力すると誓ったあの後。
あの後こそが、本当に大変だったのだ。
もしかしたら、あの世界にいたラックスとルナの二人はあの世界こと暴発して消滅してしまうかもしれない事態に陥ったのだ。
そんな危険な状態で、ルナは無理やりあの世界だけを消失させた。
その代償が、眼前のこれだ。
無理に魔力を抑え込んだせいで、その魔力の暴走は持ち主へと戻ってしまった。その全てを受け止めたルナは身体をまともに動かせないほどに。
もしも、こんなことを続ければ、確実に寿命は縮む。
それほどまでに危険なことだった。
だが、まだこの程度で済んでラッキーな方だ。
いや、ルナだからこそ、これだけの被害で済んだといっていい。
(俺が、もしも同じことをしていたら、確実に死んでいた。それほどまでに見事な魔力操作だった……。まさに、ルナは天才だ……)
だけど。
巻き込んだことを、気に病んでいるようだ。
過程はどうであれ、ルナによってラックスは命を救われたというのにだ。
もしも、ルナがいなければ、あのままあの世界は暴発していた。それに、ルナの境遇のことを考えたら責める気持ちなんて湧くわけがない。
だから、動けないルナのために、甲斐甲斐しく世話をしてやろうと思った。
それなのに、ルナは放っておくと、朝から晩までずっと眠り続けている。
ずっと寝ているのは楽だが、多少なりとも身体を動かさないと治るものも治らない。
だからこうやって、起こしてやっているのだが、どうも厚意でやっていることを理解できていないように思える。
「そうか……。まだ、だめなのか。悪かったな。あれから数日経ったし、そろそろ大丈夫だと思ったんだけどな……」
「別に気にしなくていいわよ。こうなったのは自己責任だから。それより、あの時は、ほんとうにラックスに迷惑をかけて悪かったわね。でも、身体は本当に動かないの……」
「そうか。まだ動けないのか……それじゃあ、しょうがないな……」
懐から取り出したカメラのシャッターを連続で押す。
世話を焼いてやっているのだ。
このぐらいの報酬はもらっておきたい。
「え、ちょっと、なんで写真撮ってるの?」
「あっ、大丈夫。この前の闇市場で売ったルナの写真に需要があったから、もっと写真撮って売り捌けば、そうとう利益がでることが分かったから、写真撮っただけだから」
「それ、全然大丈夫じゃないじゃないわよね!? ちょっと、よこしなさいよ!」
「やめろおお。破れるだろうがっ!! というか、身体が動かなかったんじゃないのか!? 凄い力でてるけど!?」
「あのね、これは私の写真なんだから、ちゃんと許可とりなさい! 許可を! 絶対に許可なんてしないけどね!!」
ビリリッと、取り合っていた写真の一枚が破れる。
「……あっ」
ルナがしまったと後悔したような声を出すが、問題ない。
破れた写真に触れてしまえば『鍛冶合成屋』でいくらでも復元できてしまえるのだから。
「まあ、こんなもの、すぐ直せるんだけどな……」
「ちょっと!」
実際に写真を直して見せると、思い出したように怒りだした。
「……冗談だよ。お前の写真を売り物にするわけないだろ? ずっと世話ばかりしているから、ちょっと息抜きがしたかっただけだ」
そう言いながらも、しっかりと写真は懐へとしまっておく。
「冗談もなにも、あなた闇市場で勝手に他人の写真売り捌いていたわよね? あれは、結局ちゃんと本人の許可をとったの?」
「ま、それは横に置いといて」
「置いといて!?」
「ほら、頼まれていた料理。ベナヒだ。冷めない内に食べて欲しいから、起こしてみたんだが……。いらないのなら、俺が喰うぞ」
「いりますっ!!」
「なら、どうぞ」
近くのテーブルに事前に置いてあった皿には、ベナヒがある。
手のひらを仰向けにして、勧めてみる。
保健室から動けないルナは、飯を作れないし、どこかへ食べに行くこともできない。
何か買ってきて欲しいと最初に頼まれたが、自分で作った方が人件費や発注費用が浮く分安上がり。料理をするのは嫌いじゃないので、作ってやった。
一度料理を作ってやると、ルナは調子に乗り出した。今度は料理を指定してきたのでベナヒを作ってやったのだ。
(まあ、なんでもいいから作ってよ、とか言われるよりかはましか。自分の好きな食べ物を注文するってことは、俺の料理をそこそこ認めてくれたからってのもあるだろうし。そうなると、多少なりとも料理に気合が入るってもんだ)
ベナヒは一般的な家庭料理の一つ。
温かいスープ料理で、中には野菜や肉を入れる。
正直、どんな人間が料理しようとも失敗しにくい料理の一つだ。
だが、ラックスはそれなりに工夫した。
味付けは、塩コショウで味を調えるだけのシンプルなものだが、ルナの身体のことも考えて、いつもより薄めに作っている。
消化しやすいように、食べやすいサイズに食材を切ることも忘れていない。
もともと、ベナヒは豊富に野菜を取れる料理。色彩豊かな野菜で、味だけでなく見た目にも気をつかった。
それに、ベナヒの中に入っている野菜のヨウガには、発汗作用がある。
今のルナは、魔力が常に暴走しているようなものだ。
魔力をより制御するためには、精神と肉体の調子を整えることだ。
栄養があり、そして、デトックス効果のある食材を選んだ。なおかつうまい料理を喰えばおのずと回復するはずだ。
ルナはスープを口に運ぶ。
「うーん。ベナヒも作れるのね。見直したわ」
「まあ、それなりにな。イティと旅している時は、主に俺が料理担当だったから自然とうまくなっていったなあ……。両親も俺に料理を作ってくれなかったし。まあ、料理作ったら、食材勝手に使うなって怒られたけどな……。じゃあ、どうやって生きろって話だ。死ねってか? まあ、親からは死ねって、普段から結構言われたけどな……」
「………………」
ルナが押し黙る。
ポロッと、ついつい変なことを口走ってしまった。
このままだと妙な気を遣わせてしまいそうだ。
「あっ、悪い。こういうこと言うと周りからは引かれるからあんまり言わないようにしてたんけど、ついポロッと。イティの前でもあいつが悲しそうな顔しそうだから口にしなかったんだけどなー。あー、なんか、気が緩んで、つい……。悪いな!」
「ううん、別にいい。料理に関してはうちの家庭はそんな厳しくはなかった。……けど、何かをやる度に親の許可が必要だったってところは凄い分かる……。それに、なんか安心した。先生はあなたのそういうところを心配してたわよ。自分の後ろ暗い部分を曝け出してくれないって。ほんとうにラックスは大丈夫なのかって。でも、私の前でしか言えないことを言ってくれたみたいで……嬉しい……。ラックスの心の核に触れたような気がするから……」
「ああ、そう?」
なんだか好意的に解釈してくれたみたいだが、そんないいものではない。
あの陰鬱な日々のことは、思い出したくもない。
家族なんて必要ない。
家族なんていなくても、今はイティがいる。
ただ、それだけで前に進める。
「お母さんがね、あの後私にこう言ってきたの。もう勝手にしないさいって。私にとっては、生まれて初めてそんなこと言われたもんだから、何も言い返せなくて。そのまま呆然としてたら、いつの間にか目の前から姿が消えてた……」
「そうか。それはいいことなのか、悪いことなのか分からないな……」
「いいこと、だと思う。好意的に見たら、あなたの自由にしなさいってお母さんが言ってくれたんだってことだから。もっとも、もう私には何も期待しないから、勝手にやれば? って投げやりな言葉にも思える。だけど、私にとっては最高の着地点。……ありがとうね。きっと、全部、あなたのおかげよ……」
「まあ、結果オーライってやつだ。もしかしたら、もっと酷いことになっていたかもしれないし。それについては、イティからも相当怒られたよ。……それに、俺も詳しくは知らないが、あの後、イティとお前の母親とでひと悶着あったらしくてな。それのおかげかもしれないぞ?」
「そう、だったの……。でも、やっぱり、それはあなたのおかげよ。……ありがとね」
「……ほんとうに成長したな……」
初めて会った時とは比べ物にならない。
戦闘面において向上した、という話ではない。
精神的に大きく飛躍している。
魔力操作に必要なのは、針に糸を通すような繊細な集中力。
つまりは、心の力。
これだけ心の強さが充溢しているのならば、もう、危惧することは何もない。きっと、遠くない未来、魔力の乱れはなくなり、完治するだろう。そして、今度こそ完全に自分の『特異魔法』を乗りこなせるはず――なのだが――ルナはどうやら全く別のことを考えていたようだった。
ルナは膨らみのない胸に手を当てている。
どこか嬉しそうな顔をして、こちらの反応を窺うように見つめてくる。
「……え? ほんとう?」
「――そっちじゃない」
こっちは真剣に話をしているというのに、肩透かしを食らう。
胸、成長したな、とか、面と向かって本人に言えるほど、命知らずではない。
「いいからさっさと食べてろよ」
スープがこぼれにように、器を持ち上げる。そして、そのままでは熱いだろうから、スプーンに息を吹きかけて口に運んでやる。
すると、何故かルナの眼が点になる。
「………………え?」
「あっ、悪い。間違えた。イティが風邪引いた時とかよくこうするようにせがまれたから、つい……。悪かった。やっぱり、子どもっぽいよな。イティも普段は大人なんだけど、まれに風邪を引いた時ぐらいは、珍しく頼ってくれるから俺もついつい嬉しくてやっちゃうんだよな。もう、しないから」
不謹慎だが、弱っているイティはかなり可愛く見える。
綺麗だと周りはイティを評価するが、ああいう可愛さを知っているのは自分だけ。そう思っていると、ちょっとした優越感がある。
「…………余計、気分が悪くなったわ」
「え、どうした? やっぱり魔力の暴走!?」
「いや、そうじゃなくて……まあ、いいわ。それより……私、やっぱり身体がまともに動かせないと思うの」
「ええ、ああ、うん」
「だから、私にも……ぇ……ても……」
「あの、もうちょっと大きな声でいってもらえる? 聴こえないんだけど?」
「だ、だから! 私にも食べさせて欲しいって言ってるの!!」
「えっ、いや、でも、昨日とかは普通に自分で食べられてたよな? だったら――」
「いいから、私に食べさせて!! はやく!!」
「わ、分かったよ。いきなり怖いんだよ。そこまでキレなくてもいいのに……」
情緒不安定過ぎるルナに、しかたなしにスプーンを運ぶ。
「ほれ」
しかし、そのまま飲ませるのでは芸がない。というか、最初はそうしようと思っていたが、いきなり理由もなく逆ギレされたのは我慢ならない。
仕返しだ。
ルナは目を瞑ってあーん、と口を開いている。
絶好の機会だ。
「あぐっ」
ガチン、とルナの歯が虚空を噛む。
素早い動きでスプーンを引いてやったのだ。
「ぷははは。バカだっ!! ひっかかってやんの!」
「………………」
「……すいませんでした。どうぞ」
無言で睨み付けるルナは怖すぎた。
もしも、また同じことをしたら、容赦なく『特異魔法』をぶっ放しそうなぐらい怒っていらっしゃる。
大人しく今度こそ、ちゃんとスプーンをちゃんとした場所へと運んでいく。
「ふふっ」
ルナは口の中の料理と喜びを噛みしめるように笑う。
「言っておくけど、誰かが来るまでだからな。噂が広まって、イティにあらぬ誤解を受けたら、最悪だしな……」
「わ、分かってるわよ」
「――でも――」
スプーンでスープをまたすくう。
そして、
「誰かが来るまでだったら、何回だって食べさせてやるし、いつまでも傍にいるよ」
また、ルナに食べさせてやるために、何か料理を作ってやるつもりだ。
ルナの身体がまともに動かないまでは、またルナのために、料理を作らなければならない。料理の素直な感想を聴くためには、少しでもルナによくしてやらなければならない。
だから、だ。
だからこうやって食べさせてやってもいい。
ルナぐらいの年齢の女性層が一体どんな味付けが好みなのかを知っていれば、今後の商売にも生かせる。闇市場でそれを売りだせば、金になりそうだ。
そう、これは全て、金のためにやっていることだ。
だから、今、顔が熱くなっているのは関係ないことだ。
「うん!」
そういって、ルナは笑顔になりながらスプーンに喰いついた。