27話 友達だった者との偶発的な邂逅
あれから数日。
一時は学園が騒然となった。
ほんの少しの時間とはいえ、二人の人間がこの世界から消失したのだ。生徒だけでなく、教師までもがどんな『特異魔法』かに興味を持った。そして、その異変の解決に一役買ったラックスにもだ。
そんな好奇心溢れる視線は今でも多く、廊下を歩くことすら億劫だった。
だが、たまには飯の調達をしないと餓死する。
それに、会わなきゃいけない奴もいる。
なので、こうしてスタスタと廊下を歩いているのだが、
「うげっ」
よりによって、正面からリオーレが歩いてきた。
今、最も会いたくない人物だ。
身を隠れる場所を探すが、一本道の廊下。
曲がり角を引き返すにしても、かなり遠い。
やろうものなら、明らかに不自然な挙動になる。
気がつくのが遅すぎた。
こうなったら最後の手段。
首の筋を痛めるギリギリのラインまで首を曲げて、眼を合わせないようにする。鼻歌交じりに、あれ、この壁、ヒビがはいっていないか? とか小芝居をしつつ、やり過ごそうとしたが、
「なんでそんな露骨に目を逸らしているのですか。声をかけづらいじゃありませんの」
見つかってしまった。
こうなったら開き直るしかない。
曲げすぎたせいで、ズキズキと痛む首筋を手で押さえながら、すり抜けるようにリオーレと壁の間を歩く。
「あ、どうもー。じゃ、挨拶もすんだんで、俺はこれで!」
「ちょっとお待ちなさい」
リオーレに肩をつかまれる。
振り返ると、さらさらな髪をかきあげる。
「この私に、礼の一つもさせないつもりですの?」
「…………礼?」
「私をビルゴダンジョンの幽霊から助け出してくれたことです。あなたに謝礼金を渡そうと思っていたのに、私の姿を見つけるとすぐに逃げ出すせいで今日まで渡せなかったんですのよ」
「あっ、逃げてたのばれてた?」
「ばればれです。いつかあなたから私に声をかけてきてくれると期待したんですが、無駄だったようですわね」
「そりゃ、すいませんでしたね。今もご迷惑かけてしまってすいません。――だけど、謝礼金なんて今はいらないよ、別に」
「な、なんでですの? お金が一番喜んでくれると思ったのですが」
「知らない仲じゃないし、あれは俺が勝手にやったことだ。互いに同意し、契約を結び、それが成功して報酬をもらう。それが俺の金稼ぎの流儀。だから、今回は別に金なんて要らない。その気持ちだけで十分だって……」
「なっ、なんですの? そのあなたらしくない台詞は!? 新手の嫌がらせですか!? あなたはそれで納得するかもしれませんが、私は、納得できません! なんでもおっしゃってください。私が与えることができるものなら、なんでもっ!」
何を言われてもつっぱねるつもりだったが、無条件のお礼をしてくれるとなると話は別だった。
「な、ん、で、も? へー、ふーん。なんでもねぇ……」
「いや、なんでもとはいいましたが、その、肉体的なものは――」
「はっ、冗談だよ。お前に何かもらおうだなんて、最初から考えていない。――だって、俺のせいでお前の交友関係がグチャグチャになっただろ? 今思い返すとさ、もっとやり方があったんじゃないかって思うんだ。だから、謝りたいぐらいだよ。……悪かったな」
人生とは、後悔の連続だ。
いつだって、もっとどうにかできなかったかと悔やむ。
頭に血が上って、日頃溜まっていた鬱憤を晴らしたかっただけかもしれない。だって、トロワやカトルが羨ましかった。
リオーレとルナが一触即発だった時。
リオーレにあんなに庇ってもらっていたトロワとカトルにちょっとばかり嫉妬していた。
そんな醜い感情があるせいで、今となってはトロワたちのことを全否定することもできない。そんな資格がないのだ。
「……ビルゴダンジョンの『第三階層』へ行く時の話ですか。――私の身を案じて、とにかく迅速に行動したいと思ったから強迫めいた行動になっただけ。そうなんでしょ?」
「それでも、お前はあいつらのこと友達だと思ってたんだろ?」
「ええ、今でもそう思っていますわ。だけど、私が話しかけても、無視されてしまうんですの。もしかしたら、最初から友達じゃなかったのかもしれないですわね……。ほんと、昔から私は友達を作るのが苦手ですの」
リオーレは、角が取れて丸くなったようだ。
ちょっと話していない間に、随分と成長したように思える。
「だけど、ありがとうございます。あなたがいてくれたから、私はこうして生きている。生きているなら、まだ私にはできることがあると思いますから」
「――そっか。まあ、友達なら、俺がなってやらんでもいいけどな」
さりげなく。
あくまでさりげなく言えたのなら良かったのに――。
頬が熱くなるのを感じる。
ここまで素直に感情を顕わにするのは珍しいし、それに、この年齢で正面切ってこんな台詞恥ずかしすぎる。
だけど、後悔したくない。
歩み寄るためには、きっと今しかない。
そう思ったのに――
「ああ、それはお断りします」
あっさりと切って捨てられた。
ガクッ、と膝の力が抜けてしまい、壁に手を当ててどうにかこうにか倒れないようにする。
「あっ、そ、そうか。俺とは友達になりたくないのか。……けっこう、ショックなんですけど……」
「そ、そういう意味じゃありません。だって、今更友達になってしまったら、イティ先生の好敵手になれませんから」
「え? なに、お前、あの化け物と戦うつもりなのか? やめとけって。義理とはいえ弟にあれほどボコボコにできる奴だぞ。手加減っていうものを知らないんだ、あいつは……」
「……そういう意味じゃないのですが……。まあ、今はそういうことでいいです。それより、聴きましたよ。イティ先生にこってり絞られたらしいですわね」
「あ、ああ。まあな。随分心配かけたみたいだしな。ルナの『特異魔法』が崩壊して、初めて眼にしたのは、イティの飛び込んでくる姿だったよ。そのまま腹部に肘鉄をいれられて、倒されたと思ったら馬乗りしてきて、それから、泣かれたよ。殴られながらな。あまりにも痛すぎて、こっちが泣きそうだった……」
あはは、とリオーレが苦笑いしてくる。
「それだけ、心配だったんじゃないのかしら。私も心配したからバッチリあなた達の会話を盗み聞きして――あっ」
「あっ、てなんだ、あって!」
「気にしないでいいですわよ。……あなたに後ろめたいことなんて一つもないですわ」
「だったら、俺の眼を見て同じ台詞を言ってみろ!! お前、まさか『特異魔法』で盗み聞きしていたのか!?」
他の人間ならまだしも、リオーレの『特異魔法』ならばそれも可能だ。
その場に存在せずとも、感覚を憑依させ、リンクさせることができるリオーレならば。
「まあ、私の『特異魔法』は一度触れた箇所には、こんな風に刻印をつけることができます。いついかなる時でもそこに、ヒトダマを設置することができ、あの時も私はあなたの肩にヒトダマをつけることによって、あなた達の話を聴いていましたわ」
ボワッ、と妙な形の刻印が浮かび上がる。
これがヒトダマを発する時の印となるのか。
「肩に一度触れたって、そうか、俺が気絶しているお前をビルゴダンジョンで運んでやっていた時か。やっぱりあの時は狸寝入りしてやがったんだな? こっちはお前を運ぶの大変だったんだぞ」
ヒトダマの設置も、恐らく高度な魔力操作が必要となるので、元々の持ち主ではなく、魔力操作の未熟なラックスには使えない特性だろう。
「……ん? でも、待てよ。あの『私だけの理想郷』は他人が介入できるわけがない。別次元の空間なんだから。あのイティですら、何もできなかったんだ。どうやって、お前は盗み聞きしたんだ?」
「確かに、一度展開されたあの空間に潜り込むことは不可能だった。だけど、展開する前から、あなたの肩に憑依させておけば問題ないでしょう」
「……えっ? まさか、お前……日常的に俺の行動を盗聴していたのか? いや、視覚を『ヒトダマ化』すれば、視ることもできたはずっ!! へ、変態かよっ!」
「ち、違いますわっ! た、確かにたまーに、聴いていましたが、それはあなたのことを心配してです! 決して風呂に入っている時や便所に行く時の音を聴いていたわけじゃありません!! あの時だって、あなたが思いつめた表情をしながら廊下を走って駐在所に向かっていたのをたまたま目撃したから、発動しただけですっ!! 他意はありませんわっ!!」
「本当か? 動揺しまくってて怪しんだが……」
やっているのか、やっていないのか。
めちゃくちゃ際どい。
(怖いから、今度から個人的なことをする時は、イティの『特異魔法』で肩のあたりを探ることにしよう。ヒトダマが見えずとも、イティの『特異魔法』ならば、ヒトダマを無力化できるはずだ……。次からはそうしよう……)
リオーレはゴホン、となんとか仕切り直そうと咳き込むと、
「……それより、あの空間の中で疑問が一つ残ったので、それを訊いておきたいのですが」
「疑問? なんだ?」
「あの空間が歪んだ時、あなたはルナさんが迷っているからと言っていましたわよね」
「ああ、言ったな。あいつが本当はあいつだけの理想郷に生きていていいのかどうか迷っているからこそ、あの空間が、ルナの精神と同期して歪ん――」
リオーレは真顔になると、
「それ、明らかに嘘ですわよね?」
まるで核心をついたかのように真っ直ぐ視線をよこす。
「………………」
「あなたは、そうやって彼女に思わせることで、あの状況を打開した。あの空間を歪ませたのは他でもないラックス――あなた自身だったんじゃないですの?」
「『同調現象』か……」
相互認識。
自己暗示。
それらは、催眠系、洗脳系の『特異魔法』の持ち主がよく使う手段だ。
悪く言えば、ただの勘違い。
プラシーボ効果で自らの傷を癒したり、魔力を向上させたりすることができる。だが、本当にそんな力があるわけではない。思い込むと、人間はないものをあるものと錯覚することがある。
幽霊なんかはいい例だ。
その辺の草木が揺れただけで、幽霊と見間違えることがある。
その誤認識がさらに強まるには、一人よりも、複数人の目撃者がより効果的。
一人ならば、ただの勘違いですむが、他の人間も同じ幻覚を見るとそれがあたかも真実だと認識してしまうことを、集団意識――『同調現象』という。
(リオーレが言いたいのは、あの時、俺がルナの心理を言い当てたように言ったが、それは逆。本当は心理を言い当てたのではなく、決定づけたってことだろうな……)
最近、女子に人気の占星術士がよく使う『コールド・リーディング』――『バーナム効果』とも似ている。
あなたは大きな悩み、秘密がありますね? とか占いの相談に来た人間なら誰もがあてはまるようなことを言い放つことによって、相談者自身に占星術士の言うことを妄信させるやり方だ。
「……やっていないよ、俺は。あれはルナがやったことだよ」
「そう? あなたは言い切れるのかしら。仮に意識がなくても、自分の、そして、他人の命にかかわるあの状況だったのなら、もしかしたらあなたは無意識に使ったのかもしれない。あなたは無意識のうちに『特異魔法』を使って、ルナの心を誘導したんじゃないかってことを……」
「言い切れるよ。いくらあの時無我夢中で戦っていたとしても、俺にはそこまで『私だけの理想郷』を自在に扱えない。それに、あいつに俺がそんなことをするはずがない。……仮に、仮にだが。俺がやっていたとしても、いつかはルナ自身がそうしたはずだ」
「……そうですか。あなたがそこまで言うのなら、そういうことにしておきます。それで? そのルナさんは大丈夫ですの? かなり酷い状態だと聴いていますけど……」
眉を顰める。
そう。
ラックスがこうして好奇の目を気にしながらも、廊下を歩いているのも、それが目的だった。
ルナに会うために、こうしてここにいる。
だけど、どんな顔をして会えばいいのか迷っている。
彼女の危険な状態は、ラックスの『鍛冶合成屋』でもってしても治療することができなかった。
「あいつは――もう――今は満足に首を回すことができないぐらい、身体がぶっ壊れてな。まともに身体を動かせなくなったよ」




